最終話-2 『終着とその先に』
「……そのような事があったのですか……」
兄の独白が終わるとリーナはこう呟いた。言葉を終えた兄の自虐的な笑みが痛々しかった。
そんな彼女のしんみりとした顔を見てトリスタンは『やはり、教えるべきではなかったか』と、後悔した。彼の後悔とはリーナを巻き込んでしまった事だけではない。自らの内に秘めるだけに留められない己の弱さに対してでもあった。
(……ルークよ。どうしてお前はそこまで強くなれるのです……)
この若き王はここには居ない弟に思いを馳せた。ルークならリーナがどんなにせがもうとも語る事はなかっただろう。
彼は一度決めた事は必ずやり遂げる。どのような手段を使ってでもだ。そして、その結果に対して後悔をしない圧倒的な心の強さを持っている。トリスタンにはそれが羨ましくあり、また妬ましくもあった。
「でも……」リーナは愛らしく小首を傾げながら続けた。「いえ、大兄様はベルマン様が主犯格の一人だとお考えなのですよね? だから、あのお方に叛意を起こさせてそれを理由に……。やはり、大兄様らしくありませんわね。そうお考えなら何故、彼を捕えずに、このような回りくどいやり方を?」
「フフフッ、それはですね。実は解っていないからですよ、リーナ」
「え?」
「いえ、十中八九は彼で間違いないでしょう。ですが、証拠や自白があるわけではありません。これが私が直接、彼に手を出せない理由です」
「だから、小兄様を捨て駒に使うと?」
フンッと鼻で笑い皮肉を言ったリーナにトリスタンは「その通りです」と、即答した。その声には自虐は一切なく、その瞳は強い意志の光を宿していた。だから、彼女は言葉を失ってしまう。
「その為の狂王子なのです。不甲斐ない兄が弱かった為にあの子は弱さを全て捨ててしまったのです。私たちは誓ったのです。ならば、私がそれを使わないとしたら、彼に――ルークに合わせる顔がありません」
「それは……」
リーナは言葉に詰った。いや、その先を言う事が出来なかった。玉座を、いや、国を守る為なら彼は自らの間違いを全て弟に背負わせると言ったのだ。だから、そんな兄とそれを受け入れた兄が恐ろしくて、その先を言う事ができなかったのだ。
「リーナ、よくお聞きなさい。私はこの先、幾度も後悔をするでしょう。しかし、私は――いや、私たちに立ち止まる事は許されないのです」
リーナは知っていた。トリスタンが良き王である事を。そうである為に彼がどれ程の努力と決断をしているかを。そして、リーナは知った。その決意を支えているものを。
「……って、話なんスよ」
「ほう」
ライドの話に目を細めるルーク。ライドがもたらした耳寄りな話とはつまり、ルークが以前、町で仕入れてきた話とほぼ同じ内容であった。あの廃坑の山賊の残党か、あるいは全く別の山賊かは不明ではあるが、兎に角、ここからさほど離れてはいない所に山賊のアジトがあるらしい。
こんな話をしておいて『白々しいな』と、ライドは自虐した。タイミングが良すぎるのだ。彼は自分が焦っている事を自覚し、また、そうなる原因を作ったベルマンを呪った。
「もし、同じ展開になる事があるようなら、貴様に責任を取らせるがそれでもいいのか?」
「そんな事、オレッチが知ってる訳ないじゃないっスか……」
「ふん、まあ良い。自らの過ちを悔い、汚名を返上する機会を持ってくるとは中々、使える奴だ。案内せよ」
「あのさ、ここら辺って治安悪いの?」
今が乱世と言うなら山賊が横行するのも解る話だが幸いな事にトリスタンの善政も手伝ってかグリーンヒルドは比較的治安がいいのだ。だから、フィーナの疑問はもっともな話であった。
「んー、だからオレッチはこないだの残党じゃないかと思ってるんスけどね……。数もそんなにいなかったし。お宝らしきものもなかったし……」
「んー? 貴様、俺様に献上する宝がないとはどういう話だ?」
「オレッチだって、ちゃんと調べた訳じゃないッスよ。でも。物色しようとしたら旦那方に邪魔されてうやむやになったんじゃないッスか……」
ルークは未だに根に持っているらしい。彼が意地悪を言うとライドはトホホと肩を落として情けない声を上げた。
「お宝なんてあるの?」
「そりゃ、山賊なんだから貯め込んでるはずッスよ」
現金な話である。お宝と言う言葉にフィーナの顔がパァッと明るくなる。しかし、すぐルークに頭を小突かれて抗議の声を上げる事となる。
「俺のものだ」
「何よ、ケチね」
「フン、勘違いするなよ。俺のものとすると言っても俺の懐に入るわけではないのだ。別に俺は金に執着があるわけではない。単に国庫に入れるだけだ。元の持ち主には悪いが有効利用させてもらう」
そう言ってニヤリとしたルークに『これだから金に困った事のないお坊ちゃまは……』とげんなりとした顔を見せるフィーナ。
「それにさ、どうせ戦うのはアイナさんとライドなんでしょ?」
「当り前だ。お前は記憶障害でもあるのか? アイナには俺を守らせてやっているのだ。よって俺は戦うなど泥臭い事はせんのだ」
「もしかして、ルークって弱いの?」
「フンッ、好きにほざいておけ」
