Append Life 129 ヒトリノ夜と生きてく強さ
顔の形が少し変形したらしい。右側の差し歯はすべて折れ、前歯も欠け、さらに眉毛の上に跡の残りそうな切り傷、そして右まぶたは真っ青になっていた。メガネのフレームは歪んでいなかったけど、レンズには擦り傷のようなものが入り、安くても仕方がないからメガネを作るしかないかなと思った。前歯もどうにかしないとなぁ。
頭がズキズキする。頭というか、まぶたというか、なんかおかしい。ガチャ目で右側が見えないだけで、こんなに視界がぼやけるものなのだろうか。厨二病ではないが、目が疼く感覚。もっと開けたくても、持ち上げることが出来ないまぶた。これはちょっとまずいことになったなと思った。
面会時間は決まっているし、二人は家に帰った。明日の昼頃に迎えに来てくれるらしい。しかし、MRI検査で何もないのに、外傷だけこんなにひどいのは、ちょっと変な気もする。どうやったら、こんな感じになるのか、小さな鏡とぼやけた視界ではよく分からないが、その割に身体に痛みはない。意識がないのだから、倒れ方はわからない。だけど、先生曰く、一番傷の深い場所、つまり右の額のあたりから最初に接地したのだという。その場合、首にダメージがあってもおかしくないと思うんだよなぁ。左側は普通の僕らしいから、何か不思議な力というか、回避方法というか、そういうものが少しあったのだろうと思う。
臨死体験というのだろうか。僕は間違いなくじいちゃんと話してきた。二人には言えなかった。それは確実に死を意味することに等しい。だけど、じいちゃんと話をしたから、僕はここにいて、まだこっちでやることがあると改めて分かった。二人がそれでも動じないとは僕には思えなかった。隠し事は良くないとは思ってるけど、ダイレクトに死につながる体験をしてしまった以上、隠すことしか出来ない自分の勇気のなさに、少し呆れてしまった。
でも、二人が僕を支えてくれる。二人が、いや、僕も含めて三人で支え合って生きてる今、隠し事をするわけにもいかないと思った。家に帰ったらどう話したらいいものだろうか?
「お父様が瀕死だと聞いて、一目お目にかかりたかったんです。迷惑でしたか?」
妻の後輩。娘の親友という間柄にあっという間になってしまった、不思議な子。また、遅くにLINE通話してくるんだよなぁ。
「ああ、ごめんね。あの娘から聞いたのかな。心配掛けて済まないね。しかし、君がまさか直接ビデオ通話してくるとは思わなかった。」
「ごめんなさい......、ひどいお顔です。お身体は大丈夫なんですか?」
「うん、大丈夫。今のところはね。少なくとも、君の大好きなお姉さんは、月曜日には出社出来るよ。僕は多分1日ぐらい休まないとダメだな。」
「でも、安心しました。彼女から聞いた時、重症みたいな言い方をしてたので、もっと大変なのかと思っていました。」
それを知ってて掛けてくる君もどうかと思うけど...、まあ、彼女はそういう子なんだよな。ちょっと抜けてるけど、優しい子。まあ、半年で20日ぐらい泊まりに来ていれば、そりゃそう思うか。
「僕ももっとおおごとだと思ってたから、そういう意味では間違ってないと思うよ。でも、君の気持ちは嬉しいけど、あんまり夜中に病院にいる人に電話を掛けてくるのは歓心しないな。」
「あ......、すみません。話せるようになったって聞いて、居ても立っても居られなくなって。」
「心配なら、月曜日にお姉さんといっしょにウチに来るといいよ。会って話をしよう。ご飯ぐらい作っておくからさ。」
「ありがとうございます。はい、お邪魔させていただきます。あの、出来ればまた泊まらせて頂けると...。」
「それはお姉さんに聞いて。僕は、まあ、適当に寝るから。」
「ありがとうございます。明後日、お顔を見せてくださいね。急にすみませんでした。おやすみなさい。」
「うん、おやすみなさい。」
そう言えば、彼女も幼少期に父親を亡くしてたんだっけな。僕の娘ではないんだけどな。時々お父さんと呼んで、頬を赤らめる彼女は美しい。二人とはちょっと違うのに、三人そろうと姉妹のように見える。これが今の僕の一番の謎かもしれない。ま、そんなことを考えられるぐらいだから、大して影響はないんだろう。ふらつきやめまいは多少あるけど、これは大したことではない。
