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Life 106.5 私は恵まれた人間関係を築いていた

コイツも落ち着いて、私達の話は、やっぱり会社の話になっていく。

生活よりも仕事になっちゃうのよね。同僚だから仕方ないか。


「ところで、センパイ。私はどういう立場になるんでしょうね?」

「アンタと部署が違うし、立場上は係長クラスなんだっけ?あの部長職って。」

「ベース給は例年通りでしたけど、役職手当ってそんなに付くんだって、最初は恐怖を感じましたからね。」

「言う事聞かない連中の相手をするのが仕事だけどねぇ。一応、次の定例査定の時に、社長と監査には、ちょっとだけ告げ口しておいてあげる。あなたには責任はないってね。」

「でも、そうなると、降格処分ってことになるんですかね?それもモチベーションだだ下がりになってしまいます。」

「アンタの扱いは、総務からも離れてる分、引っ張ることは出来るんだけど、残念ながらアンタの所属は、未だに総務部なのよね。組織図を見て驚いたわよ。てっきりIT推進部ってのは、秘書課とか、社長直属のチームだと思ってたから。」

「あの子の件もありましたしね。私は総務部だとは思っていないですけど、総務部の管轄なのだから、仕方がないとしか言いようがないですもんね。」

「でも、先輩が人事部に来たら、例の計画、少し進むと思うんですけど。」

「なにそれ?私じゃないと出来ないようなこと?」

「あ~、うん、ちょっと事情があるんだけどね、この子に対して、嘱託社員は概ね孫みたいに可愛がってくれるのだけど、その分、仕事が進まないのよ。伝票をおこすのだって、カーボン紙に手書きのほうが圧倒的に速い。でも、グループウェアを入れてる時点で、ほぼ役割は終わってしまって、経費精算の確認ぐらいしか仕事がないのよ。」

「いくらか残ってる、嘱託社員や、問題行動の多い、優秀な社員の扱いに関してですか?」

「アンタが知ってるということは、対象者は戦々恐々としてるか、あるいは自分が該当ではないと思ってるかの二択ね。まあ、それはこちらで色々考えることだからいいのだけど、人事部は、今いびつな年齢分布なのは知ってる?」

「若手と、センパイに部長補佐、それと嘱託社員の3世代ですかね。」

「本来なら配属されていたであろう30代と50代の人間が、現状いない状態なのよ。今年は、新卒が営業部に4人、人事部に一人。去年は総務部に彼女が入り、あと監査と秘書課に一人ずつ、研修扱いで新卒を入れていたはず。対して、問題行動の多い社員は、大半が50代だったから、温情で早期退職させたわけよね。30代が少ないのは、私達就職氷河期世代からしばらく採用がなかったからで、今となっては、採用再開後で残ってる人間って、アンタの同期数人ぐらいなのよ。」

「随分大胆なことをしましたよね。人件費と接待費の削減、将来問題をおこすであろうにコンプライアンスに問題のある人間をすべて切ったわけですもんね。」

「結果、この子のように萎縮しちゃってる20代の社員と、どうしても業務上必要な嘱託社員を残しておかないと、こと人事部に関しては切り盛り出来ないってわけ。まあ、補佐がいなくなった時点で、人事部は機能しなくなるとは思うけどね。」

「でも、いいの?直接君が手を下すわけじゃないにしろ、君を可愛がってくれる人たちが、会社を去るってことになるんだよ?」

「そうしないと、私達は仕事の範囲を広げられないと考えています。今は先輩と部長補佐が面倒を見つつ、どこかで業務の引き継ぎを行うタイミングを見つけているんです。恩は感じますけど、私は先輩についていくと決めたんです。だから、寂しいですけど、会社の決定には従います。」

「優しい子なのよ。でも、自分の置かれている立場もきちんと分かる。あの子はあの子で、出来ることは片っ端から全てやっていってしまうから、補佐にはあえて仕事量を抑えてもらって、定時で帰らせるようにしているの。総務部の最後の頃、あの子だけ残って仕事してたって聞いたからね。」

