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『なー、おい。
こんなでっけぇ鉄のかたまり、本当に空飛ぶのかよ?』
俺が言う。
声変わりもしてない昔の俺の声に、ヘン、と誰かが鼻で笑って見せた。
『ったりめぇだ。
いいか?こいつにはなぁ、お前なんかにゃ分からねぇ色ーんな機械が詰まってんだよ。
科学の力で空を飛ぶんだ。
見てな、そのうち俺がついーっと世界一周して戻ってきたら、おめぇもこの飛行船に乗せてやるよ』
『ふ~んだ、なんだよ、えらそーに。
こんな鉄のかたまりで空飛んで世界一周なんか、出来るもんか』
『ったく、夢のねぇガキだなぁ。
まあいいさ。そん時がくりゃ、俺の言ったことが本当になったかどうか分かるだろうさ。
だがその前にちいとやることが出来ちまってな。
飛行船で出発すんのはそのあとだ。
早けりゃ明後日には飛ぶから、せいぜい首を長~く伸ばして待ってな』
◆◆◆◆◆
グガッ、と俺は大きく音を立て、ベッドの上から落ちて目を覚ました。
ぼけ~っとする頭で目をぐるりと1周回して、ゆっくりまばたきする。
ふわ~ぁ、と大きくあくびをしながら頭を掻いた。
何か、昔の夢を見てたよーな気がする。
夢の内容はあんまし思い出せなかったが、飛行船と、昔の俺と……?
くぁ~っともう1つあくびが出る。
辺りを見渡すと、馴染みのない女の部屋だった。
「……あ~、そうか。
俺、ここに住むことにしたんだっけ」
昨日追っ手から逃げる為だけに潜り込んだ、あの若奥さんの部屋らしい部屋だ。
だるい体を床から引き剥がして、俺はベッドの端を支えに上半身だけベッドに乗せてそのままぐったりする。
緑色のカーテン越しに静かな光が漏れていた。
ちゅんちゅん なんて爽やかに鳥まで鳴いてやがる。
あ~あ、低血圧は辛いぜ。
もう一眠りするか。
……な~んて考え、重いまぶたを閉じた……所へ。
くん、と俺の鋭い鼻が、何か異様な臭いを嗅ぎ付けた。
パッと一気に目が覚める。
何かが焦げる臭い。
まさか火事か!
俺は慌てて起き上がり、部屋のドアを開ける。
正面にあるダルの部屋の戸はきちんとしまっていた。
が、煙が出てる気配はない。
むしろこの臭いは階下からだ。
「~おいおい、じょーだんじゃねぇぞ!」
パタパタと裸足のまま階段を転げるように降りる。
そうして臭いのする方を──リビングと続きになっているキッチンの方を向く。
そこに立っていたのは、なんとダルだった。
「~おい、ダル!お前そこで何やって……!」
ぐいっとダルの肩を掴んで臭いの元を見る。
そこには………
「………んだ?コリャ」
フライパンの上に乗った、消し炭みてぇな何かが、まだこれでもかとばかり火にかけられていた。
ダルの手にはフライ返しが。
俺がダルと消し炭を交互に見て、口を開こうとした
……所で。
ボワッといきなり消し炭から火柱が上がった。
「きゃっ!」
「のわっ!?」
ビビって俺はすぐにコンロの火を止め、ついでに近くにあったコップの水を消し炭から上がった火にかける。
消し炭から上がった火はジュウーッと音を立ててあっさり消えた。
ドクドクバクバクと俺の心臓が激しく鳴る。
ダルも同じだったんだろう、しばらく二人、無言のままそこに突っ立って水浸しの消し炭を見つめていた。
俺は……やっとのことで口を開く。
「~ダル、」
「………」
ダルは何も言ってこない。
俺は1つ唾を飲んでから続けた。
「何やってんだよ?」
「…………朝食を、作ろうと思って……」
ダルが消え入りそうな震えた声で言う。
実際顔色も真っ青だった。
俺は「おいおい」とパタパタ手を振る。
「あの消し炭が朝食かよ?
