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Life 101 彼女も幸せになってほしい、これが親心?

「で、なんでアンタが部長になれたか、分かってる?」

「センパイのおかげですよ。詳しくないけど、ITシステム推進室部長という肩書ですよ。総務部の備品係は解体されちゃいましたけど、センパイが実証実験で3ヶ月以上、部長代理職をテレワークでこなしてくれたおかげです。あ、だけど、ご祝儀袋は薄くしないでくださいよ?」

彼女ももう33歳になるのか。相変わらず馴れ馴れしいけど、長年支え合ってきた同僚だったわけだし、閑職から、表舞台に来るってことが、今の会社の実情を表してるような気がする。


社長に啖呵を切ってから1年、晴れて私の肩書は、人事部の部長となった。前の部長と引き継ぐことがあったとすれば、それはただの接待と、取引先各社への挨拶回りだけだった。前にも話した通り、この部には、優秀な課長補佐がいる。事実上、彼によって人事部はコントロールされている。彼は私というハンデを背負い、人事部の仕事を動かしていく。まあ、性格が完璧な故に、スケジューリング能力が分単位なのが問題。毎朝のスケジュール表が細かいこと。お前は経路案内でも私に見せているのか?と突っ込みたくなるほどだ。だから、私が適度言い訳をするのが、朝一の仕事になっている。ただ、問題はそこではなかった。彼がコントロールをしないと、この部は仕事をしないのだ。嘱託社員やら、老害と言えばいいのだろうか、ここは会社の中枢を担うはずの部署であったが、誰一人として、自発的な行動を取ることがない。彼が若い頃はそうではなかったのかもしれないけど、会社の年齢層が上がるにつれて、おそらくは部長とともに、彼が支え始めたのだと思う。だから、今の人事部は、かなりいびつな年齢構成となっていて、部長と補佐が40代、私が引き抜いてきた人間も含んで20代は4人、そして嘱託社員が12人。事実上、部署は1/3で動き、残りはネットでも見ながら、事務作業をやっているような感じだった。

社長が私と人事面談をしてから2年、本来コストカットをしたい人間が、まだ12人もいる。そして、下の世代が育っていない。だから、まず去年、私が社長に啖呵を切った条件だった、備品係の20代の後輩を連れてきたことは、正解だったと言える。実は、可愛い顔をしてる割に、仕事を覚えるのも速く、更に私の事務作業のサポートもしてくれるようになった。適材適所とは良く言ったものだが、そんな彼女の笑顔を見てると、私の娘にしたくなる。何度も言ってるけど、彼女にはその気はない。パワハラだなこれ。

もともといた20代の男性も、ちょっと遠慮がちに仕事をしていたが、彼もこの1年で、部長補佐の指導の元、ノウハウを掴んでいった。それに、同世代の人間がいるということで、ちょっとした愚痴なども言い合える環境も作ってあげられた。やっぱり、一人で若い世代でいた事を、悩んでいたのだろうと思っている。

下地を作った上で、一番の問題であった部長の早期退職も出来た。外面はいいが、やはり男尊女卑な考え方の強い50代だった。平成一桁で入社しても、その時代の空気は昭和だったのだろう。バブルで羽振りのいい時代を新卒で経験してしまい、そのまま他社に引き抜かれずに、順当に部長職になった人。ウチの会社は、引き抜きの多い会社で、良い人材は外部流出するのが一般的だった。いびつな年齢構成になるのも仕方がないし、おまけに就職氷河期に人を雇わなかったことで、その時代の人間がいない。世代間格差が生まれ、バブル末期までに入社した人間と、就職氷河期を勝ち抜いた人間では、ベース給で2倍以上の差があったと聞いた時には、さすがに呆れるほかなかった。だから、嘱託社員が12人もいる。多少なりとも給料が低くなったとしても、私達のベース給以上にお金がもらえる環境だからなのだ。

で、私は社長に突きつけられた交換条件、つまりは、会社の顔となる代わりに、ある程度の人事裁量を認められるような交渉をした。去年の私は、休日出勤も50日ほど、まあ、だいたい就職や転職絡みのイベントでの採用窓口、それと、コンベンションがあれば、そこでのプレゼンターをすることになっていた。多分、私の旦那様が壊れてしまったのは、それが原因の一つだと思っている。しかし、そのおかげか、テレワークのせいで、客先を周り、カフェやレンタルオフィスで書類をつくり、会社に戻れば内部処理をするという状態になってしまっていた。手当が出るとはいえ、24時間働いているようなものだし、彼と娘には迷惑を掛けてばかりだ。でも、家計は潤うから、二人は文句を言わない。

