第28話「静かで強い人」
月曜日の朝、咲はまだいた。
当然のような顔で柊の隣を歩いていた。制服ではなかった。動きやすい服のままだった。
柊が17に小声で言った。
「どうするの、この子」
「さあ」と17は言った。
「さあじゃなくて」
「放置する」
「放置って」柊は咲を見た。咲は学園の建物を見回しながらへえとかほえとか言っていた。「学園に部外者がいていいの?」
「桐野が咲の上司だ。桐野はまだ学園に局員を入れている。咲がここにいることは、桐野も把握しているはずだ」
「把握した上で泳がせてるってこと?」
「そうかもしれない」
柊は少し考えた。
「咲ちゃんを通じて、17の情報を取ろうとしてる?」
「可能性はある」
「それわかってて放置するの?」
「咲に悪意はない」と17は言った。「悪意のない人間を遠ざける理由はない」
柊はしばらく17を見た。
「なんか、優しいね」
「そうかもしれない」
「認めるんだ」
「さあ」
「さっき認めたじゃない」柊は少し笑った。
一時間目が始まる前、咲は廊下をうろうろしていた。
朝霧が通りかかった。
「お前、授業はどうする」と朝霧は言った。
「あたし在籍は別のところだから授業ないよ」と咲は言った。
「学園内をうろうろしていていいのか」
「桐野さんに連絡したら、好きにしろって言われた」
「好きにしろ」
「そう! 怒られると思ったのに、好きにしろって。なんか拍子抜けした」
朝霧は少し考えた。
桐野が咲の行動を容認した。泳がせている。やはりそういうことか、と朝霧は思った。
「図書室を使っていいぞ」と朝霧は言った。
「え、いいの?」
「うろうろされる方が目立つ」
「あ、そっか」咲は素直に頷いた。「じゃあ行く。本読む」
「何を読む」
「なんでもいい。強くなれる本がいい」
「強くなれる本」朝霧は少し間を置いた。「植物図鑑でもいいか」
「植物図鑑?」咲は首を傾けた。「なんで?」
「お前の能力に似たものが載っている」
「え、ほんとに?」咲は目を輝かせた。「読む読む! 絶対読む!」
昼休み、屋上に人が集まっていた。
17、柊、白瀬、朝霧、咲。
いつの間にかそうなっていた。
咲は植物図鑑を持っていた。開いていた。菌根菌のページだった。
「これじゃん!」咲は朝霧に図鑑を見せた。「あたしの能力、これじゃん! 地中通って繋がるやつ!」
「そうだ」と朝霧は言った。
「すごい! 朝霧さんよく気づいたね!」
「昨日読んでいた」
「昨日読んで、今日あたしの能力見て、繋げたってこと?」朝霧を見た。「朝霧さん頭いいじゃん!」
「普通だ」
「全然普通じゃないよ!」咲は図鑑をぱたんと閉じた。「あたし自分の能力のこと、菌根菌って考えたことなかった。感覚でやってたから」
「自分の能力を言語化するのは難しい」と朝霧は言った。
「そうそう! でも菌根菌って言われたら、なんかすっきりした」
白瀬が図鑑を覗いた。
「これが咲の能力の元ネタなのか」
「元ネタじゃないけど、似てる」咲は図鑑を白瀬に渡した。「地面通して根みたいなの伸ばして、相手に絡める。絡めたら動けなくできる。感知もできる」
「範囲は?」
「今は三十メートルくらい。頑張れば広げられる」
「十四歳でそれは普通に強いぞ」
「でしょ! だから師匠の弟子にふさわしいって言ってるんだけど!」
咲が17を見た。
17は空を見ていた。
「師匠」と咲は言った。
「認めていない」
「能力の話、聞いてた?」
「聞いていた」
「どう思った?」
17は少し間を置いた。
「強い」と17は言った。
「でしょ!!」
「ただし」
「ただし?」
「地面や壁を媒介にする能力だ」と17は言った。「媒介がない空間では使えない」
咲は少し止まった。