「総務部を腑抜けさせた新卒社員は伊達じゃなかったということですよ。近い将来、彼女は人事部の中核か、人事部長まで20代で上り詰める可能性だってあると思いますよ。」

「末恐ろしい子よね。7~80%で、すでに人事部の事務処理を掌握してるんだから。でも、そのおかげで、他のメンバーは自分の仕事に専念出来たし、理解を深められた。結果的に良かったと思うのだけど、そこで一つ問題になってくるのが、私と補佐の二人が抜けた時に、舵取りを誰がやるかなのよ。で、ここからはこの場のノリだけで話してると思ってね。私は、アンタを人事に引っ張ってこようかと思ってるの。もう一人、目星を付けている人間が営業にいるんだけど、営業事務も兼任してるから、引き抜くには、何より営業部からの反感を買うことになる。社長がそれを許さないから、それならば社長に気に入られてるアンタならどうかって、定例会議で交渉してる。うちの旦那があの時に言ってたけど、幅広く人材を登用するだけの時間がない以上、IT絡みの大枠をシステム会社に伝えたうえで、外部の人間をまずは常駐させて、その下で来年の新卒を配属させて、後々は内製化していく方向にはしたいのよ。だから、もしアンタを引き抜く場合は、まず上半期で確実に失敗するであろう推進室の計画が頓挫した上で、下半期の推進室は、外部ベンダーとの来季の打ち合わせに時間を使う。そのために、推進室にうちの社員も入れておいたわけよ。ベンダーコントロールはそいつらにまかせて、アンタを今期限りで推進室から人事部に引き抜いて、いきなり係長クラスに据えようとしている。」

「いやいやいや、私だって人事のこと、何も知りませんよ?」

「待遇の話よ。役職手当だけで、肩書は平になると思う。ただ、アンタが人事部の仕事を覚えることとともに、下の子をまとめる仕事をして欲しいのよ。」

「その話の実現性って、どれぐらいの確率ですか?」

「今のところ、IT推進部の進捗状況で左右されるとしか。でも、アンタの話を聞く限り、未だに草案がまとまらない。今が7月で、少なくとも9月の3週目ぐらいまでそれがスケジュールまで完成していないといけない。そこまで出来そう?」

「私は無理だと思ってます。人のせいにするのは簡単だと思うんですけど、素人の私が半年で得た知識でも、ほぼ破綻していると思える計画案ばかりですから、形になるとは思えないです。まして、その先を形にするとして、あと5年とか時間があれば別ですけど、既存のインフラから移行するほど、仕掛けが出来てないんですよね。IT推進部の役割は、時限制の社内IT化で、すでにグループウェアやファイルサーバー、ドメイン管理まで社内で出来る状態から、プラスアルファして、ペーパーレス化やリモートアクセスによる営業効率化などをメインとしているプロジェクトですし、その実証実験をセンパイがしてくれたおかげで、今年の新卒から、主に営業部にはペーパーレス化から進めている最中ですしね。そんな中で、サーバー室を空にするような計画をするんであれば、そろそろ草案が出てくるわけですよ。でも、私を無視して遊んでるんだから、もうどうでもいいですよ。」

「難しいことを言うようになったわね。」

「センパイの旦那さんに鍛えられましたから。まとめただけと言ってましたけど、何がどういう役割をしているかを解説した上で、こういうことをするのがベストだという、営業資料の詳細版みたいなものでしたからね。ベンダーさんが強引にまとめたと言いますけど、ベンダーさんが納得したから、水面下で運用が続いてるんです。」

「本当にひみつ道具でも使ってるんですかね?」

「彼に秘密はないの。ただ、見えている景色が違う時があるのよ。私が、彼に惹かれ、好きでいられるのは、彼と同じ景色を見るため。AとBしかない状態で、Cという選択肢が見えて、それを実現可能にする力を、15歳の時に、すでに身に着けていた。あとは、恐ろしいまでの探究心と、その探究心が無償であること。そこに利益が絡むと、途端にやらなくなってしまう。社会不適合者である理由はそこなの。だから、あなたがドラえもんと言ったとき、なんとなく納得が行ったのよ。ドラえもんも、のび太のお願いはほぼ無償で聞いて、ひみつ道具を出してくれる。問題はのび太の道具の使い方。のび太が利益を生もうとすれば、だいたい失敗する。誰かのために使えば、いい方向になる。」

「先輩の旦那さんは、世渡りの才能はありそうですけどね。」

「周りにはそう見える。利益の絡む話は、たとえ自分にメリットがあろうとも、好きではない。だけど、相手の弱みが分かると、確信犯的にずっとその点を攻め続ける。その弱みは、彼にしか見えない事が多い。相反する考え方が共存してるから、自ずと自分から壊れてしまうのだと、私は思ってるのよ。」

