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第11話「平和な休日」

 木曜日の夜、17は明日の予定を考えた。

 金曜日は創立記念日で学園が休みだった。生徒たちは朝から街に出ると言っていた。グループで映画を見る者、ショッピングに行く者、部屋でゲームをする者。昼食時の会話はそれで持ちきりだった。

 17には予定がなかった。

 特に困らなかった。


 金曜日の朝、17は日が昇る前に目が覚めた。

 寮の廊下はまだ静かだった。他の生徒はまだ寝ている時間だ。17は着替えて部屋を出た。

 行き先は決めていなかった。

 学園の門を出て、しばらく歩いた。街がゆっくりと目を覚ます時間帯だった。シャッターが開き始めた商店街を抜けて、川沿いの道に出た。

 朝の川は静かだった。水面が朝日を反射して、橙色に光っていた。17は欄干に腕を乗せて、水を見た。

 何をするわけでもなかった。ただ見た。

 しばらくそうしていた。

 鳥が一羽、水面すれすれを飛んで行った。それだけだった。


 八時になると街が動き始めた。

 17は川沿いを離れて、商店街に戻った。朝食をとっていなかった。購買以外で食べ物を買うのは久しぶりだった。

 小さなパン屋があった。開店したばかりで、窓から焼き立てのにおいがした。17は立ち止まった。

 店に入った。

 年配の女性が一人でやっている店だった。ガラスケースにパンが並んでいた。種類が多かった。17はしばらくケースの前に立って、順番に見た。

「迷ってるの?」と女性が言った。

「少し」

「どんなのが好き?」

 17は少し考えた。好き嫌いを考えたことがなかった。

「わからない」と17は言った。

 女性は笑った。怪訝そうではなく、可笑しそうな笑い方だった。

「じゃあ、これ」と女性はシンプルな食パンを一つ袋に入れた。「一番最初に焼いたやつ。外れがない」

 17は受け取って、代金を払った。

「ありがとうございます」

「またおいで」

 店を出て、川沿いのベンチに座って食べた。

 美味かった。購買のパンより、少しだけ美味かった。


 午前中、17は街を歩いた。

 目的はなかった。地図も持っていなかった。角を曲がりたいと思ったら曲がった。路地に入りたいと思ったら入った。

 古い書店があった。

 入った。

 天井まで本が積まれていた。通路が狭く、二人すれ違えないような棚の間を歩いた。文庫本、専門書、雑誌、地図帳。分類が独特で、どこに何があるか法則がわからなかった。

 17は一冊ずつ背表紙を見ながら歩いた。

 一冊だけ手に取った。薄い本だった。タイトルは「名前のない地図」。著者名もなかった。開いてみると、実在しない街の地図が描いてあった。道路、建物、川、橋。細かく描き込まれているが、どこの街かわからない。存在しない街の地図だった。

 17はそれをレジに持って行った。

 店主は老人だった。本を見て、少し驚いた顔をした。

「それ、ずっと売れなかった本だよ」

「そうですか」

「面白いの、それ」

「わからない。気になった」

 老人は笑った。

「それで十分だよ」


 昼になった。

 17は適当な食堂に入った。混んでいた。相席しかないと言われた。頷いて、案内された席に座った。

 向かいにはサラリーマン風の男性がいた。定食を食べていた。17も同じものを頼んだ。

 二人の間に会話はなかった。男性は新聞を読んでいた。17は窓の外を見ていた。

 定食が来た。食べた。美味かった。可もなく不可もなく、でも温かかった。

 男性が先に食べ終わって出て行った。「どうも」と言った。17は「どうも」と返した。

 それだけだった。

 悪くなかった。


 午後、17は公園に入った。

 広い公園だった。家族連れが多かった。子供が走り回っていた。犬を連れた老人が歩いていた。ベンチで本を読んでいる人がいた。

 17は人気の少ない木陰のベンチに座った。

 朝の書店で買った本を開いた。

 存在しない街の地図を眺めた。道を指でなぞった。この路地はどこに続くのか。この川は何という名前なのか。この広場には誰が集まるのか。何も書いていない。全部自分で考えるしかない。

 17はしばらくそれをした。

 路地の先には小さな市場がある、と思った。川には名前がない、と思った。広場には誰も集まらない、と思った。

 なぜそう思うのかはわからなかった。

 でも悪くなかった。


 夕方、帰り道に柊と会った。

 商店街の入口だった。柊は紙袋を二つ持っていた。買い物帰りらしかった。

「17」と柊は言った。驚いた顔をしていた。

「ああ」

「休日に外出するんだね」

「たまには」

 柊は17の手元を見た。薄い本が一冊あった。

「何それ」

「地図」

「どこの?」

「存在しない街の」

 柊は少し黙った。それから「変なの」と言った。責めているわけではなく、ただ思ったままを言ったような声だった。

「そうかもしれない」と17は言った。

 二人は同じ方向に歩き始めた。示し合わせたわけではなかった。ただ学園の方向が同じだった。

 柊が紙袋の中から小さな袋を取り出した。

「はい」

 17は受け取った。袋の中に飴が入っていた。

「なんで」

「たまたま買いすぎた」と柊は言った。

 たまたま、という言葉を17は少し考えた。先日の昼休みのパンのことを思い出した。あのときも柊はたまたまと言っていた。

「そうか」と17は言った。

「美味しいよ、それ」

 17は袋を開けて一つ口に入れた。

 甘かった。

「美味いな」

「でしょ」と柊は言った。少し嬉しそうだった。

 二人は並んで歩いた。夕日が商店街を橙色に染めていた。人が多かった。17は人混みが得意ではなかったが、今日は特に気にならなかった。

 柊が紙袋の中身を話し始めた。今日どこに行ったか、何を買ったか、食堂でオムライスを食べたら思ったより大きかったか。

 17は相槌を打った。

 話を聞くのが得意なわけではなかった。でも柊の話は聞きやすかった。余白があった。全部答えを求めているわけではなく、ただ話しているだけの言葉だった。

「17は今日どこ行ったの?」と柊は聞いた。

「川と書店と公園」

「一人で?」

「ああ」

「楽しかった?」

 17は少し考えた。楽しい、という言葉が自分に当てはまるかどうか、すぐにはわからなかった。

「悪くなかった」と17は言った。

 柊は少し笑った。

「それ、17の中では最高評価だよね、たぶん」

「そうかもしれない」


 学園の門の前で二人は別れた。

 柊が「またね」と言った。17は「ああ」と返した。

 寮に戻って、部屋に入って、薄い本を机の上に置いた。

 今日一日を振り返った。

 川。パン屋。書店。食堂。公園。商店街。柊。

 どれも大したことではなかった。でも一つ一つが、悪くなかった。

 17は窓を開けた。夜風が入ってきた。飴の甘さがまだ少し口に残っていた。

 明日からまた学園が始まる。白瀬がいて、朝霧がいて、管理局の目がある。均衡はいつか崩れる。それは変わらない。

 でも今日は、そのことを考えなかった。

 17は窓を閉めて、電気を消した。

 存在しない街の地図が、月明かりの中で静かに机の上にあった。

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