第22話「まさに綱渡り」
金曜日の朝、朝霧に呼び出しが来た。
差出人は桐野だった。内容は短かった。
「午後三時、応接室に来い。一人で」
白瀬へではなく、朝霧への個別呼び出しだった。
朝霧は携帯をしまった。白瀬に見せた。
白瀬は画面を見た。少し間を置いた。
「個別か」と白瀬は言った。
「ああ」
「分断しようとしている」
「わかっている」
白瀬は朝霧を見た。
「どうする」
「行く」と朝霧は言った。即答だった。「断る理由がない。断れば余計に疑われる」
「何を話すつもりだ」
「事実だけを話す」朝霧は少し間を置いた。「でも桐野は事実から全部を引き出す。気をつける」
白瀬は少し考えた。
「俺も呼ばれるか」
「おそらく別の日に」
「そうか」白瀬は携帯を朝霧に返した。「終わったら教えてくれ」
「ああ」
一時間目、17は教室の窓際に座っていた。
廊下を局員が一人通り過ぎた。昨日と同じ男だった。教室の中を一瞥して通り過ぎた。
柊は横目でその局員を見た。それから17を見た。
17は外を見ていた。局員が通り過ぎる前から、すでに外を見ていた。局員が来たことに気づいていないような顔だった。でも柊には、気づいていないわけがないと思った。
あの目で、気づいていないはずがない。
昼休み、白瀬が柊に近づいた。
廊下の端だった。
「少し話せますか」と白瀬は言った。声を落としていた。
「うん」と柊は言った。
人通りの少ない場所に移動した。
「今日の午後、朝霧が桐野に個別で呼び出された」と白瀬は言った。
柊は少し間を置いた。
「個別で」
「分断しようとしている。俺と朝霧を別々に話させて、情報に齟齬がないか確認する気だ」
「朝霧さん、大丈夫?」
「朝霧は強い」と白瀬は言った。「でも桐野は頭がいい。事実だけから全部を引き出せる人間だ」
「白瀬くんは、なんで私に話すの」と柊は言った。
白瀬は少し考えた。
「17に話すべきかと思ったけど、今日はまず柊さんに話したかった」
「なんで」
「柊さんの方が、俺の話を聞いてくれる気がして」
柊は白瀬を見た。白瀬の顔が少し疲れていた。愛想のいい笑顔の下に、疲れが透けて見えた。
「白瀬くん、本当に大丈夫?」と柊は言った。
「大丈夫です」と白瀬は言った。「でも」
「でも?」
「いつまでこれが続くんだろうって、思うことがある」
柊は少し間を置いた。
「続けなくていいんじゃないの」と柊は言った。
「え?」
「管理局の任務とか、綱渡りとか。全部やめて、普通の転入生として残るっていう選択肢もあるじゃない」
白瀬は柊を見た。少し驚いた顔をしていた。
「そんな簡単に言うんですね」
「簡単じゃないのはわかってる。でも選択肢として、あるでしょ」
白瀬はしばらく黙っていた。
「考えたことはある」と白瀬は言った。やがて。「でも朝霧を置いていけない」
「朝霧さんも一緒に」
「朝霧は任務を途中でやめる人間じゃない」白瀬は少し笑った。「あいつが最後までやると言ったら、俺もそうする。それだけだ」
柊は白瀬を見た。
「白瀬くんって、朝霧さんのことが好きなんだね」
白瀬が固まった。
「そういう意味じゃ」
「そういう意味じゃなくても、そういう意味でも、どっちでもいいけど」柊は少し笑った。「大切な人のそばにいたいって、それだけで十分な理由だと思う」
白瀬はしばらく柊を見ていた。
「柊さんって、時々すごく真っ直ぐなこと言いますね」
「そう?」
「そうです」白瀬は苦笑した。「17さんに似てる」
「似てないと思う」
「似てますよ。二人とも、核心を一言で言う」
午後三時、朝霧は応接室に入った。
桐野が一人で待っていた。穏やかな顔をしていた。
「来てくれてありがとう」と桐野は言った。
「呼ばれたので」と朝霧は言った。
「座って」
二人が向かいに座った。
「単刀直入に聞く」と桐野は言った。穏やかな声のままだった。「白瀬との関係はどうだ」
「任務上の同僚です」
「それだけか」
「それだけです」
桐野は少し考えた。
「白瀬の報告と、お前の報告に、微妙なずれがある」と桐野は言った。
「ずれ、ですか」
「書き方の違いだ。白瀬は対象との距離感を曖昧に書く。お前は事実だけを書く。同じ場面を見ているはずなのに、温度が違う」
朝霧は桐野を見た。
「書き方の癖だと思います」
