第2-1話 『サディスティックな二人』
「だいぶ上達しましたね」
「ほんと?」
アイナのどこか残念そうな表情で言ったその言葉に思わず喜びの表情のフィーナ。
さらに、数日が経ち。どうやら自分にもテーブルマナーと言うものが身につき始めたようだ。容赦ないアイナから解放されそうだという事。それに加えて人に褒められた経験の少ないフィーナにとって、やはり褒められる、という事は素直に嬉しかったりしたのだ。
「僥倖だ! 実に僥倖だ! ウハハハハ」
そんなやり取りの中、扉を乱暴に開けて入ってきたのは上機嫌のルークだった。
「出発の準備をしろ。今、すぐだ!」
「どうしたのよ?」
彼の唐突な宣言に困惑顔のフィーナ。対して、アイナはそんな彼に慣れているのだろう「わかりました」とだけ返事をするとてきぱきと荷造りを始めた。
「今日の俺は実に機嫌がいい。奴隷の分際で主人の行動に疑問を持つ無礼者のお前に説明してやろう。幸運に思え!」
そんなルークの無礼な言葉に、フィーナはぐっと咽まで出かかった言葉を飲み込むのだ。
最近、彼女にもようやく解ってきたのだ。彼の乱暴な口調は別に相手を侮辱する意図があってしているのではなく、ただ単に――いや、純粋にナチュラルなものであると。それに彼女が一言でも批判的な言葉を発してしまえば、その何倍もの罵倒が返ってくるのも、嫌と言うほど経験済みなのである。
「先ほど道を歩いていたらな、噂話を聞いたのだ。どうやらこの町からも見える山岳地帯に賊のアジトがあるらしい。よって、その賊とやらを退治しに行くぞ!」
参道を行く三人の男女。ぜえぜえと息を切らしながらやや後ろを歩く少女が大きな荷物を背負っているのに対して並んで歩く男女は旅装とは思えぬほど軽装であった。
「ちょっと! この惨状を見て何も感じないわけ?」
フィーナの抗議はもっともである。しかし、ルークとアイナは後ろを振り返り彼女を一瞥すると、何事も無かったかのように歩みを再開した。
「……まあ、その反応は予想済みだったわ……。でもさ、ちょっとくらい休ませてくれてもいいんじゃない?」
最後に休んだのはいつだったろう? 確か昼食を取ったのが最後で日の傾きから察するに三時間は経ったのではなかろうか?
「……ガン無視ですか、そうですか……」
可哀想なフィーナは何度も何度も休憩を申し出たのだが彼らはその全てに応じてくれない。それどころか、段々と返事すらしなくなる始末だ。
「もう限界!」
「だらしないぞ」
フィーナがそう言ってその場に寝転んでようやく見せたルークの反応。別に彼女としても労いの言葉が欲しかった訳じゃないのだが、余りに余りと言うものだ。だから、彼女が激昂してしまうのも仕方がない事だった。
「やだー、もう動きたくない! まったくさ、いくら王子様だって言っても、この仕打ちは酷すぎるんじゃない? あんたって町で聞いた噂通りよね……」
「ほう」
思わず口からこぼれ落ちてしまった言葉にフィーナは『しまった』と思った。ルークが自分の発言に興味を持ってしまったからだ。
「その『町の噂』とやらを聞かせてもらおうか?」
「……いや、そのぉ……」
とびっきりのサディスティックな笑みを浮かべるルークに言い淀むフィーナ。彼女の聞いた噂話に彼を誉めるものは全くなかった。だから、それを自分の口から発してしまえば彼に何をされるか解ったものじゃない。
「んー、言い難いのか? ならば言い易いようにしてやろうではないか」
「あー! 解りました! しゃべらせて貰います!」
チンッと音を立てて鞘から剣を抜こうとするルークを慌てて止めるフィーナ。やはり、彼女は言葉を切りだし辛そうにモゴモゴと口を動かしていたがルークの眼光がより一層鋭いものとなると上目使いで語りだす。
「あのね……あたしじゃないんだよ? この間ね、町を歩いていたら耳に入ってきたのよ。ううん、実際は今までも聞いた事はあったんだけど、ほら、まさか王子様と話す機会があるなんで思わないじゃない? だから、気にもしてなかったんだけど……」
「いいから本題に入れ」
「はいぃ! 碌に政務に携わらずに遊び呆ける穀潰し。傲慢で人を人と思わない冷血漢。自分の地位を利用してやりたい放題の虚け者。女とみれば乱暴をするスケコマシ。グリーンヒルドの狂王子。……」
(これぐらいで止めた方がいいかしら?)
