第十一話 変えられない距離
翌日の朝、ジャンはくまの残った眼を服でこすりながら騎士人形の中から顔を出した。
朝日の眩しさに眩暈に襲われるが、人形にしがみ付くような形でなんとか耐える。脇にはすでに三十枚以上の束になったメモを抱え、ジャンはふらつく足取りで騎士人形の中から這い出た。
「さて、と」
地面に降りたジャンは、その場にどかっと座り込み、騎士に背を預けて徹夜で取ったメモの一枚目に目を通す。
「……はぁ」
だが、その一枚目からすでに挫折しそうだ。
テンプレートの構成式の基本は、常に進化し続けている。
ジャンの中に埋め込まれているレコードテンプレートの過去の先代達もまた、それぞれに独自の構成式を極めてきている。ジャンは、彼らの編み出した構成式を自分なりに解釈することで、テンプレートを精製している。
のだが、ダルクの騎士人形に搭載されているテンプレートの構成式は、それはもうとんでもなく古い。ぶっちゃけてしまうと、文字が読み取れないレベルで。
「まぁ、そりゃ千年も前に作られたっていうテンプレートだしなぁ。そのくせ、ところどころに今の時代に似ている構成手順もあるし」
これを精製した当時の魔法人形技師は、それはもう天才の名を欲しいままにしたに違いない。理論こそ古いが、その構成方法は非常に独創的。
今の現代魔法回路理論は、一本の魔法糸を複雑な魔法式と変換式を利用して枝分かれさせ、テンプレートを精製している。だが、白騎士に乗せられたテンプレートは違う。
それぞれが独立した機能を持つ複数のテンプレーを別々に用意し、それを一つに組み合わせているのだ。この方法でなら、統一される基準を設けることで、分割した機能の分だけテンプレートの精製にかかる時間を削れるのだ。
「この発想はいいな」
だがそれゆえに、このテンプレートの末尾に書かれていた一文を見てジャンは頭をかいてしまう。
「『いつでも君の傍に。ジャン』か」
この一文だけが、搭載されたテンプレートに後付で組み込まれていた。この一文そのものに大した意味などないが、おそらくはダルクの祖父がテンプレートについて学び、付け加えたのだろうとジャンは思う。
「『ジャンヌ』って書こうとして、間違えたんだな」
言葉にはしてみるが、不思議とこの一文はジャンの心に響いた。名前が似ているせいかもしれない。
「とにかく、まずは解読を進めないと……」
今からは、持ち出している過去の文献――いわゆる古文書と呼べるレベルの文献と、テンプレート文字の対応表を作り、あのテンプレートに構成される式を復元するのだ。
「よしっ」
昨晩のダルクへのやつあたりの罪滅ぼしの意味も込めて、気合いを入れるしかない。
ジャンはメモの一枚目の文字を、開いた本に記載された文字と照らし合わせながら、解読を始めていく。
「あ、あの……ジャン?」
「ん、あっ」
古文書とメモを両手で持って睨めっこを開始したジャンの前に、一人の金髪の少女が立っていた。確認するまでもない、ダルクだ。
「あの、その……き、昨日はごめんなさいですわ。私、ジャンを傷つけるようなことを言っちゃって……」
「いや、俺の方こそごめん。ちょっと色々モヤモヤしたものがあってさ、ダルクに八つ当たりしてしまった」
「い、いいんですの。私がデリカシーがなかったせいですもの」
深々と頭を下げたダルクの前に立ち上がったジャンは、彼女の頭を人差し指ではじいた。
「あうっ!?」
涙目になったダルクが顔を上げると同時に、ジャンは彼女に向って頭を下げる。
「悪いのは俺のほうだ。ごめん」
今度はジャンが、ダルクに向って深々と頭を下げた。
「あ、そ、その……ご、ごめんなさい!」
