旅立ち
闇王との戦いから半年。環はほとんどの時間を自分の部屋で魔法の研究に費やしていた。公の場に姿を現したのはエバンスと葉子の結婚式くらいなものだった。
「タマキ様、根の詰めすぎはよくありませんよ」
昼食を運んできたカレンは辞書と魔法書を交互に見ている環に声をかけながら、配膳をしていた。
「そりゃわかってるよ。でも覚えることが多くてさ」環は立ち上がって食卓に着いた。「言葉がわかるのと一緒でなんか知らんが字は読めても、意味まではわからないからなあ」
「それでも」カレンは環の机の上に詰まれた本を見た。「あれだけの量を読まれるというのはかなりのことだと思いますが」
「それでもわからないことは多いけどね」環はパンを一口かじって、水で流し込んだ。「特にカレンの力に関するようなことは全然本には載ってないな」
「そうですか」
「そう。あの意外と不便な瞬間移動とか、闇の剣とか。どれだけ本をひっくり返してもでてないね」
「それほど不便ではありませんよ。連続して使えないのと、それほどの長距離は移動できないのと、それと目標の上空にしか出ることができないだけです」
「十分不便だと思うよ。闇の剣だって1回に1振りしかできないわけでしょ」
「一撃必殺というやつです」
「ものは言いようだね」
環は豆のサラダをスプーンですくって口に放り込んだ。
「何よりも不思議なのは、誰がカレンにそれを教えたのかってこと。自分で覚えたわけじゃないんでしょ」
「はい。誰かは思い出せないのですが、私と長く一緒にいた人に、力の使い方と制御の仕方を教えられた記憶はあります」
「それだよ、その謎の人物。そいつなら俺の知らないことをたくさん知ってるはずだよ。もちろんカレンの記憶だって取り戻せるだろ」
カレンは少し首をかしげた。
「私の記憶がそれほど重要なものでしょうか」
「重要かどうかは知らないけど、俺は知りたいね」
「知ると言いましても、どうするつもりなのですか?」
「当然、カレンと一緒にいたって奴を探し出すんだよ。それが一番手っ取り早いだろ」
「旅に出るつもりですか」
「旅、いいなあ旅。最近引きこもりすぎだったからちょうどいい」
「しかし、まだ魔族の脅威が去ったとは言い切れません」
「半年も大したことは何もなかったんだから大丈夫だって。雑魚ならあの新婚夫婦にでもまかせりゃいいんだから」
「王がお許しになるかわかりませんが」
「許さなかったらぐれてやる」
「それは困りますね」
「そういうわけだから、早速かけあいに行こうじゃないか」
環はパンをかじりながら立ち上がった。
「旅に出ると、そう申されたか」
人払いをした謁見の間で、環とカレンを前にしてリチャード王は難しい顔をしていた。
「そう。闇王は倒したけど、まだ終わってなんかいない。でも今は魔族もけっこうおとなしくしてるから、連中のことを探るにはちょうどいいと思うんだ」
リチャード王はそれに返事をせずに、うつむいて腕を組んだ。その傍らに立つエバンスが何かを耳打ちした。それを聞いたリチャード王は軽くうなずいた。
「わかった。勇者タマキよ、そなたに魔族の動向を偵察する任務を与えよう。必要な人材や資材があれば遠慮なく申すがよい」
「それじゃ、1つ聞きたいことがあるんだ」環は自分の後ろに立つカレンをちらっと見た。「カレンがここに初めて来た時、一緒だった人がいたと思うんだけど、その人のことを憶えてるようなことはないのかな」
「カレンを連れてきた人物とな? 確かにそういう人物がいた。必ず役に立つと言われ、その通りにカレンは我が王国にとって実に貴重な働きをしているが」
リチャード王は不思議そうな表情を浮かべて、何かを思い出そうとしているようだった。
「おかしい、それが誰なのか思い出せない。よく知っている人物のはずなのだが」
「やっぱりか」リチャード王の反応を見て環はつぶやいた。「王様、その人物を探すのがこの旅の一番の目的なんだ。何かの手段で人の記憶を封印している、王様とも親しかったカレンの育ての親らしい人物。こいつなら絶対に重要なことを知ってるはずだ」
環の言葉にリチャード王は重々しくうなずいた。
「よくわかった。詳しいことはエバンスと相談するがよい。旅の無事を祈っておるぞ、勇者よ」
リチャード王は立ち上がると、ゆっくりと退室していった。エバンスはそれを見送ると、環に向き直った。
