第59話「2番目の名前」
金曜日の朝だった。
17は医務室のベッドで目を覚ました。
昨夜、処置が終わった後に桐島から「今夜は医務室で休め」と言われた。17は断ろうとしたが、桐島が「命令だ」と言った。桐島が命令という言葉を使うのは珍しかった。だから17は従った。
起き上がった。四か所の傷が動くたびに痛んだ。でも動けた。
窓から朝の光が入っていた。
追跡の能力で学園全体を確認した。全員がいた。異常はなかった。昨夜制圧したNullの五人は、桐島が管理局の別の部署に引き渡していた。雲雀は今頃別の場所にいるはずだった。
医務室の扉が開いた。
朝霧だった。
「起きたか」と朝霧は言った。
「ああ」と17は言った。
「傷の状態は」と朝霧は言った。
「動ける」と17は言った。
「動けると大丈夫は別の話だ」と朝霧は言った。
「大丈夫だ」と17は言った。
朝霧がしばらく17を見た。「今日は無理をするな」と朝霧は言った。
「わかった」と17は言った。
「本当にわかっているか確認する方法がないのが困る」と朝霧は言った。白瀬と同じ言葉だった。
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朝のホームルームの前に、桐島の小会議室に全員が集まった。
昨夜のことの整理だった。
「雲雀は管理局の別部署に引き渡した」と桐島は言った。「スナイパーも同じだ。ただ、管理局の上層部がそれをどう扱うかはわからない。Nullと管理局の関係は複雑だ。」
「雲雀が喋ったとして、管理局の上層部に情報が流れる可能性がある」と白瀬は言った。
「そうだ」と桐島は言った。「ただ、今は管理局の上層部より施設Bの件を優先する。榎本から連絡が来ていた。」
「何と言っていた」と17は言った。
「管理局の上層部の訪問スケジュールを把握した」と桐島は言った。「来週の月曜日に訪問がある。つまり今週末が動けるタイミングだ。」
部屋が少し静かになった。
「今週末か」と白瀬は言った。
「そうだ」と桐島は言った。「土曜か日曜に動く必要がある。奥津に緊急搬出口の確認を頼む必要もある。今日中に遠野に連絡を入れる。」
「わかった」と17は言った。「搬出口が使えるかどうかが確認できたら、土曜の夜に動く。」
「無理はするな」と水無瀬は言った。17の四か所の傷を見ながら言った。
「大丈夫だ」と17は言った。
「全然大丈夫に見えない」と水無瀬は言った。
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昼休み、17が廊下を歩いていると咲が追いかけてきた。
「師匠! 傷は!?」と咲は言った。
「大丈夫だ」と17は言った。
「本当に!?痛くない!?」と咲は言った。
「痛い」と17は言った。
「じゃあ大丈夫じゃない!!」と咲は言った。
「痛いが動ける」と17は言った。「大丈夫だ。」
咲はしばらく17を見た。「師匠って大丈夫の基準が違うよね」と咲は言った。
「そうかもしれない」と17は言った。
「あたしの大丈夫は痛くないことだけど、師匠の大丈夫は動けることなんだ」と咲は言った。
「正確だ」と17は言った。
「それは直した方がいいと思う」と咲は言った。真剣な顔だった。
「さあ」と17は言った。
「さあって言った!!」と咲は言った。「でも師匠、昨日ありがとう。咲を庇ってくれて。」
「庇ったわけではない」と17は言った。「前に出ただけだ。」
「同じじゃん」と咲は言った。「お礼言わせて。ありがとう。」
「礼はいい」と17は言った。
「言わせて」と咲は言った。柊と同じ言葉だった。「師匠がいてくれてよかった。本当に。」
17は答えなかった。廊下を歩き続けた。
咲がついてきた。少し間を置いてから「ねえ師匠」と咲は言った。
「何だ」と17は言った。
「彙武って、もっと教えてくれる?」と咲は言った。「昨日見て、すごく気になった。刃物に詠唱してたやつ。武器を使う系統なんだよね。」
「そうだ」と17は言った。
「あたしの根とは全然違う系統だけど、なんか師匠らしいなって思った」と咲は言った。
「師匠らしい、か」と17は言った。
「うん」と咲は言った。「式系とかFormula系って、なんか遠くから触る感じがするんだけど、彙武は自分で直接戦ってる感じがした。師匠が自分の手で戦ってた。それが師匠らしかった。」
17は少し止まった。
師匠らしい。
