Life 115 経験を武器に出来るか?
10/1。最近の新卒はこの日に初めて内定をもらうらしい。まあ、内々定というものがあるから、実際に早い人は、3年次に内々定をもらう人もいるようだ。
なんというか、日本にいる限り、このワンチャンスをモノに出来るかどうかで、その後の人生を決める重要な要素であることは間違いないのだけど、そんな平和な就職活動を経験したことがなかったせいか、僕にはピンと来ない。
「あら、あなたがニュースを真剣に見てるなんて、珍しいのね。」
この人は成功者。僕は挫折者だろう。片や勤続20年、片や放浪している人間だ。家計のバランスから分かる通り、継続は力なりという言葉はウソではないということだろう。
「あ、うん、来年の今頃、あの娘はこうやって内定式に行ったりしてるのかなって。」
「心配?心配しても、あの娘は私だから、芯の部分は変わらないから、私は心配してない。でも、やっぱりあの娘は今の生活が一番幸せだと感じてる。私達も同じ。」
「そこだよなぁ。僕もあの娘がここから一人で会社に通うって絵が想像出来ない。親バカかもしれないけど、僕らより大きな存在が出来て、自然と離れていくことが一番いいと思っているけど、どう思う?」
「う~ん、あの娘も心境の変化が激しいのよね。留学したら、世界で勝負したいという割に、あなたとは離れたくないとも言ってる。一人暮らしをしたいとも言わなくなったし、むしろここで生活することに馴染んでしまっている。私はあの娘がいるほうが、あなたのためでもあるし、私のためでもあると思ってる。共依存しているから、もう切り離せないと思うのよ。でも、それでいいのかどうか、疑問に思っているのも事実なのよね。」
「できれば強制はしたくないけど、僕らと距離を置くことで得られる刺激を良い方向に昇華できればよかった。僕の責任だよ。」
「それは結果よ。気づかずに仕事に翻弄されていた私の代わりに、あの娘があなたを心身共に支えた。結果としてあなたと深い関係にしてしまったけど、それが誰かではなく、私だからあの娘を許せている。頼りにもしてる。前々から言っている通り、あの娘には説明出来ない、人の懐に入っていける才能みたいなものがある。私にはその能力はないのよ。」
「不思議なものだよね。あなたと話している時、僕は自然体で話しているけど、あの娘と話していると、何か見透かされてるような気分になるときがある。多分、その差があの娘の能力なんだと思う。」
「だから、あなたも甘やかすし、あの娘にあなたも溺れるというか、私より深いのよね。愛人とあの娘を例える人が多いけど、まさに愛人なのよね。」
「不満?」
「不満よ。理想だ、一番だと言わてても、常にあなたはあの娘の手の内にあると考えるだけで、嫉妬しちゃうわよ。私が欲まみれで、あなたがそれを受け止めてくれて、私はなんとか踏みとどまれるけど、あなたは私よりもあの娘を選ぶと本能的に分かる。その時、私はどうなるだろうって。」
こうやって不安を感じる顔ですら可愛いのが、この人のずるいところだと思う。あの娘と決定的に違うところは、どんなときでも僕には可愛く見えることなんだけどなぁ。
「......心配しなくても、僕はあなたと一生添い遂げると勝手に決めてる。あなたが突き放しても、僕はしがみついていくと思う。」
「言ってもらえるのは嬉しいけど、それでも不安になるのよね。この気持ち、厄介なものよね。」
「ごめん。僕には二人がそれぞれ共有している感覚を理解出来ていないままなんだよね。どうすれば理解出来る?」
「別に理解しなくてもいいんじゃない。にぶいんでしょ?まったく、変に愛人っぽい人が多いのよ。あなたは。」
「思わせぶりってこと?別にそう思ってないんだけどなぁ。」
「そういうところよ。今だって、私にそう思わせる。一応釘を差しておくけど、私はあなたの本妻ですからね。あなたが浮気していいのは、私だけ。分かる?」
「どこまでもフェアなんだね。あの娘はそういう隙を狙ってくるのに。」
「それに堕ちるあなたが言えたセリフ?まったく、変な人よね。」
軽口の応酬というか、これぐらいでも僕らが互いに不安にならなくて済むなら、十分だと思う。ま、定時に返ってくるということは、今晩もおたのしみってことなんだろうなぁ。
「今のところはやっぱりピンと来てないかな。将来に不安はあるけど、私の周りは明確なビジョンがある人が多いから、その差は感じるよ。」
