第3話「痕跡」
木曜日の朝、学園の正門前に見慣れない車が停まった。
黒いセダンで、ナンバープレートがなかった。窓は全面スモークで中が見えない。生徒たちが横目で見ながら通り過ぎたが、車は何もしなかった。ただそこにあった。
17は正門をくぐる前に一度だけその車を見た。それから視線を外して、何事もなかったように歩いた。
一時間目は実技だった。
聖凰学園の実技授業は、能力の制御と対人戦闘の二種類に分かれている。今日は制御。各自の能力を指定された出力で発動し、精度を測るものだ。
生徒たちが順番にこなしていく中で、17の番が来た。
担当教師の遠藤が手元のタブレットを見た。能力欄が空白だった。
「……17、お前の能力は何だ」
「不明です」
「不明?」
「測れなかったので」
遠藤は少し考えてから、別の指示を出した。
「じゃあ、何でもいい。できることをやってみろ」
17は少しだけ間を置いた。
それから右手を軽く持ち上げた。何かが起きた。起きたのだが、見ていた生徒のほとんどは何が起きたか理解できなかった。ただ、遠藤の手元のタブレットの画面がひび割れた。物理的に、音もなく。
遠藤は自分の手の中のタブレットを見た。
「……当てたのか」
「いいえ」
「じゃあなぜ」
「歪んだので」
それ以上の説明はなかった。遠藤は何か言おうとして、やめた。採点欄に何を書けばいいかわからなかった。結局「特記事項あり」とだけ入力して、次の生徒に移った。
柊は一部始終を見ていた。歪んだ、という言葉を頭の中で繰り返した。何が歪んだのか。空間か、力か、それとも別の何かか。
昼休み、柊は図書室に向かった。
能力の分類について調べるためだった。学園の図書室には国家が編纂した能力体系の資料が置いてある。速度系、強化系、干渉系、生成系、知覚系。大きく五つに分類され、そこからさらに細分化される。
柊は「干渉系」の棚を引いた。空間干渉、物質干渉、エネルギー干渉。歪む、という現象に近いのはここだ。
ページをめくりながら、ふと気づいた。
似たような事例の記述がある。十数年前の報告書の写しだった。
「対象の物質構造に干渉し、内側から変形させる能力。発動の痕跡が外部から観測不能。使用者の登録記録なし。調査継続中」
調査継続中、という文字の下に日付があった。報告書の日付は十三年前だった。そして最終更新の欄には何も書かれていなかった。調査が終わったのか、続いているのか、それとも別の理由で止まったのか。
柊は資料を閉じた。
十三年前。17がまだ幼かった頃か、あるいは生まれていなかった頃の話だ。
関係ないかもしれない。でも柊の中で何かが引っかかったまま離れなかった。
放課後、校舎の裏手にある第三訓練場で音がした。
使用予定のない時間帯だった。警備の能力者が確認に向かうと、中には誰もいなかった。ただ、訓練用の鉄製ターゲットが一つ、内側からひしゃげていた。外側には傷一つない。
警備は首をかしげて報告書を書いた。「原因不明の器物損傷」と。
17は夕暮れの廊下を歩いていた。
後ろから足音が追いついてきた。
「第三訓練場にいたでしょ」
柊だった。17は歩みを止めなかった。
「証拠は」
「ない。でもあなたしかいない」
「根拠が薄い」
「図書室で古い報告書を見た」と柊は言った。「十三年前の未登録能力者の記録。あなたと似た能力の記述があった」
17はそこで初めて歩みを止めた。
振り返らなかった。ただ立ち止まった。廊下の先に夕日が差し込んでいた。
「それを見てどうする」
「どうもしない」と柊は言った。「ただ知りたかっただけ」
「知ってどうする」
「どうもしない」
同じ言葉が返ってきた。17は少しだけ間を置いた。
「物好きだな」
「よく言われる」
17は再び歩き始めた。柊は並んで歩いた。二人分の足音が廊下に響いた。
「一つだけ教える」と17は言った。
柊は黙って続きを待った。
「その報告書の調査が止まった理由は、調査した人間が全員異動になったからだ」
「……どうして知ってるの」
「知っている」
それだけ言って、17は角を曲がった。柊が追おうとしたときにはもう姿がなかった。足音も消えていた。廊下には柊だけが残った。
同じ夕刻、管理局の一室でモニターが更新された。
聖凰学園からの報告。第三訓練場の損傷記録。担当職員はそれを見て、昨日と同じ番号に電話をかけた。
「動きがありました。能力の使用痕跡が確認されました」
受話器の向こうは少し長く沈黙した。
「学園内に一人入れろ。目立たない人間を」
「教師として、ですか」
「生徒でいい」
通話が切れた。職員はモニターの17番のデータを見た。空白だらけの欄の中で、能力欄だけに一つだけ文字が追加されていた。職員が入力したものではなかった。
「干渉系―上位。詳細不明」
いつの間に書き換えられたのか、ログには何も残っていなかった。




