九十六話 ジィーグン歓楽街
10月12日。
ウグルガ公国で起きた一連の出来事を把握した松薔薇は、ベルデーナの次に待機していた英雄である彼女。
エルメー・エングゥに、南東200km地点に点在するジィーグン歓楽街への捜索を依頼する。
ウグルガ公国の一つ奥にあるこの場所は、嘗てジィーグン民主国と呼ばれていた。
しかし暴政を敷く者が後を絶たず、当時の各国に国政を支配されて以来崩壊した。
エルメーは日頃から黒を基調とした紫掛かったローブを身に付けており、顔の目元が隠れる程に頭巾の丈が長い。
その暗い雰囲気は人を近寄らせない威圧感を持っており、師である魔王レイバルに良く似て静謐である。
エングゥ国内中央にある噴水公園にて落ち合った彼女に連絡水晶を二つ渡し、松薔薇は翌日に手配した馬車に乗って早朝6時から向かう様に伝える。
エングゥは身体能力に欠陥があり膂力、持久力といった点が他の英雄たちと比べて見劣りする。
松薔薇にもその気持ちは理解出来るので、身を案じた配慮である。
すると何故か松薔薇の正面に立ち塞がり、頭巾を外して顔を見つめる。
その容姿は、右側頭部に纏めた青黒い毛髪を風に任せ何かを憂う様な、人の保護欲を刺激する風体である。
街行く人々は今にも砕けそうな雰囲気を醸す彼女の美しさに一目惚れし足を止めてしまう。
それらを気にも留めず困惑気味の松薔薇の両手を同じく両手で握り、一言【温かい】と呟き静かに去っていく。
理解が追い付かなかったが、彼女が生前に歩んだ人生は人里から離れた山奥であった。
人に似て非なる魔王では人肌と言える物を感じられなかったのか、それとも寡黙なレイバルが原因か。
しかし今それはどうでも良い。
移動に掛かる金銭の入った布袋を彼女に渡し、松薔薇は足早に帰ってしまう。
★
そうして翌日。
朝6時でまだ眠い目を薄く開きながら、宿の前に到着した馬車へ乗り込む。
ここエングゥ民主国からバルト王国までを南東に進み、そこから更に南東へ200km進む。
馬車で日に進める距離は50kmほどなので、6日程で到着する。
距離的にはデレル王国やゼツ鎖国の英雄はもっと大変なのだが、向こうは体が頑丈なので自力で移動した方が早いのだろう。
これからの長い距離を移動するだけで金貨12枚も掛かる、それを往復して帰る分も込みで24枚の金貨が手元の袋にある。
それとは別に小遣いとして3金貨も手渡されているが、これは上手く節制しておかなければ余裕が無いので考え物だ。
松薔薇としても別に余裕があるわけではなく、ギルドの経営に掛かる各費用を計算し自分の給与として手元に残る貨幣の貯蓄から色々旅費を出しているのだ。
これでも感謝するべきだろう。
※大抵の英雄は移動に金を掛けないのでその分手渡される金額も少なく負担は圧倒的に軽い。
外に見える並木道や開けた草原、森や林。
時折見える街や村、どこも人々が苦労しながら頑張って生きている。
そんな風景を茫然と見つめながら長い時間を座して待つ。
手綱を握る運転手が馬を休ませる為中継として村などに停留するのだが、その際に手洗いや食事などを済ませる。
そうして日は流れてーーーー。
★
「はい、ここまでねぇ!」
「ーーーうん、料金もちゃんと頂いた。
帰る時も良かったらよろしく頼むよぉっ!」
「………ありがとうございました。」
「……………明るい街。」
ジィーグン歓楽街。
10月18日、午前8時頃だろうか。
雲一つなく快晴の陽光の中、黒紫のローブで身を覆う彼女は自然と目立つ。
興味本位で一人の少年が声を掛けてくる。
「ねえねえ、男の人?女の人?」
「え…………女だよ。」
「そうなんだっ!
ここの人達は皆んな感情を露わにして楽しんでる人ばかりだから、顔を隠してるとすっごく目立つぜー?」
「ふーん、そうなんだ…………」
「だからさ、お姉さんも素顔晒した方が周りも安心すーーーー」
「うん、そうする。」
その彼女の顔を見た少年は、一目見て口を止めてしまう。
冷たい紫の瞳、そして頭巾を被る際に解いている毛髪が胸元に垂れ風で波打つ。
この街には一人として居ない性質の人間であり、産まれてより一度も街から出た事のない少年には独特な魅力があった。
それは辺りの人にも同じであり、何かを思案し青空を見上げる彼女の薄暗い表情に心を掴まれる様な感覚が湧く。
少年へ、感謝を込めた抱擁を行う。
優しく穏やかに顔と体を擦り合う様な抱き締め方は少年にとって刺激が強すぎる。
その場で姫様座りの様に崩れる少年を一瞥すると、ここに来た目的を果たす為街中を散策する事にした。
ーーーーここは街だけど、国じゃない。
規模は大きいけど、誰かが統治してるって感じはしない。
だとすると、英雄とか反英雄ってどこに居るのかな。
時折男性から声掛けされたりしたが全てを完全に無視して街を彼方此方見て回る。
偶に写真を撮る者が居たので目を向けて睨んだりしたが、それも撮られてしまい諦める事にした。
そんな中、空腹感に包まれてきた。
横をおどおどと通り過ぎようとした小さな女の子に言葉を掛ける。
少女は驚いた顔と何か恐怖する様な顔をして固まってしまう。
当然の対処とばかり彼女の額へ額を当て落ち着かせるエルメーの対応は他人への接触としては間違っている。
