第2-2話 『サディスティックな二人』
「あのぉ……、いらっしゃいませんよね?」
こんな事を呟きながら恐る恐る歩を進めるフィーナ。流石に本当に見捨てられるなんて事はないと信じたいところではあったが、そう信じきれないのが悲しい所ではあった。
自らを繋ぐ縄はかなりの長さがあったようだ。ゆっくりと左右をキョロキョロしながら歩みを進めているとはいえ、もう数分は歩いているはずだった。それなのにまだ弛みがある。
実の所なんとなくフィーナはルークが縄など持っていないような気はしていたし、それは事実であったのだが恐ろしくて振り返る事は出来なかった。
ルークが恐ろしいのではない。ここは山賊共のテリトリーだ。振り返った途端に彼らに襲われたら、と思うと恐ろしくて無防備に振り返る事が出来なかったのだ。まあ、不意を打たれなかったとしても彼女がどうにかできるわけではいのだが……。
「ふむ、取り合えずあそこまでは危険がなさそうだな」
「そのようです」
一方、小さくなったフィーナを見つめ腕組みをして満足そうな顔をしながら、こんな事をのたまっているのはルーク達である。
「ですが、万が一危険があるといけません。もう少し彼女を先行させましょう」
「ふっ、その万が一があったらお前が守ってくれるのだろ?」
「それが私の役目です」
「薄情な奴だ。アイツに何かあった時に助けてやらないのか?」
「それは私の役目では……あっ……」
アイナが言い終わる前にルークはニヤリを笑い彼女の顎を右手でしゃくった。彼女の瞳は何かを期待するように潤みだす。そして、彼女を少しの間、普段とは違う優しい目をして見つめるとキスをした。
なんと場違いでフィーナが目撃したら憤死しそうな光景なのだろう。以前、フィーナが自ら評したように二人にとって本気で彼女がどうなろうと知った事ではないようであったし、ルークにとって山賊退治なんぞただのどうでもよい暇つぶしだったようだ。そして、少しの間、二人は固有結界『二人の世界』を発動させた。
その頃、哀れなフィーナは忠実に役目を果たしていた。金属がぶつかり合う様な甲高い音が聞こえ彼女は体をビクリと振るわせた。
どうやら、近くで何かが起こっているらしい。それは彼女にとって余り好ましくない事であるのはほぼ間違いなく、できれば関わり合いにはなりたくなかったのだが、ここで引き返してしまうと後が怖い。
フィーナは一回、大きく深呼吸するとピシャリと両手で頬を叩いた。覚悟を決めたのである。斥候役ぐらい果たせばあの外道たちも許してくれるだろう、と。
道の終わりは――廃坑でも利用しているのだろう――岸壁であった。そこには大きな穴が開いていて、どうやらそれが出入り口の様だった。
人の気配はなかったので彼女は恐る恐る入口に近づいていく。
「うっ……」
余り嗅ぎ覚えのない、それでいてそれが何か解ってしまう異臭に思わずフィーナは吐き気を覚えた。
「ふむ、血の臭いだな」
「そのようですね」
「うわっ!」
いつの間にか自分の隣にいたルークとアイナにフィーナは驚きの声を上げた。瞬間移動でもしてきたのか? と、疑いたくなる移動の速さである。
「……さて」
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
フィーナは鋭い目で自分を見ながら発言を開始したルークが自分に何を言おうとしているのかが解ってしまい思わず抗議の声を上げた。
(コイツ……最悪だ……)
「主の発言を遮るとは……再教育の必要があるようだな……」
今、自分がしようとしている非人道的な行為は全力で棚に上げて、別のベクトルで怒りを表したルークにフィーナは食いさがる。
「それは謝るし、再教育でも何でも受けてあげるけど……それはちょっと酷過ぎない? わたしに先に行けって言いたいんでしょ?」
「何だ、中々察しがよいではないか。うむ、俺様の教育の賜物だな」
「だからね!」
うんうん、と満足気に頷くルークをしり目にフィーナは必死である。こればっかりは言いくるめられる訳にはいかなかった。流石にこれは洒落にならない。
「わたしにだってこの中で何か凄い事が起こってるってぐらい解るわよ。山賊の住み家。その中から血の匂い。それってさ、この中で人が殺されてるって事だよね? 例えば……、さらわれた女の子とかが酷い事されながら酷い事になってるかもしれないって事だよね? そんな場所にか弱い女の子を突入させるって、余りにあんまりだよね? いいの、今までの事は……。わたしにも悪い所あったし、全部許すけど……これだけはまっぴらごめんよ!」
彼女の熱弁に対するルークの反応はそっけないと言うか呆気なかった。
「フンッ……、アイナ」
「ハッ」
(殺される……)
フィーナはそう思った。自分が必死に抵抗している間、彼の目は実に冷たいものであった。その視線はまるで人間を見るものではなかった。まるで、おもちゃに飽きた金持ちのボンボンがそれを捨ててしまう時の様な、そんな感覚を覚えたのだ。だから、殺されると思った。
