山に登る1
「いや~、おかげさまで命拾いしましたよ。ありがとうございました」
戻って来た馬車には大した傷も無く、馬も無事だった。
誰にも怪我が無くて何よりだ。
馭者はペコペコと何度も頭を下げながらお礼を言っている。
こんな状況にも慣れているのか、大した事がないというレベルだったのかはわからないが、このまま走り続けられるとの豪語だ。
「確か、お二方はルーレ山を目指していらしてましたよね?」
「ルーレ山?」
「そこの山の事さ、そういや名前は教えて無かったな」
そう言われ少し遠ざかった山を見上げる。
なだらかだではあるが、1000m必要なのだから、山頂は高いところにある。
フィールは知らなかったのだが、普通の人はあまり入らない山であり、しっかりと道が出来ていないため足元がデコボコとしている登りにくい山である。
ハウンドと戦う内に、麓から随分離れたところに来てしまっていた。歩いたらそれなりに時間がかかりそうだ。
「山道に一番近い場所までお乗せします。お客様達と私達からのお礼です」
「いいんですか?」
聞いていた話では、この馬車は山にある程度までしか近付かないで湾曲し、アヒューまで走るルートとなっていた。
そうでなくとも遅れているだろうに、ここから山まで走ればどれくらいのロスになるのだろう。
乗っている人達が良いと言っているとは言え、町への荷物も乗せているのに好意に甘えて良いものだろうか。
「乗せてもらってもいいんじゃねぇか?」
馬車仕事についてよくわからず悩んでいると、ロキに促された。
「オレらには時間がねぇ、それにタダで連れてってもらうわけじゃねぇんだ、あくまでオレの意見だが」
自分で考えて良い、そう言われたかのように感じた。
わざわざ選択権を与えてもらったのはさっきの話のせいだろうか。
先輩としてか仲間としてかは分からないが、危ないからと置いて行かれるのは嫌だった。
危ないなら尚更近くにいて、状況を知りたい。
何も知らずにいる事の方が危ない気がするからだ。
出来るならロキにどんな力があってどんな事が出来るのかも知りたい。
何が出来るか分からなければ、安全なのかわからないからだ。
だが、人の過去を詮索するような事になりそうなのであまりよくないだろう、と自粛する。
とは言え、やっぱり話してくれた方が嬉しいのだが。
「そうですね~…」
魔物を倒す、それは義務であるはずだが、義務だったからと遠慮する必要は無い。
そう捉える事にして、笑顔で答える。
「お願いします!」
「勿論!そうと決まったらお乗り下さい。全力で行きますよ~」
馭者は腕をはたき、力強さをアピールする。
そんな姿を頼もしく感じながら再び馬車に乗り込む。
すると乗客達から口々にお礼を言われた。
「ありがとうございました!」
「これで家族の所に帰れます!」
普通に暮らす人々に、魔物と戦う力は無い。
そんな人達を守る事で、これほどの喜びを感じるとは今まで考えた事もなかった。
「良いもんだろ?誰かを助けるのはさ」
「はい!」
ここにいる人達は、今日を生き抜く事が出来るか分からなかった。
けれど、少なくとも今は助ける事が出来た。それは大きな事だ。
笑っている人々を見、つられて笑う。
今までは年上の誰かに言われて行動していた。
だが、誰かに言われてやるのでは無く、自分で決め、自分で動いて、自分で感じる。
そんなちょっとした事をするのがこうも気持ち良いとは驚きだ。
折角村を出たのだ、たとえ自分に大した事が出来ないとしても、頑張ってみてもいいだろうか。
「ロキさん」
「ん?」
「僕、世界を見てみたいです。世界の大きさと、そこに住む人達を」
狭い場所から飛び出して、沢山の事を知る。
きっとそれが、自分が本当にやりたかった事。
昔から知りたかった世界。
フィールは馬車の壁に背を預け、『トゥルフ』で小さな布切れを取り出す。
それは質の良い布だったが、古く、色褪せかけていた。
それでもフィールにとっては大切な、物。
髪を結う、水色のリボンである。
剣を教えてくれたあの人から貰った、唯一形のあるもの。
ずっと無くさないように持っていた、思い出の欠片。
初めて外の世界について教えてくれた彼女は、今どこにいるのか。
「そして、恩人である人を見つけて、お礼を言いたいです。手掛かりは無いんですけど…借金はそのついでに、でしょうかね」
幼い頃の記憶はぼんやりとしていて、どんな容姿だったのかも思い出せない。
それでも、探すと決めた。
自らの決意を確かめるかのようにリボンを握り締める。
柔らかい布は頼りなさげに揺れるが、消えることはない。
「…いいんじゃねぇか?前向きな目標だ」
腕を組んで座っているため、立っているフィールからその表情は見えない。
だが、ロキは「馬鹿だ」と笑う事も「無理だ」と否定する事もしなかった。
ただ、考えを認めてくれた。
自分にはそれだけで良い。
…馬車の中は、賑やかだ。