なかなか眠らせてくれないらしい。病室を出て、ナースセンターの前の休憩室のようなところで、スマホを見ている。そう言えば、スマホも無傷だったな。
[死にそうだったんだって?生きててうれしいよ。]だって。妻の親友、前は僕の趣味の友人だったはずの彼女は、実に軽い言葉で返してくる。まあ、もう一人も同じだと思うけど。これは無視無視。
[娘さんに聞いた。大丈夫?君はまだ死んじゃだめだよ。奥さんと娘さんといっしょにいて、君なんだからね。]か。さすが、僕を好きでいてくれた人だ。自分の子供が大変な時期なのに...、そう言えば、その後どうなったんだろうか?っと、そんなことを聞いても、僕の結論は出てるから、彼女には聞かずに、心配を掛けたって返しておこう。
娘は結構おおごとのように僕に起こった話を周りに拡散してしまったようだ。その後もスマホの着信が止まらない。もうサイレントでいいか。
病院というところは、なんとなく空気が重い。理由は知っているし、僕がそこに一晩いるということが、どうにも耐えられなかった。しかし、今の僕には自販機で飲み物を買うのが精一杯なようだ。右側の頭痛がひどいが、それ以上におそらく目の見え方がちょっとおかしい。見えるものの焦点が合わない。ガチャ目でも合わせることが出来ていたのに、今は出来ない。眉毛の上をなぞるように入った傷も不自然ではあるが、やっぱりまぶたがこれほど腫れているということは、僕は頭から倒れ、かろうじてメガネに救われたのかもしれない。ガラスが割れたりしていれば諦めも付くが、プラスチックレンズはそう簡単に割れない代わりに、傷に弱い。豪快に削られたあとがあるし、これはもうダメだな。
...眠れない。一種の覚醒状態が続いている感じだ。本当なら痛みどめでも打ってもらえばいいんだろうけど、場所が危うい。無理なのだろう。しみないと思っていたスポーツドリンクですら、口の中の傷には堪える。のんびりしていようと思っていたが、身体が寝たら本当に死ぬと警告を発している感じがする。痛みを感じているうちはまだ生きているが、痛みを忘れるほど意識が遠のいた時、きっとその時は、じいちゃんの弟子にでもなる時なんだろうな。
...僕、こんなに生に執着していたんだな。なぜこんなに生きたいと願ってしまうのか。今までは、その時はしょうがないと思っていたけど、最愛の二人が支えてくれているうち、もう少し範囲を広げれば、少なくとも両親より先に行くことを許してもらえないのだと思った。じいちゃんが僕をこっちに戻した理由があるとすれば、自分の子供が生きていて、孫が先に来るのをブロックしてくれたのだと思う。つくづく、面白いもんだな...。
「......サン、あれ?起きないね?」
「寝起きが悪いんでしょ?そう言いつつ、薄目で着替えを覗いているのよ、この変態は。」
......仮にもけが人なんだけどな、まさか罵倒で起こされるとはなぁ。
「...散々見せるように着替えるくせに。」
「あ、聞こえてたのね。おはよう。生きててうれしい。」
「安心していいよ。どうも僕は、それぐらいしか勇気がないよ。お盛んだったら、この娘の横で始めてる。」
「なんか、やっぱりおかしくなった?オトーサンの悪態が、私には恨み節に聞こえるんだけど。」
「君が可愛いから死ぬわけにいかないだろ。僕は、君が強く成長していく様子が楽しみなんだよ。改めて、君の存在が僕を生かしていると思ったよ。」
「そうなの?だって、さすがに心配するよ。頭を打って、目を覚まして、それでまた起きたら突然おねえちゃんに食って掛かるって、今までなかったもん。」
「......言われてみればそうかもね。だけど、散々人のことを変態といいながら、変態はどっちって話だよね。」
「変態じゃないのよ。健全な性欲コントロールって言って欲しいわ。まったく。」
「はいはい、あなたも、ここは病室だからね。個室じゃないんだから、そんな恥ずかしいこと言ってる場合じゃないって。」
「だったら、とっとと着替えて帰るわよ。それからでも話はいいでしょ?」
「...ま、そりゃそうだな。それじゃ、我が家に帰りましょうか。」
病院の退院手続きは妻がすでにやってくれていた。ただコンビニに行こうと出ただけだから、荷物もないし、身につけているものも...あ、Apple Watchが割れてるな。これが割れてる?なんで?あれ?そう言えばiPhoneは?
