五十四話 マリウェルの趣味
ダイエン共和国。
8月20日、朝。
中央本館の左談話室。
そこを改装して普段過ごす部屋として模様替えした部屋に、彼女は居た。
裏天使、マリウェル。
原始魔力以外を無効化する出鱈目な能力を持つ彼女だが、上手く嵌められその力を全て失っている。
正直言ってこの状態の彼女はただの可憐で美しい少女である。
部屋の中でも床に敷かれた白のカーペットに髪が掠らない様日頃から白髪を項付近で纏め、更に縦折りして肩甲骨の中心で縛っている。
彼女ほど長い髪でなければ出来ない縛り方でもある。
部屋は出口の木扉の部分以外壁全体に白のカーテンを付けており、正面中央には木製の丸テーブルと椅子二つ。
右の壁手前にはダブルベッド、奥側に化粧台。
左手前には白のソファチェアに様々な映像を録画してある水晶が複数木箱に収納された文机。
その奥は幾つもの書物が仕舞われた書棚がある。
暇を潰す物も沢山あるのでマリウェルは日々穏やかな暮らしを過ごしていた。
毎日プライモが食事を運んできて一緒に食べたり、昼には部屋から出てネイシャやレイブン同伴で散歩や買い物などもしていた。
天界で悠久の時を無為に過ごしていた彼女によってその生活は思いの外良い物であり、表世界とは裏世界と違いここまで楽しいのかと感慨に耽っていた。
そんな時、扉がノックされる。
「入れ。」
「もう起きたね。
8時だ、今日は僕と一緒にA地区内の何処かで食事を摂ろう。
どういうのが良いとかある?」
「私の好み。なら、魚介だ。
蒸し焼き、が良い。」
「ふ、そうか。
っと、何普通に裸で歩き回ってるんだ。
早くいつものネグリジェドレス着なよ、あれも谷間の上が見えててあまり推奨出来ないけど。」
「ん、破廉恥か。
なら服を作る、待て。」
「え、服を作るの?
じゃあまぁ、外で待ってる。」
「待ってろ。」
プライモは気を利かせて広場で待機した。
その間、彼女は気まぐれに服を裁縫し始める。
趣味として裁縫を行う事がある彼女は部屋の文机に縫い針を取り出す。
毛糸、絹繊維や羊毛に麻、綿。
それ等を全て考慮に入れながら手元が残像で目視できない程の速度にm単位での精密な裁縫を行う。
20分程経過し。
ネイシャ達が女性陣と共に右別館の二階に在る寮から揃って本館へ訪れて来た。
その直後にレイブンも何やら痩け気味の男性陣を連れて起床の挨拶を飛ばす。
プライモは彼らの交流を傍目に通路上で待つ。
すると。
扉が開く。
プライモは壁に背を預けながら静かに左を見る。
そして、ゆっくりと目を開いた。
マリウェルは通路へ足を出す。
その時点で光沢のある黒のヒールを履いているのが一目で分かった。
そして。
彼女は慣れた様子でヒールを地に着け歩く。
その身に着ける衣服は普段の白く透けたネグリジェではなく、これまた本人の白髪とは真逆に墨の様に黒いワンピースであった。
風に靡く腰下のフリルは前側のみ縦切れ込みが入っており、外見年齢に似合わず色気のある太腿が時折見えた。
肩部分や鎖骨付近に生地はなく胸周りから下全てを支えるストラップが肩上を通り背と胸を繋げている。
オフショルダー。
肩周りを露出させて胸も上側が少し見える大人向けの服装だ。
そんな服を作っていたのか。
堂々とこちらへ歩いてくる。
プライモの左手を右手で掴むと、そのまま中央ホールへ向かえと顔の仕草で促す。
二人も皆の方へ向かう。
談笑していたネイシャが不意に横を見ると、何とも可憐な服を着熟すマリウェルが居た。
突然服装を変える物なので驚いて見つめていると、周囲の女性達もそれに気付き驚く。
外見は同じ年頃なのでダルミィとデルシィが前に飛び出て彼女の周りを小煩く飛び回る。
アルバがそんな二人の頭を軽く人差し指で小突き黙らせる。
そんな中、エンジーナはその衣服が既製品ではなく自作品であるのを見抜く。
「あ、あのう。」
「何だ。」
「それ、自分で編んだのですか?
とてもお上手な裁縫でつい機織りか何かで作られた物かと勘違いしてしまいましたぁ……。」
「ん、分かるか。」
「はい。
部位によって上手く縫い付けを変えてますねぇ、肩と胸元の間、腰とお腹周りの生地も縫い目が目立たない様に縫いの往復を少なく且つ正確に。
ここまで上手に針を使えるなんて素敵ですぅ!」
「ふふ、趣味だ。
天は暇だ、現世の余興も悪くない。
ーーーーお前も、手製の服だ。」
「え、やっぱり判りますかぁ?
この白黒のレースが特徴でして、ゴシックドレスは裁縫の技術も上達しますし良いですよねぇ。」
「あぁ。
頭に付けているメイドカチューシャに、右手の小指に嵌めた指輪も全て自作か。
多彩だ。」
「はい〜!