咲がそう言った理由を、17は少し考えた。使いたいときに使う。使いたくないときは使わない。奥津が言っていた施設にいたときの言葉と、今の咲の言葉が少し重なった。
「いつか全部話す」と17は言った。
「彙武のこと?」と咲は言った。
「それも含めて」と17は言った。
「約束だよ」と咲は言った。小指を立てた。
「わかった」と17は言った。今度は自分から小指を出した。
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午後、遠野から返答が来た。
桐島経由だった。「今夜、奥津が緊急搬出口の確認に行ける。17も来てほしい。奥津の能力の精度の問題だ。」
17は了承した。
白瀬と朝霧にも伝えた。二人も同行することになった。
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夕方、柊が17を探した。
屋上だった。17がいた。
「来ると思っていた」と17は言った。
「そう?」と柊は言った。「なんで。」
「毎日来るから」と17は言った。
「そっか」と柊は言った。嬉しそうだった。隣に来た。夕日を見た。
「昨日よりは顔色がいい」と柊は言った。
「そうかもしれない」と17は言った。
しばらく二人が並んでいた。
「ねえ」と柊は言った。
「何だ」と17は言った。
「昨日、棘が役に立てた?」と柊は言った。「雲雀の弱点、右側って言ったやつ。」
「役に立った」と17は言った。
「本当に?」と柊は言った。
「本当に」と17は言った。「あれがなければもう少し時間がかかっていた。」
柊が少し息を吐いた。「よかった」と柊は言った。「何もできなくて、ただ見てるだけで、それが悔しかった。でも少しでも役に立てたなら。」
「十分だった」と17は言った。
「ありがとう、そう言ってくれて」と柊は言った。
二人がしばらく夕日を見た。
「ねえ17」と柊は言った。
「何だ」と17は言った。
「昨日屋上で何て言ってたか、やっぱり教えてくれない?」と柊は言った。
「さあ」と17は言った。
「意地悪」と柊は言った。でも怒っていなかった。少し笑っていた。
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夜、南の施設の近くに向かった。
昨夜と同じ車だった。遠野が運転した。霧谷が助手席にいた。後部座席に17と奥津と白瀬が乗った。朝霧が別の車で後ろをついてきた。
南に向かった。田んぼの間の道を走った。
車内が静かだった。
「昨日、Nullが来たと聞いた」と遠野は言った。
「そうだ」と17は言った。
「お前が全員制圧したと」と遠野は言った。
「五人だ」と17は言った。
「四か所負傷して」と遠野は言った。
「そうだ」と17は言った。
「無茶だな」と遠野は言った。
「そうかもしれない」と17は言った。
奥津が17を見た。「傷は大丈夫か」と奥津は言った。
「動ける」と17は言った。
「それは聞いていない」と奥津は言った。
17は少し奥津を見た。「痛いが、今夜の動きには支障がない」と17は言った。
「わかった」と奥津は言った。
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施設の近くに車を止めた。
前回と同じ場所だった。そこから歩いた。
南東の方向に向かった。緊急搬出口がある方向だった。設計図では、地上の出口が田んぼの端の小さな盛り土の下にあるはずだった。
歩いた。
前回確認した地上の入口から五十メートルほど離れた場所まで来た。田んぼの端だった。盛り土があった。草が生えていた。
「ここか」と遠野は言った。
「設計図ではここだ」と17は言った。
全員が奥津を見た。
奥津が目を閉じた。
17が奥津の隣に立った。奥津の能力が安定するためだった。
しばらく経った。
奥津が目を開けた。
「通路がある」と奥津は言った。「盛り土の下に、地下に続く通路がある。塞がれていない。空気が動いている。使える状態だ。」
「確かか」と遠野は言った。
「確かだ」と奥津は言った。「それと」奥津は続けた。「通路の奥から、能力の反応がある。計測不能の反応だ。この通路が施設に繋がっている。」
「侵入経路が確定した」と白瀬は言った。
「そうだ」と17は言った。
