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第42話「縛、その根本」

 (おぼろ)が一歩前に出ただけで、廊下の空気が変わった。


 (さん)のときとは違った。燦は出てきた瞬間から気配が大きかった。存在感があった。でも朧は逆だった。前に出るほど気配が薄くなっていく感じがした。うつむいたまま、肩を落としたまま、それでも一歩一歩が確かだった。


 17は朧を見たまま動かなかった。


 解析の能力が朧を読み続けていた。でも輪郭が掴めなかった。燦の(ばく)は読めた。出力が高いだけで、仕組みは17の(くびき)と同じ系統だった。でも朧の能力は、仕組みそのものが違う気がした。何が違うのかがまだわからなかった。


「お前、俺の兄さんに何をするつもりだ」と燦は言った。朧の後ろから声をかけた。いつもの堂々とした声ではなかった。少し違った。


「何もしない」と朧は言った。「ただ確かめたい。」


「確かめる?」と17は言った。


「お前の能力が本物かどうか」と朧は言った。うつむいたまま言った。目だけが17を見ていた。「燦が負けそうだったから、俺が確かめる必要がある。」


「兄さん、俺はまだ」と燦が言った。


「負けそうだった」と朧は三度繰り返した。同じ声で、同じ速度で。


 燦が黙った。


---


 朧の右手が動いた。


 糸は出なかった。


 何も見えなかった。


 でも17の左腕が、突然動かなくなった。


 17は左腕を見た。何も絡まっていなかった。糸も、縄も、何も見えなかった。でも動かなかった。動かそうとしても、力が入らなかった。感覚はあった。痛みもなかった。ただ、動かなかった。


「縛だ」と朧は言った。「お前の左腕と、あの壁を結んだ。壁が動かない限り、お前の左腕も動かない。」


 17は壁を見た。廊下の左側の壁だった。何も変わっていなかった。


「見えない」と17は言った。


「見えない」と朧は繰り返した。「燦の縛は糸が見える。俺の縛は見えない。それだけの違いだ。」


 それだけの違い、と朧は言った。でもその違いは決定的だった。燦の糸は見えるから対処できた。朧の縛は見えないから、気づいたときにはすでに結ばれている。


 17は右腕で絔を使った。朧に向けて糸を走らせた。


 朧が動かなかった。糸が朧に絡みついた。


 朧の右手が動いた。


 17の右腕が止まった。


「右腕も結んだ」と朧は言った。「今度は床と結んだ。」


 両腕が動かなくなった。


---


 17は少し考えた。


 両腕が使えない。でも足は動いた。朧はまだ足を結んでいなかった。


 17が前に出た。足だけで距離を縮めた。朧との距離が二メートルになった。


 朧が後退しなかった。


「近づいても意味がない」と朧は言った。「縛に射程はない。お前が俺の目の前に来ても、縛は解けない。」


「解析が終わっていない」と17は言った。


「終わっていなくていい」と朧は言った。「解析されても、俺の縛は対処できない。お前の式系では。」


 17は朧を見た。朧の目が17を見ていた。うつむいていても、目だけは17を真っ直ぐ見ていた。


「なぜそう思う」と17は言った。


「お前の式系は存在に刻む系統だ」と朧は言った。「俺の縛は存在と存在を結ぶ系統だ。刻むことと結ぶことは、干渉の方向が違う。お前の絔で俺の縛を切ろうとしても、系統が違いすぎて届かない。」


 17は少し間を置いた。「よく知っているな。」


「お前のことを調べてきた」と朧は言った。淡々と言った。「式系を使う計測不能の能力者がいると聞いて、事前に調べた。式系の仕組みと、俺の縛の仕組みを比較した。対処できないと判断した。」


