第八話 元勇者の事情
同時刻。場所は、ロンが少女たちに談話室として与えた二階の広間。
深緑の絨毯が敷かれた瀟洒な部屋では、暖炉で薪が赤々と燃え、そこここで五人の少女たちがめいめいにくつろいでいる。
「チッ、あのヤローまだ帰ってこねェ……。森で野良オークにでも喰われちまったンじゃねェのか……?」
一人掛けのソファに座っていたオリガが、窓の方に目を向けて苛立たしそうにいうと、
「ロンちゃんのこと心配してるのぉ? 案外カワイイとこあるのねぇ」
暖炉のそばで宙をふわふわ漂っていたエロウラが、流し目を送りながら嗤った。
「ばっ! なっ、はぁっ!? おっ、オレがアイツの心配なんかするわけねェだろッ! ふざけンなッ! バカッ、死ねッ!」
「ムキになっちゃってまぁ……。雌の獣人は自分より強い雄に遭うとすぐに発情しちゃうって聞いてたけど、まさか初日から師弟の禁断の恋に落ちるとはねぇ」
「こ、こっ、コッ、恋ッ!? て、テメッ……気色ワリィこといッてンじゃねェッ! お、オレがアイツにホ、ホレるなんテ、そんなコト、あるわけねェだロッ! ゼッテェ、死ンでもありえねェッ!」
「ふぅん?」
「お、オレはただ……アイツがおっ死んじまったら、オレがわざわざこんなド田舎まで来た意味もなくなっちまうから、それを心配しただけで……」
みるみる顔を赤くしたオリガがアサッテのほうを睨みながらブツブツいうと、本棚に並ぶ古い魔導書の一冊を手に取ったイルマが、聞えよがしに鼻を鳴らした。
「彼が森でモンスターに襲われて死ぬ? それこそ、あり得ないですね」
「ぁア? 何でそんなコトいえンだよ? いくら強いつったって、オークの群あたりに出くわしたら、さすがのアイツもヤベェだろ。アイツはいま丸腰なンだからよ」
「オークごとき、たとえ百匹、いや千匹襲ってきたところで問題にもなりませんよ。彼──ロン・アルクワーズは、五年前に『崩世の業禍』と呼ばれ恐れられた魔王ヴァロウグをたったひとりで討伐した、伝説の勇者なのだから」
イルマが平静にいうと、オリガはその銀青の眼を大きく見開いた。
「はっ、ハァ? アイツが伝説の勇者って、テメェそんなデタラメ信じるとでも思って──」
「やっぱり知らなかったのですね」
魔女は憐れっぽい眼差しを返しながらため息をつく。
「昼間、貴方が無謀にも彼に挑戦したのを見た時に、たぶんそうなのではないかと思っていましたが……。自分がこれから師事しようとする人間が何者なのか知ろうともしないなんて、豪胆というか、能天気というか……」
「オ、オイ……じゃあ、マジの話なのかよ……?」
オリガが半信半疑で見回すと、他の少女たちは皆、一様に頷く。
「そうよぉ。ロンちゃんは、アタシが探してる世界最強のオトコ候補のひとりなんだからぁ……♡」
エロウラは妖しく目を細めて、淫靡に舌なめずりをしてみせた。
「そして、いつかカレが真の最強だと認められたら、その時は……ふふっ、ベッドの上で悶え叫ぶカレから何度も何度も、搾って搾って、搾り尽くして……、うふふふふふふふふふ」
「ねえ、エロウラ。せんせぇからナニをしぼるの?」
絨毯の上でゴロゴロ転がりながら遊んでいたウィナが、顔をあげて無邪気に問う。
「ふふ……それはねぇ、白くてドロッとしてて、ちょぉっと苦くてクサいけど、とぉっても美味しいモノよぉ♡」
「ふーん、べネムの花の蜜みたいだね。カラダからそんなモノが出てくるなんて、男のひとってフシギだなー。ねえ、エロウラ。ウィナもそのドロドロのやつ、飲んでみたいっ!」
「そお? じゃあ、今夜さっそくロンちゃんのベッドにふたりで潜り込んで──」
「あっ、あの……っ!」
それまで部屋の隅でひっそり背を丸めて立っていたカイリが、おずおずと、やや上擦った声を出した。
「せ、先生が、そういう話をウィナさんにしては駄目だと、お、おっしゃっていました、よね……?」
「あらっ、そうだったわねぇ」
エロウラは目を丸くして、わざとらしく口に手をあててみせる。
「ごめんねぇ、ウィナ。そーゆーわけだから、この話はここまでよぉ。もっと知りたかったら、今度ロンちゃんに直接聞いてねぇ?」
「うー。わかったぁ……」
エルフ少女がしぶしぶ納得したところで、それまで少し考え込むような素振りをみせていたオリガが、ふたたび口を開いた。
「なァ? あのヤローがクソ魔王をブッ殺したホンモノの勇者サマだったとしてよ……、そんなヤツが、こんなド田舎の城でひとりでナニやってンだ?」
『……』
どうやら、他の少女たちも少なからず同じ疑問を抱いていたらしく、誰も何も答えない。
「魔王を倒した勇者っつーのは、どっかでべっぴんの王女でも娶って国王になるか、でなきゃ、どっかの国で将軍の座にでも納まンのがフツーだろ。金も地位も女も、欲しいモンは何でも手に入れて、バラ色の人生を送るっつーのが定番だ。こんなクソ田舎のボロい城でヒキコモリやってる勇者なンて、聞いたことねェ」
「そうねぇ……」
エロウラが大きく頷いたあと、イルマが少し自信なさげに口を開いた。
「そのことについては、私も事前に調べてみたのですが……」
「で? 調べてどうだったンだよ」
「ルーンダムドの諜報能力をもってしても、彼が現在の生活をはじめた事情や経緯についてはわからずじまいでした」
「ケッ、魔女どもも案外大したことねェな」
オリガの言葉ににムッと表情を曇らせつつ、イルマは続ける。
「わかったことも、ひとつあります」
「なンだよ」
「彼は五年前、誰に強制されたわけでもなくみずから望んでここでの生活をはじめた、ということです」