あっけらかんとしてるけど、この娘の感じ方にはウソがない。だから余計に心配になるのかもしれない。
「インターン、結構行ってたじゃないの。何か感じることとかはなかったの?」
「おねえちゃんが言うほどというか、う~ん、なんか仕事というよりは、勧誘みたいな感じかな。体験授業というか。」
「新卒の離職率も高い時代と聞くし、どこも実際に短期間で辞められてしまうと、コスト的に困る。時代にマッチした結果が、そういうことになってしまったんだろうね。」
「オトーサンの時代って、インターンとかはあったの?」
「あの頃は人を採用しない企業のほうが多かった。募集しているのは一定の需要がある小売業界や飲食。あとは使い捨てで、100人入れて5人残ればいいという感じ。就職氷河期は、人材育成を捨てて、内部留保を増やした結果として起こったと僕は思っている。甘いことを言うと、選別作業は入社させたあとで、勝手に自主退社していくのをあらかじめ見越していたんじゃないかな。特に営業やIT業界は今でもそうだけど、人の使い捨てが多い。」
「私もそう思われてたのかしら?」
「あなたの会社は、組織形態こそアンバランスだけど、企業としてはしっかりしている。しっかりと今の社長に選ばれた人間なんだろう?」
「同期入社は3人しかいなかったのよね。二人はとっくに辞めて違う会社に行ってるのかしら。私は辞める理由もなかったから、なんとなくいただけなのよね。」
「なんとなくいたから、僕が嫌う仕事をやってくれている。複雑だよ。」
「嫉妬と生活を掛けて、生活が先に来るのがあなたらしいというか。でも、私はお飾り。実務は他の人間がやってる。私はいいように使われているだけ。でも、そのおかげか、人事権の融通はある程度社長に聞いてもらえる。馴染みの人間がそばに置けるだけで、私はまだ会社をやめられないってことよね。」
「あなたの人望の厚さは尊敬するよ。この娘がこうやって就職活動で悩むことが出来てるのも、あなたのおかげだよ。」
「それはどうも。で、アンタはどう考えてるわけ?」
「私はどうなりたいんだろうって。この前、後輩さんに話を聞いてもらったら、私はオトーサンそのものになりたいのだと言われた。でも、私はオトーサンにはなれないし、オトーサンになっちゃうと、私も就職浪人になっちゃうだろうしね。」
やっぱりあの子も鋭いところがあるんだな。この娘が僕そのものになりたい、それは妻がよく言う「同じ景色を見たい」と同義、あるいはもっと深化したものだろう。だけど、それが堕落していることも理解出来ている。この娘が僕を基準に考えると、世界の見え方が少し違うのだと感じた。この娘はこの娘でしっかり目線を持っている。僕とは違う景色でも、僕とは生きていけると確信しているからなんだろう。
「僕は異論はないよ。母親としては?」
「私も、今は生活が回っているし、アンタの好きなようにしていいとは思ってる。でも、アンタはすでに2年のロスが発生している。これをどう見られているか。こればっかりは私も分からない領域。そこは、この人のほうが頼りになるかもしれない。」
「僕?」
「あなたはやれば出来る子なのよ。だけど、その気になることがない。まあ、せいぜい誘惑にホイホイと乗ったり、私に付き合ううちにその気になっていくってパターンは多いけど、こと労働に関しては、100%を求められても、よくて80%程度しかしてないわよね。残りの20%が、あなたを作り上げていると思うのよ。悪く言えば手抜きよね。」
「そういうものなのかな?仕事も生活の一部と考えてるから、あんまり集中してやるって時間は、人より短いとは思う。」
「でも、それで出来てしまう。ごまかせてしまう。もしかすると、今だって私達と本気で向き合ってないかもしれないけど、だとしたらすごいと思うのよね。」
「なんとなく分かる。オトーサンは適当のレベルが、適当ではないと思う。料理を教えてもらってる時とか、髪を乾かしてもらってる時とか、適当と言う割にほぼ同じことが出来てる。普通、適当って言うなら、もっとばらつきがあるよね。」
「惜しいのよね。この人のそういうところが、もっとうまく使える仕事に就けば、もしかすると私を幽閉出来るぐらいになってたかもしれない。暇だから資料を作って、ウチの後輩にポンとあげちゃうじゃない。あなたの適当って言うのは、見る人が見れば過剰だったり、この娘が言うように職人芸みたいなものだったりするのよ。」