幸い、こういう時に私の旦那様は、何をどうしたらいいのかと、我が社にアドバイスを出来るような人間だった。仕事があまりにも暇過ぎて、小規模なコンサルタントや業務導入手順などの書類も作ってくれた。それを、後輩である彼女が上手く説き伏せる、というより、契約しているIT企業のほうが歩み寄る形で、徐々にシステム化をしようという流れになってきていた。素人が20年で得たノウハウを、プロである企業に認めさせたことに、私の彼への、社会的評価は上がった。今年度の目標はペーパーレスだそうで、4月に入社した5人の新卒には、スマホにタブレットを貸与するほど。下の世代から、やり方を浸透させることで、言い方は悪いが、上の世代を追い出すような流れになっている。ま、そういうわけで、ITシステム推進室という部署が総務とは独立し、外部の人間や、転職者を束ねるということで、彼女が部長になってしまったというわけ。アイツ、なんか苦労してないように見えて、実は知らないことをメンバーに聞いて、時には業務を止めてまで、メンバー全員であーだこーだやってるところを目にする。それをなんとなくまとめてしまう技量が、あの子にはあるのよね。結婚も控えてるし、こっちにもいい刺激になっている。

で、今回晴れて新卒の子を一人、彼はムードメーカーと言ったらいいのだろうか。仕事を覚えることに苦労はしているようだけど、それでも知らないことを聞いて、自分で理解出来るまで、相手に説明を求める。結果、理解したあとに笑ってお礼をいうような子だから、相手もイヤとは言えないだろう。自分はなめないけど、教えてもらった相手には、どういうわけかアメを渡してくる。曰く、「俺に説明して疲れるでしょうから、糖分を補給してほしいんです」だって。気が回るのか、それとも自分ルールの人間なのか。

そして、私は宣言通り、あの子を引き抜くことに成功した。去年、アイツの元で働いていた、最後の備品係の彼女。実は、総務部とはトラブルに発展するほど、彼女の実務能力は突出していた。井の中の蛙なのかもしれないけど、少なくともこの会社では、私達には到底追いつけないぐらいの書類を作り、備品係として塩対応をし、その能力の高さに目をつけた総務部の他の社員が、仕事を押し付ける事態に発展した。しかし、それをすべてこなしてしまったのである。本人曰く「自分でやったほうが速いから」なのだ。そういうわけで、総務部は3ヶ月程度で、彼女の資料なしでは業務が出来ないほどになってしまい、そこから彼女の引き抜きにあって、今はその3ヶ月間に何があったかを把握する作業でいっぱいいっぱいなのだという。社長という後ろ盾があったとは言え、そのような状況になっていた総務部にも呆れたし、この子の能力の高さを持ってすれば、おそらくは組織全体の底上げが出来る。もう、給料計算と内部監査、それと過剰な接待からは脱却しようという流れを作れたのは大きかった。社員数が300人程度の会社で、バブル時代の接待を取引先とやっている人間は、この2年で全員早期退職してもらったし、残った人たちは、愚直なほどに仕事をする人たちだった。と、言うわけで、今年度、私達が取り組むべきは、事務作業もまともにしないバブル期入社の嘱託社員の首切り、契約終了をしていくことだった。


「嫌な役回りですね、センパイ。」

「でも、彼女が転部して、部長補佐の仕事を一部受け持つようになった時点で、長居は出来ないと感じてる人はいるみたいよ。」

なぜ、私が彼女とサシ呑みをしているかというと、彼女が他人には普段しないような、人生相談というやつである。昔はたまにあったけど、二人で夢みたいなことを延々と話しては笑い合うだけ、ただただ楽しいだけのサシ呑みだった。だけど、今は事情が変わってきてる。

「で、まあ、私も部長ではあるんですけど、ただケンカを仲裁するだけの役回りな気がするんです。その割に、難しい資料を並べて、こんなのも知らないの?って顔で説明を聞いたりしてるわけですよ。」

「でも、まあ、アンタはお飾りの部長じゃないもんね。33だっけ?推進室っても、年齢層は広いじゃない。」

「だからですよ。年上には舐められ、IT分野に強い連中はそっちに従ってます。それはいいんですけど、年上連中は、ここぞとばかりに馬鹿にしてくるし、責任を取るのも、立案をするのも私なんですよ。めげるほかないですよ。」

