第4-3話 『僕たち、私たちの事情』
「王子に刺客を放ったのは閣下ですか?」
自分を雇う時に彼は自分を信頼していると言った。どうやら、その言葉は嘘だったようだ。だから、男はベルマンに失望し、そして愚策に走った彼を嘲笑した。
「それがどうした!」
ベルマンは今の男の顔が気に入らなかった。だから、苛立ちを隠す事もせずにどなり声を上げた。これはあの王子の様に自分を馬鹿にした者が見せる表情だ。それがあの王子を思い起こさせ更に自分を苛立たせる。金で雇った傭兵如きに何故、笑われねばならんのだ。
「それは自分に任せると申したではないですか」
やはり気に入らぬ。いつものあの何処か愛嬌のある表情はどうしたのいうのだ。ベルマンは、それに更なる苛立ちを覚える。
「意見を申すな! 貴様はワシにただ従っておればよい。それだけの金は払っているはずだ。それを忘れたとは言わせんぞ!」
彼は怒りに任せて王錫で男の肩を打ちつける。そして、すぐさま「……ヒッ」と悲鳴を上げて尻もちを着いてしまう。何故なら、彼は恐怖したのだ。男の目に。その瞳にはそれほどの殺気が籠っていたのだ。
「閣下、確かに私は契約の間、貴方を裏切る事はないでしょう。だからこそ、覚えていて欲しいのです。王子の暗殺は私に任せると仰った、ご自分の言葉を。アイナさん、彼女は手ごわい。私と同等かそれ以上の剣の持ち主だ。それに加えて今回の件。彼らの警戒を強めただけだ。正直、この仕事を降りたい気分になりましたよ」
「なんと! ワシを裏切ると言うのか……」
「いえ、先ほど申した通り私は契約期間中は閣下の忠実な僕ですよ。それに、斬りたくなってしまったんですよ、彼を……。しかし、閣下。今度、余計な事をするのであればそれを契約の反故と考えさせて頂く」
男はこれ以上言葉を発さなかった。ただ、暗い目をしてベルマンを見つめていた。
そうだ、自分とベルマン。アイナとルーク。同じ主従であるのにどうしてこうも違うのだ。いや、むしろ自分たちの関係の方が正しいはずだ。人間とはそういう生き物のはずであるし、言葉とはそういう物のはずだ。そして、何より彼らを認めたくなかった。
だから、男はルークを斬る事にした。
肩に痛みは感じなかった。男はもっと別な痛みに支配されていたからだ。そして、彼はベルマンを一瞥すると部屋を後にする。
「……ふん、どいつもこいつもワシを馬鹿にしおって……。許さぬ……許さぬぞ……」
男が去り、恐怖から解放されるとベルマンは擦れた声で呟く。その顔はまるで悪鬼のようだった。
部屋に戻るとルークは早速、アイナを脱がせ床に着いた。そして、彼女の痣を指でなぞり何度も何度も唇を這わせる。アイナは何も言わず彼の行為に身を任せていた。目を閉じて言葉を発さず、それでいて、彼女はどこか嬉し気で女の顔をしていた。
そんな中、フィーナは彼らの行為をただ眺めていた。何と言うか……もう、こういうのには慣れたのだ。だから、何となく眺めていられるのだ。
(そんなに大事なら戦わせなければいいのに)
フィーナは思う。この彼らの行為は愛情の現れなのだろうし、ルークは彼女の治療をしているつもりなのだろう。だから、尚更、思うのだ。
「出歯亀……ですね」
え? アイナの言葉に思わずフィーナはドキリとした。いつの間にかルークはアイナの胸に顔を埋めて眠ってしまったようだ。アイナはそんな彼の頭を優しく撫でながらフィーナを見つめていた。
「誰かに見られながらするのも良いと思い、ルークの気まぐれに付き合っていましたが、そう慣れられると興が削がれます」
こう言われてフィーナは顔を真っ赤にした。そう言う性癖もあるのかと……。それにしても、自分はアイナに嫌われている様な気がする。何故なのだろう?
「私はアナタが嫌いなのです」
「……え?」
「ルークはアナタを気に入ってしまった。私にはそれが許せないのです」
アイナは淡々と語った。フィーナは今度は驚きの声も上げずに彼女の言葉に耳を傾けた。
「まあ、気に入ると言ってもルークのアナタに対する感情はお気に入りのペット程度なのですが……、それでもアナタが許せないのです」
「……アイナさんは何を言ってるのかな?」
「私がルークだけを必要としている様に、ルークも私だけを必要としていればいいのです。それなのにアナタが無知で無鉄砲だった為に彼はアナタを気に入ってしまったのです。どうして、アナタは他の物の様に彼に媚びへつらうか畏れ慄くかしなかったのです? そうすれば……」
「だって悔しかったんだもん。わたしは人間よ? 物言わぬ草や木じゃないの。馬鹿にされれば腹が立つし、言い返すわよ。……それに何よ。そんな理由でわたしを嫌いになるとかそれって……」
フィーナはこれ以上言葉を発せなかった。なぜならアイナの目に射竦められてしまったからだ。
「そうです。私はアナタに嫉妬しているのです。それにあのライド。いや、トリスタンにリーナ……私は彼らが大嫌いなのです」
「そんなのおかしいよ……」
フィーナはアイナの事が怖いと思った。自分にはまるで理解できない感情だ。いや、少しだけなら解るかもしれない……。
「アナタは人を愛した事はありますか?」
「ない……わよ」
「フフッ、それが私が人を愛すると言う事なのです」
こう言ってアイナは言葉を終えた。終わり際に見せた彼女の表情は、やはり女の顔だった。
そして、愛を知らないフィーナは取り残された。彼女は頭まで毛布を被ると悔しさの余り泣いた。狂気にも似たアイナの愛が恐ろしくもあり、また、妬ましくもあったのだ。