「でも、それで二人がいいのなら、それでいいんじゃないかな。」
「いい、アンタはこういうことを言っちゃダメよ。これが、この人のよく分からない目線の物事なの。あなたがこの人になれない理由もそれね。憧れる理由も分かるわ。」
「それはともかく、オトーサンの立ち回りが、なんで私の就職活動に役立つの?」
「僕も知りたい。」
「自覚がないのもなんともよね。この人が行動を起こす原動力って、好奇心なのよ。「こうなりたい」ではなく、「どうなるんだろう?」って気持ちよね。」
「変態だからと勝手に決めつけてたけど、好奇心と聞けば、聞こえはいいね。」
「...変態か。まあ、別にいいけど。」
「好奇心って大事なのよ。人を動かす理由に十分なりうる。アンタの場合、興味本位で入社しても、結果はその後に付いてくるものだと思うのよね。自分が楽しいからこそ、周りを考える余裕が出てくる。今の私に欠けているもの。」
「おねえちゃんは、今の仕事ってワクワクするようなことはないんだ。」
「ないわよ。仕事が嫌とは言わないけど、私の仕事は人間関係を円滑に進めるためにしていることで、それがこの外見と来たもんだ。この人についつい甘えてしまったり、後輩仲間に弱音を吐いたりするのは、その分嫌なことをやっているという証拠。アンタ達と生活していなかったら、酒浸りか、あるいはまた悪い男にでも捕まってたかもね。」
「この人の場合は見た目を武器として使われている。それまで鳴りを潜めていた業務から、いきなり広告に載ったり、接待要員をやらされたりしている。今の社長が理解を示しているのに、その役割をこの人がする、もっと言えばそんな習慣が残っているというのは、本当に腹立たしいよ。君は、それを面白そうだと思う?」
「う~ん、私も嫌と言えばそうなんだけど、いろいろな人には会ってみたいってのも本音。同じ立場だったら、そこに興味が出ちゃうかもしれない。」
「いい意味で偏見がない世界で育ってるからね。コンビニのバイトで、色々な国の同世代とつながりがあるから、人に魅力を感じる気持ちは僕も分かるかな。」
「あなたもよく分からないわよね。人見知りとか言いながら、お店の人と仲良くなっていたりする。タクシーとかに乗って、なんでこんなに饒舌に会話出来るんだろうって不思議に思うことがあるわよ。」
「単純に興味があるから。あなたの言っていることと同じ。向いている方向が違うだけ。例えば、タクシーだって運転手さんが知らない道を通っているときに、僕はどこからどこへ移動しているのか分からなくなることが多い。あなたはだいたい寝てるけど、僕は深夜で道が空いているときに、あえて幹線道路を通らずに、細い路地を進むのか、そこに興味がある。これだけのこと。」
「同じ景色を見るどころか、私は寝てるんだもんね。見られるわけがないか。」
「得られる情報は、必要があるかどうか分からないものになっている。けど、何かの拍子に思い出すことができれば、コミュニケーションの一つに使える。前情報も必要だけど、活きた情報だから得られる知識や、思いがある。僕の仕事と関係ないけど、知ることだけで僕は満足なんだよ。」
「じゃあさ、オトーサンはなんで知りたいって思うの?」
「必要ないことは知らなくていいけど、僕の琴線に触れたものは、知っておいて損はないと思うからかな。だけど、これは無駄なことなんだ。選択肢を広げる要素になっても、決め手を欠くことにもなりかねないからね。優柔不断なのはそういう理由もあると思ってる。」
「言い方よね。なんとなく納得させられちゃうのが悔しいのよ。」
「結果として長続き出来ることって、嫌じゃないから長続きする。じゃあ、なんで嫌じゃないか?って思う時、そこに探究心や好奇心があるから、続けていられるってことも一つの考え方だと僕は思ってる。僕らの生活が成り立つように、この人が嫌な思いをしながら仕事をしているのは、犠牲を払っているからで、それも僕らが支えている状態。生活を成り立たせるために長続きさせるのも一つの考え方。もちろん、お金持ちになりたいとか、自分でこういうことをやってみたいと思うのも一つの考え方だね。この人が今イヤイヤながらに仕事をしてるように、僕も30台前半はイヤイヤ仕事をしていた時期がある。でも、なんとなく続けていられたのは、やっぱり好奇心だったのかなと思ってるよ。」
「ヒモになりたいくせに。相変わらず夢なんでしょ?」
