第六十三話 真の魔王
数分前──。
ホールのもう一方の端で繰り広げられる魔族同士の対決も、そろそろ決着がつこうとしていた。
「まったく、口ほどにも無いっ!」
怒りにかられたヴィオの長剣が容赦なく、少女の急所のみを狙って息つく間もなく振り下ろされる。
その剣技は流麗にして苛烈、さらに一撃一撃が必殺の威力を持っている。
「…………」
カイリは、ひたすら防御に徹している。
右手に握る重厚長大な剣を扱いにくい盾として、相手の猛攻をどうにか凌ぎつづける。
両者の疾さが、まるで違うのだ。
ヴィオは、アルム合金の甲冑を身に着けてなお、薄布のドレス姿のカイリより数段疾い。
剣閃も、足捌きも、その鋭さは弟のサーレイに比肩しうる。
「貴女は、この私を倒すどころか、一太刀浴びせることさえ出来はしないっ!」
「ふむ……」
圧され続ける少女は、よろめいて後退りしながら、奇妙な呟きを漏らした。
「狙いがわかったぞ」
「……ッ」
この一方的な状況でもなお、落ち着き払って薄い笑みすら浮かべる少女をみて、ヴィオはますます逆上する。
(くっ……つくづく癇に障る! この娘の余裕は、一体どこから来る? 何か、切り札でも隠し持っているのか……?)
用心深い男はわずかに間合いを広げ、束の間、相手をつぶさに観察した。
そして──気づいた。
「っ!」
少女は、彼を視ていなかった。
しばらく前から彼女が興味深げに見守っているのは、ホールの向う端でドロガと死闘を繰り広げるオリガの姿。
獣人の少女が、相手の武器──槍斧の柄の一点に何度も精確に刃を打ちつけているのをみて、カイリは感心したように頷く。
「なかなかやるものだ。相手は……どうやら気づいていないな。勝敗は、みえた。加勢の必要はなさそうだ」
「そん、な……っ」
この瞬間、ヴィオの戦士としてのプライドは、粉々に砕け散った。
磨き抜いた剣技で終始相手を圧倒してきたと思い込んでいたのに、現実はまるで逆。
相手がまだ本気になっていない、手を抜いている、などという次元ではない。
眼前の少女にとって、もはやこれは勝負ですらなく、ヴィオはすでに敵とすら認識されていないのだ。
それほどまでに、両者の実力が隔絶している。
ふたりの、剣士として在る世界が、あまりにも違う。
「気は済んだか」
ふいに、少女と眼が合った。
「っ!?」
ヴィオは心の臓を鷲掴みにされたような恐怖を感じ、咄嗟にその場から跳び退く。
カイリは、その花色の瞳をやや昏くして、かぶりを振った。
「斬るのは、やめた。いまの貴様にはその価値も無い」
つまらなそうにいうと、大剣を逆手に持ち、ズンッ! と石床に深く突き立てた。
「勿体ないことだ……」
丸腰になった彼女は、そのままゆっくりと男へ近づいていく。
顔面蒼白のヴィオは、剣を正面に構えたまま同じ歩みで後退っていき、まもなく、壁際に追い詰められた。
「稀なる剣才の持主ではあるが、その才に溺れ、技に酔い、肉体の鍛錬を怠った……。ゆえに貴様の剣は、軽い。あまりにも」
「う……くぅっ!」
少女の正鵠を射た指摘がヴィオの怒りをかきたて、それが彼にふたたび闘志を与えた。
魂の宿らぬものであっても、闘志は闘志だ。
(相手は丸腰だ……いまなら、勝てる!)
脚を大きく開いて踏ん張り、重心を落とす。半身になって胸の前で剣を水平に構え、冷えた殺気のすべてを込めた切先を、相手の顔へと向ける。
彼のもっとも得意とする、克皇の構えである。
(卑怯と罵られても構わない。この娘だけは、ここで殺す──ッ!)
