18話「呼び出し」
木曜日の朝、白瀬の携帯に連絡が届いた。
差出人は管理局の直属上官、桐野という人物だった。白瀬がこの学園に送られる前に直接指示を受けた相手だ。
内容は短かった。
「今週土曜日、局舎に来い。朝霧も同様」
白瀬は画面を見たまま、しばらく動かなかった。
呼び出し。報告のペースが遅すぎると判断されたか、昨夜の外部委託の件が引き金になったか。おそらく両方だった。
白瀬は携帯をしまった。
朝霧に伝えなければならなかった。
一時間目が始まる前、白瀬は朝霧の席に近づいた。
「土曜日、呼び出しが来た」と白瀬は言った。声を落としていた。
「私にも来た」と朝霧は言った。
「同時か」
「おそらく示し合わせている。別々に話して、情報に齟齬がないか確認するつもりだろう」
白瀬は少し考えた。
「何を話す?」
「事実だけを話す」と朝霧は言った。「ただし、解釈は渡さない」
「どういう意味だ」
「起きたことは全て話す。でも誰がやったかの結論は言わない。証拠がないから、と」
白瀬は朝霧を見た。
「賢いな」
「嘘をつく必要がない」
チャイムが鳴った。二人は前を向いた。
昼休み、17は屋上にいた。
柊が来た。隣に並んだ。今日はパンを一つだけ持っていた。
「最近、白瀬くんと朝霧さんの様子がおかしい」と柊は言った。
「そうか」
「何か知ってる?」
「さあ」
「また、さあって言う」柊は17を横目で見た。「でも表情が少し違う。知ってるときと知らないときで、目が違うんだよね」
17は少し間を置いた。
「よく見ている」
「ずっと見てたから」
「呼び出しが来たんだろう」と17は言った。「管理局から」
柊は息を吐いた。
「やっぱり知ってたじゃない」
「追跡の能力で二人の様子を読んだ。それだけだ」
「大丈夫なの、二人とも」
「さあ」
「また、さあ」
「今回は本当にわからない」と17は言った。「俺が関与できる問題ではない」
柊は空を見た。
「何もできないのが嫌だな」
「そういうことがある」
「17はそういうとき、どうするの」
17は少し考えた。
「待つ」
「待つだけ?」
「動ける状況になるまで待つ。焦って動いて状況を悪化させるより、待つ方がいい場合がある」
柊はそれを聞いて、少し間を置いた。
「それ、経験から言ってる?」
「ああ」
「どんな経験?」
「今は無理だ」
柊は苦笑した。
「わかった。また今度ね」
土曜日の朝、白瀬と朝霧は電車で管理局の局舎に向かった。
二人並んで座って、窓の外を見ていた。車内は空いていた。
「緊張してる?」と白瀬は言った。
「していない」と朝霧は言った。
「俺は少し緊張してる」
「なぜ」
「嘘はついていないけど、本当のことも全部言わない。その綱渡りが」
朝霧は白瀬を見た。
「正直だな」
「朝霧さんには隠す意味がない」
朝霧は少し間を置いた。
「緊張は必要ない」と朝霧は言った。「私たちは事実を話す。解釈を渡さない。それだけだ」
「うん」
「ただ」と朝霧は続けた。
「ただ?」
「桐野は頭がいい。事実だけから解釈を引き出す能力がある。気をつけろ」
白瀬は窓の外を見た。
「わかった」
局舎の応接室は白くて静かだった。
桐野は五十代の男だった。背が低く、穏やかな顔をしていた。でも目が鋭かった。長年人を見てきた目だった。
白瀬と朝霧が向かいに座った。
「久しぶりだな」と桐野は言った。穏やかな声だった。
「お久しぶりです」と白瀬は言った。
朝霧は頷いた。
「報告書は読んだ」と桐野は言った。「丁寧にまとめてある。でも物足りない」
「何が物足りないですか」と白瀬は言った。
「対象の能力の詳細だ。Formula、という呼称は確認できた。だが種類と効果が不明なままだ。二週間以上いて、それだけしか掴めなかったのか」
