第六十一話 アイツの一番
広いホールを縦横無尽に駆け回る、灰色の稲妻。
常人には視界に捉えることすら難しい速度で、さらに幾度もフェイントを入れて相手の死角に飛び込み、鉈の如き大剣を渾身の力で振り下ろす──!
「死ねやァッ!」
──だが、
「悪くは、ない」
オリガの必殺のはずの一撃は、ドロガが無造作に背に回した槍斧の柄でアッサリと、確実に止められる。
それは、すでにこの場で幾度となく繰り返されてきた光景。
男はすでにオリガの太刀筋を視てすらいない。
「クッソ……ッ!」
「が、その程度の技はこのドロガに通用せぬ、といったはずだ」
低く呟いた男は振り向くと、刹那、その巨体に似合わぬ速度で躍動し、
──ドムゥッ!!
オリガの腹に、弩砲の如き拳を叩き込んだ。
「がッ!?」
凄まじい衝撃に少女は征矢の如く吹っ飛び、衝突したホールの石壁をまたクレーター状に抉り砕く。
彼女がつくったクレーターの数は、これでちょうど十。
「オリガよ。お主に詫びよう」
ズシンズシンと石床を重く揺動させながら近づいてきたドロガは、苦痛に顔を歪めながらもどうにか立ちあがった少女を高みから見下ろして、いった。
「お主を弱き者だと断じたのは、過ちであった。お主は、強い。その痩身に宿す力も、覚悟も、儂の見立てよりはるかに強かった。だが、この儂には及ばぬ。いまはまだ、な……」
「ケッ、もう勝ったつもりかよ」
オリガは、膝の震えを相手に悟られぬよう願いながら胸を反らし、乱れた髪をかきあげながら凶暴な笑みを浮かべた。
「オイ、オッサン。テメェの拳なんざ、これっぽっちも効いちゃいねェンだよ。そのご大層な得物は飾りか、あァ? 遊びじゃねェンだ、本気でかかって来いよオラァアッ!」
「……解せぬ」
ドロガは、その力士像の如き顔貌を失望に染めた。
「何故、そうまで死に急ぐ。儂の役目は、お主らをこの先へ進ませぬこと。お主が敗北を認めて剣を引けば、その命まで獲ることはせぬ」
「だから……勝手に勝った気になってンじゃねェつってンだろッ!」
オリガは叫ぶと、脱兎よろしく横っ跳びして、ふたたび間合いを取った。
(クソ、ムカつくぜ……)
こちらを振り向くだけで身構えることさえしない男をみて、少女の怒りはさらに膨れあがる。
しかし、その怒りが向けられているのは、敵ではなく、己自身だ。
(認めたくねェが、あのオッサンは、オレより強ェ……。アイツがはじめから本気だったら、とっくにやられてた。オレがまだこうして立ってられンのは、アイツにこれっぽっちのヤル気もねェからだ)
ギリギリと鋭い歯を軋ませながら、指の節が白くなるほど強く剣の柄を握り締める。
(こんなのは、ホンモノの喧嘩じゃねェ。けど、それでも──)
少女の双眸がカッと見開かれ、風もないのにその豊かな灰髪が焔のように逆立つ。
(勝たなきゃなンねェ……!)
少女の体内で、膨大な怒りがべつのナニかへと、急速に性質を変えていく。
(イルマとエロウラは、ゼッテェ勝つだろ……。だから、オレもここで負けるわけにはいかねェ)
(だって、そうじゃねェと、オレはアイツの一番にはなれねェ)
(オレは、いざって時アイツが一番頼りにするオンナになりてェンだ。だから……、こんなとこで負けらンねェッ!)
瞬間──少女の全身からこれまでとは比較にならぬ凄絶な闘気が放たれ、蓋世不抜の猛将《破陣》のドロガをジリ、とわずかに後退りさせた。
「……ッ」
生存本能の命じるままに、咄嗟に槍斧を構えて防御姿勢をとった己をみて、男は戸惑う。
「あやつを恐れたというのか……この儂が」
「お? やっとヤル気になったみてェだな、オッサン……」
少女は嗤って、男の得物を指差した。
「槍斧でかかって来いよ。じゃねェと、コッチもテメェを遠慮なくブッタ斬れねェからよ」
「儂は、また誤ったか」
短く息を吐いたドロガの身体から、直後、オリガに劣らぬ巨大な闘気が発散された。
「……ッ」
「強者よ……」
慕情さえ感じさせる声音で呟いた男はまもなく、両手で握った槍斧を頭上に掲げると、そこでぐわんぐわんと、水平に高速回転させはじめた。
たちまち、荒々しい突風が巻き起こり、ホールの窓ガラスがガタガタと揺れはじめる。
天哭の構え──己より強大な敵を一撃で倒すため編み出した、ドロガの奥の手ともいえる必殺の構えである。
「お主の望みどおり、全力でゆく。そうせよ、と我が武魂が命じておる」
「ケッ、ハナからそうしろっつーンだよ」
対して、オリガは両手で握った剣を正面に構え、教科書どおりの隙のない正眼の構えを取った。
破天荒で奇天烈、つねに自由闊達な剣を求める彼女には珍しいことである。
(次の一撃で決める……できなきゃ、オレの敗けだ)




