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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

あの時、そばに風がいた

作者: 河辺 螢

 エルデグランとヴィンフリーデは同郷の幼なじみだった。とは言っても幼い頃は近所に住むその他大勢の一人で、一緒に遊ぶこともあったが特に気に入っていたわけでもなく、他の友達以上の交流があったわけでもなかった。

 それが竜の谷の討伐で初めて同じパーティになり、以来気があってパーティの募集があれば一緒に討伐に出かけることが増えた。エルデグランは土と火の魔法を使う剣士で、ヴィンフリーデは風と回復魔法を得意とし、弓を使えた。

 遠慮なく意見を交わし、時にけんかをしても酒を交わせばすぐに仲直りできる。

 他の仲間と共に街の周辺の魔物討伐をこなし、少し離れた場所へも行くようになり、やがて長期にわたる討伐にも出かけるようになった。命が危ういような場面も乗り越えるうちにより親密になり、やがて二人は結婚した。

 村の近くに小さな家を持ったが、そこで暮らすより共に討伐に出ていることの方が多かった。小さな依頼であれば二人だけで出かけることもあり、我が家であろうと、小さな宿であろうと、テントの中であろうと、二人でいればそこが「家」だった。


 しかし、幸せは長く続かなかった。

 結婚から一年後、洞窟に逃げ込んだ蛇の魔物を退治中、突然洞窟の天井が崩れた。

 ヴィンフリーデが放った風の魔法でエルデグランは外へと放り出されたが、ヴィンフリーデは魔物と共に岩の下に閉じ込められてしまった。すぐに土魔法で掘り出し、助けようとしたところに氷の竜が現れた。

 その洞窟は、元々氷の竜の寝床だったのだ。自分の住処を崩されたと勘違いした竜は崩れた岩を氷で固め、人が入れないようにしてしまった。エルデグランは夜通し土魔法をかけ続けたが、竜の氷魔法で放たれたぶ厚い氷で覆われた岩は土魔法を通さず、朝、魔力が枯渇し、倒れていたところを仲間に救出された。

 結局ヴィンフリーデを助け出すことはできなかった。

 一週間後、遺体のないまま葬儀は行われ、墓石の下には愛用していた弓が埋められた。


 目の前で妻を失ったエルデグランを慰めるように風が吹き抜けた。

「きっと奥さんが見守ってくれてるんだよ」

 誰かがそう言ってエルデグランを慰めたが、エルデグランに届くことはなかった。


 二ヶ月が経ち、家に閉じこもっていたエルデグランは討伐への参加を再開した。

 決して立ち直ったわけではなかったが、生きて行くには仕事をしないわけにはいかなかった。すっかり無口になり、顔からは表情がなくなっていたが、腕は落ちていなかった。魔物と戦うことで悲しみを忘れようとしているかのように、危険な仕事を率先して受け、周りの者を心配させた。


 人里近くに魔蟻の巣が見つかり、魔蟻の討伐のため八つのパーティが合流した。

 魔蟻は一体であればさほど強敵ではないが、攻撃的でとにかく数が多い。

 剣や槍、弓での攻撃に魔法での攻撃も合わせる。特に炎の範囲攻撃が有効だった。

 土魔法が使える者は、魔蟻を一定数討伐するまでは巣穴を崩さないよう、固定する役目を担った。エルデグランもまた巣穴周辺の固定をしながら向かって来る魔蟻を剣でいなした。

「うわあっ」

 悲鳴と共に、土魔法が揺らいだ。若い土魔法使いが、魔法に気を取られているうちに魔蟻に襲われ、慌てるあまり魔法の制御が乱れたのだ。

 押さえていた土が逆に沸き立つように吹き上がり、巣穴が大きく陥没した。広がった出口に興奮したのか、巣の中にいた魔蟻が大量に外へと飛び出してきた。それに慌て、他の土魔法使いも魔法を忘れ、巣穴近くから逃げた。