「それでいて、あれだけ穏やかな笑顔が出来るんですね。適切な言葉ではないですけど、それってサイコパスに近いです。」

「その例えは合ってるわ。あなた達は知ってるか分からないけど、原作のドラえもんの話って、その回ごとにドラえもんの性格が違うことが多いのよ。世間一般のドラえもんのイメージは、保護者であったり、いたずら仲間だったりする。のび太を甘やかすという点では一致するけど、原作では馬鹿にしたり、苦言を呈したり、挙げ句自分が問題を引き起こすことすらあるの。あの人は、あらゆる感情が先鋭化してるように思えるから、穏やかで優しい時は、物静かに笑うような人。ひとたび怯えると、それが極限まで膨らみ、自分の感情をコントロール出来なくなって、負の感情、相手に手を挙げることはしないにしろ、世の中の負を、自分自身で背負うような思いになってしまって、それが体を支配してしまうの。」

「そっか、センパイのリモートワーク設定って、相当無理な状態で構築したってことなんですね。」

「不思議よね。あの時も、仕事ではなく、私を助けるために動いてくれた。あの資料も、自分が理解するために作っただけとも言っている。あの時の彼は、怯え、震え続けてるのに、やることがはっきりしてるから、出来てしまった。終われば、私に弱音を吐く子供に戻ってた。私も、どうしていいか分からなかったのよね。」

「......。」

「なんか、すみません。」

「あ、いいのよ。今は彼を知ったあとだから、いくらでも解決出来る。それより、この前も言った通り、会社としてNGなのもそうなんだけど、外部コンサルタントと肩書がついた瞬間に、あの人は断ると思うの。そういう事情があって、私はどうしても、彼を守る選択しか出来ない。アンタを見放すことはしないけど、彼が助けてくれることは、もうないと思って欲しい。」

「ま、それを改善するために作られたのがIT推進部で、本来考えなくていいようなことを勝手にやってる人たちですから、もう旦那さんに負担は掛けさせませんよ。どっちにしろ、センパイの言ってるシナリオにするためには、計画の草案が出来ないことが条件ですし、出来ても出来なくても、会社のためにはなりますよ。」

「失敗濃厚だから、一時的にしろ、アンタの社内評価は下がることになる。事情を知っている人間はまだ少ないから、残った時間で、私達と社長で、できるだけの根回しはしておくけど、失敗することを前提に、この前彼が口頭ベースで話した内容を、回避案としてまとめて欲しい。こんな指示を私から出すのはおかしいのだけど、一度、危機的状況になるのはほぼ間違いないから、社内の人間だけで進めておいてもらえると助かる。」

「センパイと、こんな駆け引きのような会話をする日が来るとは思ってなかったですよ。」

「私も、アンタにこんなことをお願いしたくなかった。でも、それが会社ってものよね。残念だけど、私達の生活のためよ。」

「ま、会社からのご祝儀は、半年もらえたと考えておきます。」

「ごめんなさい。ぬか喜びさせちゃったわよね。」

「本当ですよ。うちの旦那の義両親が、旦那を責めちゃって、まだ大変なんですから。」

「困ったものね。世間体ってものを守る必要なんて、今の時代にはないと思うけど、メンツだという世界もまだまだ多いしね。」


「あの、先輩。そうなると、私達は初めて、4人揃って同じ部署にいることになるんですよね。」

「まだ1年近く先だし、打診のレベルだから確定ではないわよ。でも、言われてみると、私達は4人揃って同じ部署にいることはなかったのよね。」

「新卒で入ってきて、総務部の仕事を根こそぎ押し付けられて、それをこなしてしまった子がいますからね。実質、彼女は私と違う業務になってましたし。」

「アンタの直属の部下で良かったわよ。そのおかげで、人事部に引き抜けたし、今の人事部はあの子がいるだけで、書類関係はほぼ任せられる。既存の部員は、より専門的な業務に振替出来るし、多分彼女なら、どの業務であっても、そつなくこなすと思える。」

「本当ですよね。見てて、カッコいいんですよ。テキパキ以上の言葉ってありますか?擬音で表し難い処理速度ですよ。」

「あなたも、本当は追いつけるぐらいにならなきゃダメだけど、見てるだけで、自分ではどう頑張っても、ああいうことは出来ないと分かってしまうのよね。自信喪失してない?」

