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Life 96 クリスマスプレゼント

「ねぇ、アンタさぁ、今年もホールなわけ?」

「そうだよ。今年は少し小さいよ。おねえちゃんはいいじゃん。どうせ食べても変化しないんだから。」

「そういう問題じゃない。もたれるのよ。内臓は年老いているのよ。もう年齢的に辛いのよ。」

「珍しいね。そんなことを気にするような感じじゃなかったのにね。」

「あなただってわかるでしょ?生クリームで胃もたれする年齢だって、去年も言ってたじゃないの。」

「だから、三等分して、僕らは3日ぐらいに分けて食べてた。あなたはなんか1日で食べたじゃない。」

「ああ、もう、二人共、そういう慣れがいらないのよね。工夫してまで食べる努力なんていらないでしょう?」

「フードロスって言葉を知らないのかな?それに、出されたものは食べなきゃダメだよ。まして、おねえちゃんは特異体質なんだから、いくらでも食べられるじゃん。」

「42歳なんです。もう生クリームを喜んで食べられる年齢じゃないんです。分かってないわよ。中年に生クリームなんて、正直殺人出来るぐらいもたれるわよ。」

「うわぁ、しょうがないとは思ってるけど、そこで年齢の話を持ち出すんだ。そんなに可愛い見た目なのにね。」

「アンタは最近辛辣だわ。私だって、年相応になりたいと思ってるわよ。でも、内臓だけが年相応なんだもん。しょうがないじゃない。」

「まあ、分かるけど、この娘のバイト先を考えると、やっぱり断りにくいよ。知り合いも多いしね。」

「率先して甘いものを食べてるおねえちゃんだから、ケーキぐらいでいちいち目くじらを立てることじゃないと思うんだけどなぁ。」

目の前のこたつには、今年もクリスマスケーキが置いてある。平日だったから、クリスマスでなにか騒ぐようなことはしなかった。せいぜいローストチキンを食べたぐらい。ま、あと浮かれた奥様が一人でシャンパンを開けたけど、これも飲みきりサイズだ。普段の500ml缶と大差ないだろう。それくらいで、見逃すほど僕らは甘くない。


「とりあえず、6等分にしたけど、これを2日で分ければ大丈夫かな?」

「多分...。う~ん、大丈夫だと思うんだよなぁ。僕基準であれば、それほど問題はないのかな。」

「これでチーズケーキなら、何ら問題はないのよねぇ。コンビニケーキって、案外チーズケーキは限定商品よね。」

「言われてみると、常時置いてある気はしないね。取っ替え引っ替え、新商品が出ては消えって感じがする。」

「でも、チーズケーキのホールにろうそくを立てるとか、デコレーションするとか、そういうことは出来ないもんね。」

「私、クリームチーズケーキでそういうのを見たことあるわ。でも、ああいうのも中はスポンジケーキだと思うのよね。まさかチーズケーキだとは...。」

「だったら、レアチーズケーキはどうなるんだろうね。あれも理屈の上ではクリームチーズじゃないの?」

「それを言ったら、ケーキ生地すら使ってないけど、チーズケーキって言ってるおやつチーズみたいなのもあるじゃん。」

「謎が多いわね。あ、私はベイクドチーズケーキ派よ。あれならホールで行けちゃう。」

「...だから、ケーキはホールで食べるものじゃないでしょ?」


クリスマスの日にこたつに入ってケーキを食べる。普通のことだと思うけど、色々な文化が混ざりすぎて、キリストには申し訳ない気もする。まあ、日本はなぜかクリスマス・イブのほうが盛り上がるし、去年はたまたま休日だったから、夜にも盛り上がってしまっただけで、別に頑張るつもりもない。この辺に、年齢を感じる。

バブル時代には、クリスマスですら一流ホテルがカップルまみれになったことを知ってるけど、クリスマスというのは、生きている限り、何回も来るのに、毎年のように特別なことをやるのは、どうかとは思う。誕生日ぐらいは祝ってもらいたいかも知れないけど、それですら、もう祝ってもらうほどの年齢でもないか。