 エルデグランは懸命に地面を押さえつけたが、魔法に集中するあまり近寄る魔蟻を退治する余裕もなくなっていた。これ以上巣穴が崩れるともたない。エルデグランは土魔法を優先した。魔蟻が突進してきたその時、竜巻のような風が沸き立ち、エルデグランに迫る魔蟻五匹を宙に浮かべた。

 つむじ風は瞬時に消え、魔蟻はそのまま地面へと落ち、その衝撃で動けなくなっていた。

 周囲にいた者が魔蟻にとどめを刺し、エルデグランは引き続き土魔法で巣穴の広がりを押さえ続け、炎の魔法使いが魔法の術式を組み終えると土魔法を止めた。

 再び飛び出してきた魔蟻達を赤い炎が一気に燃やし尽くし、その火炎は吸い込まれるように巣穴の奥へと広がっていった。その炎で女王蟻を失った巣は壊滅状態となり、わずかに生き残っていた魔蟻もその卵と共に全て燃やし尽くされた。

 エルデグランは、危ないところを救ってくれた風魔法使いを探したが、見つけることはできなかった。


 ふらりと立ち寄った街で、飼っていた魔犬が逃げたので捕まえて欲しいという依頼が貼り出してあった。ふと興味を持ち、引き受けた。

 依頼者の家を訪ねると、執事が出てきて普段魔犬の世話をしているものを呼び出した。魔犬がいなくなったのは二日前で、散歩をさせていたところ、首輪が切れて逃げてしまったらしい。

 首輪を見るとずいぶん古く、切れても仕方がない状態だった。血がにじんでいたのが少し気になった。

 貴族の中には魔物を飼い慣らし、それをステータスとする者もいた。しかし、街の中で魔物を飼う以上、首輪や鎖はもちろん、人を襲わないように様々な手段がとられる。今回の魔犬も口枷を着けられており、早く捕らえないと飢え死にしてしまう。

 慣れているなら、腹を空かせば主人の元に戻ってくるだろう。しかし二日経っても戻ってきていないところを見ると、魔犬は主人を快く思っていないのかも知れない。

 街に宿を取っていたが、あえてその日は野宿することにした。

 人の来ない森の奥で火をおこし、捕まえた野ウサギを焼いて様子を伺っていると、案の定、匂いに惹かれて魔物が寄ってきた。捜査を依頼された魔犬だった。

 もう少し人に慣れていてもいいはずだが、少し警戒し、手の届く範囲まで寄ってこない。口枷は外せておらず、飲み食いも充分にはできていないだろう。

 名前を聞いておけば良かった、と思いながら、焼けた肉のかけらを自分から体一つ分離れたところに投げ、背を向けた。

 魔犬はそこまで寄ってきて、何とか肉を食おうと舌を伸ばすが、口枷のせいで少しも口に入らない。肉に集中しているところを手を伸ばし、びくりとした魔犬の頭にそっと触れた。慣れるまでしばらく手を置き、その手を無視して肉を何とかしようと首を下に向けた時、首の周辺の毛がごわごわに固まり、その奥の皮膚が傷ついているのが見えた。

 小さな首輪をつけられたまま、長い間過ごしていたのだろう。幼い頃に連れて来られたものの、充分な世話を受けていなかったに違いない。

 エルデグランは口枷を止めていた紐をほどいた。

 口枷がぼろりと落ちると、魔犬はすぐさま落ちていた肉を口にほおばり、数回噛むとすぐに飲み込んだ。焼いた肉の半分をやったが、遠慮なく食べ、さらに欲しそうな眼をしていたが、エルデグランの食べる分を奪おうとはしなかった。きちんと座ってじっと見られているうちに何となく居心地が悪くなり、もう少し追加で魔犬に与えると、遠慮することなく胃に放り込んでいた。大振りするしっぽが喜びを表していた。