「いえ、さっき先輩が言った通り、私は安心して、他の業務を覚えていけるんです。彼女、無理しないで欲しい。」

「あ、そうそう。そう言えば、アンタの結婚式の時、娘と彼女がいなくなったじゃない。実は、一緒にいたのよ。」

「挨拶もそこそこに、いつの間にかいなくなってましたからね。怒ることでもないし、彼女の都合もあったのだと思ってたんですけど、まさかね。」

「......なんか、その二人、ちょっと似てません?」

「う~ん、それを言うと、彼女とセンパイのほうが似てるかも。」

「いやいや、私とあの子を比較するなんて、おこがましいわよ。あの子はずっと高いところまでいける子よ。うちの会社を捨ててね。」

「それは言わないほうがいいですけど...、う~ん、確かに、君が言わんとしてること、すごく分かるんだよね。」

「そう思いますよね。なんと言ったらいいんでしょうかね。あの感じ。」

「センパイの娘さんに似てるとすれば、センパイと似てる。でも、センパイとはちょっと違う。」

「どうせガサツで口汚い小娘よ。悪かったわね。」

「そんな自虐的なこと言わないでください。でも、もしですよ、彼女が先輩と同じミディアムボブにしたら、後ろ姿はそっくりだと思うんですよね。」

「あ、確かに。ということは、ロングヘアーにしてるセンパイの娘さんとも、似てるってことになりますよね。」

「わが娘ながら、あんなにいやらしい娘よ?清楚の極限にいそうな彼女とは大違いじゃない。」

「いやらしいって...。メリハリボディって言ってあげてくださいよ。自分の娘でしょ?」

イマイチ納得がいかない。あの娘と、彼女が似ている?どこか?実は彼女、あんなに凛々しい立ち振舞が出来て、メリハリボディだったらどうしよう。そこまでくれば、少しは似てるとも思えるけどなぁ。今日、当人がいないことが救い?

「どうして一緒にいたんですか?」

「娘から聞いた限り、同世代で話せる人が欲しかったみたい。去年の新卒って、女性は彼女だけだったじゃない。他の男性はみんな営業部に配属されちゃったし、私達三人も、同世代とは言えないもんね。でも、娘は知っての通り、年齢こそほぼ同じだけど、大学生なのよね。」

