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そうして──とうとうこの会議室に残ったのは、俺と大統領、そして俺の足元にいつも通り居着いてる犬カバの三人(いや、二人と一匹、か?)になっちまった。
俺は何とも居心地悪く思いながらカリカリと頭を掻く。
マリーにゃこの件は断るから大統領にもそう伝えてくれって頼んでおいたが……グラノス大統領、俺らがここに到着して一分と経たずに部屋に入ってきたもんな。
マリーが大統領に話すヒマはなかったハズだ。
……まぁ、どっちにしろ言うのはたった一言だしな。
ちゃっちゃと断って家に帰ろう。
なんて考えてると、大統領が口を開く。
「先日はうちの娘を山賊共から助けて頂き、感謝する。
マリーが今こうしてここに無事でいるのもシエナ殿やダルク殿、そしてここにいる君や犬カバくんのおかげだ。
特に君には大変助けられたとマリーから聞いている。
本当に、ありがとう」
言って、大統領が──この俺に深く頭を下げる。
俺はギョッとして手を振った。
「……いっ、いいって。
俺なんか、大した事した訳じゃねぇんだから。
そ、それより例の借金を肩代わりしてくれるって件だけど、」
「その件なら問題ない。
シエナ殿やダルク殿には、電話で返礼を断られてしまったからね。
せめて君には礼をさせて頂きたい。
ゴルドー殿の方にはすでに打診してある。
すぐに金を振り込む様手配を……」
「ああ、いや、待った」
サッササッサと話を進める大統領に歯止めをかけて、俺はようやく待ったの声を上げる。
大統領が何かとばかりに俺を見る。
俺はやれやれと思いながら先を続けた。
「──その件、断りに来たんだ」
言った途端、大統領が言葉も出ない様に俺をまじまじと見据える。
「それは……一体何故かね?」
俺は軽く肩をすくめて見せた。
「他の二人は返礼は不要だって言ったんだろ?
だったら俺も返礼不要だ。
そもそもがあの事件、俺一人の力じゃ誰も救えてなかったんだ。
偶然二人がいたから──」
「クッヒ!」
俺の事忘れんなってばかりに、犬カバが下から訴えてくる。
俺はふっと小さく笑って訂正する。
「こほん。
二人と一匹がいたから、無事に皆を救う事が出来たんだ。
だから、俺一人一億ハーツも優遇してもらう訳にはいかねぇだろ。
マリーにも言ったけど、そもそも俺、そういう礼をしてもらう為にマリーを助けた訳じゃねぇし。
つーか礼ってんなら今の大統領とマリーからもらった感謝の言葉だけで十分だっての」
言うと──大統領が俺の顔を穴が空くほど見る。
ま、そりゃそうか。
んなおいしい話を蹴る様なバカ、そうはいねぇだろうしな。
大統領がほんの二、三秒の沈黙の後、少し考える様にしながら口を開く。
「──では私が、これ以上何と言っても返礼を受け取る気はないのかね?」
「──ああ」
一切の迷いなく、俺は大統領をまっすぐ見据えて返答する──と。
大統領が俺を真っ向から見つめて、そうして──笑った。
これまで『大統領』って顔で話をしていた大統領の顔が、ごく普通の『ただの一人の人間』の顔になる。
相好を崩した顔はマリーの笑顔に少し似ていた。
人懐っこい、人好きのする笑みだ。
俺と、それに犬カバが呆気に取られてそれを見る中、大統領は言う。
「~いや……すまない。
昔これと似た様な会話をした事があってね。
つい、可笑しくなってしまったのだ。
先程の会議での君を見ていても、よく似ているなと思っていたものだから」
「~よく似ている……?」
一体誰と?