 翌朝、エルデグランが魔犬を連れて飼い主の元を訪ねると、出てきた執事は魔犬にちらっと眼を向けたが、礼金を払うと、

「今は世話人がいないのです。裏につないでおいてください」

と言って、魔犬から少し離れたままエルデグランを裏へと案内した。

「飼ってるのは誰だ」

とエルデグランが問うと、執事は、

「前の旦那様でした」

と答え、黙り込んだ。それは、今となっては世話人に任されているだけで、誰もこの魔犬を可愛がってはいない、ということだろう。首輪のサイズが小さくなっても気にせず、いなくなれば魔犬であるために一応捜索は出さなければいけないので出しはしたが、願わくは帰ってこないことを望まれていたのかもしれない。

 地面がぬかるみ、古い餌が片付けられていないままの裏庭を見て、ここに置いていくことに気が引けた。

 そこへ、世話人の男が戻ってくると、魔犬がうなり声をあげた。

「ちっ、戻ってきやがった」

 世話人の男は小屋へ行くと、中から首輪と鞭を持ってきた。

 それを見て、魔犬の唸り声が高くなり、歯をむき出して一歩男に近づいた。

 そこへ吹きかけるように風が魔犬の鼻先をかすめると、魔犬は驚いたように顔を引き、うなるのをやめた。

「首を怪我してる。まだ首輪をつけるのは無理だ」

 エルデグランはそう言ったが、世話人は

「首輪なしでつないでおけるか。お前、押さえてろ」

と、エルデグランが手伝うのが当然のように命じてきた。

 エルデグランは綱もつけずに連れて来た魔犬の頭を撫でた。

「いい犬だ。よかったら譲ってもらえないか」

 それを聞いて、執事が目を丸くした。

「…魔犬、ですよ?」

「そちらできちんと飼うというなら、このままつなぐ手伝いはするが、首輪はまだ無理だ。胴輪はないのか」

「…し、しばらくお待ちを」

 執事は世話人に胴輪を探すよう言い、自身は屋敷の中に走って行った。そして胴輪が見つかるよりも早く、魔物の登録証と移譲書をエルデグランに渡し、移譲書にサインを求めた。

 エルデグランがそれに署名すると、ようやく出てきたずいぶん古そうな胴輪を手渡した。

 礼金を戻そうとすると、

「見つけていただいたので、そちらはお納めください。これを…」

と、追加の金を手渡してきた。礼金と同額だ。魔犬の「処分」を考えると割安な金額だ。

 相手は金はある貴族だ。窓の向こうからこっちの様子を見ているだろう。

「当面の食費にさせてもらう」

 エルデグランは金を受け取ると、胴輪をつけていいか魔犬に聞き、特に反発もしなかったのでつけておいた。

「犬の名前は?」

 エルデグランの問いに、答えられるものはいなかった。

 エルデグランは魔犬を連れて屋敷を立ち去った。


 街で新しい胴輪を買い、フェルト状になった首の毛を整え、怪我の治療をした。

 胴輪は街で過ごすときは着けていたが、街の中を通り過ぎると外していた。途中で逃げるかと思っていたが、思いのほかエルデグランになつき、同行三日目にヴィンと名付けた。


 ヴィンは討伐にも臆することなくついてきて、魔物でありながら魔物狩りを手助けすることに躊躇しなかった。同じ魔物だと思っていない節もある。

 一人と一匹で小さな依頼を受けることもあったが、ヴィンは頼りになる相棒になった。

 毒と氷魔法を持つやっかいなトゲウサギを巣穴から追い出し、エルデグランの土魔法のタイミングを読んで、剣が届くところへ導く。まるで猟犬のようだ。背中にある長いトゲの毒も把握しているようで、エルデグランがそのトゲを落とすまでむやみにかみつくこともなかった。