「えっ、iPhoneは画面が割れてる...。もしかして、身体が無事だったのは、このおかげ?」
XPERIAばっかりいじってるから、iPhoneは正直気にしてなかったけど、これは痛恨だ。う~ん、今更iPhoneを買おうとは思わないしなぁ。Apple Watchに定期券入ってるし、やっぱりiPhoneは必要か。
手元で画面だけ、しかも強化ガラスフィルムごと、見事に画面だけ割れているiPhone12を見て、僕は少しの驚きと、なぜかガジェットに身体を守られたことに、ちょっとした不思議を感じていた。機器への愛着も大事だな。
「とりあえず、3日ぐらいは絶対安静にしてください。診断書です。労災にはなりませんが、おそらくこれで問題ないでしょう。自覚出来ていないと思いますが、あなたは病人です。医師としては、経過観察をしたいところですが、ベッド不足で申し訳ないと思っています。」
「気にしないでください。最悪、タクシーで来ます。今日は日曜日ですし、また来週、顔を出します。無論、家族の問題なので、三人で。」
「そうして頂けるとありがたいです。絶対に無理はしないでください。奥様も、娘さんも、極力旦那さんにはご負担にならないようにしてください。」
「ありがとうございます、先生。どちらかが様子を見ることにしますから、そこは安心なさってください。」
「オトーサンの一大事です。何かあったら、病院に連絡すればいいですか?」
へぇ、案外かまってくれるんだ。仲がいいとはいえ、もう馴れ合いみたいな生活だったのに、心配してもらえるだけマシか。
ガチャ
「帰ってきた。う~ん、何も変わってないね。」
「当たり前じゃないの。あなたが昨日病院に居ただけ。私たちは...、バカ!」
妻が僕の胸に飛び込んできた。ああ、やっぱり無理してたんだよね。知ってたよ。
「どうしたらいいか...、あなたがいなくなって、この娘と二人きりになったら、私たち、どうすればいいかって。」
「...ごめん。こらえてるのは知ってた。無理してでも罵倒しないと、あの場で耐えられなかったんだよね。」
「そういうところ...、無理してるって言うのよ。黙って頭を撫でてくれるだけで良かったのに...。」
対する娘は、案外冷静なものだ。まあ、この娘の場合は、立て続けに親族が二人も倒れてしまったら、耐性も付くか。
「オトーサン、やっぱり、無理してるの?」
「無理はしてない。痛みを感じるし、このメガネもどうにかして新しいものにしたいよ。でも、今は絶対安静だから。」
「おねえちゃんがいなかったら、多分私もオトーサンにしかみついてたと思う。けど、しがみついても、オトーサンの痛みは変わらないし、私が泣いて、オトーサンの傷やまぶたが直るわけじゃないもん。私は、生きててもらって、それだけでうれしい。」
「ありがとう。君が、僕の娘で良かったよ。そして、理解ある恋人で良かった。」
「恋人かぁ。私たち、もっと強い関係だよね?」
「そうだね。共依存関係で、僕は二人がいなくなったら、この痛みのまま、生きようと思わなかったかもしれない。もう、僕と心中して、僕の最後を看取って欲しい。」
「うん...、そのときは、私がおねえちゃんと一緒に、君を送り出すよ。だから、絶対に生きてね。」
「ま、頑張って生きてみるよ。僕にはまだやるべきことがある。君を独り立ちさせて、この人と添い遂げて、君に看取ってもらう。それが目標。」
「...そんなこと言わないでよ。私が離れるわけないじゃない。このまま、慰めて欲しい。」
...なんか、色々あったからなぁ。奥様、溜まってるんだな。しばらくしてなかったしね。
「もう、おねえちゃんは状況をわきまえるの。なんでそうやって無理させようとするわけ?」
「だって、......寂しかったんだもん。」
娘より幼い、本当に少女のような顔。周りは驚かないにしても、この人は何をしても、可愛く見えてしまう。ずるいんだよ。
「なんでもいいけど、しばらくは無理できない。あなたとは、少しおあずけだね。」
「分かってるけど、思って慰めるぐらいいいでしょ、はしたないと思わないでしょ?」
「思うの?」
「誰が?」
「...二人とも、私を何だと思ってるのよ。寂しかったんだもん。しょうがないでしょ。」
「おねえちゃん、絶対に安静だからね。オトーサンも、その辺は冷静にしてね。」
「あ、うん、ごめん。君に気を使わせる場面じゃないけど、この人に変わって謝っておく。」
「なによぉ、私だけ、はしたない女じゃないの。さみしいのよぉ。」
胸の中で離れない妻の頭に手を添えた。あの娘には効果あると思うんだけど、この人にはあるのだろうか。
「少なくとも、あなたは落ち着こう。僕は逃げないし、僕も離す気はないから。」
「うう......、かっこつけちゃって...。」
本質的な部分は同じ...か。でも、二人と離れる時が来るまで、僕は何が何でも、二人と一緒にいる。最初に、この中から飛び出していくのが、娘であることを祈りながら、いい加減座りたいなぁと思った。
つづく(次回は番外編Real Lifeです)




