第44話「亡命者、その始まりに過ぎない」
月曜日の朝、学園は静かだった。
夏休みが明けて最初の週だった。旅行があって、朧と燦との戦闘があって、それでも月曜日の朝になると制服を着て登校するという事実が、17には少し不思議だった。不思議、という言葉が正確かどうかはわからなかったが、他に言葉が見つからなかった。
屋上に出ると、空が高かった。夏の終わりの空だった。少しだけ、朝の空気が変わっていた。まだ暑かったが、頂点は過ぎていた。
追跡の能力で学園全体を確認した。全員がいた。異常はなかった。
扉が開いた。
咲だった。
「師匠おはよう!!」と咲は言った。
「うるさい」と17は言った。
「おはよう!!」と咲は繰り返した。同じ音量で。
「聞こえている」と17は言った。
咲が17の隣に来た。空を見た。「今日も暑いね」と咲は言った。少し落ち着いた声だった。
「そうだな」と17は言った。
「師匠さ」と咲は言った。「最近、あたしに対して少し優しくなった気がする。」
「気のせいだ」と17は言った。
「気のせいじゃない!!」と咲は言った。「前は修行するって言っても断るだけだったのに、最近は確認とか言いながらちゃんと付き合ってくれる。昨夜も褒めてくれたし。」
「よくやったと言っただけだ」と17は言った。
「それが褒めてるじゃん!!」と咲は言った。
17は答えなかった。空を見た。
「嬉しいよ」と咲は言った。今度は小さい声だった。「師匠が少しずつ、あたしのこと認めてくれてる気がして。」
「さあ」と17は言った。
「またさあって言った」と咲は言って笑った。
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一時間目が始まる前、桐島が17を職員室に呼んだ。
榎本から返答が来ていた。
「灰島が五年前にどこで何をしていたか、断片的だが記録があった」と桐島は言った。机の上に薄い封筒を置いた。「榎本が集めた情報だ。全部ではないが、参考になるかもしれない。」
17は封筒を手に取った。中を確認した。手書きのメモが数枚入っていた。榎本の字だった。
「主な内容は三つだ」と桐島は続けた。「五年前、灰島は管理局の表組織から完全に姿を消している。ただ裏では動いていた。各地で能力者に接触していた記録がある。朧と燦もその一人だったらしい。そして」桐島は少し間を置いた。「五年前に灰島が接触した能力者の中に、今の管理局上層部の一人がいる。」
「管理局の上層部と灰島が接触していた」と17は言った。
「五年前の時点では、まだ敵対していなかったかもしれない」と桐島は言った。「あるいは別の目的で接触していたか。榎本にも詳細はわからないらしい。」
「三つ目は」と17は言った。
「五年前に灰島が接触した能力者の一人が、その後消えている」と桐島は言った。「記録から存在ごと消えた。榎本はそれが灰島の仕業だと見ている。」
17はメモを読んだ。消えた能力者の記録があった。名前は黒塗りだった。でも能力の種類だけが残っていた。
計測不能、と書いてあった。
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昼休み、17は一人で屋上にいた。
メモをもう一度読んだ。
五年前に消えた計測不能の能力者。灰島が消した可能性がある。朧と燦の親を消したのも計測不能の能力者だと灰島は言っていた。それが同一人物かどうかはわからなかった。でも時期が重なっていた。
17は空を見た。
計測不能の能力者が、この世界に複数いる可能性があった。それは以前から考えていたことだった。管理局の記録に、Formula系のコードが存在していた。そのコードが作られたのは17より前だった。つまり、17より前にFormula系の反応を示した能力者がいた。
その能力者が誰なのか。
灰島との関係は何か。
扉が開いた。
柊だった。弁当を持っていた。
「一人でいた」と柊は言った。確認するような言い方だった。
「ああ」と17は言った。
「邪魔?」と柊は言った。
「邪魔ではない」と17は言った。
柊が隣に座った。弁当を開けた。今日は簡単なものだった。おにぎりが二個と、少しのおかずだった。
「考えてたの?」と柊は言った。
「ああ」と17は言った。
「話せる?」と柊は言った。
「今は無理だ」と17は言った。「でも、いつか話す。」
「わかった」と柊は言った。待てると言わなかった。でも否定もしなかった。それが柊の答えだった。
二人はしばらく黙って並んでいた。柊がおにぎりを食べた。17は空を見ていた。
「ねえ」と柊は言った。
「何だ」と17は言った。
「最近、何かが動き始めてる気がする」と柊は言った。「空気が変わった感じがする。旅行の前と、後で。」
「そうかもしれない」と17は言った。
「それって、危ない方向に動いてる?」と柊は言った。