針や錐と言った小道具の扱いは得意なんです!」
エンジーナは日頃から目が悪く右目の視力を補う為に片眼鏡を付けている。
それ等も全て自分で作っているそうで、その丁寧な造形に惚れて小物の作成を頼む人も多い。
ーーーーそれとは別に、黒紫の巻き髪を背中側へ一本に編んで柔らかい物腰と雰囲気の彼女に焦がれて会いに行く人も居る、とか。
大人の女性らしい魅力的な人物である。
そんな二人の会話が理解出来ない女性達は全員真剣な顔付きで裁縫をするか悩み始めていた。
グーミルとゲンシェルドが馬鹿を見るような顔をしているとアルバが悍ましい視線を飛ばす。
その込められた殺気に震えて下を見つめる。
アーリーとオーリーは何故か女性達に囲まれる。
何かと思い不安を覚えていると、唐突に髪を弄られる。
「ちょ、なんだよ!
止めろよ!」
「うぁ、うぅ。」
「貴方達って女子顔よね、髪も微妙に長いし丁度いいわ。
ねぇ、私の練習台になってよ。」
それを聞きエヌル、ウヌル。
ダルミィ、デルシィやアルバ達他の女全員がセルペアナを睨む。
髪質も良く肩辺りまで桃髪の伸びたアーリーとオーリーは顔も声も可愛らしく確かに裁縫や髪型を練習するのに良い相手だった。
そうして誰がどの順番で練習するか話し合いになっている頃。
ネイシャはレイブンに声を掛けられる。
おはようと掛けられ同じ様に軽く挨拶を送ると、両手を握られ真剣な眼差しを送られる。
ここ最近の彼はネイシャに夢中気味で近くにいるといつも彼女と行動したがる。
ネイシャからすると悪い気分ではないのだが、アルバが彼に恋慕を向けている手前あまり構うのも難しかった。
「私前も言ったけど、生前に好きな人が居たの。
その気持ちがまだ残ってるし、レイブンの気持ちに応えてあげるのは難しいよ。」
「でも俺は別にアルバの事好きじゃないんだよ。
俺、自由に生きる以外の目標を初めて持った。
どうしてもお前を放って置けない。」
「ん?ーーーーおい、何勝手に良い雰囲気になっている?
お前を気に掛けている私を放置するな!」
「でも俺、お前を異性として意識してねぇぞ。
諦めた方が良いぞ。」
「お前の目標が彼女の様に、私の目標はお前だ。
今よりもっと強くなって相応しくなってやる、だから頼む、適当な振る舞いは止めてくれ。」
はぁ。
何で私を挟んで話すんだ。
他所でやって欲しい。
と言いつつ何だかんだ仲良く口論する両者も悪くない組み合わせだな、とか思っていた。
ネイシャは現在。
ダイエン共和国内で南西方面にあった最下位のV地区と中央のA地区を往来し、バウトとバウネが営んでいた宿屋に顔を出して美味しいパンなどを届けていた。
メイドのエルメルには九月始めにもう国を出る事を伝えてあり、その事をレイブン達にはまだ話していなかった。
というより、黙って出るつもりだった。
(手紙くらい置いていくけどね。
絶対に止めようとするからこれしかない。)
そして、右方100km地点にあるバルト王国へ向かい巳浦の情報を集める。
最終的には彼と再開して…………。
今は、それ以上分からない。
でも予感はあった、何か起こるだろうと。
だが今はまだ、穏やかに過ごそう。
そうして皆は食事へ向かった。
先刻より4日前。
8月16日時点でキャロ村を出たダンジョンは何をしていたかと言うと。
「おぉ、さっすがダンジョンさんだぁ!
最近頻出してた魔物達も、20日の今日までで大分死んじまっただよ。
前にこのシャリン村に来た巳浦っちゅう人も凄かったけんど、アンタも凄かねぇ!」
「いやいやぁ、そうでもないっすよぉ!
ーーーーおぉ!もう14時かぁ、飯っすよ!」
「何にぃ!?早いだになぁ、いやダンジョンさんのせいで作業が楽だから早く感じるんだなぁ。
あんたのお陰で本当楽だぁよー!」
「いやいやそれ程っすね。」
「それ程なんかぁいい!」
ーーーー飯だよー!!
二人はそれを耳にすると他の人々達と共に作業を切り上げて各々の家宅に帰る。
ダンジョンは一旦バルト王国への足取りを止めてここシャリン村で楽しく汗を流していた。
時計の魔力制限が100%の状態では、肉体性能のみで動くことになるので普段より幾らか体を動かしている感覚があり巨岩を砕く作業や魔物を倒す傭兵仕事もやり甲斐があった。
周囲の人間達も当初2m10cm程度の巨体が村に訪れた時は警戒した物だった。
だがその明るく気軽な性格や盛大な食いっぷり、そして村人10人分に値する働きに多大な感謝すらしていた。
魔物を倒している時の彼に至っては、武具も使わず殴打や蹴り、体当たりなどで応戦する姿が男衆の憧れにもなっていた。
ロロイも例外ではなく、巳浦ではなくダンジョンという快活な巨漢を密かに慕っていた。
殴り飛ばしていた魔物の骸が5体ほど積み上げられているのを背に。
ロロイの実家で優しい味付けの野菜炒めや吸い物、肉の燻製などを頂いた。




