勇者の危機
イムトポールとの戦いから4ヶ月。環達はノーデルシア王国に戻ってきていた。ミラ、ソラ、ミニックの3人は環の弟子ということもあって、特に何の問題もなく受け入れられていた。
ミラとソラはエバンスと葉子の夫妻に気に入られ、剣術と精霊の使い方に関して指導されていた。ミニックは環の助手のようなことをして、魔法に関する理解を深めていた。
そんなある日、環はいつものように自室に引きこもっていた。ミニックは必要な物を買いに行くために、少し離れた町まで出かけていて留守にしていた。
「タマキ、いるのか?」
ノックの音とエバンスの声がした。
「ああ、いるよ。入るんなら勝手に入ってくれ」
環が答えると、エバンスがドアを開けて部屋に入ってきた。葉子も一緒だった。
「どうしたんだよ2人で」
環は椅子を用意しながらそう聞いたが、エバンスは笑顔で首を横に振った。
「いや、特別なことがあるわけじゃない。ただ様子を見に来ただけだ」
「そうかい、まあ座ってよ」
エバンスと葉子は環の用意した椅子に座った。まず口を開いたのは葉子だった。
「環君、カレンと混ざった記憶っていうのはどうなったの?」
「情報は交換してますけど、どうも混ざった時のショックでどっちも断片的になってるんですよ」
「そうなの。それは大変ね」
「まあ別に、それほど大変でもないですよ。俺の記憶だってほっといたら消えそうだったし、カレンも記憶が取り戻せなくてもそんなに気にしてる感じでもないし」
「本当に平気なのか?」
エバンスは心配そうに聞いたが、環は笑いながら手を横に振った。
「平気だよ。カレンの記憶だったら、いざとなれば封印した張本人を締め上げればいいんだからさ」
「大賢者か。一体何のために記憶の封印などということをやっているのだろうな」
「知られたくないことでもあるんじゃないかな。昔何かやらかしたとか」
「カレンは長い間一緒に旅をしていたのだろ? なにかそういう記憶はないのか?」
「いや、それ以前に、カレンは全部記憶が戻ってるわけじゃない。あの爺さんに出会う前の記憶はないみたいなんだ。それは別口の封印か、それとも元からなのかもしれない」
「生まれた場所も、子供の頃のことも何も憶えてないのね、カレンは」
「いえ、特に問題ありませんからご心配なく」
いつの間にか部屋に入ってきていたカレンが、心配そうな表情の葉子に声をかけた。
「びっくりしたー、カレンいつ入ってきたの」
「今ですよ。昼食をお持ちしたのですが、お邪魔だったようですね」
「いや、悪いが私達のぶんも持ってきてくれ、たまには食事を共にするのもいいだろう」
「かしこまりました。お2人のお食事もすぐに用意いたします」
カレンは2人ぶんの食事をテーブルに置いてから一礼すると、部屋から出て行った。しばらくして、カレンが同じものを持ってくると、ささやかだが、平和な食事が始まった。
その日の夜。夕食を済ませた環は、カレンと向かい合って椅子に座ってくつろいでいた。
「記憶の照合は大体終わったと思うけど、大したものはなかったね」
「いえ、旅でどこに立ち寄ったかという記憶は重要かもしれません。調べる手がかりになります」
「調べると言っても、何を調べるのかがわからないとどうしようもないよ」
「そうですね。動いたとしても無駄が多くなるでしょうし」
「そういうこと。それに今はのんびりすごしたいしさ」
「それもいいかもしれませんね。それでは、そろそろ私は失礼します」
カレンは立ち上がって一礼すると、体の向きを変えた。しかし、背後からの音ですぐに振り返った。環が椅子から立とうとした時にバランスを崩したらしく、膝をついていた。カレンはすぐにその側に駆け寄り、体を支えた。
「どうしました」
「いや、なんか立ちくらみかな」
環はそれだけ言ったが、明らかにそれよりも状態は悪そうだった。カレンは環の体に手を回して、ゆっくりベッドまで運んだ。
