エタ。それは凡人作家の限界
【エタるはどういことか?】
処女作、あるいは初の長編で筆が止まったということは。
あなたは残念ながら、『天才的な作家の素質』など持っていなかったということです。
嫌でしょうか? 認められないでしょうか?
世間には『未完の傑作』というものも存在します。
だから作品の完結が、必ずしも評価に結びつかないと考えるでしょうか?
しかし作品の評価は、作家以外の人間が作るものです。
そして作家当人が、筆が止まった自分の作品を見て、『この作品は未完の傑作として評価されるだろう』と考える人がいるでしょうか?
もしもいたら、一般的には『世間知らず』『厚顔無恥』と呼ばれるでしょう。
完結させることより、エンドレスでエピソードを積み重ねることが重要な作品もあります。
小説よりはマンガの分野ですが、ギネス記録を作るほどの長期連載もあります。
しかしそういった作品は、一貫した巨大ストーリーを持たずに短いエピソードを積み重ねて、話の前後を入れ替えても読むのに全く困らない――もっと言えば、突然終了しても困らない内容のはずです。
共通した設定を使った短編連載であって、長編とは異なり、このサイトでエタった作品の多くとは違うはずです。
それにひとつのテーマや舞台や設定で、長く作品を書き続けることが、優れた作品の条件にはなりません。超大作を書き続ける作者さんの情熱には敬意を抱きますが、長いだけの駄作であれば『早く終わらせろ』というのが、見る側や制作に関わる側の意見です。
もしも『天才的な作家の素質』があれば、スラスラと素晴らしい物語を作って発表できるはずです。
しかも、それだけではありません。
完結できるはずです。
一般的なシナリオは、完結させなければ良作にすることが不可能です。
映画などの単発ストーリーを思い出してください。その物語で一番の盛り上がりを見せる部分――クライマックスは、どこにあるでしょう?
ラストシーンの直前です。
なのでその場所を一番盛り上げるように、脚本家はシナリオを書きますし、同時にラストがなければ、クライマックスが盛り上がらないことになります。
クライマックスが他にあってもいい。途中が面白ければいいとお思いでしょうか。
それはラストに近づくほど物語が盛り下がるということです。クライマックスは『一番面白いところ』なんですから。
どんなに頑張ったところで、作品の評価は『途中までは面白いけど最後はイマイチ』にしかなりません。
広げた風呂敷は、畳まなければならないのです。
そして優れた作家は、上手な風呂敷の畳み方を知っています。
どのような作品であっても、ご自分の作品をエタらせた以上は、凡人作家です。
嫌な言葉に聞こえるかもしれませんが、反論の余地がない現実です。
無限の可能性、と言えば聞こえはいいです。
しかし現実には、可能性は無限ではないのです。小説を実際に書いてみてエタったことで、その可能性が有限であることを思い知ったわけです。
何事も続けていれば、壁にぶつかります。万事なにごともなく順調にスマートな人生を送れることができればいいですが、そんなこと現実には不可能です。
『物語の中くらいは』とそんな成功オンリーの主人公の人生を思い描いた小説作りがエタったのは、その壁にぶち当たっただけのことです。
それが作者さんの『現状の』限界であることを理解してください。
これを認めることができなければ、今後一切成長することはありえません。
作品をエタらせたことが終わりではなく、始まりなのです。
壁に突き当たっていることを認識できなければ、突破することもできないのです。
限界は現状のものであって、努力次第で乗り越えることは充分に可能です。
そして同時に、天才と呼ばれた人も、凡人以下に成り下がることもありうる……どころか、ありふれた話だというも理解してください。