実際はまだまだあったのだが、ルークが激怒して切りかかられても困る。フィーナはこう思い、一旦言葉を止めるとルークを見やった。意外な事に彼は目を細めてなんだか満足そうな表情をしている。
「フン、こんな田舎にまで噂が流れているとは流石、俺様だな」
「ふふふっ、そのようですね」
「……あのさ」
「ん? どうした?」
「……なんでもない」
ルークの感想を聞き、フィーナは疑問を持ったのだ。確かに彼は傲慢で乱暴だ。しかし、少なくとも横暴ではない。それに悪口を言われているのに怒る様子もないのはどうしてだろう?
「よし、十分休憩したな。再開するぞ」
「え? 酷い!」
やっぱり横暴だ! フィーナはそう確信した。
「そろそろの様だな」
「そうですね」
「え? どうしてそんなこと解るの?」
空が赤く染まる頃、二人が漏らした感想にフィーナは一人疑問を述べた。そんな彼女の言葉に先ほどまで上機嫌だったルークの表情が一瞬だけイラッとしたものとなる。
「道の変化に気が付かなかったのか?」
最後の休憩から少し経って本道から外れた獣道に入ったのだ。それからまた小一時間ほど歩いた訳なのだが、その道が今は人為的に作られた道となっているのに、ようやくフィーナは気が付いた。
「あー、そう言えば獣道じゃなくなってるわね。でも……、それで何で目的地が近いってわかるの?」
「ハァ……、これだから庶民は……」
ルークは彼女の問いにわざとらしいため息を着くと、優しく説明してやるのだ。
「いいか? 俺たちは態々、山道から外れて獣道に入った。その道が人工的な道に繋がっていたわけだ。まっとうな集落に続く道だとしたら、そもそも最初から支道が引かれているはずだろ?」
「うん」
「つまり、この道は『道路は必要だが道を部外者に知られたくない輩』の使っているものだ、という事を意味するのだ」
「おー、ルーク賢い!」
フィーナの賞賛にルークはフンッと鼻を鳴らして侮蔑の表情をするのみだ。
「ところでさ……、アイナさん?」
「どうしました?」
「何故に、あたしの胴に縄を……」
二人のやり取りの中、アイナは次の行動に移っていた。まあ、こんな言い方をする程の事ではないが……。
彼女は何故かフィーナの胴に縄を括り付け、そしてこれまた何故かその手綱をルークに手渡した。
「言わば山賊釣りですね。アナタは釣りをする時に餌を付けないのですか?」
フィーナの問いに素っ気なく答えるアイナ。答えが素っ気ないだけにそれはフィーナを青ざめさせるのに十分なものであった。
「な、な、な、なんで、あたしが!」
「古今東西、山賊が好む餌と言えば金銀財宝か美少女と相場で決まっています。現在、財宝の類は持ち合わせていませんので今回は必然的に後者となります。私はどちらかというと美女にカテゴライズされる存在ですので餌には向きません。ですからアナタが適任となります。決して、そんな不様な格好をするのがまっぴらごめんだからではありません」
「うむ」
「うむ。じゃないわよ!」
「む? もしや、縄が不満なのか? ならば、裸にひんむいて俺に追いかけられる、と言うプランもあるがどちらがいい?」
「だから、そう言う問題じゃないって!」
もちろん裸にされるなんて論外であったが、フィーナの抗議の内容はそこじゃあない。それを解っているのに、解っていない体を装う二人が不満なのだ。
「この虚けが!」
余りに駄々をこねるフィーナにルークが一喝。
いや、駄々というわけではないのだが……。
これがルークの必殺技『俺様が言う事は全て正しい』攻撃の始まりであり、それをここ数日で散々思い知らされた彼女は頭を抱えざるを得なくなるのだ。
「確かにお前の言う通り貧相なお前よりアイナの方が囮として適任だろう。しかしだ、アイナを囮として使ってしまったら、誰が山賊どもと戦うというのだ? まさか貴様が倒してくれるとでも言うつもりか?」
「……いや、そんなの無理だし……」
ただ単にフィーナを言い負かしたいだけかもしれなかったが、どうやらこの王子様のコマンドに『たたかう』はないようだ。
「フンッ、ならば黙って従え。いや、むしろ喜び勇んで拝命せよ」
このド外道どもめ……。フィーナは心の中で毒づいた。これ以上は何を言っても無駄だろう。何故ならルークは絶対に一度放った言葉を覆さないからだ。
もし……。とフィーナは今更ながらにゾッとするのだ。彼女がルークの財布を掏り盗った時そのまま逃げていたら、間違いなく何のためらいもなく彼に殺されていただろう。
「解ったな? なら行け」
彼女が諦めたのを感じたルークはとびっきりの笑顔で催促した。
「うう……。あたしの安全は保障されてるんだよね?」
「……」
「ちょっと! 何か言いなさいよ!」
「安心しろ」
その言葉で少し報われた気がした。フィーナはソロリソロリとではあるが歩を進める。
「死んだら、墓の前で嘘泣きぐらいはしてやる」
「このド外道!」