 このトゲウサギからは、氷の核が取れた。三羽から三つの核を手に入れ、中でも一番大きなトゲウサギからは、ひときわ大きく、少し変わった色の核が取れた。普通の核を一個売り、その日は一人と一匹で久々にごちそうを食べた。


 ギルドの募集に応じ、炎を身にまとった火トカゲと対峙した時は、初めはヴィンに驚いていた他のメンバーも、炎を前にしても逃げず、エルデグランの指示に従い、火トカゲの退路を塞ぐその活躍ぶりに感心していた。

 共に戦った別のパーティの誰かが、ヴィンを連れ去ろうとして逆に尻を噛まれたらしい。眠るヴィンの前に切り裂かれたズボンと下着の破片が残っていた。服だけで済んだのか、それとも身までがっつり噛まれたのか。苦情もなかったので、そのままにした。


 エルデグランは、ヴィンフリーデを失った直後は近寄りがたい圧を放っていたが、ヴィンのおかげで少しづつ心の元気を取り戻しつつあった。それに伴い、エルデグランの元には稼ぎのある男を求める女が近寄るようになっていた。

 しかし、エルデグランの反応は渋く、時には露骨に嫌がる様子を見せた。それでもしつこく迫り、中には一晩の仲でいいと言い寄る者もいたが、エルデグランが女に背を向けると強い風が通り抜け、しつこく腕を掴もうとする女を怯ませた。驚いた女が声を上げても、エルデグランが振り返ることはなかった。


 薬師に薬の素材を取りに行く護衛を頼まれたとき、仲間になったのがディルク、カミル、グレーテの三人だった。全行程七日の旅で洞窟を三日探検し、魔物の角や爪、珍しい鉱石、魔物の核などを採取する。さほど無茶な行程もなく、穏やかに旅は続いていた。

 グレーテは風の魔法を使った。風の魔法使いと行動を共にするのは久しぶりだった。懐かしい気持ちはあったが、それ以上に様々な思い出が心に浮かび、エルデグランを無口にした。

 交代で火の番をしていると、エルデグランのもとにグレーテがやってきた。

「噂は聞いてるわ。二年前に奥さまを亡くされたって」

「その話は…」

 グレーテと目を合わせず、火の番の役目通り燃え上がる炎をじっと見つめていたエルデグランは、沸いていた湯で茶を入れると、グレーテに手渡した。

「眠れないなら飲むと言い。明日は洞窟を出て長く歩くことになる。寝られるうちに寝ておくことだ」

 ぶっきらぼうながらも自分をいたわるエルデグランに、少し笑みを浮かべて、差し出された茶を冷ますため、息を吹きかけた。

 エルデグランの隣でヴィンは目を閉じている。

「優秀な風魔法使いだったのでしょう?」

「…いなくなると、いいことしか思い出せない」

「愛していたのね」

 言葉はなかったが、ふと緩んだ顔がそれを肯定していた。

 少し腰を上げてエルデグランに近寄ろうとしたグレーテにどこからともなく吹いた風が髪を乱した。

 ヴィンが目を閉じたまま耳をピクリと動かした。

「…早く寝た方がいい」

 グレーテは伸ばしかけた手を引っ込め、お茶を飲み干すと、寝床に戻った。


 元の村に戻る途中の森でも薬草を取り、小さな魔物を退治し、日程通りに旅を終えようとしていた。順調にいけば明日には村に戻るだろう。その日の夜、寝床につくと珍しくすぐに眠りに落ちていた。

 何かの気配に目を覚ましたが、体が金縛りにあったかのように動かない。

 後ろから抱き着くように伸びた手が、懐から服の中に差し込まれ、手でまさぐりながら首にかけた紐をつかむと、ゆっくりと引き出していった。紐の先には小さな袋があり、これまでの旅で得た魔物の核を入れていた。

