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かちゃん、と部屋の戸が開く音がして、そのままそっと背を両の手で押される。
背を押す手の高さからして、どーやらミーシャみてぇだ。
いつもの救護室の部屋を出て、リビングに足を踏み入れ、ほんのちょっと歩いたあたりだろう。
ミーシャの手が、背中から離れる。
そうして──今度はシエナから、声をかけられた。
「──リッシュ、目を開けてごらん」
言われて、そっと目を開ける──と。
リビングのテーブルの上に、きれいに整えられた豪華な食事が並べてあるのが真っ先に目に入る。
パスタにサラダ、スープにパン。
料理名までは分からねぇが、チキンの上にチーズがかかってて、上に粉パセリの乗ったもんとか、ナスやジャガイモなんかをトマト煮込みにして上にとろける半熟卵を乗っけたメニューなんかもある。
それに──真ん中に置かれた、生クリームとイチゴのホールケーキ。
思わず呆気に取られてそれら全部を見ていると、俺からちょっと離れた所に立ち尽くしていたジュードも、俺と同じ様に──いや、俺なんかより、もっとどっか驚愕した様にテーブルの上の食事を見つめているのに気がついた。
何だぁ?
確かにうまそうな料理だけど……んなに驚愕するほどのことじゃねぇだろ。
そう、思ったんだが。
「この料理、ミーシャが全部作ってくれたんだよ。
私らが会議に出かけて行った後、一人で全部、ね」
シエナが横から、言ってくる。
言ってきた言葉に──俺は、ジュードと同じ様に驚愕して料理を見、続けてシエナとミーシャを見た。
「〜へっ………?」
思わず上げた声が、裏返っちまう。
ミーシャがにこにこと微笑んでいる。
俺はもう一度テーブルの上の料理を見た。
きれいに盛り付けられた料理の数々は、どこも焦げたりカスになっちまってたりはしねぇ。
形だってまあまあだ。
強いて言うならケーキの上のイチゴがほんのちょっと傾き気味だったりって事と、クリームの塗り方でプロが作った訳じゃないって分かる程度だ。
それだって、『ミーシャが作った』なんて言われなけりゃ、もしかしたら何にも気にならなかったかもしれねぇ。
俺が呆気に取られたままテーブルの上を見ていると、シエナとミーシャがふふっと笑う。
「どうやらサプライズは成功したみたいだね。
毎夕料理を教えた甲斐があったよ」
シエナが言うのに、俺はまだ戸惑ったままテーブルの上の食事を見つめていた。
あの料理下手なミーシャが、一人で全部これを作った?
いや、毎夕料理教室してたのは知ってたけどよ……正直ミーシャの料理下手は死んでも直らねぇと思ってた。
声も出ねぇ俺とジュード、それに犬カバに向かって、ミーシャは言う。
「さ、食べましょう。
料理が冷めちゃうわ」
意気揚々と言ってくる。
そいつに
「お、おう……」
「ク、クッヒ……」
「……はい」
俺と犬カバ、それにジュードが、同じく戸惑ったまま返事を返す。
そーしてそれぞれテーブルの上の食事を眺めながら席に着く──ところで。
「そういえば会議はどうだった?