「対象は能力を滅多に使いません」と白瀬は言った。「使っても痕跡を残さない。確認できた事例は報告書に全て記載しています」
「全て、か」
「全てです」
桐野は白瀬を見た。一秒。二秒。
「昨夜の倉庫街の件」と桐野は言った。「外部委託の三人が無力化された。お前たちは何か見たか」
「見ていません」と朝霧は言った。「報告書にも記載しました」
「お前たちの部屋から、倉庫街は見える」
「カーテンを閉めていました」と白瀬は言った。
桐野は少し考えるような顔をした。
「外部委託を送ったのは私の判断だ」と桐野は言った。「お前たちの報告が遅いと感じたから動いた。それは認める」
「私たちのペースが遅いと判断されたということですか」
「そうだ」桐野は二人を見た。「なぜ遅い?」
「慎重に動いた方が対象の警戒を解けると判断しました」と白瀬は言った。
「結果は?」
「警戒は解けていません」と白瀬は言った。正直に。「対象は最初から私たちが何者かわかっていたようです」
桐野は少し黙った。
「わかっていた上で、何もしなかった」
「そうです」
「なぜだと思う」
白瀬は少し考えた。
「対象は、私たちが敵ではないと判断したのかもしれません」
桐野の目が細くなった。
「敵ではない、か」
「あくまで推測です」
桐野はしばらく白瀬を見た。それから朝霧を見た。
「朝霧はどう思う」
「同じです」と朝霧は言った。
「対象と、どの程度の距離感で接している」
「必要最低限です」と朝霧は言った。
「嘘をついていないか」
「ついていません」
桐野は少し笑った。穏やかな笑い方だった。
「お前たちは優秀だ」と桐野は言った。「嘘はついていない。でも全部は話していない」
白瀬は表情を変えなかった。
「全部話しています。証拠のないことは話せません」
「そうだな」桐野は立ち上がった。「今日はここまでにしよう」
二人も立ち上がった。
「一つだけ言っておく」と桐野は言った。「対象への接触を強化するよう、上から指示が来ている。来週から、学園への直接介入が始まる」
「どのような介入ですか」と白瀬は言った。
「それはまだ言えない」桐野は二人を見た。「ただ、お前たちの任務の内容が変わる可能性がある。心づもりをしておけ」
帰りの電車の中で、白瀬と朝霧は並んで座っていた。
しばらく何も言わなかった。電車が揺れた。窓の外に景色が流れた。
「直接介入」と白瀬は言った。
「ああ」
「来週から」
「ああ」
白瀬は窓の外を見た。
「桐野は気づいてた」
「わかっていた」と朝霧は言った。「でも証拠がない。だから動けない。それだけだ」
「いつまで持つかな、この綱渡り」
朝霧は少し間を置いた。
「わからない」と朝霧は言った。「でも今日は持った」
「今日は、か」
「それで十分だ」
白瀬は少し笑った。
「朝霧さんって、時々すごく大人なこと言うよね」
「そうか」
「そうだよ」
電車が駅に着いた。二人は立ち上がった。
その夜、17は屋上にいた。
追跡の能力で、白瀬と朝霧が学園に戻ってきたことを感じた。二人とも無事だった。疲れた気配があったが、傷ついた様子はなかった。
直接介入が来る。
来週から。
17は空を見た。星が出ていた。
管理局が動けば、均衡がまた変わる。白瀬と朝霧への圧力が強くなる。桐島と水無瀬も挟まれる。
そして灰島の影が、少しだけ濃くなった気がした。
根拠はなかった。でもそう感じた。
17は右手を見た。
何もなかった。まだ何もない。
でもいつか、必要になる日が来る。
その日のために、今は待つ。
焦って動いて状況を悪化させるより、待つ方がいい。
柊に言った言葉を、自分でも繰り返した。
月明かりが屋上を照らしていた。