「もしかしてその推進室って、私が引き抜きをしなかったら、彼女も入っていたわけ?」

「彼女は総務部の部長に20代でなれちゃいますよ。それぐらい、総務部を腑抜けさせたんです。だけど、推進室に来て、そういうメンバーであることを予め知ってたから、素直にセンパイに渡したんです。私は寿退社で逃げる道はありますけど、あの子は真っ向から仕事をこなします。今の推進室って、そもそもに大まかなスケジュール感も無く、ただ面白半分で色々な技術を取り入れて、実験しようってレベルなんですよ。センパイという成功例が出来て、営業部にはその方向で動いてもらうようにするとして、その先の立案がないんです。例えば、サイボウズでスケジュール管理から電子決済までやってたのを、面白半分でkintone使って、キャッキャしてるだけなんです。おまけに外部ベンダーからは評判が悪いです。何かしら問題があるだろうとは思ってましたけど、私が矢面に立って話をまとめないと、ただ自分の知識をひけらかすだけの集団になっちゃいますし、現に今だってなってるわけですからね。彼女が所属していたとしても、多分知識的な分野では勝てないでしょうけど、実務では確実に劣る人たちばかりですから、妬みの対象になっちゃうでしょうね。」


「でも、外部のコンサルが出向してきてるんでしょ?実質的には、その人がボスザルをやっていて、みんなで予算を使ってるってこと?」

「まあ、そういうことですね。経営計画の範囲内であれば、予算はいくらでも付けられるんです。上限は決まっていますけど、まあ、いわゆる消耗品としてサブスクを1アカウント契約して、比較対照しているということです。でも、比較対照したところで、すでに業務管理はサイボウズと決まっている。だから、何をやってるんだって話になるんですよ。」

「私も詳しいことはいえないけど、その、ウチの旦那みたいに、機械いじりするような人はいないの?」

「自社内にサーバーを置くのは論外なんだそうです。サイボウズがレンタルサーバーで動いているのは、センパイも分かると思いますけど、ウチの会社は、規模の割に、外部委託して、自社内でデータ管理を行っていました。だから総務の範疇に収まってたんですけど、あの人達は、そのへんを徹底的にコケオドシて、クラウドストレージにでも保管したほうがいいって言うんです。でも、言うだけで、誰も仕様すら作れない。要は、そういう連中なんです。」

「人事部としては耳が痛い問題ね。派遣でもないけど、出向の人間も契約期間があるし、何かしらの成果を見せろって社長も言ってるんでしょ?」

「言いなりですよ。社長だって老け込むような歳じゃないでしょ?まだ60代前半で、大規模なリストラをする勇気があるのに、IT周りはからっきしなんです。」

「ハリボテでもいいから、こんなの作りましたって言って、運用で失敗するところまでがシナリオとなっているわけね。いっそ、総務部の一組織に戻してもらうことって出来ないのかしらね?外部ベンダーさんが入って、きちんと整備する必要はあるわよ。」

「センパイの旦那さんと外部ベンダーさんが優秀だったんでしょうね。この規模の会社、ましてうちは製造業でもないし、貿易業や卸売に近い感じじゃないですか。そこに、大層なサーバー室はいらないと社長に進言しちゃうような人たちですよ。そのくせ、代案がクラウドストレージで、どういう構造で構築するかを考える役割の人達なのに、kintoneで遊んでるだけ。どうです?私も1年で勉強してきたから、そこそこ小難しい話してるでしょ?」

「だって、もともとアンタは器用だし、覚えることは早かったもの。立派になっちゃって。う~ん、しかしねぇ、私がなんとかしてあげたいと思うのは山々なんだけど、出向の人間に、現人事部が採用してしまった人材だから、替えがいないのよね。」

「知ってます。知ってるから困ってるんですよね。」

「ま、アンタはあまりいろいろ考えないほうが、いい仕事が出来るわよ。それに、口出ししないで、放っておきなさいよ。まだ新体制になって、2週間よ。時間の猶予がなくなれば、人間の力量が試されるわ。そのときに形に出来てなかったら、推進室自体が解散となって、また振り出しに戻るだけ。だけど、嫌な事務仕事やら、提案書類やらをチェックするのはアンタの役割。それが出来るかどうかで、私はようやく社長から指示を貰える。ギリギリまで追い込みなさいよ。そこで、引き上げる人間と、そうでない人間を見定めるのも、部長の役割よ。せっかくだから、iCloudにでも残しておいたら?そいつらの査定。」