思わず疑問符付きで問い返す──と、大統領が言う。
「──名も知らぬ男だよ。
黒髪に上背のある男でね。
君とは背格好も顔や姿も随分違うのだが……。
雰囲気や語り口がどことなく似ている」
大統領が言う。
昔──その時も、幼かったマリーと大統領はその男に助けられた事があったらしい。
当時はただの外交官だった大統領に、男は名も名乗らず、大統領が示した(たぶんけっこーな額の)礼金も全部断ってみせたらしい。
その男が、俺と同じ事を言っていたんだそうだ。
『礼金をもらおうと思って助けた訳じゃない、二人からはもう感謝の言葉をもらっているんだから、それで十分だ』……ってさ。
それにしても……。
黒髪の、上背のある男、か。
俺の頭の中に、ふっとダルクの──ダルク・カルトの姿が思い浮かぶ。
けど──んな偶然、ある訳ねぇよな。
俺が頭の中からダルクの姿を追い出していると──大統領が「しかし、」と笑い混じりに口を開く。
「マリーが毎日リッシュ様リッシュ様と言うものだから、一体どんな男が娘をたぶらかしたのかと内心カッカしていたが、先程の会議での発言、それに今の君の話を聞いて安心したよ。
見目だけの男かと思っていたが……人は見かけによらないものだな」
「はっ、はは……」
会議の初めに俺をすんげぇ殺気混じりの目で睨んでたのは、そーいう理由だったのか。
話からすると本人に睨んでたって意識はなかったんだろーが……ありゃ結構肝冷やしたぜ。
なんて思ってると大統領は言う。
「マリーがああも騒ぐ気持ちも少しは分かる様な気がしたよ。
──リッシュくん、」
「お、おう……」
呼びかけられて、思わず戸惑いながらも返事する。
大統領がまっすぐ俺を見た。
「今回の事では、本当に君に感謝している。
本来なら君が借金の肩代わりを受け入れるといってくれるまでいくらでもしつこく説得に当たる所だが……あの時の彼と同じで、君も一度言ったらもうてこでも考えを変えはしないだろう。
だから、こうさせてはくれないか。
もし今後──何か困った事が出てきたら、迷わず私を訪ねてほしい。
立場柄何にでも応えられるとは言い切れないが、出来得る限りの力になろう。
それともう一つ」
言い置いて、大統領がくしゃりと小さく──どこか困った様な顔で微笑んだ。
「たまにはここへ顔を見せなさい。
君に会えればマリーも喜ぶだろうから」
言ってくる。
俺は──少し肩をすくめてみせた。
「……大統領、忘れてっかもしれねぇけど、俺 賞金首だぜ?
んなトコうろついてたら一発で誰かにとっ捕まって殺されちまうっての」
言って──それでも、ちょっと笑ってみせる。
「──まぁでも……言葉だけありがたく受け取っとくよ」
きっと──ここへ来る事は、もう二度とないだろう。
そいつは別にグラノス大統領とマリーが嫌いだからとか、会いたくねぇからとかって訳じゃねぇ。
ミーシャの事を──その複雑な立場や事情を考えた時、俺が大統領と親密になるのは決していい事じゃねぇだろうからだ。
マリーやグラノス大統領がいくらちゃんとしたいい人だっていってもよ。
それでもグラノス大統領にはグラノス大統領の、立場がある。
それに、だ。
大体 俺は、グラノス大統領やマリーが言ってくれる程大した男じゃねぇんだよな。
この借金の肩代わりの話だって、ミーシャの事がなかったらきっと一も二もなく飛びついてたはずだ。
大統領が言った、“俺によく似た黒髪の男”とは全然違う。
大層な額の礼金を、『人助けは当たり前』とばかりに断ったってんだから。
きっと、なんか分かんねぇがすんげぇお人好しで、欲もない聖人みてぇなやつだったんだろう。
そう思うと、黒髪の背の高い男って情報だけでダルクを思い浮かべちまった自分がなんだかおかしくなった。
俺の半欠けの記憶でも、ダルクに『聖人』なんて言葉は、まったくもって似合わねぇ。
整理整頓は出来ねぇし、食事の前のお祈りもしねぇ。
口も悪いしケンカっ早いし、いつも飛行船のことで頭がいっぱいで。
きっと目の前にそんな礼金ぶら下げられて『ぜひとも礼をさせてくれ』な~んて粘られたら『そんなに言うならその礼金、飛行船造りの資金にさせてもらうぜ』とか、そうでなくとも『金はいいから飛行船造りの手伝いを頼む』くらいの事は言ったはずだ。
あいつ、お人好しのクセに妙にちゃっかりしたトコがあったからな。
それに──と先を考えかけて、俺は思わず苦笑いでそっと頭を振る。
こんな事思い返してたら、キリがねぇや。
とにもかくにも俺は小さく肩をすくめて「じゃ、」と大統領へ言う。
「人拐い事件のこと、ノワールなんて嫌な国が絡んで大統領も大変だと思うけど、無理しすぎねぇ様に程々にやれよな。
俺もまた賞金首として逃げ回りながら、あんたらが事件を本当に解決出来るよう祈ってるよ。
──行くぞ、犬カバ」
「クッヒ!」
それだけ言ってさっさと部屋を出ようとした俺の背に。
大統領が「ちょっと待ってくれ」と一声上げた。
俺と犬カバが同時にそっちを振り向く──と。
大統領が、ほんの少し悪い笑みを浮かべて言う。
「その借金の肩代わりの件なのだがね、」