2 これ、親は一体何をしているのだろう?
「こ、こんにちは……」
オレが挨拶をすると、少女が平坦な声で返してくる。
「夜です」
「あ……こ、こんばんは……」
いきなり、オレたちは噛み合わない。
って言うか、噛み合うわけがなかった。
この子、どう見たって中学生……いや、小学校高学年くらい?
大人っぽい服を着てるけど、顔はめちゃくちゃ幼い。
お肌はツルッツルで、スベッスベ。
美少女だ。
だけどその瞳には、なんだかミョーな信念だけが深く深く宿っている。
どうしようもなく、ヤバい雰囲気だ。
「えっと、あの……キミはその、どちら様で?」
「私は、魔術師でございます」
「魔術師、さん……」
これ、親は一体何をしているのだろう?
この子、めちゃくちゃその気になってるじゃないか。
つまり、闇堕ち系・ダークヒロイン。
部屋を見回したところ、この子の親はどう考えたってお金持ちだ。
お金持ちじゃなきゃ、こんな家を維持できない。
「清らかなる闇の魂様」
「あ、は、はい。オ、オレ? オレですよね?」
「そう。あなた様以外に、この世界に清らかなる闇の魂は存在しない」
「あぁ、はい……」
「あなた様にお願いしたいことがございます」
「お願い? ですか?」
「大変申しわけないのですが――」
「はい」
「こちらで前をお隠しいただけますでしょうか?」
「前?」
少女がオレから目を背ける。
タオルのような布を、こちらに差し出してきた。
その時、オレは初めて、自分の状況を把握する。
ぜ、全開だ……。
少女は闇堕ち・中2病フルスロットルだが、オレは全裸露出の『おじさんと遊ぼう』系フルスロットル。
清々しいほどにネイキッド。
今、オレは、百パー犯罪者として成立している。
「あっ! ちょっ! す、すいません!」
少女から布を引ったくり、オレは自分の前を隠す。
って言うか、これ、バスタオルじゃねぇし!
おまけにフェイスタオルでもねぇし!
言ってみれば、多少大きめのハンカチーフ!
「ゑ……」
あわてて前を隠したオレは、それを見て、言葉を失う。
白いハンカチーフが、真っ黒に染まっていた。
その瞬間、オレはたった今、自分が立っている場所を把握する。
な、なんで?
なんでこんなとこに?
オレは――黒いインクの中に立っていた。
インクの中って言うか、インクの池の中に……。
な、なんでインク?
って言うか、なんで家の中に、こんなインクの池があるの?
そういえばこのヤバい子は、さっき『聖なるインクに導かれた、清らかなる闇の魂様』と言った。
聖なるインクに導かれた?
清らかなる闇の魂?
な、何だ、それ?
さっぱり意味がわかんねぇ……。
「清らかなる闇の魂様。シャワーを浴びられますか?」
「え?」
「とりあえず、あなた様のその肉体は、聖なるインクで清められているご様子。清めのあとは、水で洗い流しても問題はないはずでございます」
「一体何をおっしゃってるのかはわかりませんが、シャワーをお借りできるのでしょうか?」
「もちろんでございます。どうぞ、こちらへ」
オレに視線を向けないまま、少女がツカツカと歩きはじめる。
やはり恥ずかしいのか、彼女の頬は紅く染まっていた。
その後ろ姿は――どう見たって小学校高学年。
しかし、周囲に誰もいなくて良かった。
通常であれば、こんな年端も行かぬ女の子の前で全裸など、絶対にあってはならないことだ。
ソッコーで、警察に連行される案件。
「シャワールームは、こちらになります」
少女が導いてくれたのは、その部屋の奥、わりと狭い空間だった。
上部には、それなりのシャワーヘッドがフックされている。
頼りないハンカチーフで前を押さえながら、オレは「し、失礼します」とそこに入った。
「私は、隣の部屋でお待ちいたしております。シャワーを終えられましたら、お越しくださいませ」
「わ、わかりました」
少女が立ち去ったのを確認し、オレはシャワーの蛇口をひねってみる。
チョロチョロと、お湯が出た。
ちょっとぬるい。
だが体に付いたこのインクを洗い落とすには、十分な水量だった。
しかし……これは一体、どういう状況なのだろう?
めちゃくちゃ豪華な家。
広い部屋の中央に、何故か設置されているインクの池。
おまけに、どう考えてもアレすぎる、謎のゴスロリ少女。
もう一度、言おう。
親は一体、何をやっている?
全身のインクを洗い流すと、オレはブルブルと頭を振った。
どうやって体を拭こうかと思ったが、シャワールームの前に竹カゴが置かれている。
その中には、今度こそバスタオル大の布が畳まれていた。
「はぁ……さっぱりした。しかし何だってオレは、あんなインクの池に沈んでたんだ?」
髪をタオルドライし、バスタオルを腰に巻く。
これで一応、完全に下半身は隠れた。
しかし……服がないのは困る。
「えっと、たしか隣の部屋って言ったよな……」
風呂上がりのヨーグルトでも飲みたい気分だったが、そんなものは当然ない。
インクの池の部屋を出て、ロウソクに煌々と照らされた廊下に出ると、少し向こうにドアノブが見えた。
隣の部屋と言っても、ずいぶんと距離がある。
目の前のめちゃくちゃ高そうなドアをノックした。
「どうぞ」
ドアの向こうから、さっきの少女の声が聞こえる。
「し、失礼します」
そう言ってドアを開けると、中は何故か真っ暗だった。
「あ、あれ? ここじゃない?」
「こちらでございます」
少女の声は、やはりこの暗がりの奥から聞こえる。
闇の向こうに、少しだけボンヤリと浮かぶ弱い光が見えた。
そちらに目をこらし、オレは「ゑ……」と言葉を失う。
さっきの少女が、めちゃくちゃ豪華なベッドの上に上体を起こしていた。
いや、それはいい。
それはいいのだが――。
少女の白い肩が、何故かシーツからはみ出している。
つまり服を着てないどころか、下着もつけてない状態。
「え? い、いや、あの……」
「どうぞ、こちらへ」
恥ずかしそうな表情で、少女がオレに言う。
ちょ……ちょっと待ってください……。
こ、これは犯罪ですよ!
どう考えても犯罪です!
この子の親は、一体、今、どこで何をしてるんだ?
いや、マジな話。