頭を下げたジャンを見たダルクが、顔を歪めてその場を駆け出して行ってしまう。ジャンは彼女の背になんて声をかけていいかわからず、逃げていく彼女を黙って見送ることしかできなかった。
◇◆◇◆
「ジャン、ちょっと話があるんだけど」
「肉体言語でもするつもりかよエリー」
太陽も登りきったころ、一人でテンプレート構成式の解読を進めていたジャンのもとにエリーがやってきた。素早いフットワークで拳を振っている彼女の様子に不安なものを抱えながらも、ジャンは解読を続ける。
「人の話は目を見て聞きなさいよ!」
「ぶべらっ!?」
脳天に直撃した拳に、ジャンの抱えていたメモにペンが突き刺さった。
悲鳴を上げたジャンは慌てて立ち上がり、傍に居たエリーに怒声を上げる。
「ああああ! お、俺の一晩の結晶!? 何するんだエリー、これが一体どれだけ苦労する作業だったかわかってて――!」
だが、そんなジャンの襟元をエリーが乱暴につかみ、睨み付けた。
「分かってないのはジャンのほうじゃない! 貴方、ダルクさんに何をしたのよ!?」
「な、何って……別に、ただちょっと喧嘩しただけっていうか」
エリーの強い視線に負けたジャンは、言葉を詰まらせる。
「ただの喧嘩でなんであんなにダルクさんが落ち込むのよ! ま、まさかジャン、貴方嫌がるダルクさんにあ、あんなことやこんなことを!?」
「してない、断じてそんなことしてないぞ!」
「なんでしてないのよ! それぐらいやって見せなさいってば!」
「お前言ってることめちゃくちゃだな!?」
勢い任せに来ただろうエリーと鼻息荒く睨み合ったジャンだったが、ふぅっと息を吐き出し、落ち着きを取り戻した。
「ダルクがどうかしたのか?」
そうジャンが尋ねると、エリーはジャンの服から手を放し、呆れたように頭を振った。
「今朝からずっと、酒場で働いてるわよ」
「なんだ、それだけなら別にいつもと変わらないだろ?」
「働くだけなら、そうかもしれないわね。でも、今日のダルクさん、どこか上の空だし、上手く笑えてないし。気付けばダルクさん、直ぐに酒場の中できょろきょろしてるもの」
「きょろきょろって……」
「わかんないわよ、私にも。でも、ジャンの責任でしょ?」
「…………」
確かに、エリーの言うとおりだ。彼女にそうさせているのは、間違いなく自分の責任だ。
「ジャン、貴方今から酒場に来なさいよ」
「いや、けど……」
エリーの誘いに、ジャンは手に抱えていたメモの束を眺める。自分は魔法人形技師。一番最初にダルクに約束したのだ。君の大切なものを自分が直すと。
「俺には、やらなきゃならないことがあるから」
「それって、ダルクさんや私達より大切な事なの? また魔法人形のこと?」
「それは――」
はっきりとした答えは言えない。
エリーの渋い視線の先で拳を握ったジャンは、自分の情けなさに歯を食いしばった。
今の自分は本当にダメだ。魔力だけで魔法人形を動かすデュラクス人であるダルクへの嫉妬。彼女の存在に、揺らいでしまう自分自身の存在価値。魔法人形技師ジャンスヴァイル・アウトラクトは世界に必要なのかというその答え。
自分は必要であるという答えを得るために、今の自分は必死になって魔法人形を修理しているのではないか。そして、ダルクに会うことの気まずさを魔法人形を理由にして逃れようとしているのではないか。
「決めた。はーい、一名酒場に連行しまーす!」
「あ、こら、エリー!」
迷っていたジャンだったが、唐突にエリーに手を握られ、引きずられるようにして連れて行かれる。慌てて立ち止まったジャンに向き合ったエリーが、唇をすぼめた。
「ジャン。前から言おうって思ってたんだけど」
「なんだよ?」