「さ、今日もランニングに行くわよ。アンタも着替えて、準備しなさい。」

「え~、今日はいいじゃん。ゴロゴロしたい。このまま寝てもいいじゃん。」

「日頃のルーチンは守らないと、すぐに目に見えて分かるようになる。アンタの場合は、恵体なんだから、もっと維持出来ないと、もったいないわよ。」

「そう言われてもさぁ、ねぇ、オトーサン。」

「僕に聞かれても困る。君の気持ちも分からなくはないし、若いうちは、クリスマスも特別な日だって思ってるんでしょ?」

「そうそう。さすが私の恋人。なんなら、今日は一緒にお風呂に入っちゃう?」

「僕にプレゼント?まあ、本当に入るだけになっちゃうから、面白くないんじゃない。」

「今日はその気がないのね。あなたも、だいぶ大人になった?」

「だいぶって。僕は明日の朝、仕事に行きたくないようにならないためにはどうしたらいいかぐらい、考えてる。」

「そう。じゃあ、食器の片付け、お願いしていい?」

「うん、やっとく。それより、あなたはアルコール入ってるけど、大丈夫なの?」

「普段、アルコールを入れた状態で、エッチなことしてるのは、誰でしたっけ。そういうことよ。」

「なんか無駄に説得力がある。心配はしてるけど、大丈夫と言っている以上は、僕も止めない。」

「心配してもらえて、私は幸せよ。でも、少なくとも、あなたよりは健康体よ。安心して待ってて。さぁ、アンタもこの人に色仕掛けするなら、その体を維持しなきゃダメよ。」

「おねえちゃんにそれを言われても説得力がないよ。ねぇ、君は、どう思ってる?」

「そういう時だけ恋人になるんだね。行ってきなよ。帰ってきてからお風呂にすぐ入れるように、準備しておくから。」

「辛辣だなぁ。でも、準備するってことは、一緒にお風呂には入ってくれる?」

「...本当に何もしないよ?それに、ウチの大黒柱が、体を冷やしちゃっても良くない。入るなら3人で入る。」

「あら、やっぱりエッチなこと考えてるじゃない。そんなに私の体が見たいの?」

「そりゃあ、見たいよ。好きだもん。」

「なんか、素直に褒められると、私が馬鹿みたい。私達、いい加減に若くないのよ?」

「あなたがそれを言うのは、説得力がない。この娘の言ってることのほうが正しいと思っちゃうよ。」

「ま、いいわ。でも、さすがに3人でお風呂はないわね。私とこの娘で入る。それでいいでしょ?」

「うん、そのつもりだけど。お風呂掃除して、お湯を張っておけばいいんでしょ?」

「やっぱり出来る旦那様よね。毎度、惚れ直しちゃう。」

「あ、うん、ありがとう。今日ぐらいは、この娘の代わりにやっておくよ。」

「だって。ほら、いい加減、着替えて行くわよ。さすがに早朝は、ランニングするには厳しい時期よ。それとも、このままどんどん丸くなって、せっかくの恵体を無駄にするの?」

「そう言われると...、やっぱり行く。ごめん、オトーサン。」

「気にしないでいいよ。今日は、さすがにカロリーを取りすぎだと思うし、君も、そのままでいて欲しいしね。」

「うん、頑張ってくる。お風呂は、またあとでね。」

「なんか、素直というか、チョロいというか。可愛い娘よね。まったく。」



「しかし、こんなに狭いお風呂、二人で入るのがやっとだよなぁ。」

決して狭いわけではない。足が伸ばせるバスタブがある時点で、普通のマンションより、むしろ広いと思う。しかも洗い場もある。確かに、その気になれば、3人でこの空間にいることは出来ると思う。夏なら別にいいのかもしれないけど、さすがに今の時期、ずっとシャワーを浴びているほうが、風邪をひいてしまうだろう。

彼女たちは、ランニングをするようになってから、二人で入るようになった。週の半分は、二人でお風呂に入る。家にいる時は、二人でずっと一緒の日もある。同一人物とはいえ、個々の経験が違う二人なのに、不思議と一緒にいる時間が長くなってきてる。僕は、なぜかそんな状況を危惧していたから、二人に迷惑を掛けてしまった。今も、こんなことを考えてるのは、そんな不安な気持ちが強いから。二人が一緒に、どこかに行ってしまうことが、怖いんだと思う。子供のままなんだろう。

「だから、お風呂に一緒に入ろうって。子供じゃなくて、ただのエロガキだよ。」

自分自身が、そこまで成長出来ていない。いくら取り繕っても、二人にはバレている。思うに、僕は手の掛かる子供だから、二人が一緒にいてくれて、共依存の関係にしてくれたから、僕はなんとか生きている。そんな気がする。

