聖女アイリス
その日、王都の中央にある平民地区には大勢の人が集められていた。
平民、スラム民、下級貴族など、それはタシテ君やマイドによって集められた人々であり、王都に古くから浸透する教会を信仰する者たちであった。
教会からの教えを正しく守る純粋な信者たちであり……その中にはシータゲ・ドスーベ・ブフ家所縁の者もいた。
彼らはシータゲ・ドスーベ・ブフによって縁を切られたブフ家の者であり、今回の事件には関与していない者たちだ。
「おい、何が始まるんだ?」
「さぁ?でも、教会から集まるように言われたらしいぞ」
「誰か偉い人が話をするのか?」
「さぁな?」
ほとんどの者達にとって、教会から教えられたことが日々の習慣になっている。
教会という大きな存在に習ったことは、日々の生き方になっていくのだ。
それは教会の偉い人が誰かなど関係ない。
いや、完全に関係がないわけではないが、誰が成ったとしても教えが変わるわけではない。
ただ、教会からそう教えられたから守る。
そうすれば幸せな明日が来るのだと信じているから。
「皆の者!!よく集まってくれた。本日は、聖女様が降臨されたことをここに宣言する!!!その前に号外を配りたい!!!」
そういって待った号外にはシータゲ・ドスーベ・ブフによって行われた数々の悪事が書かれていた。
それは教会とは関係ないと書かれており、シータゲ・ドスーベ・ブフ個人が、教会の名を語って行っていたことであると言う真実。
教会は通人至上主義を唱えていないという新事実の二点が書かれていた。
「我々は今まで騙されてきたんだ!悪しき者に罰を!!!我らに真の導き手を!!!」
マイドが雇った役者が、人々を扇動するように煽る言葉をかければ、人々が熱狂していく。
注目が集まり、透明なバルによってアイリス姉様を空から舞い降りさせた。
「ふぇ!空から天女様が降りてきたぞ!」
「人が空を飛んでいるだと!」
「おい!俺はあの方を見たことがあるぞ」
「俺もだ!」
「あれはアイリス様よ!!私、剣帝杯で見たもの!」
昨年の学生剣帝杯優勝者であり、デスクストス公爵家の令嬢、そして王国の至宝と呼ばれる美女……ここまでの要素を併せ持つアイリス・ヒュガロ・デスクストスを知らない王都民はほとんどいない。
「皆の者よ!今日より真の指導者である聖女様が我々を導いてくださる!!!さぁ祈るのだ!!!」
疑う事はしないで、祈るポーズを取っていく。
桃色の輝きがアイリス姉様から溢れ出して、魔力が人々へ注がれる。
アイリス姉様の属性魔法《誘惑》が、集まった人々へ注ぎ込まれる。
全員へ行き渡るほどの魔力量はアイリス姉様でも持ってはいない。
それでもここにいる半分以上は……アイリス姉様から受けた魔力によって思うことだろう。
「聖女様!!!我らの導き手になってください!!!」
そう、声を上げた者に従っていく。
小さな声は大きなうねりになって伝わっていく。
共感意識……人は近くにいる人と気持ちを共感してしまう。
あくびを見た人が、自分もあくびをしてしまうように、脳が大多数の意見に共感して、無意識に共有してしまう。
大半がアイリス姉様を聖女と思い込めば……
「「「聖女様万歳!!!アイリス様万歳!!!我らの導き手万歳!!!!」」」
人の意識は共感して共有されていく。
「「「聖女様万歳!!!アイリス様万歳!!!我らの導き手万歳!!!!」」」
これは一時的なものでも問題はない。
「「「聖女様万歳!!!アイリス様万歳!!!我らの導き手万歳!!!!」」」
その場のノリで、この場だけの話であろうと……すでにここにいる大多数はアイリス姉様を聖女として認識したことになる。
「さて、シロップ。ボクらも行こうか」
「はい。主様」
ボクは紫のクマのヌイグルミを抱いた、シロップと共に広場を後にする。
