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「ヘイデン……」
シエナが少し感動した様に言いかける。
ヘイデンはどうにも居心地が悪そうに一つ咳払いをしてから、そんなシエナから視線を外し、ミーシャに向かった。
ミーシャが改めて背筋を伸ばしそれに向き直ると、ヘイデンは言葉を続けた。
「──もし……サランディールの為にあなたが動こうという日が来たのなら、この俺が、力になろう。
サランディールには知人がいる。
時が時なら、彼もあなたの力になってくれるだろう。
だから── 一人で何もかもを成し遂げようとはしない事だ。
あなたがいなくなれば、悲しむ人間がここには大勢いる様だからな」
「ヘイデンさん……」
ミーシャは心から、頭を下げる。
ヘイデンの目に見えていないのは百も承知だったが……それでも、そうしたかったのだ。
ヘイデンが 一つ咳払いをする。
照れ臭さを隠す為のものだと知っていたシエナは、思わず顔だけで笑う。
声を出して笑えば、ヘイデンの機嫌を大きく損ねる事はよく分かっていた。
ヘイデンが杖を持ってスッと席を立つ。
「──話は終わりだ。
そろそろギルドを開ける時間だろう。
私は帰る事にする」
言ってそのまま帰ろうとしたヘイデンに。
「──ヘイデンさん、」
ミーシャは呼びかけた。
ヘイデンがミーシャの方を向くのに──ミーシャはにっこりと微笑んでみせた。
「お帰りになる前に、もう一つ、お寄りになる場所があるのではないですか?」
ミーシャの朗らかな問いに──ヘイデンは眉を寄せてミーシャの方を見たのだった──。
◆◆◆◆◆
「い い 加 減 に 食え。
お前が食い終わらないと俺も動けないだろう」
ぐいぐいとスープをすくったスプーンを俺の口元に押しやりながらジュードが苛立ち混じりの声を上げる。
けど俺だって必死だ。
意地でも口を開かない様にしながら訴える。
「俺はヤローに食べさせてもらう趣味はねぇ!」
「俺だってお前などにこんな事をしてやる趣味はない!
だがミーシャ様が……。
それにさっきも一人で食べると言っておきながらスプーンを取り落としただろう。
零したスープをいちいち拭いてやるくらいなら初めから俺が食べさせた方が早い!
何でもいいからさっさと食え!」
「い や だ ~!」
グッと口を引き結びながら訴える。
いや、ほんとはちゃんと声になってなかったどころか犬が唸ってる程度にしかジュードにゃ通じなかったかもしんねぇが。
どっちにしたって関係ねぇ。
しびれを切らしたジュードが俺の鼻から頬にかけてを片手で動かない様に押さえつけて、さらにスプーンを口にねじ込もうとしてくる。
つーかもうこの時点でスープなんか溢れちまってんじゃねーか!
顎やら服やらかけ布団やらにポタポタとスープが溢れてやがる。
ジュードのヤロー、もうなんかヤケクソになってんだろ!
顔を押さえつけられ、口にスプーンを押し込まれそうになりながら俺が絶対の反発をし続けていると。
ふいに部屋の戸が開いた。
現れたのは、足元に犬カバを従えたミーシャだ。
ミーシャの事だからきっとノックもしてたんだろうが、俺やジュードの耳にはまるっきり入っちゃいなかった。
ミーシャは……俺と未だ俺の顔を押さえつけて無理やりスープを食わせようって体制のジュードを軽く瞬きして見つめてから、
「──まだ食べていたの?」
少し呆れたよーな声で言ってくる。
その声にパッとジュードが俺の顔を掴んでいた手を離しミーシャの方を振り返り、「ミーシャ様……」と声を出す。
ミーシャが呆れたよーな困ったよーな顔でジュードと、そして何故か俺まで見て、小さな溜息をつく。
「リッシュ、ヘイデンさんがお見舞いに来て下さったわ。
ジュード……」
言いつつミーシャが何とも言えねぇ顔をしてみせる。
「怪我人には優しくしてあげて。
──下に冒険者達が集まってるわ。
また新しい情報が入ったみたい。
一緒に降りてきてくれる?」
言われて。
ジュードがどこか納得いかなさそうに、それでもしっかりと「──はい、」とミーシャに返事する。
そうして『お前のせいだからな』とばかりの視線をこっちに寄越してきた。
へへん、ざまあみろ。
無理やり食わそーとするからミーシャに怒られるハメになんだよ。
ってちょっと待て……。
今ヘイデンが見舞いに来たとか言わなかったか?