17は少し間を置いた。「わからない」と17は言った。「危ない方向かもしれないし、答えに近づいている方向かもしれない。どちらでもある気がする。」
「答え、か」と柊は繰り返した。「17には、答えを出したいことがあるんだね。」
「ある」と17は言った。それだけ言った。
柊はその言葉を受け取って、それ以上聞かなかった。ただ隣にいた。
風が吹いた。柊の髪が揺れた。
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放課後、白瀬が17に声をかけてきた。
廊下の端だった。
「桐島から聞いた」と白瀬は言った。「消えた計測不能の能力者の話。」
「ああ」と17は言った。
「お前はその能力者のことを知っていると思うか」と白瀬は言った。遠回しではなかった。白瀬らしい聞き方だった。
「知っているかもしれない」と17は言った。「でも記憶がない。」
「記憶がない、というのは」と白瀬は言った。
「消されているか、最初からないか」と17は言った。「どちらかはわからない。」
白瀬はしばらく17を見た。「お前の記憶を消せる人間は誰だ。」
「灰島だ」と17は言った。「あるいは、それに近い能力を持つ誰かだ。」
「灰島が消した、か」と白瀬は言った。静かな声だった。
「可能性がある」と17は言った。
「なぜ消す必要があった」と白瀬は言った。
「わからない」と17は言った。「でも守るためか、隠すためか、どちらかだと思う。」
白瀬はしばらく考えた。「朝霧さんと話す」と白瀬は言った。「二人で動きを注視する。何かあったらすぐ言え。」
「わかった」と17は言った。
白瀬が歩き始めて、少し行ってから振り返った。「17」と白瀬は言った。
「何だ」と17は言った。
「お前が一人で全部抱えようとしているのはわかっている」と白瀬は言った。「でも今は、俺たちがいる。それを忘れるな。」
17は少し間を置いた。「わかっている」と17は言った。
「本当にわかってるのか怪しいけどな」と白瀬は言った。少し笑っていた。
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夕方、咲が朝霧と自主練をしていた。
校庭の隅だった。今日は範囲ではなく速度の練習だった。朝霧が「できるだけ速く根を這わせろ。範囲は半分でいい」と言った。咲が「わかった!!」と言って始めた。
五回繰り返した。
六回目に朝霧が「今のが一番速かった」と言った。
「本当に!?」と咲は言った。
「本当だ」と朝霧は言った。「疲れてきたとき、無駄な力が抜ける。それで速くなる場合がある。」
「え、疲れた方がいいの?」と咲は言った。
「そういう場合がある」と朝霧は言った。「お前の場合は、力みすぎる癖がある。疲れると力みが取れて、本来の速度が出る。」
「じゃあ力まなきゃいいんだ」と咲は言った。
「それが難しい」と朝霧は言った。「頭でわかっていても体が力む。繰り返しで覚えるしかない。」
「また鬼練だ」と咲は言った。でも嫌そうではなかった。
「強くなりたいんだろう」と朝霧は言った。
「なりたい!!」と咲は言った。「師匠の役に立ちたい。昨夜みたいに、ちゃんと役に立てる自分でいたい。」
朝霧はしばらく咲を見た。「昨夜のことを引きずっているのか」と朝霧は言った。
「引きずってない!!」と咲は言った。「前向きに考えてる! あたしはまだ強くなれるって思ってる!」
「そうか」と朝霧は言った。
「朝霧さん、次はいつ練習できる?」と咲は言った。
「明日も同じ時間に来い」と朝霧は言った。
「やった!!」と咲は言った。両手を上げた。「朝霧さん、ありがとう!!いつもありがとう!!」
「うるさい」と朝霧は言った。でも声が少し柔らかかった。
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夜、17は榎本のメモをもう一度読んだ。
消えた計測不能の能力者。五年前。灰島が接触した後に消えた。
17はその能力者の存在を、どこかで知っている気がした。でも記憶がなかった。知っているという感覚と、記憶がないという事実が、頭の中でぶつかっていた。
それが灰島によるものなら、灰島は17から何かを意図的に取り除いている。
なぜ。
守るためか。隠すためか。
あるいは、両方か。
17は窓の外を見た。夜の学園が静かだった。柊の部屋の明かりが点いていた。咲が今夜は自分の部屋に戻っているらしく、朝霧の部屋には咲の気配がなかった。白瀬が寮にいた。朝霧も同じく。桐島と水無瀬が外を確認していた。
全員がいた。
その確認が終わって、17はもう一度メモを見た。
消えた能力者の名前は黒塗りだった。でも能力の種類だけが残っていた。
計測不能。
その文字を17はしばらく見た。
自分と同じ表記だった。




