第三話
「……そんな事、十分知ってるでしょ。僕は、あの人、苦手なんだ」
恐らく、一弥も裕平が苦手だ。
本物の兄弟なのに、どうやって扱っていいのか分からない。
お互いが、そんな感じだった。
「まあ、これで俺の存在も兄貴にバレないし、しばらくは安泰だな」
「そうだね。やっぱり兄貴に上手く説明なんてできないしね」
きっと本当の事を言えば、バカにされる。
二人揃って、冗談を言っているとしか思えないだろう。
いや、兄貴の事だ。
冗談として受け取ってもくれないかもしれない。
からかって、何が面白いんだ?と軽蔑されて終わりかもしれない。
「なあ、まだ信じてねーの?」
「い、いや……そう言うんじゃないけど……」
と、二人で視線を向かい合わせる。
「どうしていいのか、分からないんだ」
「俺だって、なんで、こっちの世界に出てきたのか、ワケわかんねーし。どうしていいのかもわかんねーよ」
「だよね……」
龍樹が、ゴロンと絨毯に寝そべる。
もう充電が終わったらしい。
「まー、郷に入れば郷に従えって言うし。逃げる場所もねぇ、隠れる場所もねぇ。お前も、そろそろ腹決めようぜ」
「そ、そんな事を言われても……」
頭の中でグルグル悩んでいると、急に外が騒々しくなった。
「キャーーーーーーーーーーッ!」
という黄色い悲鳴に、龍樹が飛び起きベランダに出る。
「なっ、なに?!」
この辺は、夜遅いと人通りが少なくなるので、時々痴漢や引ったくりが出る。
当然、この悲鳴もその類の被害にあったのだろうと想像していた。
龍樹が、じっとマンションのベランダから下の道を見下ろす。
「あれは……」
祐平も後に続く。
この部屋はマンションの二階なので、下の道路がよく見えた。
「え?」
そして、その光景を見て、祐平の体が固まる。
「グルルルルルッルルルルルル」
低い唸り声が、風に乗って運ばれてきた。
「……犬?!」
半疑問系になってしまったのは、その姿が異様だったからだ。
まず、犬にしては体がメタリックに光っている。
それは、電柱についている外灯でも見て取れた。
そして、その瞳は真っ赤だった。
充血しているなんて、生易しいものじゃない。
赤い、ライトのような輝きだ。
「いやああああっ!!」
悲鳴を上げているのは、スーツを着ているOL風の女性だ。
会社の帰りなのか、高級そうなバッグを胸元に抱えて、道の中央にへたり込んでいる。
「グワッ!」
黒い犬のようなものが、女性に向かって飛び掛る。
「あぶねぇ!!」
止めるよりも先に、龍樹が飛び降りた。
「ちょ! ここ、二階なんだけど!!」
「そんなもの関係ねーし!!」
そう言えば、龍樹の手に武器が装着されていない。
夕べは、【ドラゴンナックル】を付けたままログアウトしたはずだ。
「まさか……武器がないのか?!」
祐平の心配をよそに、龍樹は犬に蹴りかかっている。
「ギャン!」
黒い犬が悲鳴を上げて、後ろに下がった。
動きを止めて充電を開始する。
それは、EWに出てくるモンスターが、スキルを使う前触れだった。
当然、祐平は、これが何なのか知っている。
龍樹が女性を庇うように目の前に立ちはだかった。
「ここは危ないから、逃げろ」
そう言われても、女性は腰を抜かしたようで動けない。
「龍樹! 武器は?! 無いのか?!」
祐平がベランダから張り叫ぶ。
龍樹が、ベランダを見上げ、ふふっと笑みを零した。
「当然、あるぜ。おし。こい、雑魚キャラ! 【ドラゴンナックル】で叩きのめしてやらぁ」
龍樹の両拳に、ごついナックルが装着された。
エレクトリックパワーを武器に充電させる。
「へ?」
祐平は、自分の体の変化に気づいた。
まるで、実態を失うかのようにフッと意識が途絶える。
龍樹の頭上に稲妻が下りた。
ドッカーン! という雷鳴と共に体が黄金色の輝きに包まれる。