「そうかもしれない」桐野は少し間を置いた。「対象との距離感は、今どのくらいだ」
「必要最低限です」
「学園に友人はいるか」
「任務中に友人を作る必要はないと判断しています」
「そうか」桐野は朝霧を見た。「朝霧、お前は嘘をつかない人間だな」
「そうでしょうか」
「そうだ」桐野は少し笑った。「ただし、全部は話さない」
朝霧は表情を変えなかった。
「それは桐野さんも同じではないですか」
桐野は少し驚いた顔をした。それからまた笑った。今度は少し違う笑い方だった。
「そうだな」と桐野は言った。「そうかもしれない」
しばらく沈黙が落ちた。
「一つだけ聞いていいか」と桐野は言った。
「何ですか」
「お前は今、何のためにここにいる」
朝霧は少し間を置いた。
白瀬が昨日、17に同じことを聞かれたと言っていた。白瀬は「わからなくなった」と答えた。17は「それでいい」と言った。
朝霧は桐野を見た。
「任務のためです」と朝霧は言った。
「本当に?」
「本当です」
桐野は朝霧を見た。一秒。二秒。三秒。
「そうか」と桐野は言った。穏やかな声だった。「それは良かった」
その言葉の温度が、朝霧には少し引っかかった。
応接室を出て、廊下を歩いた。
白瀬が廊下の端で待っていた。
「どうだった」と白瀬は言った。
「普通だった」と朝霧は言った。「でも」
「でも?」
「桐野は最後に、任務のためにいると答えたとき、それは良かったと言った」
「それは良かった、か」白瀬は少し考えた。「どういう意味だ」
「わからない」朝霧は少し間を置いた。「でもその言葉が、嘘ではなかった気がする」
「嘘じゃない?」
「本当にそう思っていた」朝霧は廊下の向こうを見た。「なぜ、任務のためにいると答えたことを、良かったと思うのか」
白瀬は朝霧の顔を見た。
「朝霧さん、不安なの?」
「不安ではない」と朝霧は言った。「ただ、わからない」
白瀬は少し考えた。
「桐野にとって、お前が任務のためだけにいる人間なら、扱いやすい。でも任務以外の理由で動いている人間なら、予測できない」
「つまり」
「お前が純粋な任務人間だと確認できて、安心したんじゃないか」
朝霧は少し間を置いた。
「そうかもしれない」
「でも」と白瀬は続けた。「本当にそうだと思ってるのか、確かめた上で安心しているのか」
二人は廊下に立ったまま、しばらく黙っていた。
夕方、17は屋上にいた。
白瀬から今日の報告を受けていた。朝霧の呼び出しの内容、桐野の言葉、朝霧の印象。全部を聞いた。
「桐野はお前たちを分断しようとしている」と17は言った。
「わかっている」と白瀬は言った。
「次は俺に来る」
「え?」
「白瀬と朝霧を個別に話させた。次の手は、対象に直接接触することだ。今日より踏み込んだ形で」
「どうする」
「受ける」と17は言った。「断る理由がない。断れば余計に動かれる」
白瀬は少し間を置いた。
「大丈夫ですか、17さん」
「何が」
「桐野は頭がいい。事実から全部を引き出す」
「知っている」と17は言った。「でも俺から引き出せるものは、俺が見せようとしたものだけだ」
白瀬は17を見た。
「それって」
「全部見えている、ということだ」と17は言った。
白瀬は少し黙った。それから小さく笑った。
「心強いな」
「そうか」
「そうですよ」白瀬は空を見た。「あなたの隣にいると、なんとかなる気がする。なんでかわからないけど」
17は答えなかった。
でも白瀬には、17が少しだけ間を置いたことが、返事のように感じられた。
夜、柊は寮の自室で窓の外を見ていた。
屋上に、一つだけ人影があった。
17だった。
いつもそこにいる。夜の屋上に一人で。それを柊は知っていた。でも今日初めて、あの場所から17には何が見えているんだろうと思った。
全部見えている、と今日17は言った。
どこにいても。誰が何をしていても。全部。
柊は窓ガラスに手を当てた。
疲れない?と今日聞いた。
さあ、と17は言った。
疲れているのかもしれないと、柊は思った。ただ、疲れているという感覚を、17は持ったことがないのかもしれない。ずっとそうだったから。
窓の外の人影が動かなかった。
柊も動かなかった。
しばらくそのまま、二人が別々の場所で空を見ていた。




