第27話「これ、殺せばいいの?」
日曜日の早朝、朝霧は図書室にいた。
昨日読みかけた植物図鑑の続きを読んでいた。静かだった。
菌根菌、というページだった。植物の根に共生する菌類の話だった。植物は根を通じて菌類と繋がり、菌類は地中のネットワークを通じて栄養や信号を遠く離れた植物まで届ける。森全体が、見えない根のネットワークで繋がっている。
朝霧はそのページを読みながら、少し考えた。
地中を通じて繋がる。見えないところで干渉する。
そういう能力が、あったらどうなるだろう、とぼんやり思った。
窓の外を見た。
朝の光が差していた。静かだった。
図鑑を読み終えて、朝霧は図書室を出た。
東棟の廊下を歩いた。裏手に出ようとした。
気配があった。
一瞬で止まった。
三人。能力者だった。訓練された動きだった。学園の制服ではなかった。
朝霧は体勢を整えた。
三人が同時に動いた。
一人目は捌いた。
二人目は何とかなった。
三人目で、朝霧は初めて後退した。
三人が連携していた。一人が攻めて、一人が退路を塞いで、一人が能力で視界を削ってくる。知覚系の朝霧には、視界を削られるのが一番厄介だった。
壁に追い詰められた。
三人が間合いを詰めてきた。
まずい、と朝霧が思った瞬間。
足音が聞こえた。
のんびりした足音だった。
廊下の角から、咲が出てきた。
髪を高く結んでいた。眠そうな顔をしていた。パンを食べていた。
三人の能力者を見た。
朝霧を見た。
壁際に追い詰められた朝霧を見た。
咲はパンを一口食べた。
「これ、殺せばいいの?」と咲は言った。あっさりした声だった。
朝霧は少し間を置いた。
「殺さなくていい。動けなくしろ」
「あ、そっか」咲はパンをポケットに入れた。「じゃあそっちで」
次の瞬間だった。
三人の足元から、細い何かが伸びた。地面を這って、対象の足元から全身に絡みついた。植物の根のような形だった。でも植物ではなかった。
三人が同時に動けなくなった。
一秒もかからなかった。
三人は立ったまま固まっていた。抵抗しようとしていたが、一ミリも動けなかった。
咲はポケットからパンを取り出して、また食べ始めた。
「こんな感じでいい?」と咲は言った。
朝霧は壁から離れた。
三人を確認した。全員、動けなかった。足元から全身にかけて、根のようなものが絡みついていた。地面から伸びていた。
咲を見た。
咲はパンを食べていた。
「お前」と朝霧は言った。
「なに?」
「今、何をした」
「動けなくした」咲はあっさり言った。「地面通して絡めた。普通の人間の力じゃ切れないから、しばらく動けないと思う」
朝霧は地面を見た。
根のような形のものが、地面から三人の全身に這い上がっていた。
昨日読んでいたページが頭に浮かんだ。
菌根菌。地中のネットワークで植物と植物を繋ぐ菌類。見えないところを通じて、遠く離れた対象に干渉する。
朝霧は少し間を置いた。
「少し聞いていいか」と朝霧は言った。
「いいよ」咲はパンを食べ終えた。
「能力のことだ」
「あー、見てたんだ」咲は頭の後ろに手を組んだ。「別にいいけど」
「地面や壁を媒介にして、対象に繋がる」と朝霧は言った。「繋がった後は動きを制限できる。繋がりを通じて対象の状態を感知することもできる」
咲は目を丸くした。
「え、なんで知ってんの」
「合っているか」
「……だいたい合ってる」咲は少し驚いた顔のまま言った。「でも地面だけじゃなくて、壁でも床でも、固いものなら何でも通れる。感知は距離が離れると精度が落ちる」
「範囲は」
「今のところ半径三十メートルくらい。頑張れば広げられるけど、疲れる」
「制限の強さは」
「絡めた本数で変わる。さっきの三人は手加減したから細いの三本ずつにした。本気でやったらもっと太いの何本も出せる」
「ほどく条件は」
「あたしが解くか、対象が自力で切るか。でも普通の人間の力じゃ切れない。能力者でも、かなり強くないと無理」
朝霧は三人を見た。まだ動けなかった。それから咲を見た。
「菌根菌に似ている」と朝霧は言った。
「きんこんきん?」咲は首を傾けた。