「う……嘘だろ……」
祐平が意識を取り戻した時、目の前に見えるのは自分に襲い掛かってくる黒い犬だった。
「くっ」
頭で考えるよりも、手が先に出る。
「スクリュー・アタック!!」
高レベルで取得する、ファイターのスキルだ。
黒い犬もスキルを使っていて、二つの力が衝突する。
ドーーーーーーーーーーーーン! という衝撃音と共に、二つの火花が爆ぜた。
黒い犬が地面に転がり、ぐったりとする。
「キュン、キュキューン」
最後の断末魔と共に、動かなくなった。
龍樹が一撃で倒したのだ。
「な……なにコレ……」
龍樹が、自分の両手をじっと見下ろす。
正確に言うと、龍樹の体だが中身は祐平だ。
武器を装着した途端、彼の中に取り込まれてしまったのだ。
【なるほどねぇ。こういう仕組みなのか】
頭の中で、声がする。
まるで、耳打ちチャットをしているかのようだ。
「こういう仕組みって?……」
祐平は、まだ呆然としていた。
時間の経過と共に、黒い犬が点滅を始め消えていく。
【つまり、武器を装着すると祐平と合体しちまうってことさ】
「が……合体って……」
傍から見れば、龍樹が独り言をブツブツ言っているかのような光景だ。
後方から視線を感じ、はっと振り向く。
「う、うわ……、あの……」
祐平と同じく、女性もパニックを起こしているらしい。
綺麗にセットされていたと思われる髪は乱れ、口をポカンと開けている。
「……夢だと思って、早く家に帰るんだな」
龍樹が良いそうな台詞を吐くと、女性はポーッと頬を染めた。
「ゆ……夢って、あ、あの……」
立てないみたいだったので、手を差し伸べた。
「どうだ? 立てそうか?」
「は……はい……」
いくら見かけが龍樹でも、こんな口調を女性にしたのは初めてだ。
差し出した手を握り返され、道路に立たせる。
「怪我はないか?」
と思わず聞いてしまうと、女性はコクリと頷いた。
「な……無いです。大丈夫です」
思いっきり、意識されているのが分かる。
祐平は、困りながら頭をガリガリかいた。
「これ、どうやって戻すの?」
【恐らく、武器を解除すると戻るとは思うが、この人の目の前でやれねぇだろ。さっさと逃げろよ】
そう言われても、未だに手を握られたまま離してもらえない。
「あ、あの!助けていただいて、どうもありがとうございました!!」
ゲームの中なら何百回と聞いた台詞だ。
「じゃあ、俺はこれで」
「あ、あの! お願いします! 助けて頂いたお礼をさせて下さい!」
そんなのいいから手を離してくれよと言いたい。
でも女性の目は、すっかりハートの形になっていて、さっきまでの恐怖なんかすっかり忘れてしまったようだ。
黒い犬、あれはEWの世界にいる【メカ・ドッグ】だ。
龍樹が言った通り雑魚キャラの部類で、スキル一発で倒せるレベルのモンスターである。
その、わけのわからない機械化犬に襲われたというのに、危ない目にあったとか、倒した死体が消えたとか、そういう事実はどうでもいいみたいだった。
「わっ、私、高沢沙希って言います。23歳、独身、会社の受付をしていて、せめてお名前、良かったらメアド交換してもいいですか?!」
「……」
めんどくさいなと、強引に手を離した。
「悪い。急いでるから」
マンションに戻るわけにもいかないので、駅とは反対方向に突っ走る。
その先には大きな公園があり、調度いいと中に入った。
公衆便所の裏に回り、辺りに人がいないのを確認してナックルを外す。
龍樹の予想通り、祐平の体が龍樹の体から離れた。
「……龍樹と合体している時は、走っても疲れないんだ」
変な所に関心をしてしまった。
普通なら、こんな距離を走ればハァハァと息が乱れているはずだ。
「体力は満タンだしなー。ゲージが減ったら、ハァハァゼイゼイだろ」
「なるほど……」