借金の肩代わりの件も、正式にお受けした?」
ミーシャがなんの疑いもなく聞いてくるのに──俺は一瞬ギクリとしてテーブルの上の食事からミーシャへ目をやる。
そうして……ほんのちょっと汗をかきながら「あ〜……」と口にした。
事情を知ってるミーシャ以外の三人が(正確には二人と一匹が、だが)俺の言葉に密かに耳をすませているのが分かる。
俺は、ミーシャにウソとバレねぇ様にへらっと笑って口を開いた。
「あ〜……それがさ。
ちょ〜っとうっかりドジ踏んじまって、大統領に『あの話はなかったことにしてくれ!』って言われちまったんだよな……」
言いかける間に、ミーシャの目が大きくまあるく見開かれていく。
俺はウソがバレねぇ様にさっと視線を横に反らしながらも言葉を続けた。
「あっ、でもよ、ゴルドーのやつへの返事は一週間待ってくれるってさ。
少なくとも俺がどっかに雲隠れする間の一週間は、賞金稼ぎ達も俺には手出し出来ねぇ様にしといてくれるってぇから、良かったよな、うん。
〜とりあえず腹減ったしよ、飯にしよーぜ、飯に。
せっかくの料理が冷めちまうからさ」
言うが早いか軽く手を合わせてスプーンを手に取る。
まずはスープから飲み始めるが、こいつが中々イケた。
俺につられる様に、犬カバも床に置かれた犬カバ用の料理にかぶりつき始める。
シエナとジュードもそれに倣う。
ミーシャだけが、口をぽかんと開けたまま瞬きをして食事を美味そうに食う俺を見つめていたのだった──。
◆◆◆◆◆
美味い料理をたらふく食って、たっぷり眠って──次の日には久々に、俺は『リア』の姿でようやく冒険者達の前に姿を現した。
もちろん冒険者達は──特に男冒険者達とラビーン、クアンの二人なんかは──泣いて俺の復活を喜んでくれた。
まだ完全に治った訳じゃねぇから大人しくしとけっていう医師のじーさんの一言に、またすぐ救護室生活に戻ったが、若干ヒマを持て余してた俺は、たま〜に『リッシュ』の姿で秘密の地下道を通ってこっそり街へ繰り出しては、まだ俺に手出しの出来ねぇ賞金稼ぎの前を悠々と通って街を探索したりした。
本当はヘイデンのトコまで行って飛行船の整備を手伝いたかったが……。
まあ今行ったって『完治してからと言ったはずだ』って追い返されちまうだろうからな。
ちなみに言えばミーシャとシエナの料理教室はまだ毎日続いている。
前ほど食器を割ったり何か落としたりわあきゃあする事は少なくなったけど、まあ、完全になくなった訳でもねぇみてぇだ。
そんな感じで特に取り立てて何をするでもなく過ごして、とうとう会議から六日目の夜──俺は密かに再び例の地下通路を通って旧市街のあの家の裏に出た。
行き場所もやる事も決まっている。
ただ──しくじればもしかしたら大変な危険に晒されるかもしれなかったから、誰にも言わずに出た。
もちろん犬カバがすっかり寝入って目が覚めず、ついて来なかったのも確認済みだ。
俺はゆったりとした歩調で街を歩き進める。
そうして……俺にとってはかなりの因縁のある場所の前まで出た。
街で唯一の、カジノの前だ。
思えば俺の賞金首生活は、この場所から始まった様なもんだ。
深夜である為に、看板の明かりは落ちている。
閉店時刻はとうに過ぎていた。
だが……俺はまだ中に人がいて、“その人物”がまだ深酒をしているのを知っていた。
俺は、カジノの正面口の固く閉ざされた戸をコン、コン、とゆっくり二度叩いた。
しばらく待っても応答がないから、もう二回。
すると──
「おい、見て分かんねぇのか。
カジノは今閉店中………」
怒り混じりで言いながら、“そいつ”がしかめっ面で戸を開ける。
そのドアノブを握る手にはたくさんの大きな宝石付きの指輪がジャラジャラと付いている。
そして、いつも通りの派手で趣味の悪い柄のアロハシャツ。
そいつが、俺の姿を確認したとたん、ピタとその動きと声を止める。
一瞬驚いた様な感じだったが──そいつはほんの一瞬で、悪人じみた怖い笑みに変わる。
「……よぉ。
賞金首がこんな日に自らお出ましとはどーいうつもりだ?
リッシュ・カルト」
低く脅す様な口調で、そいつが──ゴルドーが言ってくる。
俺は負けじと悪い笑みで返して見せた。
「久しぶりだな、ゴルドー。
今日はわざわざ遊びに来てやったぜ。
──奥、誰もいないんだろ?
俺とまた、一億ハーツを賭けて勝負しねぇか?」
問いかけてやると、ゴルドーがハッと鼻で笑って見せた。
「借金の肩代わり、まだ決まった訳じゃねぇのを知らねぇのか?
下手すりゃてめぇ、明日から二億ハーツの賞金首だぜ。
大体、賭ける金も持ってねぇだろーが」
言ってくるのに──俺は、ギルドでこれまでちまちま貯めてきた有り金全部が入った布袋を懐から出し、ゴルドーの目の前に突き出してやる。
そーしてニヤリと笑った。