「噂通りだ。氷の核の一級品を持ってやがる。全部よこせ」

「氷の核だけって言ってたじゃない。まだこの旅の報酬の残り半分をもらってないのよ。ばれたらもらえなくなるでしょ」

「お前がとっととこの男を堕としておけば…。お前も大した事ねえな」

「仕方ないでしょ、前の嫁に未練たっぷりなんだから。あーあ、つまんない男」

 結局、ひときわ光り輝く氷の核と、この旅で得た火の核を抜き取り、他はそのまま戻すと、何もなかったかのようにエルデグランのもとを去って行った。

 あの女が気を引こうとしながらも、大して心がないことはわかっていた。知り合いだと言いながらディルクに対する態度は親密以上のものがあり、恐らく二人は夫婦なのだろう。エルデグランが手を出せば、そのまま脅迫し、核の一つも手に入れようと思っていたのかもしれない。

 体がうまく動かないこの状態では、核で済んだのであればまだましだろう。

 エルデグランは自分の油断を反省し、恐らく夕食のスープに入れられただろう薬の種類を推測しながら、同じく眠ったままのヴィンを心配した。


 翌日、ヴィンは少し寝すぎたくらいで、無事目を覚ました。

 件の二人は何もなかったかのように明るく接し、エルデグランが何も言わないのをいいことに、核を盗まれているのにも気づかない間抜けな男と思い込んでいた。

 その日の昼には薬師を村に届け、この旅の報酬を得た。

 それぞれが立ち去ろうとした時、いきなりヴィンがグレーテに牙をむき、ウーッ、とうなり声を上げた。 これまで仲間に対して見せたことのない敵意だった。

「な、なに、ヴィンちゃん? どうしちゃったのかな?」

 いつものように撫でようと手を伸ばしたグレーテに、ヴィンは胸元を狙ってかじりついた。

 服の端が切れ、同時に首につけていた紐が切れた。

 紐の先についていた小さな袋が地面に着くと、中からひときわ大きな氷の核が転がり、ヴィンの鼻先で止まった。

「やだ、私の核が! 何この犬、泥棒の訓練でも受けてるの?」

 グレーテが叫ぶと、すぐ後ろにいたディルクも駆け付けた。そして氷の核に手を伸ばしたが、ヴィンの唸り声におびえ、掴むことはできなかった。

 エルデグランが核を拾うと、

「おい、それをこっちに渡せよ」

とディルクが怒鳴った。エルデグランは核をじっと見つめ、

「これは、俺が持っていたものじゃないか?」

と尋ねた。

「はあ? いまグレーテが持っていたのを見てなかったのかよ。おまえのもんな訳ないじゃ…」

「俺のじゃない」

 エルデグランは核をグレーテの伸ばした手の上に置いた。グレーテは緊張を安心に替え、ぎこちないながらも笑みを浮かべた。

「それはヴィンの物だ。おかしいな」

 エルデグランが自身の首にぶら下げていた袋を取り出すと、手のひらにその中身を広げた。

 いくつもの核が手のひらの上で光っている。

「ヴィンが倒したトゲウサギの氷の核を持っていたんだが、ないな。もう一つ、この旅で得たヒクイドリの核も」

 そして、何かの呪文を唱えると、ディルクのズボンのポケットが燃え上がった。

 慌てて叩いて火を消すと、そのポケットから火の核が転がり落ちてきた。ディルクが慌てて拾おうとすると、再び火がともり、ディルクの指を焼いた。

「あちっ!」

「手持ちの核には魔法を仕込んである。ヒクイドリなら多少燃える程度で済むが、それほどの氷の核になると、何が起こるか…」

 そして同じ呪文を唱えかけた途端、グレーテは氷の核を放り投げた。

 地面につくや否や、核からは高さ2メートルほどの氷の柱が伸び、周辺にいた者たちから悲鳴に似た声が聞こえてきた。

「これは、おまえの物か?」

 エルデグランが問うと、二人は首を横に振って慌てて逃げて行った。