「もともと、弱い人間だからなぁ。」

なんで、こんなに情けない人間になってしまったのだろう。いつから、僕は、二人に助けを求めてるのだろう。不思議と、それを知られたほうが、不安にはなりにくくなったとは思う。でも僕は、週に3回は、こうやって不安と恐怖を感じてしまう。都合よく、甘えていいところに二人がいるから、ギリギリ自分を保っていられる。ずるいんだ。

だけど、僕には彼女たちが帰る場所を守っていく責任があると感じる。行き着く先が僕ならば、僕は喜んで二人の帰りを待てる。一人が辛くても、そう考えれば、自分を保つことが出来るようになった。今までとはちょっと違う考え方。いや、そんなことすら考えてなかった。楽しく生きていくことに慣れすぎてた。それでよかった時期は、もう終わってしまったということなのだろう。おじさんになってしまった僕が、前に進むのは、本当に難しい。生物的には、もう老いていく一方だけど、それでも二人に食らいついていく。そうしないと、僕の幸せは、きっと終わってしまうだろう。

「ちょっと熱めにお湯を張っておくか。体を冷やしちゃ、体調を崩すだろうしね。」



「ただいま~。」

「おかえりなさい。お風呂、沸かしといたよ。それにしても、ずいぶんと速く走れるようになったんだね。」

「あら、5キロぐらいだったら、1時間もあれば歩いていけるわよ。30分ぐらいだから、あなたもやってみたら?」

「そうそう。オトーサンでも十分走れると思うよ。」

「いや、僕はいいよ。性格が幸いしてるのか、この体型は、人を欺くにはいいらしい。」

「確かにね。あなたがスラッとしてたら、裏がありそうだけど、その体型だと、裏表なさそうに見える。不思議よね。」

「う~ん、父って紹介するには、ちょっと恥ずかしい。でも、丸いだけで、安心感があるよね。私の友達が信用しちゃうんだから、そのままでいいのかもね。」

「動きたくないだけだよ。さ、冷えると体に良くない。お風呂に入って。」

「あれ、一緒に入るんじゃないの?」

「やっぱり、3人で入るのは無理があるよ。だからといって、どちらかを待たせたくない。入るなら、ランニングしない日に、入ろう。」

「そこは遠慮せずに入るのね。まったく、スケベ心は隠そうとしないのね。」

「したところで、変態と罵られてるから、もう開き直りみたいなものだよ。」

「正当化しちゃって。そういうところ、あなたの好きなところよ。あ、私はとっておきの時に、一緒に入りたいな。」

「なに、とっておきの時って?もしかして、私のいないところで、いいことしちゃってる?」

「いいことかどうかは分からないけどね。」

「そうやって、親同士で仲良くやってるんだよね。私という彼女がいるというのに。」

「彼女なら、頼めばいいじゃないの。この人、いくらでもあなたの言う事は、叶えようと頑張るわよ。」

「あんまりいらないこと、言わないで欲しいな。でも、君の言う事は、極力聞いて上げるようにする。約束するよ。」

この辺は父親の意地というか、彼氏としての意地というか、奥様とは違う、彼女だけの特典。


定例会の時間。わざわざ僕を待たずに、寝てしまっててもいいのにと思うが、染み付いた時間感覚は、やっぱり変えられない。

「しかし、難しいのよね。この娘、こう見えて、意外と自立出来てるじゃない。子供だと思ってて、実はそうでもない。」

「おねえちゃんは、娘だと思うこと出来ないでしょ?体裁を整える意味で、娘って言ってるだけだもんね。」

「最初はちゃんと娘って見てたのよ。でも、一緒に暮らし始めて、あなたが大学に通い始めて、本当に手の掛からない娘なのかもって思ってたのよ。この人がちゃんと育ててくれてたんだなって。でも、同じ年齢の私、あなたより2年先に大学に入っているわけだけど、一人暮らしは出来ていたけど、それは、私の父の弟さんが、厚意でさせてくれていたもの。あなたはその間、アルバイトをして、高卒認定試験を受けて、大学の入学金まで払って、私達に黙って大学へ通おうとしてたじゃない。」