「タマキ、私の部屋に来てくれ」
エバンスが背を向けて歩き出すと、環とカレンもその後について行った。そして、エバンスの部屋に到着し、ドアが開かれた。
「葉子さん、なにその格好」
環の視線の先には、侍女服とは違う、いわいるメイドさん的な格好をして忙しそうに部屋の掃除をしている葉子がいた。
「あら、環君。こんにちは」
「ヨウコ、タマキと大事な話があるんだ、君も一緒に聞いてくれ」
エバンスは別に動じていないようだった。
「カレン、この2人っていつもこんな感じなのか?」
「そういう話は聞きます。別に悪いものではありませんよ」
環とカレンがひそひそ話していると、エバンスと葉子は人数分の椅子を用意していた。
「どうした? 2人とも、とりあえず座ってくれ」
言われるがまま、2人は椅子に座った。エバンスと葉子はお茶の準備をしてから、椅子に腰を下ろした。
「タマキ、突然旅に出るとは、一体本当の理由は何なのだ?」
「さっき言った通り、カレンをここに連れてきた人を探すのが一番の目的だよ。つまり、カレンの記憶を探しに行くんだ」
「なるほどな。確かに私もカレンを連れてきた人物というのは憶えていない。だが、ただ者でないのは間違いないだろうな」
「そういうこと。そんだけ大した奴なら魔族のことだってよく知ってるだろうし、探して損はないって」
「だが、なにか探す当てはあるのか?」
「それならあるよ。知の都っていう所に行ってみようと思ってるんだ」
「知の都?」
葉子が首をかしげた。エバンスは少し困ったような表情を浮かべた。
「ヨウコ、この間説明したじゃないか。知の都エルドゥネス共和国、最大の図書館を持つ、知の中心と言っていい国だ」
「そう、だからそこに行けば何かわかるかもしれない。だから紹介状か何か書いてもらいたいんだよ」
「そうか。紹介状ならいくらでも書くが、2人だけで行くつもりか?」
「ああ、そうだよ。大人数で行く気はないからさ」
「タマキとカレンならば何も心配いらないだろうな」
「そうそう。年上がおすすめよ環君」
「その通りだな」
エバンスと葉子は見つめ合った。環は頭をかいてカレンに小声で話しかけた。
「どうすんだよこの2人」
「あまり邪魔をするのもよくありませんね。準備もありますから、私達は早く失礼しましょう」
「言えてる」
翌日の早朝、城の裏の城門前。いつも通りの制服にマントで全身を包んだ環と、闇王と戦った時の装備を身に着けたカレン、それと荷馬車が1台、見送りはエバンスと葉子とバーンズだけだった。
「2人だけで本当に大丈夫か?」
「平気平気。仰々しくしたくないしさ」
エバンスの問いに環は軽い調子で答えながら、バーンズから受け取った荷物を荷馬車に積み込んでいった。そのうち剣を渡されたが、環は首を横に振った。
「俺は武器は要らないよ」
「しかし、魔法が使えないような状況もあるかもしれないぞ。特にタマキの魔法は威力がありすぎるだろう」
「ところがそうでもない。ミニミニファイアボール」
環はにやりと笑って人差し指を立てた。その指の先に爪ほどのサイズの火の玉が現われた。
「受け止めて、ちょっと熱いけど」
指をエバンスに向けると、火の玉がゆっくりと飛んでいった。エバンスはそれを手で受けた。火の玉は軽く弾けて消えてしまった。
「これは驚いた。ここまで加減できるものなのか」
「ま、1発なら火傷すらしないし、屋内でも安心して使えるよ。でも100発も撃てばこれでもけっこう威力があるんだ。この半年の研究成果だよ」
「武器のことは要らない心配だったな。荷物はこれで全部なのか?」
「はい。必要なものは積み込みました」
カレンはそう言って御者台に上った。環は荷台に乗り込んで、3人に手を振った。
「それじゃ、行ってきます」
「ちょっと待って」
葉子が荷馬車に駆け寄って、何かを環に差し出した。それは2つの同じ形をしたアミュレットだった。
「これは?」
「精霊の力を借りて私が作ったの。環君とカレンの旅の無事を祈ってね」
「そうなんだ。ありがとう」
環はアミュレットを受け取って、さっそくそれを着けた。カレンも葉子の手からアミュレットを受け取ると、同じように着けた。
「ありがとうございます。これほど心強いお守りは他にありません」
カレンは笑顔でそう言うと、静かに荷馬車を出発させた。