思わずミーシャの後ろを見る……と、そこには話の通りに、ある一人の男の姿があった。
灰色がかった金髪の、背の高い男。
──ヘイデンだ。
俺が一瞬で嫌な顔をすると、向こうの方でもどこか嫌そうな──ほんとは来たくなかったオーラを出してくる。
俺が声をかける間もねぇ。
ミーシャが俺ににこっとして言ってくる。
「ヘイデンさん、とても心配して下さっていたのよ。
時間はたくさんあるのだし──ゆっくりしていただいてね」
それだけを言って、ミーシャが にっこり微笑む。
何だかその笑みは俺がヘイデンとこの執事のじーさんの言葉に何でか逆らえないのと同じに、どーにも俺にとって弱い笑みだった。
……そーいや執事のじーさんにも言われてたんだよな。
俺のことを心配してのことだったんだから、どうか許してやって欲しいって。
ジュードがやっと重い役割から解放されたってばかりに、まだほとんど減ってもいねぇスープ皿をサイドテーブルの本の乗っていない隅に置いて部屋を出て行く。
ミーシャもそのまま──俺に優しい微笑み一つくれて、そのまま部屋を出て行っちまった。
後に残ったのは俺と、いかにも嫌そ~なオーラを出しまくってるヘイデン。
俺は──ヘイデンに見える訳じゃないのを十分承知したまま、思わず目をぐるんと回してみせた。
あ~あ……。
何だか気まずいぜ。
◆◆◆◆◆
ぱたん、と部屋の戸が静かに閉められる。
そうして──辺りがし~んと静まり返った。
部屋にいるのは相変わらず無言のまま、 一応は俺のベッドの脇にある椅子に座ったヘイデンと、いつも通りに俺のベッドの上にびょ~んと飛び乗り丸まった犬カバ、そしてベッドから動くことも出来ねぇこの俺だけだ。
俺はちらっと犬カバの方を見る。
助けを求めた訳じゃねぇんだが……まぁ、期待する様な反応は犬カバからは一切なかった。
どーやら俺がどうにかするしかないらしい。
俺は仕方なく居心地悪くベッドの上に上半身を起こしたまま、ヘイデンの目が見えない事をいいことにその顔を眺める。
ヘイデンとは──こないだミーシャの事で反発してやつの屋敷を出たままになってたんだよな。
当のミーシャはゆっくりしてもらってね、なんて笑顔で言ってたが……俺もヘイデンも、相当 居づれぇんだけど。
と──ようやくの事で沈黙を破ったのは、ヘイデンの方だった。
「──怪我の具合は、どうだ?
あばらを数本折って、顔も血まみれだったと聞いたが」
言ってくる。
執事のじーさん情報なのか、医者のじーさん情報なのか知らねぇが……かなり質問がぎこちない。
たぶん向こうも居心地悪く思ってるんだろう。
俺は──こっちも居心地悪いまま、それに答えた。
「あばらは──まだ全然良くなっちゃいねぇけど、顔は額をちょっと切っただけだったからもう問題ねぇよ。
血も割とすぐ止まったし」
軽く言うと、
「……そうか」
返してくる。
そんだけで会話が終わっちまった。
俺は──視線を何となくヘイデンの顔から、サイドテーブルに積まれた本の山の方へやって嘆息する。
……どーにも気まずい。
と、俺が本の山へ目を向けた事に気づいた訳じゃ決してねぇんだろーが。
ヘイデンが再び口を開いた。
「……本は役に立っているのか?」
さらりと何の前触れもなく、ごく当たり前の様に問いかけてくる。
俺は思わず「──へ?」と素っ頓狂な声を上げちまった。
ヘイデンが何の事はないとばかりに肩を少しすくめて呆れた様な息をついた。
「……うちの執事が本を持っていっただろう。
飛行船やサランディールに関するものばかりだ。
怪我をして退屈してるだろうお前の他にそんな本を読みたがる者はいない。
仮にそれらに興味があったにしても、ミーシャ殿なら俺に黙って執事に持ち出させる様な事はしないだろうしな」
言ってくる。
う゛……まさにそのとーりだけどよ……。
何かヘイデンのミーシャに対する評価が俺より高くねぇか?
つーかヘイデンのやつ、 なんでもう本がなくなってんのに気づいてんだよ?
執事のじーさんが本を持ってきてくれたのは昨日の夕方だぜ?
毎夜毎夜本棚の本がちゃんとあるかチェックでもしてんのか?
でなきゃ目も見えねぇヘイデンが、本がなくなった事を……しかもどの本がないかって事まで把握しきることなんて出来ねぇはずだ。
俺の疑問を読んだ様にヘイデンは言う。
「私は物の場所をきちんと決めて生活している。
何か一つでもいつもと違うことがあればすぐに分かる。
この目が見えなくともな。
これほど何冊もの本が突然なくなり、いつもと違う本が代わりに差してあれば……気づいてくれと言っているのも同然だ」
言ってくる。
俺が『ヘイデンには本を借りるの内緒にしてくれ!』な~んて言ったから執事のじーさん、本を抜いた所をちゃんと別の本で穴埋めして誤魔化してくれてたらしい。
けど……ヘイデンの目は騙せなかったか。
ヘイデンのやつ、無駄に細かいからな。
俺は軽く肩をすくめ──かけて、あばらに響く事に気づいてやめた。