「一応、僕との約束だったからね。大学へ入るためのお金は援助出来ないから、自分でなんとかして欲しいって。最初は、僕も学資ローンでも払って、大学に行かせたいと思ってたんだよ。でも、4年間学んだ成果を、この国では活かせないと思ってね。その後の人生で、君がお金を返していくことが、なんとなくバカバカしくなってさ。だから、先にお金を用意出来るだけ、社会経験をして欲しかったんだ。別に君を苦労をかけるとは思ってなかったけど、その時の生活では、苦労を掛けてしまった。」

「でもね、あの時、二人で生活してたの、私は楽しかったし、今よりも毎日が充実してた気もする。好きな人と10代のうちから同棲出来るなんて、普通の人は体験出来ないことだと思ってたし、おかげで慎ましやかな幸せってやつが良く分かったしね。いきなり、20年後に来たのに、それを変だとも思わなかった。私の保護者をちゃんとしてくれた。それに、もっとひどいことだって出来たはずなのに、ずっと優しくしてくれた。時々、彼女だって認めてくれた。それだけでも、私が生きる活力に出来たんだよ。」

「愛されてるわね、あなた。そのおかげかも知れないけど、この娘は、その気になれば、一人で生きていける。それに、一人暮らし、一人で生活出来る場所が欲しいともいい始めた。もっと甘えてもいい年齢なのに、やりたいことは自分でやらないと気がすまない。そうじゃない?」

「言われてみれば、そうかもしれない。でも、お金の援助はしてもらってるよ?」

「奨学生制度を使えば、って思ったときもあるけど、あなたは私なのよね。だから、私に投資すると思えば、今までの貯金を切り崩して、あなたにお金を出すことは出来る。どこかのカード会社のCMじゃないけど、あなたが今培っている感性と、満足感を得ることは、今しか出来ない。ごめんなさい、親として出来るのは、資金援助ぐらいなものなのよ。」

「でも、おねえちゃんのおかげで、私は大学に通えてるし、留学もさせてもらえた。私は、幸せ者なんだよ。」

「そうねぇ。おまけに、情けないとはいえ、彼氏とも同棲も出来てるしね。」

「情けないのはその通りなんだけどね。しかし、恋人という関係だったとして、4年も続いてるんだよね。」

「クリスマスケーキ、一生見たくないって言ってたのも、まだ4年しか経ってないんだね。もっと、ずっといっしょにいるような気がしてる。」

「まあ、毎日顔をあわせて生活するってことは、あまり関係性を重視しないからね。僕は、こんなに素敵な奥様がいるのに、君との生活も続けている。関係性を重視しないから、三人で暮らしている。これが、どんなにモラルを欠いているか、分かった上でそうしている弱さに、辟易する。」

「あなたのその弱さのおかげで、私達は三人で暮らしているんじゃないの。それに、あなたがもっと浮気性だったら色々考えるけど、私達しか愛せないようになってるでしょ?私達も確信犯よ。そうやって、楽しく生きていくことが出来るなら、それが何よりよ。」

「毎日プレゼントをもらっているようなものなんだよ。情けないけど、頼れる優しい人といっしょに暮らしてる。弱いことだって知ってる。でも、弱いことって、そんなに悪いことじゃないと思うよ。私も、ずっと不安。だけど、三人でいると、不安だと感じなくなる。おねえちゃんも、私も、常に不安を抱えてるけど、三人でいるときは、不安じゃなくなってると思う。私達、みんな弱いから、三人で暮らしてるんだよ。」


僕は、奥様と目を合わせた。もう、話してもいいころだと思った。

「家族として、思う優しさ。この時代で暮らすようになって、それを身に着けたのよね。でも、それはそれ。やっぱり、あなたには、個人のスペースを与えてあげないと、この先、絶対に行き詰まると思うのよ。」

「君は責任感も強いし、素直だけど、誰かといる生活ばかりで、知らないうちに一人の時間を過ごせてないんじゃないかな。僕らに相談してくれるのはうれしいし、君が楽しそうに日々の話をしてくれるのも、僕らは楽しみにしてる。だけど、手の掛からない娘にしてしまったことに、後悔はあるんだ。僕の都合で、そうさせてしまったこと、すごく悔やんでいる。でね、先送りにしてたけど、少し広い部屋に引っ越しをしようって考えてるんだ。」

「えっ、このままでもいいよ。楽しいじゃん。」

「私達も楽しいけど、おじさんとおばさんは別にプライバシーがなくても、あなたには、多少のプライバシーを持っていいと思うのよ。今の生活、私達と生活してる以外の時間で、移動時間か、自習でもしてる時間ぐらいしか、あなたが一人になれる時間はない。もちろん、あなたがそれを嫌がる気持ちも分かる。でも、一人暮らしをしたいと思い始めたということは、どこかで一人の時間が自由に欲しいのかなと思ったのよ。」

