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体はどうかって聞かれると、正直『悪い』としか言いようがねぇ。
相変わらず熱は完全には引いちゃいなさそうだし、あばらの辺りどころか、その回りまで熱を帯びた様にひどく痛む。
まぁ、怪我を負った日みてぇに脂汗が出るって事はねぇが、何でかそん時より痛みはひでぇ様な気さえする。
答えねぇ俺にシエナが『困ったもんだ』とばかりに嘆息して、続けた。
「まぁ、とりあえずしばらく安静にして、ゆっくり休むんだね。
山賊共の事はギルドの連中に任せておけばいいし。
ミーシャも念の為しばらくはここからあまり出ない様に言ってあるんだ。
あんたら二人ともここんとこ働き詰めだったんだから、いい機会だろ?」
さらりとシエナが言って、肩をすくめる。
「──じゃ、私は一旦ジュードと下に戻るよ。
これから山賊共の事でちょいと話があるからね。
もうちょっとしたら医者先生が様子を見に寄ってくれると思うから、もう一眠りしてな。
犬カバ、リッシュの事は頼んだよ」
シエナの言葉に犬カバが「クッヒ」と返事をし、ジュードが「俺は……」とこっちに未練がある様に、言いかける。
まだ俺にダルクの事を聞いてねぇからだろう。
シエナが何かあるのかとばかり怪訝そうに小首を傾げる。
「なんだい、何かリッシュに用でもあるのかい?」
シエナが問いかける。
ジュードはその問いに答える事に少し迷った様に口を閉ざして──結局 いえ、と頭を横に振った。
シエナがそれにもう一言何かを聞いてみようかどうか考えたみてぇだったが、
「……そうかい?」
と途切れ悪そうに、引く。
そうして肩をすくめてみせた。
「ま、用がないならいいけど。
それじゃあリッシュ、あんたちゃんと大人しくしとくんだよ?
何かあったらすぐ犬カバに呼びに来させること。
いいね?」
まるで病気のガキに言い聞かせる様な口調で言う。
俺はそいつに文句を言う力もなく「おー……」とだけ返事をしてみせた。
シエナがそいつに 分かってんのかね、とでもいう様にもう一度肩をすくめてみせた。
そうしてちらっとほんの僅かにジュードへ目をやり、首を横に振る。
だが、それ以上は何も言わずに部屋を出ていった。
軽く開いた戸がジュードを待たず、パタンと静かに閉まる。
まるで『こっちは先に行くけど、用があるなら少しくらい時間を空けてやるよ』と言わんばかりだ。
シエナの足音がリビングを抜け、さっさと外階段へ続く戸を開けて、向こうに出る音がする。
ジュードは……ほんの数秒、迷う様に俺を見る。
求める答えが俺にあるのかどうか、今もう一度聞いて見るべきか迷ってるんだろう。
俺はきゅっと口を閉じて、そんなジュードの顔を見返した。
何でこいつがダルクの事を知ってんのか。
どうして探してんのか。
仮に探しだしたとしてどうしようってぇのか。
そして──俺はダルクの死を、おいそれと話しちまっていいのか。
今のこの状況じゃ、分からねぇ事ばかりだ。
ジュードと俺、それに犬カバが見つめあってたのは、ほんの僅かな時間だろう。
けど──。
「おい、ジュード!
てめー、いくらリアさんを助けてダルくんに認められてるからって、病室にいつまでも居座ってんじゃねーぞ!!」
シエナが出た先──リビングの外側からだろう、どっかの冒険者らしい男の声が怒鳴る。
まぁ、次の瞬間には「うるっさい!!病室の前ででかい声出してんじゃないよ!!」な~んてシエナに怒鳴られてたが。
ちなみにそう言ったシエナの声も冒険者の怒鳴り声に負けねぇくらいの度量だが……まぁそいつを言ってやれるやつもいなさそうだ。
ジュードがそのやり取りを聞いて、一つ嘆息する。
……どーやらあんまり長い間ここにいると、後で偉い目に遭わされそーだって思ったんだろう。
結局何にも問わず、ようやく俺から目を離し、そのまま踵を返した。
先程のシエナと同じく部屋を出ていこうと歩き始める。
俺はそいつにちょっとホッとして、ジュードに気取られない様に一つ小さな息をついたんだが──。
その、呼吸のせいだろう、俺の懐である一つのものが ずり動いた。
俺は何の気なしにそいつに手をやり、そっと触れる。
──ダルクの赤い手帳の感触が、そこにあった。
ジュードが部屋の戸のノブに手をかける。
その、背に。
俺は──気がつくと声をかけていた。
「──……おい、ジュード、」
自分でも思ったよりかすれた声で言う。
と、こちらに背を向けていたジュードが怪訝そうに振り返る。
俺は一つ息をついた。
自分でも、何で んな事をジュードに言おうとしてんのか分からねぇ。
別にジュードを信頼した訳でもねぇし、本当に今のこの分からねぇ事ばかりの状態で話しちまっていいもんかも分からねぇ。
けど──。
俺は懐に入れた赤い手帳をきゅっと掴んだまま──口を開いていた。
「──お探しのダルクは、死んだぜ。
……もう十二年も前に」
言葉短かに、言ってやる。
「~なっ……!」
ジュードがバッとこちらを振り返る。
俺はまっすぐそんなジュードを見つめた。
ジュードが喉で言葉を詰まらせるのが分かる。
どーやら、死んじまってるなんて、考えもしてなかったみてぇだ。
そのまま戸のノブから手を離し、口を開く。
「……何故、ダルクさんが……」
ジュードが問う。
「──俺もそいつを知りてぇんだ。
あいつはサランディールの城に続く地下道で死んじまってた。
たぶん、誰かに斬られたんだと思う。
……お前、何か心当たりはねぇのか?