「辛辣だなぁ。でも、それもそうですね。私が分からないなら、私が理解するまで付き合えるかどうかですよね。付き合えないなら、残念ながら私は責任を取れない、そういうことですよね。」

「内部を納得させられないような案なんて、試す必要がないのよ。まして、高い人件費と予算を与えられてるなら、その証明が出来ないと。今の社長なら、その言い分を理解してくれるし、アンタはたまたまそういうポストにはまっただけで、現実にはそこのプロフェッショナルではないわ。本当なら、プロらしく達振る舞わないといけないのだろうけど、あくまで会社側の代表として、推進室に入っただけ。私が1年前に人事部に入った時も同じだった。全然知らないことだらけだったけど、ある程度の組織に組み立て直すことは出来そうな感じまで持ってこれた。アンタに必要なのは、組織としての運営と、納得させられるスケジュールを作らせることの2つね。ま、気楽にやりなさい。ダメなら、総務部に指示が飛ぶし、今でも外部ベンダーとのパイプはある。ウチの旦那はちょっと無理だけど、そいつらだけがアンタの支えじゃないのよ。失敗して、外部ベンダーが関わるようなことになったら、そっちに予算は振られるし、アンタはそのパイプ役に徹すればいい。いくらでも道は作ってあげる。でも、公言はしないでよ。」

「センパ~イ。ひどい目にあったら、話聞いてくれます?」

「もちろんよ、それに、私が連れてきちゃったけど、あの二人もいるし、4人でバカ話をすれば、少しは気が収まるでしょ?」

「うん、収まります。やっぱりセンパイのこと、大好きですよ。」

「なんか、懐かしいわね。前は二人でこんな感じだったのにね。まあ、でも、今のアンタを支えてるのは、私達じゃないわよ。あなたの伴侶となる人よ。」

「でも、私が一方的に話をしてるだけですよ。センパイみたいに助言もくれないし、ニコニコしながら聞いてくれるだけです。」

「そういう人なのよ。アンタは話すことでスッキリ出来るタイプだから、それを知ってて、話を聞いてくれる。でも、それだけでアンタは救われてるでしょ?」

「あ、言われてみればそうですね。なんで気づかなかったんでしょうね。」

「私も気づいたのは最近よ。人には、どういうわけか、自分の役割から逸脱することがある。それがいい方に向くかどうかは分からないけど、少なくともアンタのお相手は、それを知ってる人みたいね。私より大人で、人が出来てるわ。」

「そうですか?私はセンパイに愚痴りたいときのほうが多いですよ。」

「そりゃ、アンタとの付き合いが長いからよ。アンタの彼は、多分アンタがもっと追い込まれた時に、助けてくれる人よ。そのときは、本心を話してあげるの。人間って面白いもので、本心で話してると、相手も本心を見せてくるものなのよ。ウチの旦那が壊れた時、いっぱい本心を聞いたけど、私は本心を返すことが出来なかった。でも、娘は出来たから、彼はまた日常生活が出来るぐらいには回復した。私も怖かったのよ。本心を返したら、あの人をもっと壊してしまうんじゃないかってね。でも、そんなことはなかった。」

「例えば、私がもっと追い込まれて、会社を辞めたいって言ったら、彼は本心を明かしてくれると思います?」

「一般論をいいそうな感じではないわね。多分、辞めてもいいというとは思うけど、そこにもう一つ、提案をしてくれると思うのよ。」

「提案ですか?例えば?」

「そうねぇ。翌日から有休でも取って、1週間ぐらいサボる?とかね。それに彼も付き合ってくれるんじゃないかな。まあ、責任感が強くて、プロポーズですら慎重だった人だしね。アンタのことで、自分が悩んじゃうタイプではあると思うのよね。そのときに、一緒に答えが出せる相手がアンタだけ。覚えておいて、損はないわよ。」

「私だけが甘えてればいいんですかね。なんか、それってどうなんでしょうね?」

「支え合うだけが伴侶じゃないってことが、今の私には分かった。一方的に支えるのも良くないし、だからといって相手に見返りを求めるというのもダメなのよね。それがなかなか難儀よねぇ。ま、今はアンタが弱音を吐く番。そしてそのうち、彼がアンタを頼るようになったら、その時に優しくしてあげればいい。恥じることでもないし、自分たちだけで気持ちを共有出来るって、本当に大切なことよ。」

