第12話「父親の存在」
土曜日の朝、柊の携帯が鳴った。
画面を見た。父親からだった。
柊は少し間を置いてから出た。
「もしもし」
「柊」父親の声は低かった。いつもより硬かった。「火曜日の件、聞いた」
「うん」
「怪我はないか」
「ない」
短いやり取りだった。父親との会話はいつもこうだった。必要なことだけ言って、余分なことは言わない。子供の頃からそうだった。
「会いに行く」と父親は言った。「今日の昼、学園の近くの喫茶店で」
柊は窓の外を見た。青い空だった。
「わかった」
昼前、柊は指定された喫茶店に向かった。
学園から徒歩五分の小さな店だった。父親はすでに来ていた。窓際の席に座って、コーヒーを飲んでいた。
二宮隆介。四十二歳。国家能力者管理局、上位能力者。背が高く、髪に白いものが混じり始めていた。娘と同じ知覚系の能力を持つが、その規模は桁が違う。
柊が向かいに座った。
「来たか」
「呼んだのはお父さんでしょ」
隆介は少し口元を緩めた。笑ったわけではなかったが、笑いに近い何かだった。
店員が来た。柊はホットミルクを頼んだ。
「詳しく聞かせてくれ」と隆介は言った。「報告書には書いていないことがあるはずだ」
柊は昨日の夜から何を話すか考えていた。全部話すつもりだった。ただ一つだけ、どう話すか迷っていることがあった。
「三人いた」と柊は話し始めた。「二人は能力者で、一人は」
「一人は?」
「気配が読めなかった。能力の種類も規模も何も」
隆介の目が少し変わった。知覚系の上位能力者が気配を読めなかった、という事実に何かを感じたような目だった。
「その一人が何か言ったか」
柊は少し間を置いた。
「言った」とゆっくり言った。「お父さんに伝えろって。十三年前の清算は、まだ終わっていないって」
隆介は動かなかった。
コーヒーカップを置いた。窓の外を見た。しばらく何も言わなかった。
「知ってるの?」と柊は言った。「十三年前のこと」
「知っている」
「教えてくれる?」
「今は無理だ」
今は無理だ。また同じ言葉だった。柊は少し息を吐いた。
「それ、最近よく聞く言葉」
「そうか」隆介は柊を見た。「誰かに言われたか」
「二人に」
隆介は少し考えるような顔をした。それ以上は聞かなかった。
「柊」と隆介は言った。「あの三人が狙ったのはお前ではなく、お前の周囲にいる誰かだ」
柊は黙った。
「お前を使って引き出そうとした。そういうことだ」
「知ってる」と柊は言った。「あの場でそう言われた」
隆介は少し驚いたような顔をした。娘が動じていないことに、何かを感じたような顔だった。
「怖くなかったか」
「怖かった」と柊は素直に言った。「でも終わった」
隆介はしばらく柊を見た。
「大きくなったな」と隆介は言った。
柊は少し黙った。それから言った。
「急に何」
「いや」隆介はコーヒーを飲んだ。「ただ思っただけだ」
食事をした。父親と二人で食事をするのは久しぶりだった。話したのは他愛のないことだった。学園の授業のこと、寮の食事のこと、昨日の休日に何をしたか。
隆介はあまり喋らなかったが、聞いていた。柊が話すと相槌を打った。
「商店街で同じクラスの子に会った」と柊は言った。
「友人か?」
「うーん」柊は少し考えた。「よくわからない」
「わからない?」
「友人、という感じとは少し違う。でも他人でもない」
隆介は少し考えるような顔をした。
「そういう関係もある」と隆介は言った。「名前がない関係が、一番長く続くこともある」
柊は父親を見た。珍しいことを言うと思った。
「経験談?」
「さあな」
食事が終わって、店を出た。
秋の空気が少し冷たかった。二人並んで歩いた。
「一つだけ聞いていい?」と柊は言った。
「内容による」
「十三年前の報告書、図書室で見た。調査が途中で止まってた。調査した人間が全員異動になったって書いてあった」
隆介は足を止めなかった。
「そうだ」
「なぜ異動になったの」
「上の判断だ」
「上って管理局の?」
「そうだ」
柊は少し間を置いた。
「隠蔽?」
隆介は足を止めた。柊も止まった。
隆介は柊を見た。真剣な目だった。
「今はそれ以上聞くな」と隆介は言った。「いつか話す。でも今は無理だ」
また同じ言葉だった。柊は少し笑いそうになった。笑わなかったが。
「わかった」と柊は言った。
隆介は歩き始めた。少し歩いてから振り返った。
「学園で何かあればすぐに連絡しろ」
「うん」
「あと」隆介は少し間を置いた。「その、名前のない関係の相手を、大事にしろ」
柊は少し驚いた。
「なんで急に」
「いい」隆介は前を向いた。「そういうものだ」
それだけ言って、歩いて行った。
柊は父親の背中を見送った。
名前のない関係。
その言葉が、頭の中に残った。
夕方、寮に戻ると17が廊下にいた。
自販機の前に立って、ボタンを見ていた。どれを買うか迷っているようだった。
「珍しい」と柊は言った。「迷ってるの」
「種類が多い」
「何が飲みたいの」
「わからない」
柊は自販機の前に並んだ。ボタンを見た。
「これ」と柊はあたたかいお茶のボタンを押した。「今日は寒いから」
お茶が出てきた。柊は17に渡した。
「なんで俺の分を」
「たまたま押した」
17は少し間を置いた。
「たまたまばかりだな」
「そう?」
「パンも飴も、今度はお茶も」
柊は少し笑った。
「気にしなくていいよ」と柊は言った。「たまたまだから」
17はお茶を受け取った。
「ありがとう」
柊は少し驚いた。17がそれを言うのを初めて聞いた気がした。
「どういたしまして」
17はお茶を一口飲んだ。
「今日、誰かに会ったか」と17は言った。
「父親に」
「そうか」
「色々話した」と柊は言った。「名前のない関係が一番長く続くって、父親が言ってた」
17は何も言わなかった。
「なんか、いい言葉だと思って」と柊は続けた。
17はお茶を見た。
「そうかもしれない」と17は言った。
廊下に二人分の静けさが落ちた。
寮の窓から夕日が差し込んでいた。廊下を橙色に染めていた。
柊は自分のお茶を買った。二人並んで、廊下でお茶を飲んだ。
特に何も話さなかった。
それで十分だった。