「もっと、相談しなさいよ。貴方って昔っからそう。自分には魔法人形しかないからって、働きで認めさせるって言って、いっつも自分一人で全部やっちゃう。職人肌なのはそれはそれでカッコいいかもしれないけど、たまには弱み、見せてもいいんじゃないの? ジャンはジャンじゃない」
「…………」
エリーの言葉が胸に響いた。胸中を渦巻いていた黒い感情は、彼女のまっすぐな視線にかき消されていく。その昔と変わらない強い意志のある瞳を見て、ジャンは彼女に勝てないことを悟った。
「変わらないな、エリーは」
「私は私だもの」
「はは……」
空を見上げたジャンは頬を掻いた。確かに、自分は今まで誰かに相談なんてしたことがない。小さい頃に父は亡くなったし、そのころからずっと、自分を認めてもらうために魔法人形技師の腕を磨いてきた。
誰かに相談する時間なんて、自分にはなかった。いや、しようとも思わなかった。
「ほら、酒場に行くまでの短い間で、私が貴方の悩みを聞いてあげるわ。お姉さんに話しなさいってば」
「お前、俺より一つ年下だろうに……」
エリーに手を引かれながら、ジャンは彼女と共に並んで歩きだす。
「いやまぁ、相談するって言ってもなぁ……」
なんといえばいいのか、ジャン自身分からない。ダルクがデュラクス人であることは秘密だし、彼女の特異な魔力量の多さに嫉妬してるなんてなかなか言い出せない。
だが、
「あらかた想像はついてるわ。アレでしょ?」
得意げな視線で見上げてきたエリーに、ジャンは頭をかいて苦笑い。さすがに幼馴染。隠し事なんてできそうになかった。
この際、彼女に相談してみるのも悪くないかもしれない。そう思ったジャンは、大きく深呼吸してエリーに相談を持ちかける。
「エリーには勝てないな。その、な。最近の俺、ダルクに嫉妬してしまってるんだ。どうすればいいと思う?」
「え?」
「え?」
悩みを打ち明けると、エリーが口を開けて小首をかしげた。思わず立ち止まったジャンも彼女のバカ面を呆然と眺める。しばらく大通りの真ん中で停止していた二人だったが、エリーのほうが先に眉をしかめてジャンに訊ねた。
「私てっきり、ダルクさんといつも一緒に寝てて性欲を持て余してるけどどうしたらいい、みたいな話かと。もしくはダルクさんそっくりの人形作りたいんだけど、スリーサイズが聞けなくて困ってるとかそういう話だって思ったけど、違うの?」
「そんな相談誰がするか! 性欲なんてもてあますか! てか、お前俺をなんだと思ってんだよッ!?」
「魔法人形バカだけど?」
「その通りだけども、あぁその通りだけども!」
さも当然のように言い放ったエリーの目の前で、ジャンは地面に両手をついて崩れ落ちた。
◇◆◇◆
「……はぁ」
酒場の端の席に座っていたジャンは、大きな溜息をついた。机に頬杖をついて酒場の中を忙しく働きまわるエリーとダルクの姿を見て、ジャンは先ほどのエリーの言葉を思い出す。
『嫉妬って。そんなの誰でも持ってるじゃない。ダルクさんにちゃんとそのことを話せばそれで済む話じゃないの?』と。
「そりゃ、話して済む話かもしれないけどさ。それができれば苦労しないんだよエリー」
俯いたジャンは、パンを一つかじり、どうしたもんかと頭を抱える。
自分はこれまで、魔法人形一筋で生きてきた。言い方は悪いが、ダルクを保護しようと思ったのも、最初は彼女の持っていた白い騎士人形に興味があったことが大きい。彼女が唯の旅の行き倒れだったなら、騎士団に匿って貰う方が確実だからだ。
とはいえ、もう三週間弱。時には喧嘩もしながら、ジャンはダルクと共に生活してきた。その中で彼女が持つ元来の明るさや意地っ張りな面を知った。同じだけ、彼女が世界に怯えて生きていることを知った。
幼い頃から、レコードテンプレートをその身に宿して一人で生きてきたジャンにとって、ダルクは放っておけない人間になってしまったのだ。