「センパイの家には旦那さんと娘さんがいるじゃないですか。やっぱり、そういう話をするんですか?」

「私は基本的にしないわね。どうしてもってときだけする。理由は色々あるんだけど、旦那は考えてくれるけど、それが深刻になっていくのよ。石橋を叩いても、隣に鉄橋なり鉄筋コンクリートの橋をかけるような人だから、考えれば考えるほど悪循環になる。頼りになるけど、答えが斜め上に行くのよ。」

「じゃあ、娘さんは?」

「あの娘にはそういうことを話す必要がないのよ。どういうわけか、空気で察知してくれるというのかしらね。で、一言だけ励ましてくれる。それだけでも、十分に私は立ち直れる。天性なのかしらね。多分、難しいことを話しても理解できないけど、簡単な質問であれば、する前に答えを言える娘。そりゃ、親バカにもなるわね。」

「話してないじゃないですか。それで共有出来てるんですか?」

「出来てないかもね。だけど、なんと言ったらいいんだろう。同じ空間で、同じ空気の中にいると、気持ちは伝わるのよ。察しろとは言わないけど、それに近いことを、ウチの家族は出来る。まあ、それを溜めた結果が、うつ病なわけだけどね。」

「そう言えば、旦那さんって何をしてる人なんですか?」

「小さい会社でSEをやってるっていう話よ。」

「そこは詳しく聞かないんですね。」

「聞いたところで、理解も出来ないわよ。ただ、あの人に関して言えば、おそらく社会不適合者ね。」

「いやいや、旦那さんですよ?」

「事実を言ったまでよ。私達とは、違う世界が見えてるし、何より私の使ってる電子機器は、すべて彼が買ったものを使ってる。そういう人なのよ。」

「趣味人という人ですかね?それとも研究者?なんか、興味のあることだけをやっていたいタイプの人なんですかね?」

「面白いわよ。なんか黙々とノートPCをバラバラにして、電源のオンオフを繰り返して、付けた部品を海外通販の商品を返品したりとか、普通にやってる。それをなんとなく眺めてるだけで、私には十分面白く見える。」

「独特の空気感がある人ですよね。少なくとも、私の人生で、ああいう人に会ったことはなかったと思いますよ。」

「だから社会不適合者なのよ。社会に馴染めないから、自分が身を置くにはいい環境だけを求めた結果なんでしょうね。社会に馴染めないから一人でなんとかしてきた。その結果、彼は一度ならず、2度も壊れてしまった。私は、何度壊れてしまっても、あの人を見捨てることは出来ないし、したくない。でも、どうすることも出来ないことも知ったのよ。」

「それで、娘さんを頼りにしてるんですね。」

「正確には、あの人を取り合ってると言ったほうが正しいのよね。戸籍上、あの人の妻である私より、あの人には娘のほうによほど愛情を注いでいるし、私もあの娘を頼りにしているし、可愛い娘だと思ってるわ。でも、娘とは言ってるけど、あの娘は私と同じ両親から生まれているし、彼が本当に愛する女性は、多分あの娘なのよ。」

「でも、センパイはそれを許してるんですよね。不思議に思うんですけど、やっぱり育ての親だから、そう思ってしまうんですか?」

「難しい話よね。お互いに私達はコンプレックスを持って生きている。なぜなら、あの娘と私には同じ血が流れてるから、お互いを比較し合ってしまう。それがいい方に働くときもあれば、ダメなときもある。実際に母と呼ばれて、私はあの娘の親であることに気づくのよ。不思議なものよ。本当は、あの人から彼女がかけていた負担を分けてもらうために結婚したし、物事として、親の意見を言える。けど、気持ちがそう思わないのよ。どこか、娘なのに、羨ましさを感じるし、嫉妬する。でも、私を伴侶にしてくれた理由は別にあって、一緒に老いていくことだったのよ。だから、娘の気持ちを知っていても、それに応えることが出来ないもどかしさみたいなものを彼から感じることもある。」

「それなのに、三人で暮らしてるんですよね?センパイは、それで救われてるんですか?私には、センパイが何をしても報われない気がするんですよ。」

「そうかもしれないね。でも、三人で暮らすことが幸せだと知ってしまっているから、損得感情とかは一切ないし、何より、私には縁がないだろうと思っていた女の幸せを少しは体験出来てる。この年齢で、成人してる娘がいるなんて、それだけで色々教えてあげたいぐらい。ありがとね、アンタにそう言ってもらえるだけで、私は満足してる。いい後輩を持ったと思うわ。」

