表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

37/43

第37話「こういう日を大切に」

 翌朝、咲が一番に起きた。


 起きた理由は特になかった。目が覚めたから起きた。それだけだった。部屋の窓を開けると海の音がまだ聞こえた。昨日と同じ音だったが、朝の空気の中で聞くと少し違って聞こえた。咲はそれを少しだけ聞いてから、廊下に出た。


 廊下に17がいた。


「師匠!!」と咲は言った。小声で言おうとしたが、いつもの音量になった。


「うるさい」と17は言った。


「ごめん!!」と咲は言った。同じ音量だった。


 17は廊下の窓から外を見ていた。咲がその隣に来た。外には宿の庭があって、その向こうに海が見えた。朝の光が水面に反射していた。


「師匠って何時に起きたの」と咲は言った。今度は少し小さい声で。


「寝ていなかった」と17は言った。


「え、ずっと起きてたの!?」


「習慣だ」と17は言った。「知らない場所では眠れない。」


「それって大丈夫なの?」と咲は言った。心配するような顔だった。


「慣れている」と17は言った。


 咲はしばらく17の横顔を見た。慣れている、という言葉が、咲にはなんとなく寂しく聞こえた。慣れていい話ではない気がした。でも何と言えばいいかわからなかったから、「そっか」とだけ言った。


「温泉、今日も入れるよね」と咲は話題を変えた。


「ああ」と17は言った。


「師匠も入る?」


「さあ」と17は言った。


「入ろうよ!!」と咲は言った。また音量が戻った。


「うるさい」と17は言った。


---


 朝食は昨日と同じ食堂で食べた。


 和食だった。咲が「旅館の朝ごはんって最高だよね!!」と言った。白瀬が「昨日から何が最高じゃなかったんだ」と言った。咲が「全部最高!!」と言った。白瀬が「そうか」と言って味噌汁を飲んだ。


 桐島が焼き魚を丁寧に食べていた。水無瀬が「桐島さんって食べるの上手いですよね」と言った。桐島が「魚の食べ方か」と言った。水無瀬が「そうです。綺麗に食べますよね」と言った。桐島が「実家が漁師だった」と言った。全員が少し止まった。「初めて聞きました」と水無瀬は言った。「聞かれなかったから言わなかった」と桐島は言った。


 朝霧が黙って白米を食べていた。咲が「朝霧さん、白米だけ食べてる」と言った。「おかずを先に食べた」と朝霧は言った。「順番が逆じゃないですか」と水無瀬は言った。「好きな順番で食べる」と朝霧は言った。水無瀬が「確かに」と言った。


 柊が17の隣に座っていた。「昨日よく眠れた?」と柊は聞いた。17が少し間を置いた。「咲に聞いてくれ」と17は言った。柊が咲を見た。咲が「師匠ずっと起きてたんだって!」と言った。柊が17を見た。「知らない場所では眠れないんだ」と柊は言った。断定する声だった。「そうだ」と17は言った。「昼間どこかで少し眠るといい」と柊は言った。「さあ」と17は言った。


---


 午前中は宿の周辺を散策した。


 古い街並みだった。お土産屋が並んでいて、咲が全部の店を覗こうとした。白瀬が「全部入ってたら日が暮れる」と言った。咲が「でも全部気になる!!」と言った。結局半分くらい入った。


 咲が木刀を手に取った。「師匠へのお土産にしよっかな」と咲は言った。17が「いらない」と言った。「でも彁武きかいぶに使えるんじゃないかと思って!」と咲は言った。「木刀では使わない」と17は言った。「なんで」と咲は言った。「折れる」と17は言った。咲が「あ、そっか」と言って木刀を戻した。


17と咲を探しにきた柊はその会話に聞き耳を立てて、微笑ましく思っていた。だが今の会話の中で一つ違和感を覚える箇所があった。

彁武きかいぶ、、、?」

そんな単語は今までの17の戦闘を見ていてみたこともきいたこともなかった。

そんな考え事をしていた時、咲に話しかけられたためその思考を中断した。


 朝霧が小さな店の前で止まっていた。白瀬が気づいて近づいた。店の前に植物の押し花で作ったしおりが並んでいた。「気になるか」と白瀬は言った。朝霧が「少し」と言った。珍しい答えだった。白瀬が「買えばいい」と言った。朝霧がしばらく見て、一枚だけ買った。どの花かは誰も聞かなかった。


