第六十四話 ふしぎな生き物
(これが、ワタシの最期か……)
刀を構えたキヤは、全身全霊を懸けて、その一瞬を待ち受ける。
(しかし、悔いはない)
そう、己に言い聞かせる。
視線の先で、魔族の男が両腕を大きく広げて、跳躍の構えをとった。
両手に埋め込まれた十本の刃が、猛る殺気を蓄えている。
(どう足掻いても、ワタシは、勝てない)
人造人間の少女は、これまでの戦闘で相手の実力を正確に把握している。
バーネロ・デリ・イグニアの剣技は、キヤのそれを凌駕している。
それは間違いない。
彼女がここで実力のすべてを出しきっても、まず勝利することは出来ない。
(けれど──)
相討ちなら、あるいは可能かもしれない。
相手を倒すには至らなくとも、戦闘不能に追い込むことくらいなら。
(それでいい。ワタシは、ここで己に与えられた役割を全うして、死ぬ。それでいいんだ)
何度も、何度も、己に言い聞かせる。
(マスターのため、ワタシは、ここで……)
ふいに、胸の奥に熱いモノが生まれ、よくこねたパン種のようにみるみる膨らんだ。
人造人間の少女には、それが何なのかわからなかった。
(なんだ……?)
そのとても熱い何かは、やがて喉元までこみ上げてきて、ついには眼底に達し、そこで液体に変化して、両眼から溢れ出てきた。
(まさか)
少女は、その生理現象について学習していた。
(泣いているのか……このワタシが)
頬を伝って落ちた涙が、乾いた石畳を濡らしていく。
胸が苦しくなり、呼吸も不規則になっていく。
滲んでいく視界の中で、魔族の男がわずかに目を眇めるのがみえた。
まずい。
思考が、精神が乱れる。集中できない。
このままでは、相討ちさえ──。
(──死にたくない)
暗い場所でひとり泣きじゃくる何者かが、そう叫ぶ。
(死にたくない……っ!)
やめろ。黙れ。
この身を捧げる、と誓ったはずだ。
(マスターと、みんなと……もっと一緒にいたいっ)
(あの城で、ずっと、いつまでも……っ)
理解できるが、それは分不相応な望みだ。
ワタシはおぞましき禁忌の造物、人造人間。
定めた主のため己が身を犠牲に出来ぬのなら、存在価値など微塵もない。
戦場で死ぬのが、己の運命だ。
(わかってる……わかってるけど……っ)
(知ってしまった……)
(何よりも、己の命よりも大切だと思える男の傍にいられる幸せを)
(その男に、やさしく微笑みかけてもらえる悦びを)
ぎゅっと引き結んだ唇が震えだし、次第に刀の柄を握る手にも力が入らなくなっていく。
だめだだめだだめだ。
このままじゃ、何もできず犬死にだ。
せめてあの魔族と相討ちになり、少しでもマスターの役に立って、死ぬのだ。
いまのワタシに求められているのは、そ──
「《《いくぞ》》」
わざわざ宣言してから、男が跳んだ。
それでも、キヤの反応は遅れた。
(しまった! せめてっ……せめて一太刀!)
居合の構えをとったまま脚をさらに開き、露わな胸が地面につきそうなほど極端な前傾姿勢をとる。
この時──キヤが選択した技は、居合術『瞬月』。
ロンが彼女に授けた、最速にして最強の技である。
しかし、その最速は己の一切の守りを捨てるがゆえ。
二の太刀はなく、外すことはすなわち敗北と死を意味する。
(マスター。ワタシに、力を……!)
一拍遅れて、キヤも跳んだ。
こぼれた最後の涙が地面に落ちる前に、両者は間合いに入った。
少女の脳裏に、己の身体が瞬時に斬り刻まれる生々しいイメージが浮かぶ。
(そうだ。相手の剣のほうが疾い。ワタシは、斬られる。けれど、絶命する前になんとしてもこの刃を届かせてみせるっ!)