「あれ、彼女って、お付き合いしてる人がいるって。」

「それ絡みなのかしら。あの娘にアドバイスを求めても、何もいい意見はでてこない気がするわ。」

「入社直後の私みたいに、あの子も不安を抱えてるんじゃないですか。なんでも出来るゆえの悩みというのも、あると思います。」

「あなたは本当に今でこそ、だもんね。でさ、あの時、私、みんなに迷惑掛けちゃったじゃない。」

「旦那さんがずっと苦笑いして、ホテルがすぐそこなのに、タクシー捕まえてましたもんね。」

「えっ、本当に?全然覚えてない。」

「だから言ったじゃないですか。あの時の旦那さん、二次会はずっとハラハラしながら見てましたよ。」

「......マジモンの失態じゃないの。本当にごめんなさい。アンタの晴れの舞台だったのに。」

「いや、二次会は別に晴れの舞台じゃないです。で、それからセンパイはどうしたんですか?」

「彼とホテルに泊まったわ。それはいいんだけど、彼女も終電が無くなっちゃって、娘と同室で一泊したのよ。」

「どれだけ意気投合してるんですかね。想像がつかないんですが。」

「彼女、ポーカーフェイスですけど、人付き合いは悪くないですし、先輩の家族だったからですよね。」

「明けて次の日、ホテルのロビーで二人を待ってたら、明らかに寝起きの二人が派手な格好で出てきてね。ちょっと驚いたのよ。」

「30分前には出社するような子ですよ?」

「よほど楽しかったんですね。いいなぁ。羨ましい。」

「それだけじゃない。あの子、私達と笑顔で会話してるの。あんなにキリッとした子が、柔らかい笑顔で話してるのよ。」

「えええええええええええ、写真、写真とかないんですか?」

「そんなもの撮ってるわけないじゃない。それがね、恐ろしくキレイな笑顔なのよ。」

「...私達、まだ打ち解けてないんですかね。ちょっと寂しいです。」

「あの夜、あの娘達が何を話して、なんでそういう空気になったのか分からないけど、娘には完全に心を許しているみたいね。LINEで頻繁にやり取りしてるみたいだし。」

「それって、センパイの娘さんがすごいですよ。まあ、同僚と友人の差はあると思いますけど。」

「娘さんと先輩がそっくりだから、親しみやすかったってことですよ。」

「そうなのかしらねぇ。ま、そういうわけで、旦那含め、とんでもないものを見せてもらったわ。」

「彼女が打ち解けてくれる、あるいは歩み寄ってくることって、私達にはあるんですかね?」

「少なくとも私には見せてるわけだし、そのうち彼女が自然に見せるんじゃない?それに、二人も知ってると思うけど、ちょっと言葉遣いが変わってきてるのよ。そうやって、彼女も打ち解けようと努力してる。私に言葉遣いを教えて欲しいって聞いてきた時には、不思議なことを言うなと思ったけど、真面目に言うんだもん。無視出来ないわよ。」


「センパイ、愛想良くなった彼女とか、もう誰も敵いませんよ。」

「それを恐れているの。さっきも少し漏らしてしまったけど、本音を言えば、うちの会社にはもったいない人材だと思うの。才色兼備で、愛想まで手に入れたら、きっと私のように使われてしまう。私は年齢的に若く見られるし、あしらい方も分かるから別にいい。それに、私は人事部を離れることになって、秘書課あたりに落ち着くと思うのよ。」

「それが彼女に、どう影響するんですか?」

「昭和的な発想で申し訳ないけど、私が広告塔になってる現状は、会社にとって、ジェンダーやコンプライアンス的な危うさを持っている。私の収入や、アンタのご祝儀となって還元されてるから、私は仕事として割り切っているけど、人事部の仕事を最小限に留めてもらい、人事部としては上っ面だけ。じゃあ、私の主な仕事は何かというと、端的に言えば、客寄せパンダと、接待要員なのよ。自分で仕事が出来る人間だとは思っていないけど、人事部長という肩書を持たされただけで、実態はほぼ備品係と変わっていない。むしろ、外での仕事が増え、さらに私にはリモートワークが許されている。さすがに家に帰ってまでパソコンを開くことはないけど、24時間365日、仕事しろって言ってるようなもんなのよ。」

「でも、人事部長の仕事もしっかりやってるじゃないですか。私にもメールで指示をくれますし。」

「あなたにはいつも迷惑を掛けてばっかりね。ごめんなさい。」

「それが私の仕事です。せめて、アシスタントぐらいはこなしますよ。」

「でも、この話を聞いて、あなたはどう思った?」

「本当に、私を採用してくれた会社とは思えないですね。私だったら、確実に拒否反応が出ますし、今日の相談すら、無意味になります。また、男性恐怖症に戻ってしまうかも。」

「正直に言ってくれてありがとう。救われるわ。仮に、このポスト、あの子が着任することになったら、フォロー出来る?」

「私はその前に阻止したいです。でも、きっとあの子は、引き受けてしまうと思います。」

「結果、彼女は、仕事の能力ではなく、容姿で評価される方向に行ってしまうということですね。センパイ。」

「彼女は人事部の中核を担い始めてる人材。私は、社長にワガママを言って、アンタに許可を取った上で、総務部と喧嘩して、あの子を引き抜いた。それが会社のためだと思った。でもあの子の前向きな変化が、会社の都合の良い人材になってしまったら、私は彼女と、親御様に顔向け出来ない。汚れ役を私が背負える期間はいいけど、社長の任期次第で、私のポストは部長補佐に交代する。そして私の居場所に変化が起きた時に、誰かがあの子を担ぎ出す可能性が高い。いっそ、役員には、次の社長に部長補佐を薦めたいぐらい。そうすれば、少なくとも今の社長が、私に託している仕事をなくすことが出来る。でも、あと10年は必要ね。」

