第六十六話 神の御業
ぴっ、と右手の人差し指を立ててみせたエルフをみて、ルギラもさすがに怒りにかられた。
(指一本で、わたしを倒すと……! この、イグニア四天王《灼禍》のルギラをっ!)
「…………いいわ」
剣を下げたまま相手を睨みつけ、低く呟いた。
戦って、戦い抜いて、死んでやる。
イグニア最強の女として、命乞いの醜態など晒しはしない。
「そうですか。それは──」
エルフがまだ言い終わらぬうちに。その油断が、隙が消えぬうちに。
ルギラは、何の予備動作もなく、弾かれるように跳んだ。
足裏で魔力を爆発させての超加速。初見の相手は対応できないはず。
先手必勝──敵が戦闘態勢を取る前に、一瞬で勝負を決める。
最速最短の刺突で喉と頚椎を同時に貫き、それで終わりだ。
そう、これで──
「よかったですわ」
声は、背後から聴こえた。
「っ!?!!」
寸前まで視界に捉えていたはずのエルフの姿は、跡形もなく。
「魔族とはいえ、無抵抗な者を嬲るのは、愉しくありませんから」
「ぐぅうっ」
着地の瞬間、ルギラは左足のみで急制動をかける。
(想像より疾いっ! けれど、相手の油断はまだ消えていない!)
右足を後方へ大きく伸ばし、ぐるんと体をひねって、振り向きざまに──、
(なっ……!)
ルギラの刹那の思考も行動も、すべて読み切ったといわんばかりに、エルフの指がそっと、彼女の剣の切先に触れていた。
そして、次の瞬間。
ルギラの剣が丸ごと融解し、鋼色の冷えた液体となってバシャリ、と地面に落ちた。
(………は?)
やむを得ぬこととはいえ、ルギラはその現象を理解できず、思考を停止させてしまう。
「魔法ではありませんのよ。ただ、わたくしが願ったことを、わたくしの魔力が現実にした、ということなのですわ」
「……」
まさか。
そんなことができるのは、神だけだ。
人の身でそれを為せるなら、その者はもう現人神。
この女は己を神だと、そういっているのか。
「ありえない……そんなこと」
「そう思ってしまうのも、無理からぬことですわね」
女は、すこし残念そうに柳眉を寄せた。
「それで……貴女に出来ることがまだおありかしら?」
「…………」
ルギラは、もう動けない。
残された手段など、何もない。
せめて誇り高く戦い抜いて死のうと、そう誓ったが、非情な現実はそれすら許さなかった。
彼女にはもう、何もない──。
「……そうですのね。では、終わりにさせていただきますわ」
いうと、エルフはおもむろに伸ばした人差し指を天に向け……それをただ、ゆっくりと振り下ろした。
すると。
「……ぁ」
エルフが指した直線上に存在したあらゆる物が、両断された。
丘を覆う無数の草花、地を這う蟻、空を舞う蝶、吹き抜ける風、大地、そして──ルギラの肉体。
「ご、ぶ」
イグニア最強の女剣士は、鮮血を噴き出すふたつの肉塊と化して、倒れた。
恐怖も、悲哀も、悔悟もない、あまりにも無機質な敗北だった。
しかし、死ではなかった。
「おっと」
ルギラが絶命する寸前に、エルフがそばに寄って、真っ二つになっていた肉体を瞬時に繋ぎ合わせた。
まるで、幼子が粘土遊びでもするかのように、いとも容易く。
これもきっと、彼女がいつでも、何度でも起こせる魔力の奇跡なのだろう。
「あの男に貴女方を殺すな、と言われていたのを忘れていましたわ」
「…………」
死の淵から蘇っても、ルギラには何の感動もなかった。
彼女の中にあるのは、もはや虚無だけだった。
己のすべてを否定された。
信じていた強さには、何の価値も意味もなかった。自分は、紛れもない弱者。
たとえ今日を生き延びたとしても、この先もこの世界で生きていける気がしなかった。
エルフの指のひと振りで、ルギラの戦士としての魂は破壊し尽くされていた。
「ですので……今日のところはこのまま見逃して差し上げますわ。ただ──」
艶美に笑うエルフの右手に、ふいに碧い焔が宿った。
「あとで余計なことを喋られても困りますので……少々記憶を灼き潰して、ここであったことをすべて忘れていただきますわ」
「……っ!」
にわかに恐怖に歪んだルギラの顔に、焔の手が容赦なく近づけられる。
「や、め……っ」
「酷く痛むと思いますが、ご安心を。もしも死んだら、また生き返らせて差し上げますから」
直後、乾いた風の吹く草原に、ルギラの絶叫が響き渡った。