「なりたいね。なりたいけど、そうまでしてあなたに負担をかけるのも、僕が自由に使えるお金を持てないことも嫌だから仕事してる。実質ヒモみたいなものだしね。」
「呆れた。正直で潔いわ。今日も落ち着けたし、しばらくはエッチで不自由することはないから、覚悟しておきなさい。」
「...それが一番自信ないな。」
ベッドの中で、娘が僕にこんなことを聞いてきた。
「本当はどう思ってるの?」
「本音を言えば、僕も君がどんなことをするか、楽しみにしているほうなんだ。君が進むと決めたなら、僕らは何でもいいと思っている。」
「じゃあ、君のお嫁さんになるって言ったら?」
「......僕は既婚者なんだけど。1.5馬力でいいなら......う~ん、今は2.5馬力ぐらいだから、足りないかな。」
「聞こえてるわよ。アンタがそれでいいなら、私は全然いいけど。むしろアンタだから許す、私だから許せる。でも、私はどうしようかな。」
「僕はあなたと添い遂げるって言ってる。仮にやろうとしたって、籍を変えるだけで、関係が変わることはない。むしろ僕らがあなたに寄生するぐらいだろうね。」
「どうしようもない言い訳。聞いてて恥ずかしくなる。」
「でもおねえちゃんは、なんだかんで私達を見捨てないもんね。知ってるよ。」
「自分を見捨てるわけないじゃないの。それに、この人はもっと見捨てられない。自分から命を落とすなんて、見過ごすわけにいかないでしょ。」
「同感。どうであれ、オトーサンを見捨てる時は、おねえちゃんと一緒に消えるよ。そうならないように、頑張れ。」
「努力はする。見捨てられない努力か。」
「しなくていいわよ。あなたはそのまま生きているだけでいい。私はあなたと生活するだけで、十分。」
「少し頑張ってほしいときはあるけどね。でも一緒にいてくれれば、今は幸せ。」
いつものことだけど、つくづく僕は彼女たちに見捨てられないようにしないといけないと思わされる。努力でどうにかなるわけではないとは言え、料理ぐらいはうまくなろうかな。
「さっき言い忘れてた。アンタは大学に2年遅れて入学してる。始めることに遅いということはないと言うけど、若いうちはその2年がいろいろつきまとうと思う。きっと嫌味を言われたりするだろうし、あるいはあなたの能力が劣っていると思われるかもしれない。でも、堂々としていること。その2年、あなたは人とは違う経験をしてきている。時間を引き換えに得た経験は強みになる。言い換えれば武器にもなる。生きていく上で、経験は代えがたい武器よ。」
「おねえちゃんはそう思う?」
「少なくとも、あなたと、真ん中の人は、人とは違う経験が多い。私はのうのうと生きてきたから、身体を鍛えることと、寄り添うことぐらいしか出来ない。」
「僕はそれで十分だと思うんだけど。足りないと思うの?」
「今の私がそうなのよ。痛感する。さっきあなたに話してもらったこと、私もちょっとだけ真似してみようと思った。イヤイヤ話するより、少し弾むぐらいがいいのよね。」
「それがオトーサンとおねえちゃんの経験の差なの?」
「得た能力の差かもね。良く分からないことを色々なまじながらにこなしてきたこの人と、20年近く同じことをやってきて、180度違うような仕事になると、やっぱり潰しが利かないのよね。その点で、あなたは18歳からかれこれ5年近くコンビニのバイトで、色々な国の人達と職場を共にしてきて、今や英語が堪能なわけでしょ。これだけで、私との経験の差が大きいと思う。あなたは、自分で言っている通り、世界で戦える素質を少しは持っているのよ。面接試験が始まれば分かる。」
「それに、若いうちから自分を卑下するのはダメだよ。君はもう十分に僕らを幸せにしている。誰かを幸せに出来る経験を持ってる人間が、自分をダメだと思ってはいけない。心配しなくても、君は僕らの自慢の娘。結果は気にしなくていい。それに、どうなったって後悔は絶対に残る。時間は短いかもしれないけど、君が納得いくことが重要だから。」
「うん、私が納得する答え、きっと見つける。おやすみなさい。」
納得いく答えか...。ずるい答えだと思った。僕はこの娘の倍の年月を生きていて、未だに自分に納得した職業なんて見つけたこともない。性に合ってる職業はあっても、自分でそれをうまく出来ているとは到底思っていない。でも、最初に躓いてほしくはない。僕の歩んだ道に間違いがあったとすれば、一番最初だと思ったからね。
つづく




