第五十七話 変身
激闘の続く城の大ホールの一角。
魔族の女が手にした魔術杖から放たれた無数の紅い光条が、二十七人のウィナ軍団を同時に貫く。
『きゃぁあぁっ!』
大ダメージを受けて分身体はすべて瞬時に消滅、本体のウィナも左腕から鮮血を流して膝をつき、苦しげに顔を歪める。
「弱いのね」
イグニア四天王の紅一点、ルギラ・ウラ・イグニアは嘆息した。
豊かな薔薇色の髪、かすかに青みがかった雪肌と、長い睫毛に縁どられた翡翠色の瞳、三十路前後の甘やかに熟れた肢体。
銀糸の豪奢なドレスを纏った彼女は、魔族の女王といわれても納得しそうな気品と威厳を備えているが、その美貌には底知れぬ冷酷さと残忍さが満ち、対峙した者の魂すらも凍てつかせる。
「わたしの勘では、エルフのあなたが一番強いと思ったんだけど……ちがったみたい。ひさしぶりに本気で遊べるかと思ったのに、残念」
ルギラは、退屈そうな顔で他の四天王たちの戦いを見やった。
「っ!」
ウィナは、相手の隙を突いて素早くエルフナイフで真空刃を放ったが、それは魔族の女が己の周囲に展開している結界に当たると、バシュッ、と軽い音をたててあっさりと砕けてしまった。
二度、三度と続けて放つも、結果は同じ。
ルギラがほとんど無意識に展開している魔力結界は、ウィナが全力で放つ攻撃よりもはるかに強力なのだ。
この一点のみをみても、両者の実力差は火を見るよりも明らか。
「くうっ」
ウィナに残された手は、接近戦を仕掛けてナイフの刃そのもので相手を斬ることだが、それは身体能力の低い彼女にとって自殺行為に等しい。
そもそも、一か八かの体当たりで相手の結界を突破できる保証もなく、下手をすれば結界の魔力に全身を焼き尽くされて、そのままお陀仏という可能性すらある。
「つまらないわ。もう終わりにしましょう」
いって、ルギラはふたたび魔術杖から光条を続けざまに二発放った。
ウィナは、咄嗟に横に跳んで一発目はどうにか躱したものの、二発目は避けきれずに脇腹を深く裂かれてしまう。
「うぁっ……」
激痛に呻いて思わずその場にうずくまった時、女は紅玉の嵌った魔術杖の先端を少女の額に向けて、酷薄に言い放った。
「これで、おしまい。さようなら」
直後、これまでよりずっと強力な光条が撃ち出され、それがエルフ少女のちいさな頭を跡形もなく吹き飛ばした────と、思われた瞬間。
ウィナは強大な風を纏って跳躍、そのままホールの窓を突き破り、城のはるか上空へと飛び去った。
「あら」
ルギラはとくに焦った様子もなく、割れた窓から眩しそうに快晴の空を見上げる。
「正しい判断、といってあげたいけど、残念。飛べるのは、あなただけじゃないの」
いって、すぐさまウィナと同じ風属性の飛翔魔法を使い、彼女を追って城から飛び立つ。
ふたりはそのまま、町の上空で猛スピードの追走劇を繰りひろげ、城壁の外、丈の低い雑草におおわれたあの緑の丘までたどり着いた時。
ウィナはそこで飛翔魔法を解いて、地上へと降り立った。
「逃げても無駄だとわかったようね」
ルギラもすぐに草原に降り、すこし離れた場所に佇む少女を見つめて、嗤う。
「魔導士のわたしを相手にしたのが運の尽き。ここまで来たのは、せめてエルフらしく自然の中で死にたいと思ったからかしら」
「……」
しかし、ウィナは少しの焦りも怯えもみせず、冷静に、余裕さえ感じさせる表情で口を開いた。
「ウィナは、逃げたんじゃないよ」
「……?」
「みんなに、ウィナの戦いを見られたくなかっただけ」
「何を言ってるの?」
相手の真意が理解できず、女は不愉快そうに顔を歪める。
対照的に、ウィナはニッコリと、天真爛漫な笑みを浮かべた。
「オバサン強いから、ウィナがこのままの姿じゃ勝てない、ってわかったの」
「オバサン……ッ」
「だから、大大大サービス♪ オバサンには特別に、ウィナの本当の姿をみせてあげるね──」
無邪気に宣言した、直後。
エルフ少女の全身から青い光の粒子が大量に湧き出て、それがあっという間に彼女を包み込んだ。
「何を……っ!?」
驚愕したルギラは、同時に本能で恐ろしい危険を嗅ぎ取ったが、彼女の戦士としての好奇心がそれに勝り、すぐさま攻撃を放つことができない。
ウィナが生み出す光の粒子はますますその量と輝きを増し、まもなく、彼女を直視できぬくらいに眩く光りだす。
さらに、その光の内部からこれまでとは比較にならぬくらい強大な闘気が発散され、ルギラを戦慄させた。
(なんなの……、これは……っ!)