「僕らが君にあげられるプレゼントがあるとすれば、もうそれぐらいしかないと思ってる。君個人のスペースを持って、自分の好きなことをしてもいいんだ。もちろん、ドアを開ければ、僕らがいる。意外に、ドア1枚あるだけで、気持ちも変わってくるものなんだよ。」

「そっか。私の部屋かぁ。20年前の私は、自分の部屋で生活してたのに、気づいたら一緒に暮らすことに慣れすぎてるのかな。」

「僕の責任だよ。思春期の娘に、自室を用意してあげられなかったことは、やっぱり後悔してるんだよ。気にしてないふりをしてたけど、君も異性、しかもおじさんと一緒に暮らすことに、どこか居心地の悪さはあったんじゃない?」

「そんなことないよ。それどころか、私のわがままも聞いてくれたし、逆に聞かれたくない声は、聞こえないふりをしてくれたから、そう思わなかったよ。」

「聞かれたくない声か。聞こえないふりというより、聞こえなかったけどね。それはともかくとして、若いうちは、一人でアレコレ考えたり、調べたり、試したりする場所を持っていたほうが、後々の経験で活きることが多い。ブレインストーミングしろって言ってるわけじゃないけど、悪い例と良い例がこの家族にはある。でも、自分にとって、どちらが正しいのかは、自分で考えなきゃいけないと思う。考えた上で、誰かに答えを求めるならいいと思うけど、今はそれを考える場所が限られる。それは良くないと思うんだ。」

「あなたを責めるわけじゃないんだけど、素直でいい娘になってくれたのはうれしい。でも、素直でいい娘が、本当に今の社会で生き抜けるのか?と言われると、私達はそう思えなかったのよ。きっと、考える時間も、場所も、あなたには今までなかったから、そういうことを思わなかったのかもしれない。留学に行って、帰ってきて一人暮らししてみたいと言った時に、その自覚があるのかなと思ったのよ。でも、いきなり一人暮らしをさせるのは、親としてちょっと怖い。だから、この先の2年で、リハーサルみたいなもの、一人で過ごす時間を増やしてみて、あなたが大学を卒業した時に、このまま三人で暮らすのか、それとも一人暮らしを始めるのか、あらためて考えて欲しいのよ。」

「私だけ、そんな特別なことをしてもらっていいの?」

「今の君だから、だよ。君が致命的に弱いところが一つある。素直なところだ。彼女も言っているけど、素直でいい娘なのは、親としての目線でいいと思うだけ。でも、君を大人として見た場合、したたかさよりはあどけなさが勝っている。それが君の魅力だと思うけど、前にも話したかもしれないように、ある程度、生きるためのずる賢さは身に着けるべきだと、僕らは思った。嫌な世の中だけど、一人暮らしをする上で、ずる賢さは必要なことだと思う。」

「私は、自分ではずるい女の子だと思ってるけど、そうじゃないのかな?」

「あなたがずるい女だとしたら、その身体じゃないの。考え方は、ちょっと危うい。あり得ないとは思うけど、ホイホイとスカウトに連れて行かれて、AVデビューしててもおかしくないもの。それも、私達のためにデビューしちゃうとかね。気持ちはうれしいけど、それは違う。」

「君が見据えるゴールへ行くために、アダルトビデオに出るなら、それは止めない。僕は、きらびやかな世界で輝いている君も見てみたい気はする。でも、君の性格からして、それは似合わないと思ってる。前にこの人が言ったけど、必要なときに、必要なことが出来るようになる。そのために色々なことを調べて、考える。その作業に、僕らと共有する空間、もっと言えば誰かと共有する空間は、ふさわしくないと思ってる。僕も、この人も、同じことを準備していた時期は、一人で暮らしていた。自然と身についたことが、今の君にはおそらく欠けていると思ってる。素直なのはいいし、それが君の人柄の良さだけど、そこにつけ込まれる隙を与えてはいけない。それは、僕らじゃ教えることが出来ない。」

