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真剣に、俺の思う事を言ってやる。
──と、ミーシャの腕を掴んだ俺の手に、ミーシャが力なくもう一方の手をやる。
首を横へ振って、目を伏せたまま苦しそうに言う。
「………どうして、」
ミーシャがぽつり、言ってくる。
「………どうしてそんな、優しい言葉をかけてくれるの?
私には──そんな言葉をかけてもらう資格なんて──」
「──お前が好きだからって理由じゃ、ダメなのか?」
ミーシャの言葉に被せる様に、俺は問う。
ミーシャが──驚いた様に、パッと顔を上げる。
目をぱちぱちとしばたいて、俺を見た。
そうして再び、目を瞬く。
俺はじっとまっすぐにそんなミーシャを見つめ返す。
ようやく俺の言葉の意味に気がついたみてぇに、ミーシャの顔が徐々に赤らんだ。
「───……本気、なの?」
言ってくる。
俺は思わず片眉を上げてみせた。
「何で今ので本気じゃねぇって思うんだよ?
どこにも んな要素なかっただろ」
思わず口を尖らせながら言うと「だっ、だって……」とミーシャが返してくる。
「~私の話、聞いたでしょう?
私は──」
「隣の国の元王女様で、今は男装してて、『ダルク』って名でイケメン冒険者やってて……そんで、料理が死ぬほど下手くそな、ただのフツーの女の子、だろ?」
ふっと笑って、言ってやる。
「──そんだけの事なんだよ。
俺にはさ」
思うまま、ごくごくフツーの事を言ってやる──と、ミーシャが俺をどこか心配そうな表情で見つめてくる。
俺はその顔にいつも通りのへらっとした笑みを送ってやった。
ちょっとでも安心すりゃあいいな、いつもみてぇに笑ってくれたらいいなっていう、期待を込めて。
その、心からの思いが、ちょっとは届いたのか、
「──私が、ここにいても、いいの……?
後悔するかも……」
ミーシャが遠慮がちに声をかけてくる。
俺はそいつに首を横に振って言う。
「~しねぇよ。
つーか、いていいも何も……。
俺が、そうしてほしいって頼んでんだよ。
初めっからさ」
そう、本当に初めっからだ。
『俺がせっかくここに住んでいいってんだから大人しくそうしろよ』
ミーシャにあの家に住む事にしようと話を持ち出した日の事を、昨日のことの様に思い出す。
──あん時はこんな風な感情をミーシャに持つなんて、夢にも思わなかったし、言った意味も今とは違った。
なのに今じゃ……困ったことに、どうにもこうにも、もうミーシャなしじゃ生きられねぇ様な気さえしている。
俺が困った様な、照れちまう様な笑みでミーシャを見つめる──と。
「リッシュ……」
ミーシャが静かに言って──何だか、どっか救われた様な表情をして、俺を見つめ返す。
そうして──やっと、小さく笑った。
俺とおんなじ様に、ちょっと困った様な、照れ臭せぇ様な、そんな微笑みだった。
「──……ありがとう、」
ミーシャがくしゃりと顔を歪めて笑う。
その、頬に。
一粒の涙がぽろんと一筋落ちた。
「──ありがとう、リッシュ……」
微笑みながら、泣いちまってる。
けど──そいつが辛さや悲しさからの涙じゃねぇ事に、俺は気づいていた。
俺はそいつにほっとしながら、こっちもくしゃっと笑んだままミーシャの腕からようやく手を離す。
ミーシャがそっと自らの涙を指で拭った。
俺がやれやれってばかりに近くのテーブルにあったハンカチを渡してやると、ミーシャが何も言わずに大人しく受け取る。
そうして、ハンカチを鼻元にそっと当てた。
こーゆうお上品な所作を見てると──何だか、本当にミーシャが元王女様だったって事にも何となく納得がいく。
まぁ、その割には颯爽と馬に乗って見せたり、剣を上手く扱えてたり、どっちかってーと『王子』みてぇなトコもあるけど。
考えながらミーシャを眺めてると──ミーシャが、そっと俺を見つめ返す。
ヤベ、心の声、読まれたか?
な~んて思ったんだが。
ミーシャはそっと一つ息をついて──ごく自然に、俺の思いもよらなかった言葉を発した。
「──私、あなたの事が好き。
離れたくても、離れられないくらい──好き、みたい」
ミーシャが、ふんわりと自然に言ってくる。
そいつは何だか、純真そのものっていうような、穢れも何にもない清流みてぇな言葉で──。
俺は思わぬ不意打ちに、思わずバッと自分の鼻っ面に腕を押し当てる。
顔から火が出てるみてぇだ。
全身が熱い。
たぶん──いつものミーシャじゃねぇが、相当赤くなっちまってるだろう。
ミーシャがにっこりしながら俺を見る。
すみれ色の目が涙に濡れて、いたずらっぽく笑っていた。
~ったく……。
不意打ちにも程がある。
そりゃ、反則だぜ……。
心の中で思いながら、ミーシャを見返す。
と──。
コンコン、と部屋の戸がノックされる。
俺やミーシャが返事をする間もなく、ノックの主が戸を開いた。
「ミーシャ、ちょいと遅い様だけど大丈夫………?」
言いながら入ってきたのは、シエナだった。
シエナが──言葉を言い差して、ピタとその場に立ち止まる。
そうして俺とミーシャを代わる代わる見て──口をつぐんだ。
シエナの目に──まず最初に入ったのは、ミーシャの顔だったんだろう。
涙に濡れるすみれ色の瞳に、頬に流れた一筋の涙。
鼻元に当てられたハンカチ。
シエナが──文字通り、さっと顔色を変える。
そうして、キッとした目で俺を睨みつけた。
何を思ったか──考えるまでもなく俺にも分かった。
「~まっ、待った!
何か今、すんげぇ勘違いしただろ!
違うんだって……!」
わたわたしながら両手をベッドにつき、身を後ろに退けようとするが、慌てすぎな上にあばらが痛くって、ちっとも後ろに逃げられねぇ。
シエナが大股に俺のベッドの横まで──丁度ミーシャのいる方と反対側の方だ──やってくる。
まるで……鬼の顔だ。
やべぇ……!
このままじゃ殺される……!
「な に が 違うってんだい!?
言い訳なんて見苦しい!
リッシュ!
あんたがかよわい女の子を泣かす様な男だとは思わなかったよ!
見 損 な っ た よ!」
シエナが『見損なった』を特に強く強調しながら声を荒らげる。
「ちっ、違……」
「シエナさん!違うの!」
慌てる俺と、止めようとするミーシャを無視してシエナが俺の真ん前まで来て片手を振り上げる。
~げっ!
そいつを止める間もなかった。
シエナの平手が俺の横っ面を思い切り引っ叩く。
『パァーンッ!!』と信じられねぇくらいの大きな音が辺りに響いた。
「~リッシュ!?」
ミーシャが慌てて声を上げ立ち上がるのと、俺が声にならねぇ声を上げ、引っ叩かれた反動でぼてんと横ざまにベッドの上に倒れたのはほぼ当時。
連動する様に捻っちまったあばらが、張られた頬と同じくらいの激痛を引き出す。
思わず呻く俺の横で、ミーシャがもう一度「~違うの、シエナさん!」とおろおろした声で続けた。
「~リッシュは何もしていないのよ!
私、優しい言葉をかけてもらって、思わず涙が出てしまっただけなのよ!」
ミーシャが必死にシエナに説明する。
それに───
「───えっ?」
シエナがさっきの勢いはどこへやら、ぽかんとして返したのだった──。