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帰り道、車の中で明日の動きを確認した。
「土曜の夜に動く」と17は言った。「搬出口から侵入して、二層か三層に向かう。収容されている人間を確認する。できれば連れ出す。」
「警備の能力者が三人から五人いる」と遠野は言った。「全員と戦えば気づかれる。できるだけ戦わずに動く必要がある。」
「式系・籲を使う」と17は言った。「存在の霧化だ。昨夜試した。使える。」
「どの程度使えるか」と白瀬は言った。
「完全には消えない」と17は言った。「でも気配を著しく薄くできる。能力者でも気づきにくくなる。」
「籲を使いながら、蚜で周囲を確認して進む」と朝霧は言った。
「そうだ」と17は言った。「蚜の精度と籲の気配消しを同時に使う。」
「二つ同時か」と遠野は言った。「できるのか。」
「やったことはない」と17は言った。「でもやる。」
「無茶だな」と遠野はまた言った。
「そうかもしれない」と17はまた言った。
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学園に戻った。
白瀬と朝霧と別れた後、17は一人で廊下を歩いた。
今夜の確認が終わった。搬出口が使える。侵入経路が確定した。明日の夜、動く。
収容されている人間を確認する。
映像の中の顔。見覚えがある気がした。消された記憶の中にいる人間かもしれなかった。地下からずっと何かを届けようとしている人間。
明日、会えるかもしれなかった。
会ったとき、何が起きるかはわからなかった。記憶が戻るかもしれなかった。あるいは何も変わらないかもしれなかった。
どちらでも、確認する必要があった。
17は廊下を歩きながら、追跡の能力で学園全体を確認した。
全員がいた。
咲が自分の部屋にいた。柊の部屋の明かりが点いていた。
17はその明かりをしばらく見た。
約束、守ってくれた。
柊が昨日言った言葉だった。今夜もまた、明日も、守るつもりだった。
17は廊下の端で立ち止まった。
明日の夜、施設に入る。
それが、今まで動いてきた全ての点が、初めて線になる夜かもしれなかった。
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自分の部屋に戻ってから、17は窓の外を少し見た。
夜の空だった。星が見えた。
雪を見て笑ったと、奥津は言っていた。廊下の窓から。
明日、その廊下に行くかもしれなかった。
記憶がなかった。でも明日、記憶がある場所に行く。
その感覚が、今夜は少し不思議だった。不思議、という言葉が正確かどうかはわからなかった。でも他に言葉が見つからなかった。
17は目を閉じた。
眠れるかどうかわからなかった。でも今夜は、眠れる気がした。
知っている場所では眠れない。知らない場所でも眠れないことがある。でも今夜は、明日に向かう感覚があった。
それが眠れる理由になるかどうかはわからなかった。
でも目を閉じたまま、17はそのままにした。
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明け方近くに、夢を見た。
廊下だった。
白い廊下だった。窓があった。外が見えた。
雪が降っていた。
17はその雪を見ていた。廊下の窓から。
隣に誰かがいた。
顔が見えなかった。でも隣にいた。同じ窓から雪を見ていた。
17は雪を見ながら、少し笑った。
夢の中で笑っていた。なぜ笑ったかはわからなかった。でも笑っていた。
隣の誰かが何かを言った。言葉は聞こえなかった。でも口が動いていた。
17はその口の動きを読もうとした。
読めた。
二文字だった。
名前だった。
17の名前だった。
本名だった。
夢が終わった。
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目が覚めた。
朝の光が部屋に入っていた。
17はしばらく天井を見た。
夢の内容が残っていた。廊下。雪。隣にいた誰か。口が動いていた。
二文字の名前。
本名。
17はその二文字を、頭の中でもう一度確認した。
あった。
記憶ではなかった。夢だった。でも夢の中で、誰かが17の名前を呼んでいた。
それが本当の名前かどうかはわからなかった。
でも今夜、施設に行けばわかるかもしれなかった。
17は起き上がった。
今日は土曜日だった。
夜、動く。