「でも、それって自分の部屋を持つことと、あまり関係ないんじゃない?」

「直接的にはないわね。でも、なんと言えばいいのかな。あなたにも、一つや二つ、隠し事があると思うし、今は難しいかもしれないけど、もっと自分のこと、来年になれば就職活動もしなきゃいけないし、2年後には大学を卒業して社会人になっている。そういうことを相談出来る場所があるけど、一人で考えるときに、毎回騒がしいファミレスに行って考えたり、カフェに行って考えたり、それで考えがまとまることはないのよ。考えることも大事だけど、そこでなにかを得られるかどうかのほうが、もっと大事。それを、どんな時間であっても考えられるスペース、答えを出すスペース、その段階に、あなたは成長したってことよ。そりゃぁ、今の生活は楽しいわよ。私達は楽しいだけでいいけど、あなたは前からもう大人の考え方なのに、気持ちは無邪気な子供のまま。さっき言った通り、すごく危ういのよ。自立出来るように見えて、自立していない。あんまり考えたくはないけど、私達がいなくなっても、あなたは強い気持ちを持って、生きていける?」

「そんなの、今の私には出来ないよ。考えたくもないよ。」

「優しい娘なんだね。そして、僕らをちゃんと親として見てくれてる。その気持ちは大事にして欲しいけど、極端な例として、その可能性はゼロではない。だから、君がどんな人間になってもいいから、自分で生きていく道筋をしっかり考えて欲しいんだ。それを考えるための、君だけの部屋。考え方が変わって、僕らを利用したり、僕らを欺いたり、それでも君が生きていけるなら、僕はいいと思ってる。」

「あなたは嫌がるかもしれないけど、すねをかじれるうちは、しっかりかじっておきなさいってことなのよ。それぐらい、私達は、あなたに色々教えてもらった。そして、これからも色々教わることになる。親っぽくない二人が、親らしいことをしてあげると言ってるんだから、素直に甘えちゃえ。」

「...二人の負担にならない?私がさみしくなったら、二人は今まで通り、受け入れてくれる?」

「負担は...うん、私はあるわよ。でもね、あなたが今までしてきたことに、そもそも無理があったのよ。無理した分、私は今まで通り、経済的な支援はしてあげるつもり。で、恋人さんは何をしてあげられるの?」

「僕は...う~ん、一緒に考えてあげる。僕には経済的な支援は難しいけど、一緒に色々なことは考えられる。それと、恋人らしいことかな。今まで通り、色々連れ回してくれていい。」

「そっか。でも、部屋にこもる時間は、少ないかもしれないけど、いいの?」

「なんなら、別に悶々とした時だけ、その部屋を使っても、私は怒らないわよ。あなたの気が済むなら、それでいい。ま、最初はそんなものだったじゃない。自分の部屋って。」

「確かにね。僕は部屋がなくてさ、ドラえもんみたいに押入れで寝てた時があったけど、ああいう時代を体験出来たから、自分の部屋が出来た時は、すごく嬉しかったよ。」

「ああ、それで深夜ラジオにハマって、学校で寝てたわけだ。自由って、自立するようなところがあるものね。」

「一人暮らしを始めて、最初のゴールデンウィークだったかな。なんか、自分の家に帰ったのに、ちょっとソワソワしちゃってさ。」

「私は今でもソワソワするわよ。一人暮らしを始めてから、あなたの実家と同じぐらいしか帰ってないわよ。」

「ま、場所は確保したほうがいいよ。それに、不満ではないけど、未だに僕はクローゼットもないし、着替えもリビングでしなきゃいけないのは、どうかと思ってね。」

「そうは言っても、私の着替えを覗いているじゃないの。」

「そりゃそうだろ、寝室が、二人のクローゼット代わりになってるんだし。僕がそこで寝てるのだって、本当はどうかと思ってるよ。」

最初は良かったけど、確かに、毎朝自分の奥様の着替えが見えるところで寝てるのは、やっぱり良くないと思う。もっと狭い部屋ならともかくとして、この部屋だったら、リビングで毎日布団を敷いて寝るのが、僕は正解だと思う。二人の気持ちを利用して、いい思いをしているだけなんだよ。変態と言われ続けてるけど、この環境自体、おかしいんだ。


「ねぇ、もしかして、三人で一緒に寝るのは、やめちゃうの?」

ふと、キングサイズベッドをどうやって移動させるべきなのかを考えてしまった。解体出来るんだっけかな?