 柊が小さな雑貨屋で17を呼び止めた。「これ見て」と柊は言った。棚に小さな置き物が並んでいた。どれも動物の形をしていた。「可愛くない?」と柊は言った。17がそれを見た。「そうか」と17は言った。柊が「そうかって」と言って笑った。「お前は可愛いと思わないのか」と17は言った。「思う」と柊は言った。「なら十分じゃないか」と17は言った。柊が少し考えてから「そうだね」と言った。


---


 昼過ぎに宿に戻って、午後は自由時間になった。


 咲が「温泉入る!!」と言って走った。「昼間から入るのか」と白瀬は言った。「いいじゃん!!」と咲は言った。「まあそうだな」と白瀬は言った。


 女湯には柊と咲と朝霧が入った。男湯には白瀬と桐島と水無瀬が入った。17は「後で入る」と言って部屋に残った。


---


 女湯は広かった。


 露天風呂もあって、外に出ると空が見えた。夏の空だった。白い雲が遠くにあった。


 咲が湯船に入った瞬間に「はあ〜〜〜」と声を出した。朝霧が「静かにしろ」と言った。咲が「気持ちいいから!!」と言った。


 柊が露天風呂の縁に頭をもたせかけた。空を見た。波の音がまだ遠くに聞こえた。


「柊さん、昨日17くんと二人で話してたよね」と咲は言った。唐突だった。


「少しね」と柊は言った。


「何話してたの?」と咲は言った。


「波のこと」と柊は言った。


「波?」


「17が初めて海に来たって言ってたから」と柊は言った。「それで少し話してた。」


 咲はしばらく考えた。「師匠って、今まで何をしてたんだろうね」と咲は言った。小さい声で。いつもの咲の声ではなかった。「知らない場所で眠れないとか、海に来たことないとか。なんか普通じゃない感じがする。」


「そうだね」と柊は言った。


「柊さんは気にならない?」と咲は言った。


「気になる」と柊は言った。「でも今は聞かない。17が話してくれるまで待つ。」


 咲はしばらく湯の中で膝を抱えた。「あたしも待てる」と咲は言った。「ちゃんと待てるから。でもたまに、師匠のことが心配になる。」


「わかる」と柊は言った。


 朝霧が空を見たまま、静かに言った。「心配するだけ無駄だ。」


 咲が「え」と言った。


「あいつは心配されても困るだろう」と朝霧は言った。「心配するより、隣にいればいい。」


 咲と柊がしばらく朝霧を見た。


「朝霧さんって」と咲は言った。「たまにすごくいいこと言うよね。」


「たまにって何だ」と朝霧は言った。


「いつも! いつも言う!!」と咲は言った。


 朝霧が少し間を置いた。「そうか」と言った。それだけだったが、その声が普段より少しだけ柔らかかった。


---


 男湯では、桐島が湯船で壁にもたれて目を閉じていた。水無瀬が「桐島さん、仕事のこと考えてます?」と聞いた。「考えていない」と桐島は言った。「本当に?」と水無瀬は言った。「今日くらいは考えない」と桐島は言った。水無瀬が「そうですか」と言って同じように壁にもたれた。


 白瀬が露天風呂に出た。空を見た。「17、後で入るって言ってたな」と白瀬は言った。桐島が「入るだろう」と言った。「入らないかもしれないぞ」と白瀬は言った。「なんでだ」と桐島は言った。「あいつ、人と同じ空間が苦手そうだからな」と白瀬は言った。「温泉くらいは入るだろう」と桐島は言った。「そうかな」と白瀬は言った。


「白瀬さんって、17のこと気にしますよね」と水無瀬は言った。


「監視対象だからな」と白瀬は言った。


「それだけじゃない気がしますけど」と水無瀬は言った。


 白瀬はしばらく空を見た。「それだけだよ」と白瀬は言った。でもその声が少し笑っていた。


---


 夕方近くに、17が温泉に向かった。


 時間をずらしていた。誰もいない時間を選んでいた。脱衣所で服を脱いで、浴室に入った。誰もいなかった。静かだった。


 湯船に入った。


 熱かった。でも悪くなかった。昨日の海の感覚とは全く違った。海は広くて音があって、外側から何かが来る感じだった。温泉は逆だった。内側から何かが緩む感じがした。


 17は天井を見た。


 身体中の傷が、温泉に入ると少しだけ声を上げるような感覚があった。先週のナイフの跡も、腕の赤みも、拷問で受けたものも、全部がまだどこかにあった。日常の中では気にならなかったが、こうして静かな場所に一人でいると、それらが少しだけ存在を主張した。