無防備な相手が間合いに入った瞬間──、ダンッ! と炸裂音にも似た音を残して床を蹴り、豪速の刺突を繰り出す。
剣の刃そのものが伸長したかと錯覚させるほどの烈閃。
ヴィオ・レガ・イグニアが絶対の自信をもつ必殺剣だ。
(しかし、これは躱すだろう。防具を持たぬ以上躱すしかなく、それを可能とする技量も彼女は備えている。それをわかった上での、二段構え)
相手の絶対的自信をみれば、派手に跳躍して躱すとは考えにくい。
おそらく、上体を捻るだけで紙一重の回避をするはず。
その時、否応なく重心がぶれて生まれる僅かな隙を────
ヴィオの思考は、そこで停止した。
「っ!?」
カイリは、彼の渾身の刺突を、躱さなかった。
ただ、前に伸ばした左手で、迫る剣の刃をはっしと掴み、止めてみせた。
少女の掌の皮が浅く裂け、そこから細く血が流れたが、それだけだった。
「ばかな……」
ヴィオは、己がどこか遠くでぼんやりそう呟くのを聞いた。
「軽い……軽すぎる」
吐き棄てたカイリは、掴んだ剣をぐいと引き、よろめきながら倒れてきた男の額に、
──ゴズゥンッ!
あたりを揺るがすほどの、恐ろしく重い頭突きを喰らわせた。
それで、勝敗は決した。
「あ……が……っ」
剣を手放し、糸の切れた人形の如く膝から崩れ落ちた男を見下ろしながら、カイリは口を開いた。
「膂力。肉体の強度の差だ。同じ魔族でも、鍛え方ひとつでこうまで差がつく」
いいつつ、豊かな胸を持ちあげるようにして腕を組む。
「まずは、力。そこに技を纏わせる。この順序は絶対だ。剣を振るう肉体に強さを求めず、ただただ技の洗練、その華麗さのみに拘泥した貴様の剣は軽く、脆く、醜悪ですらある」
「無益な説教は、よしてください……。さあ、はやくトドメを」
ヴィオは項垂れたまま虚ろな声でいい、その首を前に差し出した。
「殺さぬ」
少女は、低く呟いた。
「貴様は弱いが、宿す剣才は本物であるとみた。逸材ではある。いまより正しく鍛え抜けば、あるいは我の右、いや左腕くらいにはなるやもしれぬ」
「……?」
ヴィオはぼんやりと顔をあげ、眉を寄せた。
「本気ですか? この私が貴女の麾下に入ると、本気でそう考えているのですか?」
「それが道理だ」
カイリは、自信に満ちた声音でいった。
「先ほど貴様は訊いたな。何故、我が人間の側についているのか、と」
「ええ……」
「貴様は勘違いしている。我は、人間の側についているのではない。我はただ、勇者ロン・アルクワーズに従っているだけだ」
「……そのふたつに違いがありますか?」
男の問いに、少女は頷いてみせた。
「大いにある。我が奴に従っているのは、奴がこの世界の誰よりも強いからだ。我は、奴のもつ絶対的強さに従っている。それが、絶対的力のみを信じ、崇める我ら魔族の道理であるからだ」
「つまり、貴女は魔族《我々》を裏切っているわけではない、と?」
「当然だ」
「……っ」
ヴィオは、答えた少女の瞳の奥に、揺るぎない鋼の意志と底知れぬ強欲が蠢いているのを見た。
「覚えておけ。我は、いずれロン・アルクワーズをも超える……そして、その時こそ、我はアンヴァドールの魔王として起つ!」
カイリが昂然と宣言した時、ヴィオには小柄な彼女が後光の差す峻岳の如く見えた。
「…………っ」
己よりひと回り近く年下の少女が放つ、神々しいまでの威厳、気迫、闘気。
それらがいま、ヴィオを圧倒し、彼の魔族としての本能を目覚めさせた。
(ああ、そうだ……。このお方こそ、私がずっと求めてきた、アンヴァドールの救世主……真に魔王となるべきお方にちがいない)
そう確信を得た時、男の両眼から、ぽろぽろと涙がこぼれた。
(このお方の側にお仕えしたい……このお方に己のすべてを捧げたい……)
感涙にむせびながら、男はすがるように口を開いた。
「お名前を……貴女様のお名前を、どうか……っ」
「カイリ・ラム・ゼーラだ」
「カイリ、さま……」
ヴィオは、一生の宝物を手に入れた少年のようにそっと、愛おしそうに呟いた。
「ヴィオよ、精進せよ。いずれ貴様が真に強き男と成りおおせたならば、その時こそ、貴様のすべてを我が物としてやる」
「あぁ……っ」
魂の感動に打ち震えるヴィオは、まだ満足に動かぬ身体で必死に片膝をつき、臣下の礼をとった。
「かならず……! このヴィオめは、必ずや貴女様のご期待に応えてみせます!」
「よし」
カイリが頷き、血の滴る左手を差し出すと、男は震えながらそれに接吻し、恍惚とした表情で少女の血を舐め、飲み下した。