「それは、そうなったときに考えればいいじゃない。一応、ここの更新が半年切ってるし、提案程度に話してるのよ。部屋云々は、私達から、あなたへのプレゼントって言ったらいいのかしら。でも、期限は付ける。もし引っ越すとして。予定では、6~7月あたりに引っ越そうと思ってるのよ。だから、来年の4月ぐらいには決めて欲しい。」

「えっ、でも、それって一度部屋を更新するってことじゃないの?」

「ああ、その話。引っ越し業者に払う料金より、更新料のほうが安いのよ。3月なんて、引っ越しのピークじゃない。6月ぐらいまで経てば、3月の6割ぐらいで出来る日もある。前回は色々ドタバタして、結局そっちの引っ越し代も出したけど、今回は私の仕事の問題ね。今もだけど、不定休みたいになってるのよ。まあ、土日いないから、知ってると思うけど。」

「それって、残業とか、休日出勤みたいなもの?」

「ちょっと違うけど、あなたが気にしなくていいわ。仕事が落ち着くだろうというのが6月ぐらい。そこまでは、アルコールの量が増えるわよ。」

「それは私がコントロールするけど。」

「問題は部屋探しと、家計を圧迫しない程度の家賃だね。僕はその他の手続きをするから、そこは心配しないでいいよ。ここで引き続き暮らすならそれでもいいし、寝る時は一緒でも、個々の部屋を持てるぐらいの部屋を借りるのもいい。だけど、引っ越すなら、君の部屋は必ず用意する。そこだけは譲れない条件だよ。」

「あ、それともう一つ。この近辺で部屋は探す。この辺は、ある意味で不便だけど、利便性に関してはすごくいい。あなたが羨ましいわよ、この辺に10年も住んでて。」

「いや、それは昔の仕事のせいだから。日帰り出張で全国に行く場合、羽田空港と東京駅が近くないと、アウトだったし。前乗りは自腹だったからね。」

「オトーサン、ブラック企業にいた時あったんだ。でも、そのおかげでこの辺に住めたのは、ラッキーだったね。」

「ま、田端は勝手知ったるなんとやらってやつだね。君も、もう4年ここで住んで、アルバイトもしてるんだから、今更遠くに引っ越すのも面倒だよ。」

「うん、わかった。二人を差し置いて、自分の部屋が必要なのか、3ヶ月ぐらい考えてみるよ。」


「あの、引っ越すなら、もう一つ考えていい?」

「あら、早速条件を付けるの?まだ、部屋を探してないから、別に大丈夫よ。」

「じゃあ、三人で入れるお風呂が欲しい。」

「えっ、僕は入れなくてもいいじゃない。それに、お邪魔じゃない?」

「う~ん、でも、今日みたいな日は、三人でお風呂に入ったほうが、一緒にいられるよ?」

「そういうところが無邪気なのよねぇ。この人に手を出されてもいいの?」

「別に。だって、今日も一緒に入りたかったぐらいだし。」

「はぁ~。困ったわね。自宅はラブホじゃないのよ。そんなに広いお風呂、あるわけないでしょ?」

「探してみようよ。そうしたら、オトーサンの不安、少しは紛れるでしょ?」

「あの、僕のためにしてくれるのはうれしいけど、それはさすがにいらないでしょ?」

「ダメ。それは私が譲らない。家にいる時は、一緒がいいの。」

「...アンタには気持ちで負けそう。こういう時、妻であることが、理性のある証拠なのよねぇ。恋人心理なら、そうなるのかしらね。」



そういうわけで、娘へのプレゼントと称した、引っ越しの検討が始まった。前々から考えてたとは言え、すべてを娘に委ねる。僕らが両親代わりだから出来ること。

本心を言えば、僕らはこの娘の将来を守れるわけでもないだろうし、着実に老いが迫ってきている。まだ、僕らが気持ちでなんとか出来る年齢のうちに、無邪気な娘から、少ししたたかな女性へなって欲しい。口に出しているけど、そうでもしないと、この娘は気づかないままだと思う。娘という目線を捨てて欲しかった。でも、本人は、本当に僕らと一緒に生活することが、今のすべてになっているのかもしれない。僕との関係だって、きっとそうなのだろう。この娘は、今でもこの時代で、居場所を探したままなのかもしれない。ダメだ、深読みしてもいいことはないね。


君がどんな答えを出すのか、僕らは少し楽しみにしている。僕は、この壊れた貞操関係を、正常に戻してあげたいんだけどなぁ。




つづく

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