第六十五話 至高の種族
その時。
ルギラ・ウラ・イグニアも、彼女の眼前で起こっている現象をまるで理解できなかった。
「うそ……でしょ……っ」
己の魔力を刃として形成する魔光剣。
ルギラほどの魔導士が振るう光刃は、城塞の堅固な石壁ですら難なく切断できる。
対象が人体なら、それこそ柄を握る手にわずかな抵抗すら感じることなく瞬時に、溶けかけのバターよりも容易く斬れる。
そんな、反則ともいえる切れ味をもつ強力無比な刃がいま──、
バチチチチチチチチチッ!!!
斬りかかった女性エルフの顔の三十センチほど手前で、耳障りな音をたてながらホウキの穂先のように無様に拡散してしまっている。
視えない壁のようなモノに阻まれて、動きを完全に封じられているのだ。
「なん、なの……っ」
「おわかりになりませんかしら?」
無防備に佇む女性エルフ──ウィナは、たおやかな笑みを浮かべたまま、いった。
「貴女がご自身のもつ魔力を最大限に圧縮して生み出したその刃より、わたしくの全身から常時漏れだしている魔力のほうが遥かに強力である、ということですわ」
「……、まさかっ」
「信じがたいことかもしれませんが、それが事実。貴女が魔導士であり、選んだ武器が魔光剣であったということが、何よりの不運でしたわね」
「く……っ!」
ルギラは、口惜しさに歯噛みする。
たしかに、個人の魔力量の平均値は、魔族よりエルフのほうが上だ。
創造神は、魔族に他の種の追随をゆるさぬ強靭な肉体と膂力を与えたように、エルフには至高の魔力を与えたのだ。
よって、目の前のエルフがルギラ以上の魔力をその身に宿していたとしても、それ自体に驚きはない。
だが、その差がここまで圧倒的だとは──。
「さて……どういたしましょう? このまま貴女の魔力が尽きるまで続けてもよいのですが、それでは芸がありませんし……何より退屈ですわね」
「チィッ!」
やむなくルギラは一度後方へ飛び退り、距離を取った。
こんな事態は想定していなかったが、まだ万策尽きたわけではない。
魔光剣を手放すのと同時、シュォッ、とかすかに空気を震わせて右手に何の変哲もない鋼の剣を召喚する。
(つまらぬ武器だけれど、いまはこれに頼る他ないわ)
実体のある剣なら、魔族の膂力が物を言う。
魔力の差など問題にはならない。
「これを止められるかしらっ!」
叫んで、ふたたびエルフに躍りかかり、渾身の一撃を振り下ろして──、
また、止められた。
正真正銘、全力で振るった剣を、いとも容易く。
「はっ……?」
魔力の障壁を突破できなかったわけではない。
エルフは、ルギラが振り下ろした剣を左手の指二本だけでつまみ、静止させたのだ。
まるで、貴婦人が園庭の一花を摘むかのごとく、優美な仕草で。
「ぐ……うっ……!」
ルギラは咄嗟に剣を引こうとしたが、相手の指に挟まれただけの刃はビクともしない。
(こんなこと、あり得ない……魔族が、膂力でエルフに敗れるなんて……っ)
イグニア最強の女剣士の胸に、冷えた恐怖が広がっていく。
「わたくしたちエルフの肉体は他のどの種族よりも脆弱で、身体能力も最低……。ですが、弱いのならば強くしてやればよいのですわ」
エルフは、思慮深い教師のように、おだやかに語りかける。
「魔力の本質を知り、その扱い方を正しく理解すれば、このように己の肉体を強化し、運動能力を飛躍的に向上させることもできる……。もっとも、エルフなら誰でもこのような芸当が可能というわけではございませんけれど」
「…………っ」
わなわなと震えだしたルギラは、それでもその場から動こうとしない。
逃げるには自分に残された唯一の武器を手放す必要があるが、それは自殺行為に等しい。
丸腰になって戦意のないことを示したくらいで相手がこの場を見逃してくれるとは、とても思えない。
いまは、目の前にたつエルフの余裕に満ちた慇懃な態度が、何より怖ろしい。
「最上位種であるエルフの中でも、このわたくしに与えられた才能は、別格……。神に選ばれしわたくしがあと十年、いえ、五年早くこの世に生を受けていれば、人間ふぜいに頼らずとも、この手でヴァロウグを倒すことができたのですわ」
いって、エルフは嘆息した。
その切れ長の澄んだ碧眼には、いつのまにか深い悲しみと昏い憎悪が宿っている。
「そうであったなら、お姉様だって……」
ふいに、エルフの身体から碧い燐光が溢れだした。
「……っ」
魔導士であるルギラは、ただちに理解した。
相手の全身を包んだそれが、可視化されるほどに超高密度の魔力の放出である、ということを。
意図的におこなっているわけではなく、感情の昂ぶりによって急激に増大した魔力をもはや体内に抑えておくことが出来なくなったのだろう。
エルフはいま、ようやく真の実力をみせようとしている──。
(まずい……っ)
ぞわ、と全身に鳥肌がたつ。
恐怖にわななくルギラの剣を突然、ぱっと手放したエルフは、明るく微笑んだ。
「さて。このわたくしを愉しませるために、貴女に出来ることがまだおありでしょうか?」
「っ!」
解放された瞬間にふたたび距離をとったルギラはしかし、そこでまったく動けなくなってしまう。
もはや、打てる手が無いのだ。
いますぐ空を飛んで全力で逃げたところで、相手が自分以上の魔導士である以上、あっさり追いつかれるのは確実。
では、戦うのか。
あのヴァロウグすら倒せると断言して憚らない、この埒外の怪物と。
「そんなに怯えた顔をなさらないで。ひとつ、ハンデを差し上げますから」
「……?」
「これからわたくしが使うのは、この指一本。武器には一切手を触れません。魔法も使いません。これでどうでしょう」




