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七剣聖の指南役  作者: 黒浪
第三章 勇者の帰還
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第五十四話 それでもわたしは

 いまは亡き城主リグラールが謁見の間として用いていた、絢爛な大広間。

 壁際に飾られた稀少な美術品の数々が、少女が恐ろしい絶叫をあげるたび、かすかに震える。


「きゃああぁぁあああああっ!!!」


 声の主は、床石を魔力で変形させた十字架に縛りつけられたアラナだ。

 すでに白銀の鎧は剝ぎ取られ、下に着ていたシャツとショートタイツも無惨に引き裂かれて、哀れな半裸姿にされている。


「ほんと、いい声で鳴いてくれるわ」


 そばでとぐろを巻く蛇女ラミアが、魔力を宿した指で少女の肌に触れる度、アラナは全身の神経を裂かれるような激痛に襲われ、耐えきれずに悲鳴をあげてしまうのだ。


「カリダ、まだ殺すなよ」


 広間の奥の、一段高くなった場所で領主の椅子にふんぞり返った魔族の男が、冷ややかにいう。

 年齢は、二十歳前後か。ゆるくウェーブした金髪を垂らしたその顔は端正だが、その赫眼に宿った光はおそろしく昏く、禍々しく、見る者に底知れぬ恐怖を抱かせる。

 華美な黄金の鎧に身を包んだこの男こそは、サーレイ・レガ・イグニア。

 アンヴァドールの五大氏族の一、イグニア氏族を束ねる若き族長である。


「心得ています。死ぬ半歩手前でやめておきますわ」

「っきゃぁああぁぁああああああっ!!!!」


 ふたたび地獄の責めがはじまると、アラナは、露わな胸が張り裂けんばかりの声で叫びながら、己を深く恥じた。


(なさけない……っ。わたしという人間は、なんと弱く、愚かなのだろうっ。

 この身を犠牲にして民の命をひとつでも救うことができれば、と考えていたのに、いざ駆けつけてみれば、この有様。

 結局、そのひとつの命さえも救うことができずに、ここで醜態を晒して死ぬのだ……)


 限界を超えた痛みに耐えきれず、ついに精神が崩壊をはじめたのだろうか。

 次第に意識が白くぼやけ、遠のいていく。


(思い上がっていた……。強くなったつもりでいたけど、結局、わたしはあの頃から何も変わっていない。

 どこまでも無力な、ただの女だ……)


 生気の消えつつある瞳で虚空を見つめていると、やがてそこに、ひとりの青年の姿が浮かびあがった。

 最強の名を手にしたまま老いを待たずに引退し、その双肩にかかる期待と責任から逃げ出した、無責任で怠惰な元勇者。


(わたしは、あのひとの代わりにはなれなかった。その器ではなかったのだ……。

 わたしがここで死んだことを知ったら、あのひとはどんな顔をするだろう。

 馬鹿なやつだ、言わんこっちゃない、と呆れ果てて、すぐにわたしのことなど忘れてしまうだろうか)


 ふいに、こちらをじっと見つめる青年の姿が熱く滲みはじめたことに気づいたアラナは、慌ててぎゅっと目を閉じた。


(でも…………、一番許せないのは、あのひとじゃない。

 いまこの瞬間も、あのひとがきっと助けに来てくれる、と、心のどこかで信じ続けている己自身だ。

 何度も、あれほどひどく罵倒しておきながら、こんな時だけ、あのひとが今も変わらず勇者であることを期待している……)


「いい加減にしろ、カリダ。本当に死ぬぞ」

「はい」


 死の直前でようやく痛みから解放されたアラナは、がくりと首を垂れ、血の気の失せた顔に虚ろな笑みを浮かべた。

 

(わたしという女は、本当に、なんと身勝手なのだろう。

 あのひとは、来ない……来るはずがない。

 そんなこと、わかりきっている。はずなのに──)

 

 その時、ふと。


 ──アラナ。


 声が、聴こえた気がした。


(え……)


 なぜかいまは懐かしささえ覚える、力強い声。

 ずっと、心の底から待ち望んでいた、たったひとつの声。


(……ウソよ。だってそんなこと、あり得ないもの……)


 それがただの幻聴であったと知るのが恐ろしくて、目を開くことができない。

 だが、


「アラナッ!」


 また、聴こえた。

 今度はたしかに、ハッキリと。

 

 少女はついに我慢できなくなり、広間の入口のほうを振り向いた。

 

 そして──、見た。

 

 必ずここへ駆けつけてくれる、自分を助けに来てくれると、どうしても信じずにはいられなかった男の姿を。

 彼女がいまも変わらず()()()()()()()()、最強の勇者を。


「せん、せい……っ」


 どんな酷い責めを受けてもけして泣くことだけはすまい、と固く心に誓っていたアラナだったが、この瞬間、その誓いはどこかへと吹き飛んだ。


(来てくれた……、来てくれたんだ……っ)


 一度あふれだした涙はもう止めることができず、少女は無垢な幼子のように泣きだした。


「待ってろ。すぐに助ける」


 アラナの無惨な姿を目にしたロンは、湧きあがる凄絶な怒りをまだ腹の底に抑えつけたまま、静かにいった。


「やっとご到着か、()()()()()()()()。待ちくたびれたぞ」


 サーレイは、奇妙な意匠の指輪を右手の中指に嵌めながら、満足げな笑みを浮かべた。


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