 エルデグランは二つの核を拾い、ヴィンの頭を撫でた。

 旅を依頼した薬師は詫びを言ってきたが、エルデグランは

「気にすることはない。旅自体は、いい旅だった」

と言い残し、ヴィンと共に村から去った。


 ヴィンフリーデが洞窟に封じ込められてから三年後、久々に氷の竜の目撃情報が上がった。しかもあの洞窟のそばに。

 いよいよあの洞窟の封を解いたのか、と、エルデグランは洞窟へと向かった。

 話を聞きつけてから二週間が過ぎていた。

 洞窟は、あの日と同じく崩れた岩と氷に閉ざされていた。

 エルデグランは洞窟の近くにテントを張り、竜が戻ってくるのを待った。

 もう飛び去ったかもしれない。そう思いながらも一縷の望みをつないで待つこと四日目、氷の竜が空を飛び、さほど離れていない峡谷へと降りていくのが見えた。

 竜の姿に、ヴィンでさえ耳を伏せ、尾を下に向けていた。

「恐いか? 恐いならこの辺りで待ってろ」

 ヴィンの頭を撫で、一人移動の準備をするとヴィンもついてきた。一緒に来る気らしい。


 二日をかけて渓谷に行くと、そこにはいくつか岩穴があった。竜に驚いたのか、他の魔物は見かけなかった。

 離れたところにヴィンを待たせ、手前から順番に岩穴を確認していった。

 三つ目の岩穴に入ろうとしたとき、持っていた氷の核が小刻みに揺れ、取り出すと淡い光を放っていた。中でも一番大きな核がはっきりと反応していた。

 エルデグランは覚悟を決め、核を手にしたまま岩穴の奥へと進んだ。

 暗く細長い道を核の光が照らす。途中には水晶の結晶が生え、氷の核の光を受けて青白く光っている。

 やがて広い空間につくと、そこはただならぬ冷気に包まれ、白い息を吐き出しながら氷の竜が眠っていた。

 戦いに来たわけではない。しかしその姿を見ると自然と怒りが沸き起こってきて、気がつけば剣を抜いていた。両手で剣を構え、荒れる息を整えようとするほど息が上がる。目の前にいるのは竜だ。魔物などとは比べ物にならない。

 目を閉じて深い息を数回吐き出し、落ち着いたところで目を開けると、そのまま剣を鞘に納めた。

  切らぬのか

 竜が片目を開けた。

「殺しに来たわけじゃない。…この先の岩場の氷を解いてもらいたい」

 エルデグランがそう言うと、竜は鼻先で笑い、目を閉じた。

  帰れ わしはまだ眠い

「ならば目を覚まさせよう」

 エルデグランは剣を竜の指先に突き立てた。

 怒った竜の息がかかり、エルデグランの右腕が凍り付いた。しかし、痛みに顔をゆがめながらも口元に笑みを浮かべ

「少しは目が覚めたか」

と竜を見据えた。竜にとっては深爪程度の浅い傷だった。エルデグランは地面に刺さったままの剣を左手で抜き、再度竜に告げた。

「氷の封印を解いてもらいたい。あの洞窟には蛇の魔物がいた。それを退治していただけだ。お前は魔物の蛇と添い寝するのが好きかは知らんが、あの場に取り残された者がいる」

  人なら とうに死んでおろう

 そんなことはわかっていた。それを、救出を邪魔した本人から言われたことが癇に障った。

 再度切りつけようとしたエルデグランに、竜がいち早く息吹を投げた。それを風が吹き飛ばした。風の来た方を見るとヴィンがいた。恐怖を抑え、エルデグランの背後につくと、うなり声をあげて自らの主人に害なすものを威嚇した。

「ヴィン、外で待ってろ」

 ヴィンは主人であろうと、自分の意志に反する命には応じなかった。

  小うるさい生き物だ

 竜は自らの周りに生えている氷の柱を宙に浮かせると、エルデグランとヴィンに向けて放った。すぐにエルデグランが地面を隆起させると、その全てが土に突き刺さり、そのまま波のように氷の柱ごと土は地に潜っていった。