 悪くはなかった。


 痛みではなかった。ただそこにある、という感覚だった。


 しばらくして、扉が開いた。


 17は扉を見た。


 柊が入ってきた。


 タオルを頭にのせて、目を少し細めて浴室を見て、湯船に17がいることに気づいた瞬間、止まった。


「あ」と柊は言った。


「女湯はこちらではない」と17は言った。


「え?」と柊は言った。それから扉を見た。扉を確認した。「……男湯だ」と柊は言った。声が少し上ずった。


「そうだ」と17は言った。


 柊が勢いよく出ていった。扉が閉まった。


 湯船の中で、17は天井を見た。


 静かだった。


---


 脱衣所の外の廊下で、柊は壁に背をつけて立っていた。顔が赤かった。温泉のせいだけではなかった。


 しばらくして扉が開いて、17が出てきた。服を着て、髪が少し濡れていた。


 柊を見た。


「まだいたのか」と17は言った。


「……居場所がなくて」と柊は言った。小さい声だった。


「女湯に戻ればいい」と17は言った。


「みんなもう出てるから」と柊は言った。「戻っても誰もいない。」


 17は少し間を置いた。「それで廊下に立っていたのか」と17は言った。


「そう」と柊は言った。顔がまだ赤かった。「ごめん、間違えて。」


「謝らなくていい」と17は言った。


 柊はしばらく17を見た。17の濡れた髪を見た。いつもと少し違う顔だった。温泉に入った後の顔だった。力が少し抜けていた。


「17って、温泉どうだった?」と柊は言った。話題を変えようとした。


「悪くなかった」と17は言った。


「よかった」と柊は言った。「また入れるといいね。」


「さあ」と17は言った。


「また来よう」と柊は言った。


「来るかどうかはわからない」と17は言った。


「また咲ちゃんがノリで計画するから来ることになると思う」と柊は言った。


 17は少し間を置いた。「そうかもしれない」と17は言った。それが少し笑いそうな声だった。柊には気づいた。


「今、笑いそうだったよね」と柊は言った。


「そんなことはない」と17は言った。


「なったよ」と柊は言った。


 17は答えなかった。廊下を歩き始めた。柊がその隣を歩いた。


 廊下の窓から夕日が見えた。海が赤くなっていた。


「綺麗だね」と柊は言った。


「ああ」と17は言った。少し間を置いてから「綺麗だ」と繰り返した。自分の言葉を確認するような言い方だった。


 柊は17の横顔を見た。夕日の色が17の顔に当たっていた。普段と少しだけ違う顔だった。力が抜けていた。知らない場所では眠れないと言っていた17が、今日だけは少しだけ、どこかに置いてきているものがある気がした。


 それが何なのかは、柊にはわからなかった。でもその顔が見られてよかったと思った。


「旅行に来てよかったね」と柊は言った。


「そうかもしれない」と17は言った。昨日と同じ答えだった。でも昨日よりも、少しだけ確かな声だった。


---


 夜、全員が食堂に集まった。


 咲が「明日はお祭りだよ!!」と言った。宿の近くで夏祭りがあることを、散策中に咲が見つけていた。「行こう!!」と咲は言った。全員が頷いた。朝霧が「浴衣を持ってきていない」と言った。咲が「買えばいい!!」と言った。朝霧が「買うのか」と言った。咲が「明日の朝に買いに行こう!!」と言った。


「師匠は浴衣持ってきた?」と咲は17に聞いた。


「持っていない」と17は言った。


「じゃあ明日買おう!!」と咲は言った。


「いらない」と17は言った。


「いる!!お祭りだから!!」と咲は言った。


 白瀬が「諦めた方が早いぞ」と17に言った。


 17は少し間を置いた。「さあ」と言った。


 咲が「やった!!」と言った。


「やったじゃない」と17は言った。


「やったじゃん!!」と咲は言った。


 柊がそれを見て笑った。朝霧が夕食を食べながら、ほんのわずかだが口元が動いた。桐島が「にぎやかだな」と言った。水無瀬が「毎日こうですよ」と言った。桐島が「そうだな」と言って笑った。


 夜の食堂は、波の音と全員の声で満たされていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