つーか んなトコでぼや騒ぎなんか冗談じゃねぇぞ。
俺はお前と違って追われる身なんだからな。
目立ちたくねぇの!分かるか?」
「……分かってる。
すまなかった」
素直にしおらしく謝ってくる。
俺はやれやれと息をついてフライパンの中の消し炭へ目をやる。
「……これ、スクランブルエッグか?……形からして」
軽く推測して問うとダルが無言のままこくりと1つ頷いた。
俺は目をぐるっと一周回して放心状態のダルの手からフライ返しを取った。
「~ったく、いーからお前は座ってな。
俺がほんとの料理ってモンを見せてやるよ」
◆◆◆◆◆
数分後──。
「───」
ダルがすみれ色の目を少し輝かせて、テーブルの上に並んだ料理を見る。
テーブルの上にはすでに俺が用意したこんがりトーストとサラダにスープ、そしてスクランブルエッグがそれぞれ皿に乗っている。
どれもまぁいい出来だ。
俺はフフンと鼻を鳴らす。
「どーよ、これがちゃんとした朝食ってモンだぜ」
自信たっぷりに言ってみせると、「ああ」とダルがうなづいた。
「──確かに。上手いものだな」
「お前が奇跡的に下手すぎんだよ。
つーかこの新鮮食材、どーしたんだよ?
昨日は んなモン一個もなかったろ」
作った後で言うのもなんだが、気になったんだから仕方ねぇ。
聞くとダルがテーブルの上の料理たちを興味津々に見つめながら「ああ」と返してきた。
「食べるものが何もなかったから、買い出しに行ってきたんだ。
近くに屋台の店がたくさん並んだところがあって……パンだけ買いに出たんだが、色々な店の前を通ったらあちこちでサービスしてもらった」
「へぇ」
返事しながら、俺は心の中で首を傾げた。
パンだけ買ったってのに、店の前を通っただけで野菜やら卵やらもらったのかよ?
謎に思いながらも肩をすくめ、俺は『ま、いーや』と席についた。
「んじゃまぁ早速食べよーぜ。
腹減っちまった」
ダルが「ああ」とうれしそうに返事した。
そうして食べモンを前に手を合わせ、神妙に祈りを捧げる。
はぁ~、まったく丁寧なもんだぜ。
俺は普段から んな面倒な祈りなんかしねぇぞ。
ま、祈ったら何かいー事があるってんなら話は別だけどよ。
俺は大人しくダルの祈りが終わるのを待つ。
そうやって十分な祈りを捧げてからダルが始めに手をつけたのはスクランブルエッグだった。
この家に元々あったフォークで、スクランブルエッグをすくって口に運ぶ。
そして──。
パッと俺を見た。
すみれ色の目がキラキラと輝いている。
「───おいしい」
意外そうに、そうつぶやいた。
俺はヘヘンと笑って自分のトーストにかじりつく。
「当たり前だろ。
つーかスクランブルエッグくらいで感動しすぎだっての」
「そうだろうか?」
「おう」
言ってやる。
こいつ、こんなに俺の簡単料理に感動するなんて、どんだけ飢えてんだよ?