「無理に動こうとしないでください」
そう言いながら環をベッドに横たえた。環は乱れた息をして、天井を見つめていた。カレンはその手を握って、耳元で小さな声で語りかけた。
「タマキ様、どこが悪いのか、わかりますか」
「いや、苦しい、俺の体のなかで、何かが、走りまわってる、ような感じだ」
苦しそうな途切れ途切れの言葉を聞いたカレンは、うつむいて考えんこむような様子を見せた。それから、手を握っているのとは逆の手で環の額に手を当てて、目を閉じた。しばらくそのままの体勢でいてから、ゆっくり目を開けた。
「理由はわかりませんが、タマキ様の中で、力のバランスが崩れているようです。少し我慢していてください、エバンス様ならこれを緩和できるかもしれません」
カレンは立ち上がり、急いで部屋を出て行った。そしてすぐにエバンスを連れて戻ってきた。
「タマキ! 大丈夫なのか!」
エバンスはすぐにベッドに駆け寄り、環を覗き込んだ。その苦しそうな様子を確認すると、すぐにカレンのほうに振り返った。
「これはどういうことだ」
「タマキ様の中の力のバランスが崩れていると思われます。前に戦った魔族の破滅の力を私から取り込んだことが影響しているのかもしれません」
「しかし、それは4ヶ月も前のことだろう」
「はい。ですから原因かどうかはわかりません。ただ、今の症状には確実に影響を与えていると思われます」
「そうか、それで私を呼んだのだな」
エバンスはそう言うと、環の体に両手をかざした。
「水の精霊よ。この者の内にある破滅の力を抑える力を我が手に」
かざした両手を霧が包み始め、それは大きな手のような形になった。そこからその霧が環の体に伸びていって、体を覆うように広がっていった。環の様子は少しずつ落ち着いていった。
「タマキ師匠が倒れたった本当ですか!」
そこに、葉子とミラ、ソラが部屋に飛び込んできた。ミラとソラはすぐにベッドに駆け寄ろうとしたが、カレンに止められた。
「今、エバンス様が精霊の力で症状の緩和をさせています。集中を乱してはいけません」
「精霊の力なら、葉子様もソラも使えるじゃありませんか。1人より3人でやったほうがよくはないですか?」
ミラは興奮気味でそう言ったが、それに対しては葉子が口を開いた。
「癒しの力を使えるのは水の精霊だけなの。私の大地の精霊、ソラ君の風や火の精霊にその力はないのよ」
「そうなの?」
話を振られたソラはうなずいた。
「そうだよ。だから水の精霊は特に神聖なものとされてるんだ。話さなかったっけ」
「聞いてないって」
「2人とも、静かにしなさい」
カレンの厳しい一言で、ミラとソラは黙った。しばらくの間、沈黙がその場を支配したが、エバンスがかざしていた手を下ろしてその沈黙を破った。
「とりあえず落ち着いたようだ。だが、原因がわからない」
エバンスは難しい顔をして、今は落ち着いて目を閉じている様子の環をじっと見た。
「何か、外からの働きかけがあったということでしょうか」
カレンの質問にエバンスは静かに首を横に振った。
「わからない。タマキの体内の力はかなり乱れていたが、こんなことは少なくとも人間の力ではできないはずだ。これは、嫌な感覚だな」
その不吉な言葉に、一同は黙りこんだ。
「魔族の仕業っていうことはないんでしょうか」
ミラがそう言ったが、エバンスは首を横に振った。
「その可能性もあるが、おそらく違う。魔族ならばタマキの中にある破滅の力だけしか操れないだろう。だが、今は全ての力が乱れていた」
エバンスは環をじっと見つめた。
「これはむしろ病に近いものかもしれない。しかし、魔力の乱れで人が倒れるなどというのは聞いたことがない」
「しかし、タマキ様は特別です」
カレンはそう言って横たわる環を見つめ、ゆっくりと目を閉じた。