そんな二人のやり取りをライドは冷めた目で見つめていた。どういうつもりかは解らないがルークは自分の話に乗ってくれるようだ。ならば、後は如何にしてアイナと引き離すかだ……。
そこは何かの古い施設であった。山奥の岸壁に密着するように建てられた二階建ての建物。これが彼らの目的地であった。
「さて……」
「わたしは嫌よ」
ルークが何かを言おうとすると神速でフィーナが却下した。そして、素早く彼の後ろに回るのだ。あんな扱いは二度と後免だった。だから、彼女は素早く逃げるのだ。そんなフィーナの態度を見るとルークはチッと舌打ちをすると前衛二人に顎で合図をした。
「見張りがいないとは不用心ッスね……。うわっ、旦那、何やってんスか!」
用心深く辺りを覗いながら歩を進めるライドが抗議したのも当然であった。外に人影がいないと見るとルークはツカツカと扉に歩み寄って老朽化した扉を蹴り壊したのだ。
「フンッ、この建物にはここしか出入り口がないようだ。俺たちの目的は敵の殲滅だろ? ならば俺たちの到着を賊に知らせても何ら問題はあるまい」
「だからって、たまたま出かけてた輩に背後をつかれるとか考えは無いんスか!」
「そうなったら貴様が背後を守れ」
「そんな無茶苦茶な!」
中は広いホールであった。正確には元々あった部屋の壁が崩れ落ち巨大な一つのホールを成していた。やはり、人影はない。ただ、二階と地下へと続く階段があるのみであった。
「アイナ、一人で何人相手にできる?」
ルークは一度見渡すと、アイナに尋ねる。アイナの答えは簡潔であった。即ち「ルークが望む数を」と。
「ならば下を任せる。俺たちは上だ」
チャンスだ。あるいは誘われたか? 地下に降りて行くアイナを見つめながらライドは思う。しかし、まだ駄目だ。逃げられる恐れがある。だから、もう少し待たなくてはいけなかった。
無言であった。一人は堂々と。一人はオズオズと。そして、もう一人は虎視眈々と階段を登っていった。
二階には幸いな事にまだ数個の部屋が残っていた。ルークがその一つの扉を開け入室すると他の者もそれに倣った。
やはり人はいなかった。いや、そもそも二階には人の気配がなかった。しかし、ルークは入室したのだ。
ライドは冷めた目で二人が部屋の中央まで来るのを見届けると扉を背に立った。
「さて、山賊の残党とやらが出た様だぞ」
「え!?」
フィーナには彼の言葉の意味が解らなかった。誰もいない部屋なのだ。それなのに何故、彼はそんな事をいうのだろうか?
「バレバレだったッスかね?」
ライドは自嘲気味に笑うとゆっくりと剣を抜く。
「俺は生まれた時から権謀術数の渦中にいたのだぞ。何が山賊の残党だ。貴様如きの策なんぞ、最初からお見通しだ」
「しかし、舐められたものだ。だが、貴方のその自身こそが私にとってはチャンスだったのです。今、呼んだとしてもアイナが戻るには数分は掛かりますよ?」
やはり、フィーナには意味が解らなかった。ライドという若者はどこか愛嬌があって、こんな冷たい目をする人間ではなかったはずだ。それなのに何故?
「お嬢さんは下がっていて下さいよ。私が斬るのは王子だけだ」
「フンッ、それが貴様の本性と言う訳か。事を始める前に一つだけ聞いておく」
フィーナ一人取り残されていた。ルークの背後にいた彼女は彼の腕に押されると声も上げる事も出来ずに尻もちを着いてしまう。つまり、今の彼女は茫然としていたのだ。
「俺に着く気はないか?」
「今更、命乞いですか? 王子、私を失望させないでくださいよ。貴方はいつも傲慢で冷静で、そして堂々としているお方のはず。最後もそうでなくてはいけない……」
この言葉を最後にライドは剣を構える。
対するルークは冷たい目をして彼を見据えるだけだ。
ライドが斬りかかった。
そして、腕が宙を舞った。
ドサリという重い音とカランと言う金属音が同時に響いた。
「貴様は勘違いしている。俺の剣は迂闊に抜いてよいものではない。だから、アイナに守らせているのだ。決して俺が弱いからではない」
ルークは自らの剣に着いた血を払うと、片膝を着き苦悶の声を上げるライドを見下ろした。
「もう一度だけ尋ねる。貴様が自らの主を自白し、俺に忠誠を誓うと言うのであれば配下にしてやってもよい」
「王子、利き腕を失った傭兵にそれを言うのは慈悲ではありませんよ」ライドは右肩を抑え額に脂汗を浮かべながら立ち上がると続けた。「確かに私は金で人の命を奪う下賤の者だ。しかし、そんな私にも一つだけ守らなければならないルールがあるのですよ。それに……何よりも私は貴方が嫌いだ――殺したい程に……」
「そうか……」
「一つだけ聞いてもいいですか? どこから解っていたのですか?」
「最初からだ」
「ハハハ、役者が違いすぎましたか……。お嬢さん、この数日間、結構楽しかったッスよ」
そして、首が宙を舞った。
最後に見せた何処か愛嬌のあるライドの表情。それを見て、どうしてそのままでいられなかったのだろう? と、フィーナは思う。
そして、何も言わず剣を鞘におさめたルークの冷たい目。いや、あの目は違う。彼女は漠然とそう感じた。どこか空虚で絶望に支配されている目だった。ルークは泣きたいのだ。それでも泣く事が許されない彼の代わりにフィーナは泣いた。