「センパイ、ずるいんですよ、そういう時、そういう顔で返してくるから、私の感情の行き場がないんですよ。」

「アンタの気持ち、分かるつもりよ。私だって感情の行き場がないことはしょっちゅうある。少なくとも、アンタに信用されて、頼りにされて、心配される。だから、こうやって二人で飲みに来てるのよ。もう、昔みたいにバカな夢物語を話せる年齢じゃなくなってるけど、私は楽しいわよ。」

「だから、そういうところですよ。なんで、センパイは私に心配させてくれないんですか。」

「それが、先に生まれた人間の務めよ。あ、でも一つ言っておくけど、今回の人事に関しては、社内の人間は、私達が一切タッチしてない。つまり、アンタも会社に認められたってことよ。胸を張って、結婚しなさいよ。」

「あ~、うん、そうなんですけど、結婚式の時、会社側から何人呼ぶか決めてませんけど、部長って肩書は外してほしいんですよ。」

あれ、なんかそこまで私、心配されてなかった?まあいいか。

「世間体ってやつね。ウチの旦那みたいに、勝手に思っていればいいと思うけどね。お相手の家族にしたら、やっぱりまだまだ男が強いか。」

「あの人、家族にも甘いから、自分より肩書が上なことを言っちゃって、義両親が彼を怒るもんだから、ヒヤヒヤしてるんですよ。そりゃ、私だって辞令が出た時、部長?って思いましたもん。」

「それが2年前の私の気持ちよ。いいことだから、甘んじて受ける。それで旦那さんが両親から出世を求められても、それは会社の違いが出るところなんだから、しょうがないじゃないのよ。フリーランスも、日本語にすれば立派な社長になるんだからさ。」

「はぁ~、結婚するって、こんなに大変なんですね。やっぱりセンパイみたいなケースはレアなんですよね。」

「自分と同じ両親の娘を、普通に知り合いが育ててたって、普通はそんな動機で結婚しないわよ。それに、結婚してるけど、私達、指輪もしてないし、同棲って感覚が強いわよ。変な話、娘に情事なんて聞かれてることだってあるのよ。おじさんおばさんが喘いでる声を20代の娘が聞いて、どんな気持ちになるか。」

「でも、やっちゃってるんでしょ?そこは素直に生きましょうよ。」

「そこで素直に生きてるから、きっとあの娘に嫉妬してるのよね。まあ、アンタも、同棲しはじめて、回数が増えたとか、そういうことはないの?」

「うちはないですね。彼がエッチなことに興味ないですもん。私の裸を見て、次の日に見てごめんとか言いながらデザート買ってくるぐらい罪悪感も持ってるみたいですし。」

「そう言えば、案外私達って、付き合いは長いのに、お互いのこと話すのって、初めてだったりしてるかも?」

「それはセンパイが勝手に話してくれるからでしょ?それより、私だって、子供を生んで、育ててみたいって思ってますよ。でも、一緒にお風呂にも入ってくれないんですよ?付き合って、雰囲気で入ってしまったラブホで2回だけの関係ですよ?」

「でも、そんな人だから、アンタが安心して結婚出来る相手だと思えたんでしょ?なら、別にいいじゃない。」

「なんで同棲している彼におねだりまでしてるのに、そう淡白でいられるのか、私には経験がないんですもん。」

「そんなものよ。ウチの旦那も性行為には慎重になる。けど、その割にしては、たまに娘がいない時、家に帰ったら、ベッドに押し倒されることとかあるし、そのうちそうなるものよ。心配する必要ないって。」

「じゃあ、センパイ、これから銭湯にでも行きましょうよ。センパイが私を隅々まで見て、女って認めてくれたら、私も自信が付きますよ。」

「どっか、近くにあるの?ググって、家の近くだったらいいけど、まだ肌寒い季節だし、お風呂に入って帰ったら、湯冷めして体調悪くなるわよ?」

「もう決めました。門限さえ守れば、どこに行こうと私の自由です。あ、東京ドームのラクーアとかだったら、私達も帰りやすいんじゃないですか?」

「はいはい、言い残したことがなかったら、ラクーア行くわよ。あ、今日は割り勘ね。」

「さっすがセンパイ。こういうノリ、昔みたいで楽しいですね。門限まであと2時間半あるし、センパイと1時間ぐらいは裸の付き合い出来ちゃうかな?」




「あの、センパイ、聞いていいですか?」

「何?あらたまって聞くことなんてあるの?」

平日とはいえ、ラクーアもそこそこに人出がある。大浴場とはいえ、真ん中じゃなくて、隅っこに来ちゃうのが、やっぱり恥ずかしさを感じてることなのかな。

「なんでセンパイって、そんなアスリートみたいな体になってるんですか?普通、センパイの年齢だと、私と変わらないか、全体的なバランスが崩れると思いますけど。」

「なんでと言われてもなぁ。ヤリ捨てされたあたりから、無心になりたくなることが多くなって、なんとなくジョギングしたり、ジムに通ったり、その後にシャワーを浴びてから飲むビールが最高だって分かったから、そのまま10年以上続けてる。」