そんな少女は既に両親が蒸発しており、日々を飲食店の雑用で凌いでいた。
突然の行動に驚きはしたが、幼少の頃の記憶にある母との触れ合いを思い出し自然と涙ぐんでしまう。
彼女の手を握り引っ張る。
そうして自分の働いている食堂まで連れて行く。
「店長おーー!お客さん連れてきた!」
「おおそうか!お前は小さいのに本当良く働いてくれるなぁ、偉いぞぉーーーっ!」
「さぁお客さん、好きな所に座って下せぇ!」
「……………じゃあ、此処で。」
コック帽を被った体付きの良い店長は、ジィーグン歓楽街中央に構える人気料理店である【ガッデン洋食】を全く知らない様子のエルメーを見て怪訝そうな顔をする。
料理を作りながら、卵の殻を割ったりスープを1分ごとに混ぜている少女【メルゥ】に小声で喋りかける。
何やら街に訪れた観光客らしいのだが、その風貌から感じる空気感はこの街に居る【ある人間】と良く似ている。
普通の人間とは違う、特別な存在。
ガッデンは彼女に注文された野菜の煮込み汁と朝食限定のハムサラダをメルゥに運ばせ、その間も他の客の飯を作り続ける。
だが頭の片隅ではエルメーの存在をどこか不安に思っている。
ーーーージィーグンは国じゃない、人々の常識や道徳があって成り立っている街だ。
だがある人間がこの街に突如現れ、治安維持に努め始めた。
アレは、どこか危険な感覚を覚える。
そしてそれは、目の前にいる彼女も同様だ。
そんな事は露知らず、卓上に置かれた料理を食べ始める。
サラダは細かく切られており、掛けられたオニオンドレッシングも全体へ染み渡って満遍ない。
ハムも四枚ほどあり、軽く焼かれた香ばしい匂いと味が良い刺激になる。
汁物は玉葱と白菜がとろみ始めるまで煮込まれており、軽い上から振られたコンソメの塩気がまた美味しい。
食事を黙々と、けれどどこか喜んだ様な顔付きで食べているエルメーの姿に敵意など無かった。
店長は彼女から料金として2銀貨を貰おうとしたが、金貨を渡されたので細かくして返した。
その時偶然彼女の指に触れたのだが。
ーーーーー鳥肌が立ってしまった。
彼女の体から、人間が持つ事はまずない【毒魔力】を感じた。
基本どんな魔力も悪意が無ければ無害だが、毒魔力だけは本人の意思に関係なく危険を伴う。
万に1人も持たない毒魔力を完全に体内へ閉じ込めているエルメーに奇妙な危険を感じ、店長は嘗て冒険者として働いていた頃に自身を引退へ追い込んだ魔物を思い出していた。
「お姉ちゃん、また来てねー!」
「うん。
……ご飯、美味しかった。」
「でしょ!ここはジィーグンでも名店なんだ!」
「………そうなのね。
じゃあもう行くね、さよならメルゥ。」
そうして店内に戻ってきたメルゥは、お客の注文を書きながら流れである言葉を耳にする。
【英雄、或いは反英雄だろう女が店に来た】
そんな話を誰かと水晶で話していた。
しかしメルゥは純粋な為、彼女の放つ危険を肌で察知出来なかったのだ。
そして、時間は流れ。
★
「今夜は一先ず…………ここに泊まろう。」
「いらっしゃい!部屋なら空いて……あ、すまん。」
「あんまし綺麗で魅入っちまった。」
「……そうですか。
2階の右端、借りますね。」
「あぁ。
鍵はこれ、料金は一晩2銀貨を前払いね。」
昼に飯屋で崩した銀貨が8枚あったのでそこから出す。
そして静かーーーーいや、もはや無音とも言える足取りで階段を上がる彼女に奇妙さを感じながらも店主は夜8時の門限で扉を閉めた。
エルメーはローブを脱ぎ、竹籠の中へ畳む。
密着する黒紫色の長袖シャツを脱ぎ、下に履いている絹の半スカートも脱いで纏める。
そんな下着だけの状態になった彼女は、急に苦しそうな顔を見せ始める。
見る見る内に顔は青ざめ、肉体に閉じ込めていた毒魔素が滲み出てくる。
日頃から身に付けている衣服に毒魔素がこびり付くと周囲にも悪影響を与えてしまうので、1人の空間では基本的に下着以外着用しない。
生前に魔物の棲む山に住み着いていたのは、周囲を気にする必要が無いからであった。
脂汗を掻きながら、文字通り毒素を抜いていき体への負担を軽くする。
自らの魔素が自身へ害を為すことは無いが、それは肉体の許容量を超えない様に体から漏らしているからだ。
意図的に溜め込むと一時的に戦闘で有利になるかもしれないが、体の内側から冷える様な感覚に常時襲われる。
常人の神経では耐えられない、それを彼女は人里にいる間毎日続けているのだ。
そんな状態が20分ほど続き、やっと肉体の許容量に魔素が収まり落ち着いてくる。
エルメーからすると、人と居たくても居られないという葛藤がある。
だから毒魔力の使い手である魔王レイバルだけが、意思疎通の出来る人に近い者としてとても大切な存在だった。
ーーーーー。
ここだな。
夜11時過ぎ。
静かで人通りもほぼ無い夜中に、宿の入口に誰かが訪れていた。
ガッデンから昼間に連絡を受け、街の治安維持を目的にその危険人物とやらの特徴を聞き込みして居場所を特定した。
ジィーグン内のギルドで召還された、元ジィーグン民主国の代表でもあった男。
【ロズィ・ジィーグン】である。