すでにアイリス姉様は地上に降り立った。
ここでのボクの役目は終わりを迎え、ここからはタシテ君とマイドにアイリス姉様のことを任せている。
奴隷を奪われ、信者もいなくなった。
残っているのはシータゲ・ドスーベ・ブフが躾けた狂信者たちだけになった。
デスクストス公爵家の屋敷にはルビーとミリルに留守番を頼んできた。
さすがにデスクストス公爵家に押し入るバカはいない。
ボクらが目的地に近づくにつれて、広場の騒ぎが遠くなり……黒装束を着た者たちがだんだんと増えていく。
ここまでシータゲ・ドスーベ・ブフが頼る富を一つ一つ奪っていった。
・シータゲ・ドスーベ・ブフが管理する孤児院を破壊して、子供たちを連れ去った。
・シータゲ・ドスーベ・ブフが手を組んだ富裕層の貴族たちを堕落させて、奴隷の子供を連れ去った。
・シータゲ・ドスーベ・ブフが手を組んでいる教会関係者には秘密裏に消えてもらった。
全て正義の味方がやるような所業では終わらせていない。
その中には多くの貴族派や王権派が交じり合っていたが、ボクには一切関係ない。
誰がこの世界にとって悪役なのか、他の貴族に教える必要があるだけだ。
やるのなら徹底的に……リューク・ヒュガロ・デスクストスを敵に回せばどうなのか一度で分からせる。
ボクがしたことはダンとのチュートリアル戦闘と何も変わらない。
ここまで手を回すのにネズール一家は情報提供だけでなく、暗躍でも大活躍してくれた。彼らが居なかったら、ボクはもっと苦労していただろう。
マイドはアカリのため?自らの財を投げ打って人を集めた。
それはたった一日でシータゲ・ドスーベ・ブフの全てを奪わせるほど時間を短縮させた。
全てが終われば、二人にはお礼をしなくちゃね。
教会関係者は、心から教会のことを思う者(ボクのいうことを聞いてくれる人)に任せた。今後はアイリス姉様を聖女として崇め奉ることだろう。
孤児院にいた子供と奴隷として売られた子供たちは、カリンとアカリが用意してくれたメイド隊・執事隊の教育機関へ移送した。
傷が深い子供たちは屋敷に引き取り後々、治療をすることも準備している。
今まで猊下としてシータゲ・ドスーベ・ブフが築いてきた教会の地位は、アイリスお姉様を聖女とすることで信頼と信用も全て奪い取った。
これは絶対に正義の所業じゃない。
ボクは悪役で構わない。
「ひっ!」
目の前には黒装束たちがシロップとバルによって倒されている。
一番抵抗した男が僕を見上げていた。
「やぁ、君がリーダーだね。名前は?」
「……」
「ああ、死なせないよ。《怠惰》」
簡単に死ぬことなど許さない。抵抗する気力を奪いさる……ただ、無気力になればいい……
「もう一度聞くよ。名前は?」
「ガ……ロ……」
「君がボクの物に手を出したのかな?」
「おっ……れは……げい……かに……」
涎をたれ流して、うつろな目をする黒装束のリーダーだったガロ。
「君はボクの物に触れたんだ。よかったね。残りの人生を怠惰に生きられるんだよ。ボクからのプレゼントだ。羨ましいなぁ~怠惰になれるなんて」
ボクの前に現れた黒装束たちはシータゲ・ドスーベ・ブフにとって最後の私兵だった。残っている兵力は屋敷を警護している者たちぐらいだ。
ただ、シータゲ・ドスーベ・ブフは自身の屋敷にはいない。
だからこそ、奴はこの状況に至って二つのことを考えるはずだ。
ここから逆転するためにはどうすればいいか?もしくは、自分自身はどうすれば助かるのか?
「シロップ」
「はっ!」
「ここからはバルと二人で行ってくるよ」
「はい」
「来客があると思うから、出迎えておいて」
「温かいお茶を用意して主様の帰りをお待ちしております」
ふふ、シロップは相変わらず忠犬だね。
すぐに終わらせて戻ってくるよ。
ボクは教会が管理する地下ダンジョンへと足を踏み入れた。




