5 私、お兄たんのために、めちゃくちゃ頑張った!
翌朝――オレは、なんとなく幸せなぬくもりで目が覚めた。
何だろう、このあたたかさ?
おまけに、とても良い匂い。
ボンヤリとした頭で、オレをその匂いを嗅いでみる。
これは……スープの匂いだ。
スープの匂いで目覚めるなんて、ちょっと記憶にないくらい懐かしい。
おだやかな香り。
起き抜けの体を、ホッコリと癒してくれる生活の恵み。
じんわりと、オレは幸せな気持ちに満たされていく。
やはり目覚めというのは、こうでなければいけない。
真新しい一日の始まりは、こんな安らぎでスタートされるべきだ。
いや、しかし……ちょっと待て。
何だ、この匂い?
スープの匂いに混ざって、何か別の匂いが……。
イヤな匂いでは決してない。
むしろ逆に、とても良い匂いだ。
だがこれは、スープとは完全に違っている。
「うーん」
すぐそばで、そんな声が聞こえた。
ハッと目を見開き、オレはその匂いの源を見つめる。
黒い密集地帯。
それがオレの鼻先と口もとに、寄り添うように広がっている。
これは……毛?
も、もしかして……。
「ポ、ポルティア?」
そう声を裏返すと、オレの体に巻きついていた彼女が、ボンヤリと目を開けた。
「んあ? あぁ、お兄たん……おはよう」
寝ぼけ眼を擦りながら、ポルティアが言う。
このチビッコ女子は、何故オレの体にしがみついているのか?
って言うか、気がついたら、オレの胸に顔をうずめてるんですけど?
ど、どういうこと?
「ポルティア……キミ、なんで、ここにいるの?」
「え? 何?」
「いや、なんでいっしょに床に寝てるの? キミ、ベッドは?」
「あぁ、ごめん。いや、朝起きて、お兄たんの朝食を作って……すぐに出来上がっちゃったから……」
「すぐに出来上がっちゃって……なんでここに来た?」
「お兄たんの寝顔を見てたら、眠くなってきちゃったの。そしたらお兄たんがスッて腕を差し出してくるから、『あ、私といっしょに寝たいんだな』って思って」
「いや、ダメだろ? オレとキミは、赤の他人なんだぞ?」
「え……」
めちゃくちゃ悲しそうな顔で、ポルティアがオレを見る。
その小さなくちびるが、ワナワナと震えはじめた。
「で、でも……昨夜、実の兄だと想像しろって……イマジネーションだって……敬語はやめろって……そういう風に、言うから……」
ポルティアは、真剣だった。
今にも、ものすごい勢いで号泣しそう。
オレは床から体を起こし、そんな彼女の頭頂部を撫でる。
「いや、すまない。ポルティア。今のはアレだ。その、寝ぼけてた。確かにオレは、昨夜そう言った。キミは全然間違ってない。悪いのは、寝ぼけてたオレの方だ」
「寝ぼけてたの、お兄たん?」
「うん。寝ぼけてた」
「か、可愛い!」
そう言って、ポルティアがオレに抱きついてくる。
胸にスリスリと、頬ずりを繰り返してきた。
こういうの――本当の兄妹でもあるんだろうか?
まぁ、こういうことをする兄妹もいれば、しない兄妹もいるのだろう。
実際のところ、オレにはよくわからない。
だが……何だろう、この背徳感?
めちゃくちゃ禁忌な感じ。
「と、ところでポルティア。この世界の朝食っていうのは、一体どういうものなのかな?」
「そっか! お兄たんは、この世界の朝食を食べるの、初めてだね!」
喜々として立ち上がり、ポルティアがテーブルの上を指す。
「じゃじゃーん♪ どぉ? 美味しそうでしょ? めちゃくちゃ頑張って作ってみたよ!」
テーブルの上を見ると――そこにはマジで御馳走が並んでいた。
スープ。
中央の鍋に入れられたそれは、とてもオーソドックスな野菜スープ? だと思う。
素敵な匂いがした。
その隣に置かれているのは、おそらくパンだ。
食欲をそそる香ばしい匂いが、オレの鼻先をくすぐる。
この形のいびつさ――おそらく手作りだろう。
工場でインダストリアルに生産された物とは違う、本物の匂い。
その横に置かれているのは、ベーコンエッグ、だと思う。
一体何の卵で、何の加工肉なのかはわからないが、これまた美味しそうだ。
何かの草が、山盛りになったボウルが見えた。
あれはきっと、フレッシュなサラダ。
オレが元いた世界と、あまり変わらない朝食だ。
オーガニックな分、こちらの方が豪華な気がする。
「す、すごいなぁ……これ、全部キミが作ったの?」
「うん! そうだよ! 私、お兄たんのために、めちゃくちゃ頑張った!」
「食べてもいい?」
「もちろんだよ! 全部、お兄たんの!」
お兄たん……。
しかし、やっぱ、これ……このまま行くんだろうか?
でも、これは昨夜、オレが許可したこと。
もはやこれで行くしかないような気もする……。
床から立ち上がり、オレはテーブルに座った。
ポルティアがニコニコとあたため直してくれたスープを、木のスプーンですくい取る。
ひと口、飲んでみた。
意外と……マジで美味い。
無論、この世界の食材を使った野菜スープなんだろうが、わりとフツーだった。
元の世界の野菜スープと、ほぼ変わらない。
クセは強いが、逆に、旨味? それがすごい。
「どぉ、お兄たん? お口に合う?」
「うん。美味いよ。ポルティアは料理が上手なんだね」
「そりゃあ、お兄たんが食べる物だからね! めちゃくちゃマジで頑張ったよ!」
「ありがたいなぁ」
それからオレは、次から次へとテーブルの上の物を食べていく。
パン――これも元の世界と、ほぼ同じ。
ベーコンエッグ――これもクセが強いが、まぁ、元の世界の物と大して変わらない。
この世界の食べ物は、意外にもオレの口に合った。
って言うか、ほとんど違和感を感じない。
オレ、ここに来て、良かったかも……。
「ねぇ、お兄たんは今日から一体何をするの?」
ポルティアが、向かいの席からオレに言う。
彼女の妹言葉も、ケッコー自然だ。
こうしていっしょに向き合っていると、まるで本当に妹ができたような気分になってくる。
なかなか悪くない感覚だった。
「そうだなぁ……やっぱオレも、この世界のことを色々勉強していかないとなぁ……」
「そうだね。お兄たんも、何もしなかったらヒマだもんね」
「ねぇ、ポルティア。今日もしヒマだったら、オレにこの世界を案内してくれないかな?」
「うん。いいよ。私、めちゃくちゃ案内する!」
「じゃあ、まず――どこに行ったらいいのかな」
「うーん。まずは外に出てみようよ。少しずつ、この世界の基本的なことを覚えていった方がいいかも」
「だね。ところでオレ、今んとこ、このお屋敷の中しか知らないんだけど……ここは一体どんな場所に建てられてるの?」
「うん。森の中だよ」
「森の中かぁ……へぇ……だから静かなんだな。異世界の、静かな森の中。めちゃくちゃ素晴らしいスタートじゃないか。これもポルティアがオレを召喚してくれたおかげだ」
「へへへ。気に入ってもらえて嬉しいな♪」
「で? このお屋敷があるこの森は、一体何ていう名前なの?」
「うん、あのね」
「うん」
「『死の森』っていうの」
「はい?」
スープをすくうオレの手が、ピタリと止まる。
し、死の森?
いや、ちょっと待って……。
それって、あの……悪い予感しかしないんですけど?