「ただの他人なら、こんな風に嫉妬もしなくて済んだのかな?」
そう。ただの他人ならこんな風に悩みなんてしない。けど、ダルクはもう自分の家族だ。そんな彼女だからこそもどかしく、そして、上手く伝えられる言葉がない。
「はぁ……」
「あら、ジャンさん。相席、いいかしら?」
「え、あ、アルタイルさん。どうもこんにちは」
お盆にパンと水とサラダを抱えた妙齢の女性――アルタイルが、ジャンの座っていた席の向かいに座り込んだ。
「えぇ。それにしても深い溜息だったわね。どうかしたのかしら?」
「いえ。なかなかうまくいかないものだと頭を抱えていただけですよ」
「あら、それって貴方とジャンヌさんの騎士人形のこと?」
どこでそのことを聞いたのだろうとジャンは一瞬だけ怪訝に思ったが、ダルクが来てからもう三週間。街の噂の集まる酒場で食事をしているアルタイルに、あれほど大きな騎士人形の情報がいってないはずもない。
「あれはあれで。テンプレートが傷ついてますから、修理には時間がかかりますよ」
「あら、テンプレートなしでも人形を動かす方法ぐらいあるじゃない」
「え?」
ニッコリと笑顔を向けたアルタイルの顔を見て、ジャンは瞳を細めた。
「私も竜人形の残骸を調べさせてもらったわ。あれに乗っていたあの赤いテンプレート。あれを利用すればいいんじゃないかしら?」
「…………」
赤いテンプレート。あの吐き気を催す深紅の魔力タンク。確かに、大型魔法人形なら魔力の供給量が補えれば動かせないことはない。その事実はダルクという存在が証明している。
だが、
「あの赤いテンプレートは駄目です。あれはテンプレートなんて言う生易しいものじゃない。あれは……もっと悍ましいものな気がする」
「そうかしら? 私は、魔法人形技術の革新ともいえるものだと思ったけれど。突き詰めれば、操者を必要としない、ある意味で完成されたテンプレート。それは私達魔法人形技師の夢ではなくて?」
「否定はしません。でも俺は違う。俺は魔法人形を通して誰かを幸せにすることが、魔法人形技師の仕事だと思ってますから」
「そのあたりは、職人と研究者の意見の違いかしら」
「そうですね」
アルタイルの例えに、ジャンは笑って答えた。確かに職人と研究者の意見だろう。片や魔法人形を通して世界とつながるために。片や魔法人形技術の革新のために。
「それにしても、ジャンヌさんは何者なのかしら?」
「え?」
思案していたジャンに、アルタイルが酒場のカウンターに目を向けて尋ねる。
「あの子、この街の子じゃないのでしょう?」
「いや、それはそうですけど……」
「それに、騎士団の団長さんも言ってたわ。彼女、テンプレートの介入なしに騎士級の魔法人形を動かしたんですってね」
「――――っ」
アルタイルの何気ない一言が、ジャンの中で不吉な答えを導いてしまう。
そんなジャンの様子を知ってか否か、アルタイルは話を続けた。
「まるで、彼女自身が『赤いテンプレート』みたい。そういえば、まだ竜人形に乗せてあった違法テンプレートを作った犯人、捕まってないのよね? ひょっとして――」
「それ以上は止めてください。彼女はそんなことしない。できるはずがない」
「そうね。もう止めておくわ。殴られそうだもの」
声を押し殺して笑うアルタイルの目の前で、ジャンは乗り出しかけた身体を椅子に再び預ける。ふっと息を吐き出したジャンは、眉を寄せて拳を握った。
自身の中で一瞬だけ繋がってしまったその答えを必死になって否定する。彼女は決してそんな真似はしないと。
「あ――」
顔を上げた先で、一瞬だけダルクと目があった。
しかし、彼女は居心地悪そうにすぐに視線を別の場所に移し、ジャンから姿を隠すように厨房の奥へと消えていった。