「なんか、悲しくなりましたよ。私の女の魅力をセンパイに見てもらおうと思って来て、逆にセンパイの魅力がすごいことに気づいちゃったし。なんか、恥さらしみたいじゃないですか。」

「だって、私だって魅力的な体だの、愛されボディだの、そんなの分からないもの。ananでも読んだほうが、よほど参考になるんじゃない?」

「違いますよ。その、センパイの体って、誰が見ても自信をなくすぐらいに完璧だと思いますよ。それに、なんでそんなに若々しいんですか。」

「私は、もう少し胸のボリュームがあって、しっかりしたくびれとか欲しいし、お尻もなんか貧相だし。そういうことを思ってるわよ。それに、女の魅力という点で言えば、アンタのほうが女性らしいラインをしてるわよ。そんなに自信をなくさなくて欲しいな。」

「......センパイ、男性って、どういうところで、相手に魅力を感じるんでしょうね?」

「そりゃ色々あるんじゃない?私みたいに、変な人に魅力を感じて、結婚しちゃってるような女もいるし、アンタの旦那さんも、裸を見るのに慣れてないだけだと思うわよ。それに、誰から教えてもらえるものでもないでしょ?最初の時、小学校で習った性教育なんて、アテにもならなかったわけだし。」

「じゃあセンパイから見て、私はいい女に見えますか?裸でもいい女だと思います?」

「思うわよ。私だって、こうなるつもりは一切なかったし、むしろアンタの体を見たら、私って成長途中で終わってるんだなって思ったぐらいだし。」

「ま、センパイがいうなら、間違いないか。私、女に見られてなかったらどうしようって思ってたんですよ。」

「なに言ってるのよ、アンタは入社した時から、いっぱしの女をやってたわよ。嫌と言うほどセクハラもされたでしょ?」


「懐かしいですね。今頃は墓の下ですかね、あの頃のセクハラジジイ。」

「嘱託社員の首切りもそうだけど、やっぱり10年前ですら、昭和の空気があったもんね。」

「そう言えばセンパイって、社長となんか関係があるんですか?」

「入社前の面接を担当してたのが、今の社長。そして、総務部に入れたのも、当時人事で係長だったかな、そんな肩書だった頃の社長。まあ、そこで私を閑職に追いやった連中とは、やっぱり色々社内の派閥争いとかがあったらしいのよ。最終的に、人事や営業の派閥が結果を出して、総務や一部の役員を追いやった。その指揮を取っていたのが社長。でも、年に2回ぐらい、備品係に来て、ちょっと立ち話するぐらいの間柄だったのよ。」

「本当にそれだけ?」

「本当にそれだけ。だけど、備品係を独立させて、アンタを入れたのも、人事部の部長となっていた社長。少なからず、私達は社長側の派閥にいたことになってるらしいわ。」

「で、この10年で人事部の部長から、執行役員を経て、株主総会で社長になったと。」

「そう、そして血の入れ替えを始めて今年で3年目か。まあ、思い通りにことが進んで、良かったんじゃない。で、備品係を解体して、総務部に戻して、中核のポストに30代を置いていく。そしてベテランで、真摯に仕事の出来る人間は、そのポストを支え、指導していく立場に据える。理想的な組織論ではあるけど、早期退職させられたほうの人間へ、2年間も特別損失を出すほどに退職金を払ってしまったから、株主が選んだのにもかかわらず、利益を生まないだの言われてるそうよ。配当金より退職金のほうが偉いのかってね。」

「投資家にもそういう考えの人がいるのは当然ですよね。あれ、でもウチって、役員が数%ぐらい株を持って、投資家へ開放している株券って、48%ぐらいって聞いたことありますよ?」

「どこ情報なのよ、それ?」

「総務部にいると、そういう噂は絶えず何処かから聞こえてくるもんです。敵対的TOBを仕掛けられる可能性を考慮して、とは言ってますけどね。実際は配当金が会社の人間に入ってるわけですから、複雑な気分ですよね。しかし、それにしても、社長はセンパイに甘い気がするんですけど、それはなんで?」