しかし、それは彼女の思いすごしでしかなかった。二人はアイナを先頭にホラ穴に入っていっただけだったのだ。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
自分の想像と全く違う展開に少しの間呆けていたフィーナは我を取り戻すと慌てて彼らの後を追った。
ここから逃げ出すと言う選択肢もあった。しかし、この場で一人きりになってしまう恐怖がそれを許さなかったのだ。
「ね、ねえ」
「うるさい奴だ」
アイナを先頭に進む三人。フィーナはルークの背に隠れながら歩みを進めた。
子供の頃、フィーナは馬車に轢かれて生死の境をさまよった事があった。絶え間なく続く痛みと体中から全ての体液が流れ出してしまうような感覚。激しい脱力感。
彼女自身は意識が朦朧としていた為にその時の事を殆ど覚えてはいなかったが、かなりの出血量だったと後に聞かされていた。
その時でさえ、ここまでの臭いを感じなかったのだ。正に噎せ返る様な臭い。奥に進むにつれてそれが増していく。気を抜いた途端に嘔吐してしまうと言う確信が彼女にはあった。
だから、彼女は少しでも気を紛らわせようとルークに話しかけ続けていた。方やルークの反応はそっけなかった。いや、そっけないと言うより彼は何かに怒りを覚えていた。
最近、フィーナは彼の事が少し解って来たのだ。唯でさえ普段から仏頂顔のルークではあるが、それは別に怒っているからではない。彼は実に静かに怒りを表すのだ。氷の様な冷たい目をしている時こそが危ない。
しかし、彼の怒りは自らに起因するものではない。それは理解していた。もし、そうであるなら容赦のない言葉のナイフで詰られているからだ。だからこそ、彼が何に対して怒りを抱いているのかフィーナには解らなかった。
「ねえ、こう言う時に女の人を先頭にするって騎士道精神的にどうなのよ?」
出来るだけ気丈に、そしてルークが反論してきそうな内容をあえてする。彼はしばらく黙っていたが、やがてフッと鼻で笑うとフィーナを睨みつけた。
「お前は何か勘違いしているようだ」
「え?」
「俺は王子であって、騎士ではない。騎士は俺ではなくアイナだ。よって騎士道精神とやらは俺には関係の無い話だ。それに、俺は貴人だからな、戦いなどと言う泥臭い仕事はしないのだ。いいか? 人にはそれぞれの役割と言うものがある。この場合、俺が守られる役でアイナが守る役なわけだ。他人の仕事を奪うなんて事は慈悲深い俺様には到底、無理な話だな」
「うわ……」
「それにだ。この通路を見てみろ。ここで戦うとしたら二人並んでが精々な広さだ。アイナが抜かれるはずがない。仮に抜かれる事があるとしたら今度はお前の役目だ」
「へ?」
「俺様の肉盾にしてやる。貴人を守って死ねるのだ。これ以上ない崇高で名誉ある役目だろ? まあ、他人の為に死んでやるなんて事は俺はまっぴらごめんだがな」
彼は他人を激昂させる事が生きがいなのにちがいない。フィーナは思わず絶句した。反論しようとも思っては見たが、駄目だ、この話題は絶対にループする。経験上それを思い知らされていた彼女は意思の力で喉元まで出かかった言葉を強引に抑え込んだ。
しかし、味方がいればどうだろうか? フィーナは思考した。アイナだって酷い事を言われているのだ。いつもクールな彼女だってこんな事を言われてしまえば内心怒っているに違いない。
「アイナさん、コイツこんな事言ってますよ。人を人とも思わない発言どうおもわれますかー?」
フィーナは勝利を確信してニヤリとした。ルークにとってアイナは特別な存在だ。彼女だけに見せる優しい目がその証拠だった。だから、彼女から何か言ってもらえれば、この腐れ外道と言えども反論はできまい。
「それが私の役目です」
あれ? アイナのあまりにそっけない返事にフィーナは困惑した。彼女は振り返らなかったので表情こそ見えなかったが、その口調は余りに普段通りで怒りを押し隠しているようには感じられなかったのだ。もしかすると、ルークの言葉が正しくて、自分の考えは間違っているのでは? こんな錯覚すら覚えてしまう。それが彼女を更に混乱させるのだった。
「カッカッカ、貴様は小賢しくも悪知恵を働かせたようだが、そうはいかん。アイナは俺以外の誰にも味方はせんよ。それは俺かアイナが死ぬまで変わらぬ」
「いえ、ルーク。それは間違いです。それは私が死ぬまで未来永劫変わる事はありません」
珍しく反論したアイナの言葉に実に満足そうな表情で鼻を鳴らすルーク。
「それにだ、俺は人を敬っているぞ。但し、俺にとって『人』と言うのは俺のアイナと俺の家族を指す言葉だがな」
「じゃ、じゃあ……わたしは?」
「人の形をした何かだ」
重い鈍器で頭を殴られたような感覚だった。普段であれば彼の言葉に激昂して言いかかっている所だった。
何故だろう? ルークの冷たい即答にフィーナは言葉を返せなかった。ただ、ただ、彼のその言葉がショックで双眸から生温かいものが溢れ出していた。そんな自分をこれといった表情を見せずに見つめるルークが、そして彼にそんなにも思われているアイナが悔しくて悔しくて堪らなかった……。