そもそも何でダルクの事を知ってた?
何であいつを探してたんだ?」
呼吸する度に響くあばらの痛みに耐えながら、それでも矢継ぎ早に問う。
問いかけた先でジュードの動揺が、伝わってくる。
「俺は……」
言いかけるが、そこから先が出てこねぇみてぇだった。
ジュードが何も言えず、口を閉ざす事も出来ねぇ中で。
コンコンコンコンコンと小さく、階段向こうの戸をノックする音が響いてきた。
「お~い、ジュードぉぉ。
いい加減にしろよ~」
さっきシエナに怒られちまったからか、小さな声でさっきの冒険者が言ってくる。
その恨みがましい様な、羨ましい様な声音はこれ以上ここに居座ってっとヤバそうな、どことなく不穏な空気に包まれている。
……どーやらこれ以上話してる時間はなさそうだ。
ジュードも同じ事を思ったんだろう。
参ってる様に軽く頭を振った。
「……後でまた来る。
それと、この話はミーシャ様には………」
ジュードが言いながら、言葉尻を濁す。
どーやら、ミーシャには知られたくねぇ理由があるらしい。
どーいう事情かは知らねぇが……やっぱりサランディールって国に関係があるから、なのか?
ジュードを急かす様に再びコンコンコンと立て続けに階段外の戸がノックされた。
俺は一つ嘆息して「分かったよ。ミーシャには言わねぇよ」とだけ答えた。
ジュードはその答えに一つ頷いて、そうしてそれ以上は何も言わず部屋を退出する。
パタン、と静かに部屋の戸が閉まった。
後に残ったのは、俺と犬カバだけだ。
俺は──思わず口をへの字に曲げたまま、隣の犬カバを見る。
犬カバも俺とおんなじ様な顔でこっちを見返してきた。
「……何であいつが、ダルクの事を知ってんだろーな?
ダルクは、何で……」
問いかけて……そいつが無意味な事だって気づいて、やめる。
情報もねぇのに憶測だけしてたって意味はねぇ。
幸いジュードは後でまた来るっつってんだし、そん時に俺の疑問のいくつかには答えてくれるだろう。
犬カバが俺の考えに賛同でもするみてぇに「きゅーぃ」と一つ鳴いてみせた。
俺は──そいつにそっと浅い息をついて眉を寄せ、再び天井を見上げたのだった。
◆◆◆◆◆
俺はうとうとと夢うつつのままその日の午後を過ごしていた。
俺の顔の横で丸まった犬カバも ふー、すー、と息をつきながら眠りこけている。
あれから──ジュードが出ていってしばらくの後、シエナの言った通りにあのじーさん医師が来て俺の怪我の具合を見ていったが、それ以外じゃこれといって大した事は何一つ起こらなかった。
下の階からはボソボソとしたギルドの連中の話し声が絶え間なく続いているが、ある程度声を絞って話してるらしく、ぼんやりした俺の頭じゃ何を言ってんのかまではさっぱり分からねぇ。
浅く見ている夢の中じゃあ、色んなモンがごちゃ混ぜに意味もなく流れては消えていた。
ミーシャが出てきたり、さっきのジュードが出てきたり、シエナやヘイデン、挙句の果てにはラビーンやクアン、ゴルドーまで出てきて何かを言ったり、何にも言わなかったりした。
そういうもんをうつらうつらと見ながら──俺はぼんやりと“あいつ”の顔が出てくるんじゃねぇかと、どっかで期待していた。
今じゃもう、夢の中でしか出てこねぇ、あのへッと笑った顔。
生き生きと輝いた青い目。
わしゃっと俺の頭をなで回す、大きな手。