身なりが んなに悪いって訳じゃねぇが、もしかしたら相当な苦労人なのかもな。
なんて思ってると。
「そういえばリ……」
ダルが言いかけて俺の姿を見る。
俺もつられて自分の姿を見た。
火事の気配に慌てて出て来たもんだから、髪はボサボサ、昨日の女装っ気もまったくない。
寝巻きがわりに普段着を着て寝たから、本当に普段の『リッシュ・カルト』の姿だ。
ま、いつもは髪くらい縛っとくけどよ。
俺はパタパタと手を振って見せた。
「あー、リッシュでいいよ。
これ食ったらまた女装すっから、そん時は『リア』で頼む」
言うとダルが「分かった」とうなづいた。
「リッシュ、借金を返すあては考えたのか?」
言ってくる。
俺は…思わず嫌~な顔でダルを見た。
「~言ったろ。
とりあえず、『リア』で居続けてるうちは逃げて逃げて逃げんの。
大体ゴルドーのやつならともかく、その辺の賞金稼ぎくらいならあの素敵変装で十分やり過ごせるだろ。
金の手配は、まぁ気が向いたらおいおいな」
言うと……ダルが、またあのおっそろしく冷ややかな目で俺を見る。
「……な、なんだよ?」
「少しは借金をどうにかしようという気はないのか
」
言ってくるのに、俺は思わず口を曲げる。
サラダの菜っぱをフォークで刺して口にやりながらテーブルに頬杖つく。
「まったくねぇ訳じゃねぇけどよ…。
ちまちま地道にってレベルの額じゃねぇだろ。
それに……」
そんなことしてたら、俺が生きてるうちには飛行船を買い戻せなくなっちまうじゃねぇか。
そんな俺の心の声を読んだのか、ダルが言う。
「飛行船を買い戻すための金だったと言っていたが、それも簡単に諦めるというのか」
シャク、と菜っぱを噛んでいた口を、思わず止める。
俺は思わず嫌な顔でダルを見た。
ダルがそれを見てか、言う。
「──どうやらその気はないようだな」
言って、ダルが俺から目を離し「ならばやることは決まっている」と言葉を続けた。
「さっき買い物をしに出た時に聞いたが、街でカフェの“ウェイトレス”を雇いたいという店があるらしい。
随分人手に困っているらしくてな、給金は弾むという話だ。
どうせそのナリでは『リッシュ』として働くことも出来ないだろう。
『リア』としてとりあえずそこで働いてみたらどうだ?」
言ってくる。
俺は……やっぱり嫌~な顔でダルを見る。
正直 俺、汗水垂らして働くとか向いてねぇんだよな。
やるならもっとこう、一獲千金、楽してがっぽり稼げる仕事が……。
俺はふと思い立ってダルに言う。
「~って、ちょっと待った、そーいうダルはどうなんだよ?
見たとこそんなに金に困ってるよーには見えねぇけどよ、何か割のいい仕事でもしてんじゃねぇのか?」
聞くと、ダルが「割りがいいかどうかは分からないが」と前置きして言う。
「ギルドに立ち寄って仕事を探す時はある。
あそこには色々な依頼が来るから……」
言うのに。
俺の頭の中でピーンと思い立つものがあった。
「~それだよ、それ!
俺がしたいのはそーいう仕事だよ」
「だが、リアのままで出来る依頼となると、かなり絞られるぞ。
簡単なものはどれもさほど報酬額はもらえないし……」
言ってくるのに、俺はフフフと笑って見せた。
そうしてチッチッチッと人差し指を振ってやる。
「見た目はか弱い女の子だけどよ、中身はこの俺、リッシュ・カルト様だぜ?
ま、人前でこの俺の腕前を見せる訳にはいかねぇかもしれねぇけど、やれる依頼はかなりあるはずだぜ。
それこそどこぞに雲隠れしてる賞金首でも引っ捕らえるとか」
言ってやると、ダルが不安そうに俺を見る。
「……出来ると思うのか?」
「ま、出来るかどーかはやってみなけりゃ分からねぇだろ。
お前が言ったんだぜ。
まぁ暇があればウェイトレスも合間にやってもいいかもだけどな」
ギルドの依頼だけで十分に借金返済なんか出来ちまう可能性は高い。
それこそ一億ハーツの賞金首一人を捕まえればいいんだからな。
「~よし、そうと決まったら早速ギルドに行ってみるか!
飯食ったら行こーぜ!」
「ちょっと待て、私は今日はギルドに用事などないぞ。
自分の用事は自分で……」
「ダル、お前、ついさっきのボヤ騒ぎのこと忘れたのか?
俺はあれで寿命が百年は縮まったぞ。
お互い持ちつ持たれつ!
ちょっとついてきてくれるくらいどって事ないだろ?
助け合ってやってこーぜ、兄弟」
へらっと笑って俺は言う。
ダルは……ボヤ騒ぎの事を思い出したんだろう、多少の気後れがあるのか、大きく溜息一つつきはしたが、仕方なさそうにうなづいて見せたのだった。