ひとつめの消失。
『毎日を、精一杯生きてきた。
家族や、友達や、恋人と、
笑いあって泣きあって。
それはもう幸せに生きてきたんだろう。
傍からみれば、そうなんだろう。
だけど、私はもう疲れてしまったの。
幸せに思えるはずの毎日も、
ただただ苦しく
今ではもう、自らの首を絞める行為でしかなくなった。
私は、消えたくなった。
だから、旅に出ます。
私を知らない、少し遠くの町へ。
さようなら、愛すべき毎日』
遺書にも思える文章を書き終え、彼女は机の上にボールペンを置いた。
近くで眠る男を横目でちらりと見て、口元を緩ませた。
「さようなら、愛する人」
さようなら。
* * *
……僕は、夢を見ているのだと思った。
彼女が僕の頬を撫で、いつになく柔らかな表情で口づけをするものだから、
ああ、悲しいことは終わったんだ、と思った。
毎日。
毎日毎日。
彼女は飽くこともなく、涙を流した。
時には暴力的になり、何度も何度も僕に当たり続けた。
そしていつも、彼女は泣き疲れてそのまま僕の腕の中で眠ってしまうのだ。
一歩外へ出ると、彼女はいつだって笑顔だった。
いや、もちろん帰ってきてからだって幾度も僕にその素敵な笑顔を見せた。
だが、彼女は弱かった。
いや、逆かもしれない。彼女は強かったのだ。
僕という心を許す人間以外の前では、いつだって泣かなかった。
いつだって弱音を吐こうとしなかった。
彼女は強いのだ。
だからこそ反動は強く、彼女の内に秘めたものが顔を出すと、もう止まらなかった。
周りに合わせ、笑顔を絶やさず、いつだって好かれるような振る舞いをしていた。
彼女も気づかないうちに無理をしていたんだろう。
ずっと、ずっと昔から。
その彼女が、本当に心の底から安らかな笑顔を僕に向けている。
僕が夜中、ふと目を開けると、そんな彼女が目の前にいたのだ。
「まだ寝てなかったの?」
僕がそう聞くと、彼女は静かに頷いた。
「……寝ないの?」
「ねえ、愛してる」
突然の言葉に、僕は黙ってしまった。
「愛してる」
「うん……愛してるよ。どうしたの?」
「ううん、おやすみ」
僕は訝しげに彼女を見たが、彼女は微笑みを崩さなかった。
「……おやすみ」
本当はもっと彼女を見ていたかった気もするが、僕は瞼の重さに勝てず、また深い眠りへとついた。
次の朝、彼女は消えていた。
日曜日ということもあって、僕は昼まで寝ていたのだが、
起きてみると横に彼女の姿はなく、トイレや風呂場にもいなかった。
どこかに出掛けたのかと思い、電話をかけると、近くで携帯電話のバイブレーションが聞こえた。
彼女が携帯電話を置いて出かけるなんて、珍しいなと思いながら椅子に腰かけた。
そこでふと、僕は机の上の2つに折られた白い紙に気づいた。
「何だ?」
そこには、彼女の見慣れた癖字が並んでいた。
「さようなら……?」
一瞬、頭の歯車がギシギシと音を立てて動かなくなったように思った。
思考がワンテンポ遅れて追いついてきた。
「本当に、いなくなった?」
彼女は、僕の前からいなくなった。