「……そう」と咲は言った。「そこが弱点。空中だと使えない。だから飛んでくる相手には弱い」
「わかっているなら対策を考えろ」
「え、教えてくれるの!?」咲は目を輝かせた。「師匠が弱点の克服方法教えてくれるの!?」
「教えていない」と17は言った。「弱点を指摘しただけだ」
「でも気にしてくれたってことじゃん!!」
「そうはならない」
「なるよ!!」
柊が咲と17のやりとりを見ていた。
少し複雑な顔をしていた。
「ねえ」と柊は咲に言った。
「なに?」と咲は言った。
「咲ちゃんってさ、17のどこが好きなの」
咲は少し考えた。
「強いところ」と咲は言った。迷いなく。「あんなに速く負けたの初めてだった。それに、強いのに静かじゃん。あたし、騒がしくて強い人はたくさん見てきたけど、静かで強い人って初めて見た」
柊はしばらく咲を見た。
「そっか」と柊は言った。
「柊さんは?」咲は柊を見た。「17のどこが好きなの」
柊が固まった。
「べ、別にそういうのじゃ」
「どこが好きなの?」咲は真っすぐ聞いた。悪意がなかった。本当に純粋に聞いていた。
「……静かなところ、かな」と柊は言った。小さな声で。
「あたしと同じじゃん」
「そ、そうかもしれないけど」
「じゃあ被ってるじゃん」咲は真剣な顔で言った。「それは困る」
「困るって何が」
「あたしの師匠なんだから」
「だから師匠と好きは別の話でしょ!!」
白瀬が遠い目をしていた。
朝霧が空を見ていた。
17は二人のやりとりを聞いていなかった。でも聞こえていた。
何も言わなかった。
放課後、桐島が17を呼び止めた。
「咲の件、桐野に確認した」と桐島は言った。声を落としていた。
「どうだった」と17は言った。
「好きにさせろという返答だった。ただし、何かあればすぐに報告しろと」
「監視は続いている」
「ああ。咲を通じて情報を取ろうとしているのは確かだ。でも咲本人に悪意はない。それも桐野はわかった上で使っている」
「咲を道具として使っている」
「そういうことだ」桐島は少し苦い顔をした。「十四歳の子を使うのが桐野らしいやり方だ」
17は少し間を置いた。
「咲に伝えるか」と17は言った。
「伝えると?」
「自分が道具として使われていると知ったとき、咲がどうするか」
桐島は少し考えた。
「どうなると思う」と桐島は聞いた。
「さあ」と17は言った。「でも悪意のない人間が裏切られたと知ったとき、どちらに動くかは予測できない」
「桐野を裏切るかもしれない、ということか」
「あるいは傷つくだけで終わるか」
桐島はしばらく17を見た。
「お前、咲のことを気にしているのか」
17は少し間を置いた。
「さあ」と17は言った。
桐島は少し笑った。
「そのさあは、気にしてるって意味だな」
「そうはならない」
「なると思うけどな」桐島は歩き始めた。「まあ、今すぐ伝える必要はない。ただし、タイミングは考えておけ」
17は廊下に一人残った。
追跡の能力で咲の気配を確認した。図書室にいた。植物図鑑をまだ読んでいた。
その隣に朝霧の気配があった。
二人で図鑑を読んでいた。
17はしばらくそれを感じていた。
それから歩き始めた。
夜、屋上に17がいた。
空を見た。星が出ていた。
今日のことを振り返った。
咲が桐野に泳がされている。悪意のない駒として使われている。
柊が言っていた。静かなところが好き。
小さな声で言っていた。
17はその言葉を繰り返した。
それから咲が言っていた言葉を繰り返した。静かで強い人って初めて見た。
二人が同じことを言っていた。
17はそれに、何と答えればいいかわからなかった。
夜風が吹いた。
明かりが揺れた。
咲の部屋の明かりはまだ点いていた。植物図鑑を読んでいるのかもしれなかった。
17はしばらくそれを見た。