「この前も話しましたけど、私達ってなんなんでしょうね?」

「私はまだ昭和生まれだから、少なくともこの仕事はやむなしだと思ってる。要求を突っぱねて、関係悪化しても、社長は特に咎めることはしないとはいえね。」

「センパイ、何か、心境の変化でもあったんですか?この前は高価査定してもらうって。」

「うん、少なからず、私の態度で、あなた達の生活を壊すことになるのは、やっぱり嫌なのよ。」

「でもセンパイ。それじゃあ、センパイは、やっぱり報われないですよ。」

「それも知ってる。でも、私の立場では、この子達の生活、私の家族の生活を守るのが、最優先なの。惨めで報われないし、女を安売りしなきゃいけないけど、それを一言断るだけで、あなた達のお給料が減るのは、絶対に避けなければいけない。管理職になったから芽生えた自覚よ。」

「ねぇ、センパイ。センパイは、遠くへ行ったりしないですよね?」

「アンタも子供じゃないのよ。会社が認めてるから、今の仕事がある。そこで必要な時だけ、責任を取りなさい。私は、アンタが会社にいるうちぐらいは、一緒にここで仕事をする。上司ではなく、違う部署の同僚としてね。心配しないでいいし、嫌なら寿退社しちゃえ。」

「うん、私、また明日から頑張ります。センパイ、よろしくお願いします。」


「今日は色々あったわね。アンタ、門限近いし、先に帰りなさい。私は、彼女を送るわ。」

「ごめんなさい、センパイ。私、甘えすぎちゃった。」

「アンタも、私の可愛い後輩よ。独り立ちしても、愚痴と相談にはのる。安心しなさいね。」

「ありがとうございます。じゃ、おやすみなさい、センパイ。」

「おやすみ。旦那さんによろしくね。」


「嫌な話、聞かせちゃったね。ごめん。」

「でも、会社の実情が知れて、私は良かったです。」

「私には、あなたと、あの子が両方必要なの。私が人事部長で、上層部に掛け合うわけだけど、社員の移動に伴う社内プロフィールをあなたには作成して欲しいの。履歴書みたいなものね。業務システムの中から、データ抽出をした上で、穴埋めしていってもらいたいのよ。その作業は、あなたを含めて数人しか出来ないようしてある。」

「それは、私がほぼ専任ということになるんですか?」

「お願いしようと思ってる。そろそろ、私のフォローと、場慣れも進んできたし、あなたはもう一つ上のステージでもやれる。あの子が、事務処理を掌握しつつあるうちに、いろいろな部署や、外部の人間との打ち合わせに参加してもらって、その人となりを理解するために、社員のデータベースを作る。そうして、2年先ぐらいには、一人でも交渉出来るようになりましょう。といっても、まずは私や補佐、人事部の先輩を見ながら、シミュレートしてみて。男性に慣れるのと同じで、空気感を味わうだけでいいからね。」

「...先輩、私の届かない人になっている気がしてます。まだ、そばにいさせてください。」

「確かにね、単なる閑職の係長が、今や会社の中枢にいて、広報を掛け持ちしてるようなものだし、おのずと接点が少なくなっていくわよね。」

「そんなの嫌なんです。せめて、平日は顔を見て、話がしたい。」

彼女は前向きに色々な障害を乗り越える力がある。けど、後ろに支えが必要で、その支えによって、力を発揮出来るタイプ。あの人と同じく、不安で実力が発揮出来ない人間か。私が、安心感を与える拠り所になってるというわけよね。トラウマを抱えて、なおさらその傾向が強くなってしまった。独り立ちするまでの面倒は見ても、その先は自分で進むしかない。彼女に、それが出来る?

「じゃあ、二人だけで、朝礼か、終礼をしましょう。LINEでビデオ通話するだけでも、あなたは落ち着くでしょ?」

「はい、嬉しいです。それだけで、私は頑張れます。」

「しかし、恋人みたいなことを言うのね。あ、娘でもいいけど。」

「娘にはなれません。でも、先輩がそう思ってくれることで、安心出来るんです。」

「まったく、可愛い後輩ね。それを男性に出来るようになれば、あなたは幸せにしてくれる相手を見つけられるわよ。その人が現れるまでは、私が代わりになるわ。」

言ってしまった。私は親でも姉でも、まして恋人でもない。それでも、私の目の届く人は、寄り添って、守っていく。あ~あ、そんな自覚は、家族だけに向けてたと思ったのに。私は、今になって、周りの人間に恵まれ始めたと思った。恵まれたと自覚した以上、放って置くことは出来ない。それも、幸せを感じるための、エッセンスなのだろう。