「地中のネットワークで植物と植物を繋ぐ菌類だ。今朝図鑑で読んだ」
「へえ」咲は地面を見た。「言われてみれば似てるかも。あたしの能力、地中通るとき根みたいな形になるし」
「本人はそう認識していなかったのか」
「だって感覚でやってるから」咲は朝霧を見た。「でも菌根菌か。なんかかっこいい響き」
「かっこよくはない」
「かっこいいって!」
朝霧は少し間を置いた。
「一つだけ確認する」
「なに?」
「さっき、殺せばいいのか、と言った」
「言った」
「躊躇がなかった」
咲は少し考えた。
「だってそれが仕事だから」と咲は言った。あっさりした声だった。「管理局でずっとそういう訓練してきたし。でも朝霧さんが動けなくしろって言ったから、そっちにした」
朝霧はしばらく咲を見た。
十四歳だった。眠そうな顔でパンを食べていた。さっき三人を一秒で制圧した。躊躇がなかった。
強い、と朝霧は思った。
純粋に、強かった。
白瀬が来た。
三人を見て、咲を見て、朝霧を見た。
「咲がやったのか」と白瀬は言った。
「ああ」と朝霧は言った。
「一人で三人を」
「一秒もかからなかった」
白瀬は三人を見た。地面から根のようなものが全身に絡みついていた。動けなかった。
「……強いな」と白瀬は言った。
「でしょ!」咲は胸を張った。「だから師匠の弟子にふさわしいって言ってるんだよ!」
「師匠って17のこと?」
「そう!」
「あいつ、認めてるのか」
「認めてない」と朝霧は言った。
「でも放置してる」と咲は言った。「放置は認めたってことでしょ!」
「違う」と朝霧は言った。
「同じだもん!」
白瀬は少し笑った。それから三人の能力者を見た。顔を確認した。知っている顔ではなかった。
「この子たち、どうする」と白瀬は咲に聞いた。
「管理局に連絡すればいいんじゃない? しばらく動けないし」
「お前の上司にも連絡しないといけないな」
「桐野さんには昨日無断で来たから連絡しにくい」咲はあっさり言った。
「しにくいって」白瀬は頭を抱えた。「後でめちゃくちゃ怒られるぞ」
「わかってる! でも今は師匠のそばにいたいから!」
朝霧が白瀬を見た。
「桐野への報告は俺たちが入れる」と白瀬は言った。溜め息をついてから。
「え、いいの?」咲は白瀬を見た。
「よくないけど、放置もできない」
咲は少し間を置いた。それから白瀬を見た。
「白瀬さんって、いい人だね」
「そうでもない」
「いい人だよ」咲は真剣な顔で言った。「あたし、人を見る目はあるから」
白瀬は少し驚いた顔をした。
朝霧は三人から視線を外して、空を見た。
朝の光が強くなっていた。
昼前、17が東棟の裏手に来た。
白瀬から連絡が来ていた。朝霧が危ない状況だったと。咲が制圧したと。
三人はすでに管理局に引き渡されていた。咲の能力の根は解かれていた。
咲が壁に背中を預けて立っていた。
「師匠!」咲は17を見て言った。
「ああ」
「見てた? あたし強かったでしょ!」
「見ていない」
「え、見てなかったの!?」咲は不満そうな顔をした。「朝霧さんが危なかったんだよ! あたしが助けたんだよ!」
「白瀬から聞いた」
「じゃあすごいって言って!」
「強かった」と17は言った。
咲が止まった。
「え」
「強かった、と言った」
咲はしばらく17を見た。
それからものすごく嬉しそうな顔になった。
「師匠に褒められた!!」
「弟子と認めたわけではない」
「褒めたんだからいいじゃん!!」
朝霧が17を見た。
「礼を言う」と朝霧は言った。静かな声だった。
「俺は何もしていない」と17は言った。
「咲を放置した結果、咲がここにいた」と朝霧は言った。「それはお前の判断だ」
17は少し間を置いた。
「さあ」と17は言った。
朝霧は少し間を置いた。
それから、ほんのわずかだが、表情が緩んだ。
咲はその朝霧の顔を見た。
「あ」と咲は言った。「朝霧さん今笑った」
「笑っていない」
「笑ったよ!! ちょっと笑った!!」
「笑っていない」
「絶対笑った!! 師匠も見てたでしょ!?」
「さあ」と17は言った。
「二人ともそのさあやめてよ!!」