太陽すら凌ぐ烈光がその場に留まったのは、ほんの数秒。
青い光は輝きのピークを越えて徐々に弱くなっていき、まもなく、それが完全に消えた時──。
その中心には、ウィナとはまったく別人の女性エルフがひとり立っていた。
「っ!?」
新たに出現したエルフの見た目の年齢は、十七、八歳といったところ。
長身でスタイル抜群、草色の簡素な服はサイズがまったく合わず、豊かな胸と腰回りが今にもはち切れそうになっている。
腕と脇腹にある傷はみるみる消えていき、再生された肌は透き通るほどに白く、絹のようになめらかだ。
あどけなさの消えた完全無欠の美貌には自信が満ち溢れ、大きな碧い瞳と艶やかな桜色の唇に蠱惑的な笑みが浮かんでいる。
「能力強化のための変身……っ」
ルギラが思わず呟くと、その女性エルフは口元に手をあてて、たおやかに苦笑した。
「愚かですのね。わたくしは、本当の姿を見せる、と申し上げたのですよ。わたくしはいま、変身したのではなくて、変身を解いたのです」
そう。
これこそが、ロナの森のエルフ《聖の葉》ウィナ・モル・デ・マウルの真の姿。
この姿の彼女が他国で広く知られていないのは、目にした者の多くがその直後に存在を消されたからである。
「貴女は先程、あの四人の中で一番強いのはわたくしだと思った、とおっしゃりましたわね。あれは、正解ですわ」
ウィナは、これまでの彼女とはまったくちがい、慇懃な態度で、しかしはっきりと相手を見下しながら話す。
「ただ……わたくしにとって残念なのは、四天王の中で一番強いのがおそらく貴女ではない、ということ」
「……わたしが相手では不満だと言いたいの?」
「そうですわ。せっかく久しぶりにこの姿に戻ったのだから、すこしは愉しみたいですもの」
「……っ!」
ルギラはその冷艶な美貌を怒りに歪め、全身から禍々しい闘気を発散させた。
「わたしより強くなったつもりのようだけど、本気をみせていないのはわたしも同じよ?」
いった直後、彼女の魔術杖が瞬時に、紅い光刃をもつ長剣へと変形した。
攻撃力が所有者の魔力量に比例する魔導具──魔光剣だ。
ルギラは、光刃の切先を真直ぐウィナに向けて半身になり、隙のない構えをとった。
「遊びは終わり。すこしだけ本気を出して、格の違いってものを教えてあげる」
「それでは駄目ですわ。はじめから全力で、それこそ死ぬ気で向かってきてくださらないと」
対峙するウィナは、まだ腰のナイフに手を触れることすらしない。
「でないと、一瞬で終わってしまいます」
柳眉を寄せて困り顔で小首を傾げてみせるエルフに、ルギラはついに怒りを爆発させた。
「この、ガキ……ッ!」
魔導士でありながらイグニア一の女剣士とも謳われる彼女は、次の瞬間、風を纏って跳躍し、薔薇色の征矢となって無防備なウィナに襲いかかった。