「私も分からないのよね。思い当たる節があるとすれば、総務部に入れたけど、備品係に追いやられてしまったことへの負い目とかぐらい?あと、啖呵を切った度胸とか?」

「いい噂聞きませんよ?閑職で係長をやってた人間が、社長に色仕掛けを使って、人事部で部長のポストを手に入れ、やりたい放題してるって。」

「そういう話を聞きたいぐらいに私は暇してたいのよ。部長補佐という、本当の部長と、2週間でその部長補佐の仕事を2割ぐらいこなすようになってしまったあの子がいるから、私は遠慮なく会社を出て、色々な人材会社や、取引先との人材交流、採用への広報活動、そしてイベントでは進行役、転職サイトには写りが良いと、中心に私が晒される。こんなに表舞台に立つのなら、もっとすごい条件を叩きつけるべきだったと思ったわ。」

「でも、私と飲みに行けるぐらいにはなったんでしょ?」

「そうすることにしたの。家庭を持つ人間だけど、私達は家族ごっこで生きている。それを利用して、本当は会社の人間とも、もっと積極的にコミュニケーションを取るようにしたいのよ。だから、過度な負担を分散させることを、前々から彼とは話していた。彼も同世代だし、私より優秀な人間。でも、一人で背負うには重すぎる荷物に、お飾りの部長代理が来てしまった。顔の効く前の部長に比べると、私は誰も知らない人間だったから、各社への挨拶回りでも、ひしひしと言葉のセクハラを受け続けてきた。部長はフォロー出来ない人間だけど、部長補佐はそこに厳しいから、私はなんとか耐えられた。その間にも、不要な人材のあぶり出しなんかを行いつつだったわけ。チェーンの居酒屋で、私は何杯ビールを注いだかわからないほど、夜の接待にも出向いた。だから、アンタ達と飲みに行くことを突発的にしか出来なかったのは、済まないと思ってる。」

「...私達、なんなんでしょうね?」

「本当なら部長職なんてものは肩書で、実務をするほうがよほど合ってると思ってる。でも、分かるでしょ?取引先も考え方がまだまだ昭和だってこと。」

「会社のために、女を売れとでもいいたいんですかね?」

「幸い、要求を突っぱねて、関係悪化しても、社長は特に咎めることはしないから、相手には高価査定してもらおうじゃないってこと。少なくとも、企業間の交流が、チェーン店の居酒屋じゃあ、仕事も、女としてもお断りってね。」

「センパイが社長に勝っちゃうわけですよ。こりゃ、一回ぐらい、社長と既成事実を作ってもいいぐらいだ。」

「理解者が多いことに越したことはない。アンタも部長で、新婚のお嫁さんになれたんだから、理解されて、いい女だって認められてる証拠よ。自信を持ちなさい。」

「それを言うのが社長ですけどね。でも、センパイに褒められるのも、久しぶりで嬉しいですよ。」

「そりゃぁ、アンタが私を褒めるから。さ、そろそろ上がって、お互いに愛する人の元に帰りましょうか。」

「もうちょいいい気分で温泉に浸かってたいですけどね。確かに、私の門限じゃあ、危ないかも。」

「新婚の時代は、相手にも心労がかかると思うのよ。安心させるのも、アンタの役目。羨ましいぞ。」

「そういうセンパイも、楽しそうな顔してますよ。」

「今度はあの子達とここで長居したいわね。誘ってみようか?」

「いいですね。でも、若い子と裸の付き合いって出来るんですかね?」

「それは相手次第かもね。そして、私はまたアンタ達に貧相な体だとバカにされる。楽しいと思うけどね。」




私は、10年も一緒に働いてきて、この子のことを、どこか身内の人間だと思っていた。でも、部長職になり、もうすぐ結婚式もする。それでもコイツは、私を慕ってくるだろうけど、親鳥がひなを送り出すっていうのは、こういう気持ちなのかもしれない。そう考えると、知らないうちに、私も人を育てていたんだなって思った。

「センパイ、帰ってエッチなことを旦那さんとしちゃダメですよ、今日は水曜日ですからね。」

「そんな元気があの人にはないわよ。そっちこそ、襲わせるぐらいに誘惑したら?有休にしといてあげるわよ。」

「あはは、そういうことになったら、お願い致しますね。センパイ、また明日。」

「うん、明日も頑張ろう。」

それぞれ乗る電車が違うから、入口で別れた。頑張れ、アンタは出来る子よ。



それにしても、エッチなことか。もう一回、家に帰ったら、お風呂に入り直そうかしら。





つづく

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