バーネロの十本の刃が少女の肉体を確実に捉えた、その瞬間──。
「はぁぁあああっ!!!」
キヤは、抜き放った刀をそのまま掬い上げるように、振り抜いた。
鋼色の月が地上で耀き、周囲に大量の鮮血が撒き散らされた。
(………………えっ)
刀を振り抜いた姿勢のまま固まったキヤの傍らに、上体を逆袈裟に斬られたバーネロが静かに倒れ伏す。
(なんで…………?)
「あーあ。敗けちまった」
石畳の上で仰向けになった男は、青空をぼんやり見上げて、呟いた。
傷は深いが、急所は外れている。あとで適切な処置をすれば死に至ることはないだろう。
しかし、いまのキヤにとって、そんなことはどうでもよかった。
「バーネロ、オマエ……ッ!」
ようやく我に返った彼女は、それでもひどく狼狽しながら男を見下ろした。
「なぜっ……なぜだ!」
紙一重の勝負ではあった。
それでも、バーネロの剣はキヤのそれより確実に疾かった。
取り乱し、普段の冷静さを欠いていた彼女には、相討ちすら難しかったはずだ。
それなのに、終わってみれば何故か斬られたのはバーネロのほうで、キヤはいまも無傷のままここに立っている。
考えられる答えは、ひとつしかない。
「なぜ……刃を止めた!」
涙声で怒鳴った少女を見つめて、バーネロは面倒臭そうに、のろのろいった。
「止めちゃいねえよ。お前の剣のほうが疾かった。それだけだ」
「嘘をつくな!」
少女の黒い眼から、ふたたび涙が溢れだした。
己がなぜまた泣きだしたのか、キヤにはわからなかった。
「オマエのほうがっ……ぜったいっ…」
「うるせえな」
男の間延びした声に怒気がこもった。
「ゴチャゴチャぬかしてねえで、さっさとトドメさせ。俺は魔族だ。この程度の傷じゃくたばんねえぞ」
「……」
少女は、曖昧に首を振った。
「オマエを殺さない……マスターが殺すなといった。それに……いまはワタシは、オマエを殺したくない」
「あぁあ?」
男が不愉快そうに顔をしかめたので、キヤは怯んだ。
人造人間の少女には、目の前にいる男のことがまるで理解できなかった。
なぜ、この男はみずから敗北を選んだのだろう。
まさか、ワタシを殺したくなかった?
いや、そんなはずはない。あり得ない。
では、一体なぜ……?
「お前、舐めてんのか?」
バーネロは、器用に顔の左半分だけ引っ張りあげるように歪めて、凄んだ。
「…………」
怖ろしい男だ。
見た目も、言動も、野蛮で狂気に満ちていて、間違っても一緒にいたいなどとは思えぬ男だ。
それでも──。
なぜか、この時、キヤにはバーネロが、はじめて出遭った日のロンに重なってみえた。
(あの夜のマスターも、ワタシにはまるで理解できない行動をとった。この男も、同じだ。ワタシが出遭った強き男たちは皆、ワタシの理解が及ばぬ行動をとる……)
これほど理解が難しいのは、やはりキヤが女で、相手が男であるからかもしれない。
男という生き物は、時どき、本当に不思議だ。
「お前……ッ、ぐっ、クソ……!」
おもむろに起き上がろうとした男は、すぐに痛みに顔を歪め、また地面にのびた。
「ブッタ斬ってやりてえが、いまは、無理だな……」
「バーネロ」
キヤは、手の甲でゴシゴシと涙を拭ったあと、居ずまいを正した。
「ワタシにはオマエのことが理解できないから、どんな言葉をかければいいのかわからない。ただ……これだけは、言わせてくれ」
「あ?」
少女は、泣き腫らした顔にかすかに笑みのようなものを浮かべて、呟いた。
「ありがとう」
「……ケッ、意味わかんねえ。ヤル気がねえならサッサとどこへでもいきやがれ」
男はそう吐き棄てて、つまらなそうにそっぽを向いた。




