第六十二話 獣姫覚醒
「覚悟せよ」
重々しく呟いて──ドンッ!
石床に数本の亀裂さえ奔らせ、ドロガがその体躯の超重量を物ともせず、跳んだ。
みるみる視界を埋め尽くす巨大な影を、オリガは冷静に待ち受ける。
──いいか、オリガ……まず眼だ。そして足。それから肩。この三つの動きを、正確に捉えるんだ。そうすれば、初見の技であっても相手がどこを狙ってくるかわかる。
「言うは易しだ。けど、馬鹿みてェにボコスカ殴られてるうちに、あのヤローのクセだけはバッチシ掴んだぜ……」
不敵に呟いたオリガは、深く息を吐き、最大限に集中力を高める。
「完璧にゃほど遠いが、いまのオレでもこの一瞬──次の一撃を読むくれェならッ」
そして少女は、この数カ月の間にその天賦の才で師から盗みとった奥義を発動する。
「《時神の慧眼》!」
刹那──。
雑念が消え、雑音も消え、白一色となった静謐な世界に、自分と相手の二人だけが残される。
(これが、アイツの見てる世界か──)
迫るドロガの鳶色の眼──その奥に宿る殺気が向けられた先。
男の脚の開きと、足先の向き──それが示す着地点。
鎧の肩当ての中、関節の働きで両腕に蓄えた力を一気に解放する瞬間。
(────視えたぜ)
両者が間合いに入ると、ドロガは槍斧の回転力を微塵も殺すことなく、その膨大な力の全てをオリガの左上腕めがけて叩きつけた。
それは、血の滲む鍛錬と、数多の死地によって培われた、鬼神の剛撃。
命中すれば当然、腕だけでは済まず、少女の上体は藁束の如く両断されたことだろう。
そう。命中すれば。
──キィン。
「ッ!?!」
間合いに入った時点で防御も回避も不能だったはずの一撃は、あろうことか、不発に終わった。
オリガが気負わず、力まず、ただすっと斜めに伸ばした刃に当たった瞬間、槍斧の柄が澄んだ音をたてて真っ二つに折れてしまったのだ。
(馬鹿なッ……ジェオムの魔岩から削り出した柄だぞ! そう易々と──)
驚愕した男は、直後、恐るべき可能性に思い至った。
(まさか。この娘、十回すべて同じ場所に……!?)
その推測は、当たっていた。
オリガはこれまで、ドロガに斬撃を防がれる度、相手の槍斧の柄のまったく同じ場所に精確に刃を当てていたのだ。
一度の攻撃では掠り傷しかつかなくとも、それが十も重なれば──見ての通り。
(だが、狙っていたのだとしても、儂の技を見切らなければこんな芸当は──)
その時──ドロガは、今度こそ本物の恐怖を味わった。
(見切られていた、というのか。完璧に……)
「へッ、上手くいったぜ」
少女は呑気に、愉しげにいって、真上に跳んだ。
呆然とするドロガは、柄から放たれて勢いよく飛んでいく槍斧の刃を見つめながら、ひとつのことを悟った。
(儂の敗け。完敗だ)
直後、オリガが頭上で振り下ろした剣が、男の兜を直撃し、それを粉々に砕き割った。
「…………なぜだ」
石の床に大の字に横たわったドロガは、自分を見下ろす少女の顔を、不思議そうに見上げた。
「何故、儂を殺さぬ」
最後の一撃を放った時、オリガが使ったのは刃の背で、ドロガは当分立ちあがれぬほどのダメージを負ったものの、致命傷には至っていない。
「そりゃコッチの台詞だ、ボケ」
オリガは、不機嫌そうに吐き棄てた。
「テメェがはじめから本気になってりゃ、オレに勝ち目はなかったンだ。テメェがナメた真似しやがったから、その仕返しをしてやった。それだけだ」
それから、上階へと続く階段を見つめて、ふんと鼻を鳴らす。
「それに……アイツが、テメェらを殺すなっていった。だからだよ」
「ロン・アルクワーズか……。成程。噂に違わず随分と甘い男のようだな」
「そりゃ同感だけどよ、アイツもテメェにだきゃ言われたくねェだろうよ」
「…………」
顔をしかめて視線を逸らせた男をみて、オリガは悪童のような笑みを浮かべた。
「また、今度だ」
「何だと……?」
「オレはこれで勝ったとは思っちゃいねェ。テメェが手抜きしやがったからな。だから……次会ったら、今度こそガチンコでやろーぜ」
「この儂と、ふたたび死合いたいと、そう申すか」
「ああ」
「断る」
「なにィッ!?」
予想外の返答に驚くオリガを見て、ドロガはガシャリと鎧を揺らしながら肩をすくめた。
「儂は、もうお主には勝てぬ。それはわかる。お主はこの先さらに、はるかに強くなるであろうからな。敗けるとわかっていて死合うのは御免だ。儂は、娘の花嫁姿をこの眼で見るまで死にたくはない」
「はっ!? て、テメェ、娘がいんのかよ!」
「何も驚くことはなかろう。冬には、二人目も生まれる予定だ。二人目がまた娘だったら……そうだな、オリガと名付けるかな。この儂を倒した強者の名だ。きっと丈夫で元気な、なかなかの器量良しに育つであろう」
「ふぁっ!? ば、馬鹿、やめろ! 何かんがえてンだっ!」
にわかに頬を染めて慌てふためく少女をみて、男はくつくつと笑った。