 遅れて放った氷の息が網のようにエルデグランを包み込もうとしたとき、ヴィンはエルデグランに体当たりし、主人に代わりその氷の息の網に捕らえられた。

「ヴィン!」

 すぐにヴィンのもとに向かったが、ヴィンは全身凍り付いていた。

 まだ命はある。すぐに火の核を出し、氷魔法と中和しようとしたとき、

  面白いものを持っているな 人間

 氷の竜が起き上がった。

  それは氷の核ではないか …トゲウサギの百五十年物か 久しく見ぬ上物だ

 その言葉を聞きながらも、エルデグランは火の核から氷を解かす魔法を展開しようとしていた。しかし、目の前で火の核が砕け散った。

  その魔犬と 氷の核を引き渡せば 封を解いてやってもよかろう

 一瞬、心が揺れた。しかし、次には新しい火の核を取り出すと、竜の言葉を無視し、ヴィンの氷を解くことを優先した。

 炎の魔法がヴィンを包む氷を砕き、命は助かったが、目を閉じたまま起き上がることはない。

 ヴィンの体を左の手の甲でゆっくりと撫で、手の中にある氷の核を見つめた。

 核は惜しくはない。だが、ヴィンは…。

 突然竜は笑い出した。

  魔物の命を優先し おのれの腕よりも先に治すか 愚かな人間よ

  話を聞こう

 エルデグランは剣を鞘に戻し、三年前に竜の住処である洞窟に蛇の魔物が出現したこと、岩場が崩れ、自分の妻と魔物が埋まったことを話した。それを聞いた竜は

  死体を取り戻したいのか くだらぬ

と、鼻息を大きくした。

  魔の蛇が住み着いていたとは…

「あの蛇は周囲の村の生き物を食らい、とうとう人も食らった。味を占めて何度も人里を襲うようになり、討伐するしかなかった」

  ふむ…

 竜は少し考えると、

  そんなに悲しみの対面がしたいなら 叶えてやってもいいだろう

 そう言うと、竜はエルデグランとまだ目覚めないヴィンを宙に浮かべ、自らの背中に乗せると、そのまま飛び立った。


 向かった先は、あの洞窟の前だった。

 凍り付いた入口の前に降りると、エルデグランの右腕が解氷された。

 腕は何もなかったかのように、スムーズに動いた。

  わが氷の加護をなくせばすぐに腐り落ちる 三年ごとき短い時間だが…

 そして、目の前で氷の封が解かれると、エルデグランはすぐさま土の魔法を使い、落ちてきた岩を払いのけた。

 三年前、あれほど魔法をかけながらもピクリとも動かなかった岩がいともたやすく砕け、払われると、あの日共に死んだはずの蛇がいきなり襲い掛かってきた。

 すぐに土を反り立たせ、岩で取り巻いて身動きを封じると、その首を一太刀で跳ね飛ばした。

 それでもまだ動く胴を火の魔法で焼きつけると、蛇の魔物は暑さに身をよじり、燃えながら少しづつ動きを止め、やがて力尽きた。

 それを見届けると、エルデグランはすぐに洞窟の中に入り、そこにあるはずのヴィンフリーデの姿を探した。

 魔物でないヴィンフリーデは、解氷と同時に腐り果てるかもしれない。例えそうであっても、ここから連れ帰ると決めていた。埋まるものに気を使いながら土をはじき、その姿を懸命に探していると、ヴィンの吠える声がした。

