なんとなく:量よりも質を求める
【なんとなくでエタった場合】
前出【キャラ増加:(逆)ハーレム≒エタる原因】にも通じますが、もう少し広い意味での内容を。
質と量は反比例します。
なんとなくでも理解して頂けると思います。
100円ショップでは、大量生産の低価格品が売られています。
専門店では、少量生産の高級品が売られています。
100円のレトルトカレーを作る会社もあれば、1000円のカレーを作る店もあります。
1パック498円のイチゴを育てる道を選んだ農家があれば、贈答用の1個500円のイチゴを育てることにした農家もあります。
大工場でのライン生産で大量に作れる製品は安くなりますが、品質は値段相応になるでしょう。かと言って職人が手作業でひとつひとつ作る高品質品は、手間がかかるために高くなり、品数も薄くなります。もちろん大量生産できる高品質品が一番ですが、現実には難しいため、一般的に品質と生産量は相反しています。
それを両立させ、どこに重きを置くか。それぞれの店舗や製造現場で定めているわけです。
しかしなんであれ、最終的に求められるのは、質です。
小説に限って話をすると。
良作を次々と発表する小説家が、読者にとっても出版社にとっても、一番優れた小説家ですが、ここで質と量の重視でわけると。
単純に考えただけでも、量を重視し、短いスパンで小説を発表する作家と、質を重視し、シリーズ数は少ないけれども壮大な長編小説を作る作家、二系統が存在します。
ここまでなら量と質、どちらを重視するのが優れているとか、単純な比較はできません。
しかし極論なMAX-MINで考えてみると。
生涯にたった一作しか書かないけれど、500万部売れる作品を作れる作家。
生涯に一度も売れることはないけれど、500万作の小説を書ける作家。
読者や出版社は、どちらを求めるでしょうか?
どちらが優れた小説家でしょうか?
ここまでになると議論の余地なく、『たった一つでも名作を作った作家』です。
大量の作品を作ることができれば、まぐれ当たりのヒットが出ても不思議ありません。なのに全く売れないということは、致命的な欠陥があるということです。
いくら使い捨て前提の低品質品でも、一度も使えなければ、誰も買いません。量産されても、同時にある程度の質は求められるのです。
だから質と量、究極的に求められるものは、質です。
なのですが。そして自分の経験則ですが。
執筆経験の少ない人ほど、質より量を重視する傾向を感じます。それを意識してるか無意識なのかはさておいて。
ひとつのキャラクターやシチュエーションを深く描くのではなく、ポンポンと場面やイベントが変わるジェットコースターストーリーは、質よりも量を重視した作品です。
少数の人間模様を描くのではなく、大量のキャラクターを出してストーリーを進めるのも、質より量を重視した作品です。
それで完結しているなら問題ありません。
でも完結せずにエタらすなら、それが原因です。作者さんが自分で制限をかけたため、筆が止まったのです。
壮大な物語を書こうと思えば、大量のキャラクターが必要ですし、イベント数やシチュエーションも文章量も増えます。
国民的な未来の世界の青ネコロボットが出した秘密道具は、トータルではものすごい数です。
やはり国民的な顔がアンパンな愛と勇気だけが友達のヒーロー。あのアニメ放送で出てきたキャラクターも、総数はやはりものすごく多いです。
だから量は必要だと思うかもしれません。
しかしそれは、最初から量ありきで考えたのではありません。
質を求めた結果、積み重なって量になったのです。
それをどうすればいいか?
作者さんの考え方を変えるしかないです。