「燦はそれを知っていたか」と17は言った。


「知らない」と朧は言った。


「兄さん」と燦が言った。後ろから。声が少し固かった。


「燦が知っていたら、最初から俺が出た」と朧は続けた。「燦は自分が勝てると思っていた。だから先に出た。俺はそれを止めなかった。燦が自分で確かめたかったから。」


 燦が何か言おうとして、止まった。


---


 17は両腕が動かないまま、朧の能力の仕組みを考え続けた。


 存在と存在を結ぶ。見えない。射程がない。朧の目の前にいても解けない。


 でも。


 17は朧を見た。「一つだけ聞く。」


「聞け」と朧は言った。


「お前の縛は、結んだ後も維持する必要があるか」と17は言った。


 朧が少し間を置いた。


 その間が、17への答えだった。


「維持が必要なんだな」と17は言った。


 朧は答えなかった。でも答えなかったことが答えだった。


 燦が「兄さん」と言った。今度は違う声だった。焦りがあった。


---


 朧が右手を動かした。


 今度は足だった。17の右足が床と結ばれた。続いて左足も。四肢が全部止まった。


 17は動けなくなった。廊下の中央に、立ったまま固定された状態になった。


 朧が17に近づいてきた。三メートル、二メートル、一メートル。うつむいたまま、ゆっくりと歩いてきた。


「解析は終わったか」と朧は言った。


「まだだ」と17は言った。


「終わらなくていい」と朧は言った。「終わる前に終わらせる。」


 朧の右手が上がった。


 そのとき、窓から根が這い込んできた。複数本だった。さっきより速かった。さっきより太かった。


 朧の足元に絡みついた。


 朧が止まった。右手の動きが一瞬だけ止まった。


 その一瞬で、17の足の縛が少しだけ緩んだ。維持に意識が割かれたことで、出力が微かに落ちた。


 微かだったが、十分だった。


「**式系・笪**」


 17の右手が動いた。完全にではなかった。でも動いた。笪が朧に向かった。


 朧の能力が封じられた。


 四肢の縛が全部解けた。


 朧が止まった。自分の手を見た。能力が使えなくなっていた。


---


 廊下が静かになった。


 朧が床に手をついた。膝をついた。能力を封じられたことで、体の力が抜けたように見えた。


 燦が走ってきた。朧の隣に膝をついた。


「兄さん!」と燦は言った。「大丈夫か、兄さん!」


「大丈夫だ」と朧は言った。小さい声だった。


「お前、兄さんに何をした」と燦は17を見上げた。今まで見たことのない顔だった。堂々とした顔ではなかった。怒っていた。本当に怒っていた。


「能力を封じた」と17は言った。「時間が経てば解ける。」


「それでも」と燦は言った。「兄さんに。」


 朧が燦の腕を掴んだ。「いい」と朧は言った。


「よくない」と燦は言った。


「いい」と朧は繰り返した。「俺が負けた。それだけだ。」


 燦がしばらく朧を見た。それから17を見た。「お前は強い」と燦は言った。絞り出すような声だった。「俺よりも、兄さんよりも。」


---


 17は朧の前にしゃがんだ。


「一つだけ聞く」と17は言った。


「聞け」と朧は言った。さっきと同じ言葉だったが、声が少し違った。疲れていた。


「お前たちは何者だ。管理局でもNullでもない。誰の指示で動いている。」


 朧はしばらく黙っていた。燦が朧を見た。朧が燦を見た。二人の間に、言葉のない会話があった。


「誰の指示でもない」と朧は言った。「俺たちは自分で動いている。」


「目的は」と17は言った。


「計測不能の能力者を探していた」と朧は言った。「お前以外にも、同じような能力者がいると聞いた。その人間を探している。」


 17は少し間を置いた。「その人間の名前は。」


「わからない」と朧は言った。「ただ、その人間が俺たちの親を消したと聞いた。」


 廊下が静かになった。


 燦が床を見ていた。朧はまた17を見ていた。


「その情報を誰から聞いた」と17は言った。


「灰島という人間から聞いた」と朧は言った。


---


 17は動かなかった。


 灰島。


 朧が続けた。「五年前に一度だけ会った。俺たちの能力を見て、お前たちの親を消した能力者を教えると言った。計測不能の能力者だと言った。それだけ教えて消えた。」


「灰島が直接言ったのか」と17は言った。


「そうだ」と朧は言った。


 17はしばらく朧を見た。看破の能力が朧の言葉を読んだ。嘘ではなかった。朧は本当のことを言っていた。


 でも灰島が本当のことを言っていたかどうかは別の話だった。


「その情報は正確ではないかもしれない」と17は言った。


「わかっている」と朧は言った。「でも他に手がかりがない。」


 燦が顔を上げた。「じゃあお前は違うのか。俺たちの親を消した能力者じゃないのか。」


「俺ではない」と17は言った。「ただ、灰島という人間については俺も調べている。いつか話せることがあるかもしれない。」


 燦は17をしばらく見た。それから朧を見た。朧が小さく頷いた。


「……わかった」と燦は言った。「今日のところは引く。でも」燦は17を見た。「また来る。」


「来るなら正面から来い」と17は言った。


「当たり前だ」と燦は言った。少しだけ、いつもの声に戻っていた。


---


 二人が建物の奥に消えた。


 17は廊下に一人で立っていた。


 両腕を確認した。動いた。笪が効いている間、縛は解けていた。笪が解ければ縛も戻る可能性があったが、朧の能力が封じられた状態では縛も維持できなかった。それが答えだった。


 維持が必要な能力は、能力そのものを封じれば縛も消える。


 でも笪が届く前の状態、四肢が全部縛られた状態では、詠唱ができなかった。咲の根が一瞬だけ朧の意識を割いてくれたから、右手が動いた。それだけだった。


 咲がいなければ、どうなっていたかわからなかった。


---


 建物の外に出ると、咲が入口の近くに立っていた。


「師匠!!」と咲は言った。走ってきた。「大丈夫!?怪我してない!?」


「大丈夫だ」と17は言った。


「動けなくなってるの見えた!!窓から!!」と咲は言った。「あのとき根を入れてよかった!?ダメだった!?」


「よかった」と17は言った。


 咲が少し止まった。「本当に?」


「ああ」と17は言った。「お前の根がなければ、笪が間に合わなかった。」


 咲はしばらく17を見た。それから両手を顔の前で握った。「やった!!師匠の役に立てた!!」と咲は言った。


「うるさい」と17は言った。


「でもやった!!」と咲は言った。


 17は少し間を置いた。「よくやった」と17は言った。小さい声だった。


 咲が止まった。「え、今褒めた?」


「帰るぞ」と17は言った。


「褒めた!!師匠に褒められた!!」と咲は言った。


 山の夜が続いていた。虫の音がまだ聞こえた。


---


 帰りの車の中で、咲がうとうとしていた。助手席でシートベルトをしたまま首が傾いていた。


 17は窓の外を見ていた。


 灰島が五年前に朧と燦に会っていた。親を消した計測不能の能力者を探せと言った。


 灰島が二人をここに向かわせた。


 意図的だった。


 灰島は17と朧・燦を会わせようとしていた。なぜかはわからなかった。でも偶然ではなかった。


 17はそれをしばらく考えた。灰島の意図が見えなかった。でも、灰島が動いているという事実が、また一つ輪郭を持った。


 咲が寝息を立て始めた。


 17は咲を一度見た。今夜、咲の根がなければ詰んでいた。サポートだけと言っておきながら、結果として咲に助けられた。


 それについて、17はしばらく何も考えないようにした。でも考えないようにすればするほど、よくやったと言ったときの咲の顔が残った。


 車が山を下りていった。

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