 いつの間にか意識を取り戻していたヴィンが、土を懸命に掘っている。

 急いでその場に駆け付け、緩やかな魔法と手で掘り出したその先には、人の頭蓋骨があった。

「ヴィ…」

 声にならない悲鳴と共に、その頭蓋骨に両手を添え、エルデグランは大粒の涙をぼとぼとと落とした。

 三年間も放置し、一瞬であっても元の姿を見ることは叶わず、このように果てた姿を見ることになるとは…。

 本当に、本当に死んでしまったのだ。

 悲しみも涙も隠すことないエルデグランの横を、風が通り抜けた。

 涙をぬぐうことなく、誘われるように顔を上げたその先…

 氷の竜の横には、あの日と変わらない姿でヴィンフリーデが立っていた。

 エルデグランはすぐさま駆け寄ると、ヴィンフリーデを抱きしめた。涙をこらえることなく声を上げて大泣きしながら、何度も何度も妻の名を呼んだが、ふと我に返ると、

「す、すまない!」

と叫んで、急にヴィンフリーデから離れた。

 驚くヴィンフリーデに自分の手を見せ、

「…ついさっきまで、土をいじっていたのを…忘れていた」

 ヴィンフリーデの髪にも背にも、土がついていたが、

「三年も埋まってたのよ。今さら…」

 そう言うと、今度はヴィンフリーデがエルデグランに飛びついた。


 二人が再会の喜びから落ち着くのを待ち、氷の竜は冷たい目をエルデグランに向けた。

  鈍い男だ 自分の腕の氷が解けた時に気がつかないものか…

 竜が腕を解氷した時、自分の腕はすぐに元に戻ったのだ。竜の氷の中では時が止まることを考慮してもよかったのだが、そんなことを思いつかないほどに、早く魔の蛇を倒し、早くヴィンフリーデを掘り出すことしか考えていなかった。蛇もまた竜の氷の中で眠っていたにもかかわらず、魔物だから生きていたのだと思い込んでしまっていた。

「では、ヴィンも俺が火の魔法を使うより、あなたに治してもらった方が…」

  早く目覚めただろうが わしの心は解けなかったな

 二人の横に来て尾を振るヴィンの頭を、ヴィンフリーデがそっと撫でた。

「氷の竜よ。ヴィンはやれないが、これをあなたに奉じよう」

 エルデグランは自分の手持ちのすべての核を竜に差し出した。その中には、あの氷の核も入っていた。

  ふむ… 氷のものはもらおう だが 火のものなんぞ誰がいるものか

 エルデグランは手持ちの核から氷の核を抜き出し、すべてを竜に渡した。竜がそれを握ると氷の核は竜の体の中に吸い込まれていった。

  まあいいだろう 犬は共に行くがいい

  鈍い男よ 蛇に食われた骨と妻を間違うな

  そしてすぐそばにあるものを信じよ 目に見えぬものも真実だ

 大きな翼を広げ、竜は元いた峡谷の寝床へと帰って行った。


 出てきた骨を埋葬した後、二人と一匹は、懐かしい我が家へと帰って行った。

「凍ってる間も、私、あなたと一緒に旅をしている夢を見ていたわ」

 ヴィンフリーデが笑いながら語る旅は、確かにエルデグランがたどってきた旅だった。

「ヴィンにも会った。お屋敷の人にかみつこうとしたから、止めたのよ」

「ワン!」

 旅の間、時々吹いたあの風は、ヴィンフリーデだったのか。

 ずっと一緒だった。ずっと…

 またしても泣き出してしまったエルデグランを見ながら、ヴィンフリーデは自分が風魔法を使えたことを心から感謝した。




お読みいただき、ありがとうございました。


なにかと頑張り、かっこいい系でいきながら、最後は泣いちゃう、ちょっと情けないところが可愛い人を書いてみたかった作品です。

最後は片袖で涙を拭きながら、嫁に励まされてとぼとぼ歩く姿を思い描いてました。


ヴィンが洞窟で吠えたのは、「骨! 骨!」と喜んでいた。

しかし人骨でそれは不謹慎か、魔物だからいいのか、R15ならありか、考えた結果やめました…


誤字ラ出現報告、ありがとうございます!!

毎度間違いいっぱいですみません!

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