捕らわれた勇者
右の拳を闇に引き込まれた環は、そこから自分の力が急速に流れ出て行くのを感じた。なんとか引き抜こうとしたが、腕は動かなかった。魔法を使おうにも、急速に魔力を失っているこの状況では、それもできなかった。環が首だけ動かして後ろを見ると、この状況に気づいたカレン達が向かってきていた。
「あれはどういうことなの!」
「そんなことわからないよ、とにかく早く行かないと!」
ミラとソラは大声でわめきながら魔物達に突っ込んで行こうとしたが、カレンはそれを止めた。
「あなた達は下がっていてください」
カレンはそう言って、ショートソードを握る手に力を込めると、魔物達に向かって1人で走り出した。そして、魔物達の目の前で闇の大剣を作り出した。それを横に薙ぎ、前にいる魔物を一気に切り捨てると、そのままの勢いで魔物の中を走った。
環までの距離はどんどん詰まっていったが、イムトポールの胴体に作り出された闇は、その体から離れ、人間をまるごと飲み込めるサイズにまで大きくなり、環の体がそれに引き込まれ始めた。それを見たカレンは歯を食いしばり、再び闇の大剣を作り出した。
「邪魔だ!」
怒声と共に剣が振り下ろされ、環とイムトポールがいる場所までの道が見えた。カレンはそこを走り抜け、右手を伸ばした。
「タマキ様!」
環も手を伸ばした。だが、お互いの手は届かなかった。環はイムトポールの作り出した闇に全身を飲み込まれていった。イムトポールも笑いながらその闇に身を沈めて消えていった。残った魔物達も同じように消えた。
地面に片膝をついたカレンは、うつむき、無言で握りしめた右手を地面に叩きつけた。3人はそのカレンの様子に、近づくこともできなかった。
それからしばらくして、カレン達4人はハティスの小屋に集まっていた。カレンはすぐにも環を探しにいこうとしたが、それを3人が必死に止めた結果だった。
「それでは状況を詳しく教えてもらえんかな」
「はい」
ハティスの言葉にミラが返事をした。
「遠くからだったのであまりよくみえなかったんですけど、魔族の体になんて言うか、真っ暗な闇が現われて、それがタマキ師匠の腕をとらえていたというか飲み込んでいたというか」
「それでどうなった」
「その後はその闇が大きくなって、魔族の体から離れました。それで、タマキ師匠の体が完全にそれに飲み込まれて」
「消えたわけか。なるほど」
ハティスは腕を組んでしばらくの間考え込んだ。
「おそらくその魔族は魔力を含む力を吸収か、それともどこか別の空間に排出させて勇者を無力化したのだろう」
「それじゃあ師匠は今どこにいるんですか?」
「わからん。だが別の空間ということはないだろう。この地上のどこかにいるはずだ」
「場所はわからないんですか?」
「何か目印となるものでも持っていればわかる可能性もあるが」
「師匠が渡した指輪じゃ駄目なんですか」
ミニックの問いにハティスは首を横に振った。
「試してみたが、あれでは駄目だ。もっと強い力が宿っているようなものでなければ」
それを聞いたカレンは、自分の首にかけていた葉子の作ったアミュレットを外して、ハティスに差し出した。
「これはどうでしょうか。精霊の加護を受けた方が作ったもので、タマキ様も同じものを持っています」
ハティスはアミュレットを受け取って、それをよく観察した。
「うむ。これならばかなり正確な位置がわかるかもしれん。対となるものならば精霊の力が引き合う」
「時間は、どれくらいかかりますか」
「集中する必要があるから外で待っていてもらおう。なに、すぐにわかる」
ミラ、ソラ、ミニックは小屋の前に座り込んでいた。カレンは少し離れたところで腕を組んで立ち、遠くを見ていた。
「でもまさか、タマキ師匠がさらわれるなんて」
ソラは少し声を落としてそう言うとため息をついた。
「僕達が行ったのがまずかったんですかね」
ミニックも落ち込んだ様子でため息をついた。
「今更そんなこと言ったってしょうがないでしょ。今はとにかくこれからのことを考えないと」
ミラの言葉にソラとミニックはうつむいた。
「先輩、そうは言っても、あれだけの力を持ってる魔族に僕達がかなうとは思えませんよ」
「そんなもの、知恵と勇気でなんとかするに決まってんでしょ。どんな強い奴にだって絶対に弱点はあるし、力を合わせればなんとかなるって」
「そんな無茶な」
「無茶でもなんでもやるしかないでしょ」ミラはそこで声をひそめた。「あのカレン師匠の落ち込みぶりを見たら放ってなんておけないじゃない」
「確かに様子は変だよね」
「目の前であんなことがあったんだから、無理もないと思いますよ」
3人はカレンの様子を見た。カレンは少しも体勢を崩さず、相変わらず腕を組んで遠くを見ていた。
ミラは立ち上がったが、ちょうど小屋のドアが開いた。
「勇者のいる場所がわかったぞ」
そう言ったハティスに、カレンは早足で近づいた。ミラ達3人もそれに続いた。
「どこでしょうか」
「これを見なさい」
ハティスはカレン達に見えるように地図を広げ、その一点を指差した。
「ここから3日ほどの距離にある城の廃墟だ。このあたりでは魔族が拠点にするのに一番都合が良さそうな場所だな」
「けっこう近い場所なんですね。すぐに向かいましょう」
ミラはそう言ったが、ハティスは首を横に振った。
「その前に、カレン。お前の記憶と力の封印を解かなくてはならん」
「わかりました」
カレンはうなずいた。ハティスは小屋の中に戻り、カレンもそれに続いた。あとの3人はその場で出発の準備を始めることにした。
椅子に座ってハティスと向かい合い、30分ほどが経過した。それまで何もなかったが、突然門が開いたかのように、様々な記憶の断片のイメージがカレンの頭の中に溢れた。ハティスはかざしていた手を下ろした。
「記憶の封印は解けた。どうだ?」
「いえ、まだ断片的なイメージばかりで」
「しばらく時間はかかるが、それはじきに落ち着く。それではこれから力の封印を解くぞ」
「はい」
ハティスは再び手をかざした。カレンは自分の中のなにかが組み変わっていくような感覚を感じた。それが数分続き、カレンは自分の力をより強く感じることができるようになっていった。ハティスは手を下ろした。
「お前の力に施しておいた封印を解いた。これで今までとは比べものにならない力が使える。だが、注意しろ。お前の混沌の魂は人間では耐えられない力を簡単に引き出すことができるのだ」
「わかっています」
「もし制御に失敗すれば、その身が滅びるだけでは済まない。混沌に飲まれてしまえば、人間としてのお前の存在は消え、悪くすると新しい魔族が誕生することになるかもしれん」
カレンは黙ってうなずいた。
「この6年間だ。お前が私と別れてすごした6年がお前を支える力になるだろう。決して自分を見失ってはいけないぞ」
「私にはやらなくてはいけないことがありますから、それまでは絶対に大丈夫です」
ハティスは強い決意を秘めたカレンの瞳を見つめた。
「それまでなどと言わずに、必ず戻って来るのだぞ」
「はい」しっかりとした返事をして、カレンは立ち上がった。「それでは出発の準備をしてきます」
カレンは扉を開け、小屋から出て行った。ハティスはそれを椅子に座ったまま見送り、
大きく息をはきだした。その顔には深い疲労と憂慮の色があった。
「私にもっと力があればな」