「...先輩?」

「あ、ごめんなさい。さ、明日もまた仕事だし、今日のことは、彼に相談しておくから。明日も可愛い顔を見せてね。」

「褒めなくても、出社ぐらいします。帰りましょう、先輩。」



「でさ、話はだいたい分かったけど、僕じゃ慣れにはならない気がするよ。分かってるのかな?」

「う~ん、そうなのよね。根本は男性恐怖症から来てるし、まずはそこからなのかしらね。ま、私も同行するし、この娘と同じで、とりあえず何回かお出かけしましょう。」

「そんなこと言っちゃって。おねえちゃんが一番楽しみにしてるよね?」

「この人が、私達以外の女性と仲良く話すシーンなんて想像出来ないもん。外面の良さと、ご自慢のトーク力で、どこまでカバー出来るのか、知りたくない?」

「またオトーサンが困る顔を見たいだけじゃん。いい大人なんだから、そういういたずらも、ほどほどにしてよ。」

「まあまあ、僕も知らない人じゃないし、協力はするよ。彼女が、それで前に進んでくれるなら、それで良しとしよう。」

そりゃ、この娘は不満よね。分かってたけど、私の取った対応は良くなかったと思う。それでも、彼女はこの娘ほど強くないから、助けてしまう。私は、一体何者なのだろう。二人を好きな気持ちは変わらないけど、私も二人に感化されて、きっと感情の揺さぶりが大きくなっている。みんなの姉?私はそんな人間なのだろうか?

「難しい顔してる。僕の悪い癖が移ってしまってる。あなたは、思ったことをやれば、うまくいく。そうだっただろう?」

「そうそう。おねえちゃんにはその顔は似合わないよ。オトーサンだけで十分。」

「そうやって、すぐ人のことを棚に上げる。君だって、そういう顔をするようになるんだから。」

「何かを思わないで、あっけらかんとしてるよりはいいでしょ?でも、オトーサンみたく、ちょっとしたことで無駄に考える必要もないんだって。」

「そうだね。良くない癖だ。」

「ねぇ、私は、このままでいいのかな?」

「え、またそれを聞くの。おねえちゃんはおねえちゃんなんだから、他人の幸せも大事だけど、自分が幸せじゃないと、他人は幸せに出来ないよ。」

「立派な答えだね。あなたは、彼女が幸せになって欲しいから、そういう話をしてきただけ。あなた自身が幸せじゃないと、その考えは出来ない。それでいいじゃない。」

「......うん、ありがとう。そうだよね、私が幸せじゃないと、二人も幸せじゃないよね。」

「悩むだけ悩んで、答えが出ることは少ない。僕がそうだったように、あなたの行動力と、人間としての魅力が、みんなを幸せにさせてくれる。意識しても出来ることじゃない。だから、あなたは、あなたの思うままに生活しよう。現に、僕らは幸せだよ。」

「うん、私...、やっぱり弱気になってる...。どうしてだろう...、こんなに周りに恵まれているのに。」

「不安に慣れていないのかもね。おねえちゃんの置かれた立場に私がいたら、絶対に不安だもん。周りに追いつかないスピードで、おねえちゃんは責任とか義務感とか、背負っちゃったんだよ。」

「僕が言える立場ではないけど、そんな弱気になった自分を見せられるんだ。それも勇気のいること。大丈夫、どんな時でも、僕らも、彼女たちも、君を助ける。頼りになるから、頼ってほしい。それで遠慮することがあれば、弱音を見せる勇気がないってこと。溜めれば、僕のようになってしまうし、勇気を出すことだって、僕らの関係には必要ないよ。」

「ごめんなさい、今だけ、二人の胸を貸して。」

見られたくない一心で、私は二人にしがみついて、下を向いた。君が言うとおり、涙を見せるのも、勇気がいること。私には、その勇気がない。見られたくないよ。

でも、君は優しく、私の頭を撫でてくれた。娘は、背中を擦ってくれた。私も、同じことをしていたんだよね。同じことが出来るのに、自分で忘れてた。

「おねえちゃんは頑張ってるし、私達の中心なんだから、もっと弱音を吐いて、その分だけ、普段はスッキリとカッコよくしてればいいんだよ。おねえちゃんはカッコいい、素敵な女性だよ。私の自慢のおねえちゃんで、お母さんなんだから。」

「うん、ありがとう。私に励まされて、私って本当に忘れっぽいね。二人共、そばにいてくれて、本当にありがとう。」




つづく

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